40_決別の手引き |
しばらくすると、露店の並ぶ道を行き来する人通りも増えて、祭りはさらに賑わいを見せ始めた。どうやらこの後には花火が上がるらしく、人の波は広場の方への流れているらしい。いい場所が取れたらどうとか、今から行かねば間に合わないとか、足早に横を過ぎ去る人達を一瞥してから、丸井先輩は今まであった私達の間の空気を崩すように、「花火やるってさ」と笑ったのだった。先程までの会話を考えれば、そんなふざけた言葉が出てくることなど、まずあり得ないだろう。どういうつもりか理解しかねて、眉を潜めてから「私は行きません」と首を振る。今すぐにでも帰ってしまおうかと思っているくらいなのに。 「何で怒ってるんだよ」 「分かりませんか」 「だって今から言うことは聞き流せ、ってさっき言っただろ」 「言いましたね。だけど不愉快な事を言われているのに聞き流せなんて、そんなこと通じると思いますか」 「思ってるから言ったんだけど」 住む世界の違う私には、この世界に居場所がないと言う切原君も、だからと言って仲良くすることの何がいけないのかと言う丸井先輩も、もしかしたら、いや、きっと間違ってはいないのだ。どちらも一理あって、きちんとした正解はない。けれど私はどちらにも納得などしたくなかった。何も知らない彼らに、真理を解かれたとして、頷きたくはなかった。そんなことが分かったとしても、現状を打開できるとも思わないから、つまり彼らが語る程簡単な話ではないのだ。正しいとは思う。けれど不愉快だ。 そもそも、丸井先輩は不可侵を決めている割に、「聞かなかったことにして欲しい」と下らないラインを引くだけ引いて、それを乗り越えて幾度も介入してくる。それが彼の矛盾であり、ずるいところだ。 「ずるいって、顔してるけどさ。ずるいのはもだろ」 そう言った彼の目と、その言葉には覚えがあった。私が過去の世界から帰ってきたあの日、丸井先輩にそう言われたことがある。そう、ずるいのは私も同じだ。丸井先輩は「ずるくない奴なんていねえよ」そう付け加えるように言ったけれど、その割りには先輩はどこか私を責めるような目をしていた。「だけど、」と、先輩の口が開く。 「俺達は毎回こうやって、ずるいだなんだって、遠ざけあって、先に進めてない」 「先に進む必要なんて」 「あるんだよ」 そうしておもむろに丸井先輩は露店の方へと振り返って、適当な場所で缶ジュースを買い直すと、半ば無理やりに私へとそれを押し付けた。そうした理由が私には分からなくて、だけど先輩の目は有無を言わさぬ様子だったので、それを受け取って、私は一歩だけ後ろに下がる。 「それに、俺はもっと近づきたいって思う」 「…」 「お前は俺のこと、嫌いなのかもしんねえけど、俺はと普通に話して普通に隣を歩きたい」 「そんなこと、無理ですよ」 だって、彼は「私」のことを知っている。きっと私達の距離は、ごく当たり前にあるその距離にはならない。 「胸張ってお前が大切な友達だって言える距離が欲しい」丸井先輩が言って、彼の伸ばしたてが私の腕を捕まえた。どきりと心臓が跳ねて、掴まれた部分が熱を帯びて行く。 「わ、たしは、」 「なに」 「丸井先輩が怖いです」 「…ふうん」 丸井先輩は、どうしてそんな風にまっすぐにいられるのだろう。ここまで拒絶されて、それなのに何故ここまでして私のそばにいようとするのだろう。私は不可侵を侵されることが怖いのだ。曖昧なものだって、不可侵の線引きは私を安心させる。だからそれを乗り越えて欲しくない。何かが壊れてしまう気がするのだ。 「怖がってたら前に進めない」 「…進まなくて良い、このまま、私はじっとしています」 「どうして」 「私がここにいる理由すら分かっていないのに、がむしゃらに動いて、それが間違いだと分かった時、傷ついてしまう」 間違っても、傷ついても、それでも前に進もうという心を私は持ち合わせていないのだ。それに、正しい答えでさえ、知ったら傷つくかもしれない。