50_よしや現し身を焦がすとも

何であんなことしちまったんだろう。
丸井先輩の元に無理矢理置いてきぼりにしたのことをぼんやり考えながら、俺はあの場から逃げるように動かしていた足をようやく止めた。二人と別れてからもう随分無心に歩いて来たので、振り返った先には当然彼らの姿はない。文化祭の準備に追われる生徒達がまばらにあちこちへかけていくのが見えるだけだ。俺は、普通では一人で持とうとはしない量の荷物を両手いっぱいに抱えて、そんな自分に改めて溜息をこぼす。「何やってんだほんと」最近、気持ちの浮き沈みが大きいし、俺、結構情緒不安なんじゃねえの。冗談めかして笑ってみたが、本当のこと過ぎてちっとも面白くなかった。
先程までは、…そう、丸井先輩に会うまではこんなもやもやとした気分にはなっていなかったのに。
丸井先輩の最後の表情が忘れられない。「あー妬けるわー」そう言った丸井先輩の目はまるで俺を威圧するような、どこか苛立ちを孕んだそれだった。

「…追い払われたっつうか、追い払われてやったっつうのか」

どちらにしろとりあえず情けないことには変わりがない。何で俺がわざわざ気を使わなくてはならないのだろう。…と、そう思うのならどうしてあっさり身を引いたのかと言う話にもなるが。
つうかあれ、丸井先輩絶対のこと好きだろ。俺とのやり取りをなに食わぬ顔で見ていた先輩の表情を思い出すと腹立たしく思えて、俺は思わず空を蹴った。
ああ、いくら先輩だからとは言え、が言った通り仕事中だったのであるし、俺がこんなに荷物を抱えて苦労してまで先輩を立てる必要などなかったのではないか。そんなことを考えながら、手元から落ちかけたダンボールを抱えなおそうと俺は腕を動かす。その時だ、から受け取った袋が破けて、中から紙やらガムテープやらがばらばらと落ちて俺から逃げるように転がっていった。しかしそれから煩わしさに悪態をつくまもなく、ダンボールの紐までもが切れてあっという間に足元に散らばったのである。マジかよ。

「…俺こそ占い最下位だろこれ」

あーもうやる気失せたわ。
立っている気力も一気に地に落ちた気がして、俺は廊下のど真ん中にしゃがみ込んだ。夕暮れ時の日が差し込んで、俺の背中を暖める。
今頃二人で何話してんだろ。
は相変わらず丸井先輩に辛辣だけれど、きっとそれは丸井先輩だからこそ出せるような、そんな部分なんだと思う。彼女の素とか、そういうものとはまた違うような気がするけど、彼女のあの態度は相手が丸井先輩だからこそなのだ。それにしても何故彼女は丸井先輩のこともちゃんと好きだって言っていたのに、あんな態度をとるのか謎だが。何か訳でもあるのだろうか。…ま、どうだって良いけど!

「何をしているんだ」
「んあ」

聞き慣れた、落ち着きのあるその声が降る。顔を上げると、そこには拾ったガムテープをこちらに差し出す柳先輩の姿があって、俺と目が合うと随分と自暴自棄になっているようだな、と辺りに散乱したものを一瞥した。先輩の腕には生徒会の腕章が付いているから、今はクラスではなく生徒会の仕事をしていたのだろう。今日はよく先輩に会う日だ。
柳先輩には、何も説明しなくたって、俺自身が分かっていない感情すら全部分かって貰えているような気がして黙り込んだまま、俺はテープを受け取った。

「買い出しか。しかし一人で買う量ではないように見えるが」
「ああ、…本当はもいたんスけど」
「また喧嘩でもしたか」
「そ、そんなに頻繁にしないッスよ」
「冗談だ」

冗談かよ。とは流石に先輩相手に口にはしないが、そんな気持ちもきっと柳先輩は俺の表情からお見通しなんだろうなと思う。だって、何だか微笑んでいるから、俺の反応が予想通りで面白いに違いない。ていうか柳先輩は真面目だし、表情も崩さない癖して冗談をぶっこんでくるから侮れない。
俺は床に散らばるダンボールを乱雑に回収し始めると柳先輩は、ふむと唸って再び口を開いた。

「しかし喧嘩をしていないにしても、彼女がいないということは何かあったのだろう」
「別に、ただ荷物が落ちて苛ついてただけでとは何もないッスよ。あいつがいないのは、大した理由じゃないです」
「そうか。だがその割に、お前の教室はとうに通り過ぎているが」

2Dはこちらではないだろうと、柳先輩の台詞に、俺は驚いて後ろを振り返ると、確かに目的の教室はとっくに通過していたようだ。いつの間にか廊下の突き当たりの階段近くまで来ていた事実に、体裁が悪くなって先輩から視線を逸らした。

を誰かに取られたか」
「な、っもう冗談はやめて下さいッス!」
「今のは冗談のつもりは無かったのだが」
「…」

まあ、取られたと言うのは語弊があるけれど、を引き渡したとこは嘘ではない。今はきっと丸井先輩といますよと、努めて何でもないような風に口にした。いや、実際に何でもないのだ。ただ、何で俺が荷物を、と、そう思うだけである。

「そんなところだろうとは思った。先程、調理室でブン太がお菓子を作っているのを見かけたからな」

確かにこの時間帯だと、校内を頻繁に動き回っている人間を考えたら、柳先輩か丸井先輩に鉢合わせる確率が一番高いと、先輩は言った。そこで、甘ったるい匂いをさせていた丸井先輩のことを思い返して、やっぱり調理室にいたのだなと納得する。