このままじっとして、誰も答えくれないのなら、もうそれで良い。 先輩から視線を逃がすように足元へ目を落とした。すると上から「ばかだな」なんて、先程よりは幾分か砕けたような、それでいてちょっと怒った声色が降って、彼の手が頭をさらりと撫でた。「ここにいる理由なんて一つだろい」 「お前は俺に会いに来たんだよ」 お前、俺にそう言っただろ。 胸がぎゅっと締め付けられるように痛んで、本当にそうだったら、と私は先輩に聞こえない位の声で呟いた。 本当にそうだったら、どんなに楽だろう。 小さな海の中でした先輩との内緒話がここに来て、私をこの世界と結びつけようと緩く繋ぐ。その頼りなさが、私を余計に不安にさせるようだった。 「おい、さっきからお前ら何してんだ。先に行くぞ」 その時、不意に前の方から桑原先輩の声がして、私達はハッと顔を上げた。いつの間にか、先輩達に置いて行かれてしまいそうになっていたらしい。お互い顔を見合わせてから、もうこの話はしていられないと丸井先輩が判断したらしく、今行く、と笑って再び私を一瞥した。私から何か言葉を待っているように見えた。だけど私は何も言わずに歩き出したのだった。 「そういや、幸村が退院したんだってよ」 一通り食べ物を買い込んだ私達は、花火の場所取りへと向かっていた。自分達が出遅れていることは分かっていたけれど、流石に花火が見える良さそうな場所はどこも埋まってしまっていて、私達はしょうがなく、あぶれた人に埋れて端に落ち着く。ここからでも、ギリギリ見えなくはないだろうと話している時に、桑原先輩がそんな事を零したのだった。テニス部の人達はその話はとっくに知っているだろうから、何も知らないはずの私に言っているのだろう。私は、そうですか、なんて簡単に答えた。ゆずるからは何も言われていなかったから知らなかったけれど、退院したと言うことは、全快したと言うことで、間違いはないのだろうか。 私の知る未来と、少し違う。 は退院など、一時的なものだってなかったと言うのに、どうして。 「はいつもそう言う顔をしてるな」 「え…」 「特にブン太といる時、不貞腐れてる」 後ろのゆずるやと話している丸井先輩の方を振り返って、それから桑原先輩は私を見た。別に不貞腐れているわけじゃないのに。 ただ、どう接したら良いのか、分からなくなってしまうのだ。丸井先輩のように、近づいてこようとするものは、遠ざけるのが正しい。だけど、丸井先輩の悲しそうな顔を見る度に、罪悪感にかられる。今だからわかるけれど、きっと私と過去の丸井先輩に繋がりがあるからなのだ。 「あいつは確かにめんどくさいし、厄介ごとは全部押し付けて来るし、困った奴以外に何も出てこないくらいだけど、根は優しい良い奴なんだよ」 「…」 「なんて、もきっと分かってるよな」 桑原先輩は、丸井先輩のことをよく見ている。きっと丸井先輩がとても明るくて優しい人だから、先輩の周りにもこんな風に優しい人が集まるのだろう。 「能天気で難しいことは何も分かってなさそうなのに、実はよく周りを見てて、きちんと『肝心』な時に助けにくるんだよあいつ。すげえ奴だなあって思うぜ」 調子に乗るから言わないけど、と桑原先輩は戯けた。 知ってる、…全部知ってる。 あの人は横暴なように見えて、怖いくらいにお人好しだ。私は黙り込んで先輩の言葉を否定しなかったので、先輩はふっと笑った。どうやら今の言葉に納得したのだと思ったらしい。私は途端に体裁が悪くなって、隣にやってきたの方へ寄ってそっと並んだ。このまま先輩と話し続けたとして、言われることはだいたい予想ができる。丸井先輩と仲良くしてやってくれなんてそんなところだとは思う。似たようなことを以前仁王先輩にも言われたそれは頷きかねるのだ。だから桑原先輩も丸井先輩やゆずるがやって来て、そちらに意識を向けたので私は安堵した。 は初めに会ったときと同じく相変わらず、顔色が優れなくて、どこかふらふらとしていた。先程から先輩達も何度かを気にかけていたようだが、あまり心配をかけぬようにと無理をしていたようだ。 「…具合、大丈夫?」 「…別に、寝不足なだけだから」 「それなら良いんだけど…」 少し投げやりな答えに、きちんと寝ないと駄目だよと当たり障りのない言葉を返す。こんな時、どんな風に気を使えば良いか分からない。家に帰すのが良いのだろうが、おそらく先輩達に何度もそう言われているだろうし、彼女が平気だと言うのならしつこく言わない方が良いような気もする。 そうしているうちに、一つ目の花火がドンと夜空に打ち上がって、周りから歓声が起こる。隣では丸井先輩が弟に見せるとかなんとかで、携帯で写真を撮っていて、この人も相変わらずだ。 ゆずるまでもが携帯を構えており、その様子を一瞥してから、賑やかだねとへ声をかけた。彼女は視線を泳がせて、それからようやく私に合わせると、「あの」とやけに他人行儀のような口調になって、私は首を傾げた。まごつくはらしくない。 「言うのを迷っていたんだけど」 「何?」 「…最近、おかしな夢を見るの」 「夢?」 は、今は花火など気にしている余裕はなさそうな、そんな様子だった。私も別に付き合ってここにいるだけだから、空から視線を外して彼女に向き直る。 夢は、彼女曰く、いつも同じ夢なのだという。というよりは、夢の続きを毎日見るという方が近いらしいが。おそらくそれが寝不足の原因、となるとその夢はそれだけ怖い夢ということだろうか。内容を聞いてもいい?そう問えば、彼女はそっと息を吐いて、しかしが口にしたのは夢の内容ではなかった。 「私、前に貴方に初めて会った気がしないって、言ったでしょう」 「…言った、けど」 その理由が、何と無く最近分かったのだと、彼女は言った。 「私の夢に貴方が出てくるの」 「へ…」 「以前は夢の内容を覚えていなかったんだけど、最近は起きてもどんな夢が覚えていて、…きっと覚えていなかった時もさんが出ていたのかもしれない」 ドドンと、次から次へと花火が上がるのは最早気にも留めなかった。生ぬるい風と蒸し暑さに、何と無くの死んだあの日の事を思い出して、私はゴクリと息を飲む。 「その、、」 「夢では私は病気だった。そばにはいつも貴方がいて、毎日話してたわ」 それがあの日の夢だということは、すぐにわかった。どうしてこのがそんな夢を見るかなんて、そんなこと分からないけれど、そもそも、初めからわからないことだらけだ。私がここにいる理由も、私が来たこの世界が元いた世界にとても良くにていることも、皆。 戸惑いの色が見えたの目が、今度はしっかりと私に合わせられて、私はその瞬間、ぞわりと背中が泡立つように嫌な予感がした。身体が強張る。 「でも昨日の夢で、私は死んでしまった」 「…っ、」 「窓から落ちて、それで、」 「やめて!」 「お前のせいだ」と、その一言を言われることがたまらなく怖くなって、私はその場から逃げ出した。人混みにぶつかって、掻き分けて、よろよろと彼女から逃げる。後ろで誰かが私を呼び止めた気がした。きっと丸井先輩だ。追ってこないでと、そう願った。 彼女が死んだのは確かに私のせいだけれど、死んでしまったから責められることは当然なくて、だから私は逆に安心していたのだ。 だけど、この世界はそれすらも脅かす。 あのままあそこにいたら、彼女は次に私へ何と言っただろう。憎しみの言葉を吐き出すだろうか、悲しみの言葉をたくさんたくさん並べるのだろうか。 ああ、もうこの世界にすら、いられなくなってしまう。 「…でも、それならどうして。憎いならどうして、…自殺したあの日、私を殺さなかったの…っ」 ……いや違う。 憎いから生かした、だとすれば。 私が、この世界にいる理由は、 きっと、が私に仕返しをするためだ。 (訣別の手引き) return index next ( まっくらな宇宙にはじき出された少女 // 141223 ) |