「文化祭の料理コンテストにまた挑戦するらしいからな」
「ああ和菓子でV2とか言ってましたしね」

丸井先輩のことだから、きっとまた大盛りでインパクト抜群の和菓子でも考えているに違いない。まあ、インパクト抜群の和菓子というのも謎だが。それよりも、あの人ならわざわざお菓子作りなんて練習しなくとも優勝できるのではないかと思う。相変わらずお菓子に関しては丸井先輩に心配はしていないので、半ば投げやりな調子でそんなことを言った。ふと視線をやった窓からの西日が眩しい。

「いや、なかなか手強い奴がいると本人が言っていた」
「へえ。柳先輩って丸井先輩とそういう話もするんスね」

正直、柳先輩と丸井先輩は真逆なタイプの人間だと思っていたから、あまり世間話のようなことを進んで二人で話しているイメージがなかったのだ。今更だけれど、うちの部活は皆なかなかに仲が良かったのだなと思う。
まあ、タイプも違うし接点もないのに、どうして付き合いがあるのだろうということに関しては、丸井先輩とにだって言えることだけれど。…どこからだろう。どこから、が丸井先輩と関わるようになったのだろう。

「共通の話題とかなさそうなのに何話すんスかね」
「別に、とブン太は接点がないわけではないだろう」
「え?」
「赤也、お前だ」
「はい?」
「お前が二人の接点だと、俺は思うぞ。とは言っても、お前があの二人の話題に出てくることは多くないだろうがな」
「…」

『俺』という接点は、二人の共通の話題と言うよりも、丸井先輩との接触の多さを左右するという意味でのものなのだろう。もちろんには、丸井先輩と会いたいからとか、そんな気があって俺と一緒にいるわけではないだろうが、(初めは本当に丸井先輩との接触を避けていたし)そう考えると少し複雑だ。
床に落ちた俺の影は、相変わらず両手にいっぱいの荷物を抱えており、そんな姿に無性に遣る瀬無くなる。俺があからさまに肩を落としたのが分かったのか、柳先輩は、空気を切り替えるように俺の名前を呼んだ。

「それよりも、俺としてはブン太とより、お前との方が、何を話すのか気になるが」
「…データッスか?」
「いや、そんなつもりはない。本当にただ少し気になっただけだ。最近はそうではないが、はあまり大騒ぎするような性格ではなかったし、俺はお前と彼女の相性が相当悪いと踏んでいたからな」
「…まあ、話す内容は別に大したことないスけど」

はただの地味で真面目そうな奴に見えて、以外と不真面目だ。さっきだって買い出しに駆り出されてから真っ先に「アイスが食べたいね」と言ったのは彼女だったし。もちろん俺もそれに便乗した。あと口も悪い。話す内容といえば、さっきは文化祭で、テニス部が部活の出し物としてシンデレラをやるという話をした。男だらけなのにシンデレラ?とやけに面白がっていたが、どうやらは弟がテニス部のくせに、そういう情報があまり入ってこないらしい。

「あ、つうか俺やっぱシンデレラ役やりたくないんですけど!」
「どうしてだ」
が見に来るって。きっと馬鹿にするつもりなんスよ」
「しかし今更配役は変えられないぞ。どうしても変えたいなら監督の幸村に言うんだな」
「う、」

そんなことを言われたら俺は黙り込むしかないことを、きっと柳先輩も分かっている。女装するのはお前だけではないだろうと、柳先輩は言うけれど、俺と違って丸井先輩も柳生先輩も思いの外ノリノリだし、何か似合っちゃってるし。

「良いところを見せたいなら全力でやるしかないな」
「だから、別にそんなんじゃないって言ってるじゃないッスかあ」

柳先輩は完全に俺を面白がっている。優しそうに見えて、先輩は何気に意地悪な人だ。ムッとしたまま、がさがさと不安定な荷物を掴んで、俺は教室の方へ踵を返すと柳先輩がそれに並んだ。先輩は涼しげな顔をしている。そんな先輩を一瞥してから、俺はぼそりと「丸井先輩こそ、が好きだと思いますけどね」と零した。言った後、なぜかすごく後悔した。
柳先輩といえば、しばらく何も言わなかった。何か先輩の気に障るようなことを言ったのだろうか。俺が「先輩?」と首をかしげると、先輩は生返事を返した。

「…そう、だな。恋愛感情と言うのはなかなか推測しづらいものだ。ブン太がに対してそんな感情を抱いているかは、はっきりとは分からない」

柳先輩の返答は思っていたものとは違うものだった。先輩がこんな風に曖昧に言葉を返すことなど、今までにあっただろうか。怪訝に思って先輩の横顔を伺っていると、先輩がふと前方へと意識を移したので、俺もそちらに向けた。そこにはこちらに向かって走ってくるの姿が見えた。

「ブン太との話が終わったようだな」
「何か、すごい勢いで走ってきますね」

丸井先輩と何かあったのだろうか。まあそんなことはいつものことだが。が丸井先輩に何かを言いすぎた、とか。いい加減懲りれば良いのにと肩を竦めていると、柳先輩がすっと足を引いた。「では俺はこの辺で失礼するとしよう」え?

「え、先輩こっちに用があったんじゃ」
「俺はお前の荷物が心配でついていただけだ」

もしかして、柳先輩は気を遣ってくれたのだろうか。だとしても何で。柳先輩の考えることは、やっぱり分からない。
来た道を引き返す先輩をぼんやりと眺めていると、先輩はちらりとこちらを振り返った。そして小さく笑うと、

「赤也。俺はお前とはとてもお似合いだと思うぞ」


それだけ言って、先輩は再び歩き出した。後ろではばたばたとの足音が聞こえる。

柳先輩の言葉に、ちょっとだけ胸がこそばゆい思いがした。



(よしや現し身を焦がすとも)


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( まっくらな宇宙にはじき出された少女 // 150220 )