27_鼓動のなかを探してごらん |
夜の海は静かで好きだけれど、全てを飲み込んでしまいそうな深いその色は私を確かに不安にさせる。 海からの風が髪を攫っていき、私はそれを抑えることもなく、遊ばれるままに波打ち際を歩いていた。 そもそも住んでいる場所が海の近くだからかもしれないが、そのことを含めてどうやら私は海に縁があるらしい。そう言えば、この世界に来て、海に飛び込んで死のうとしたこともあったような。 あの時は切原君に迷惑をかけたけれど、もし彼があの時遅刻をしなかったら、私を見かけて駆け寄ってこなければ、実際あのまま私は海の中へ深く落ちて行くつもりだったけれど、私は本当に死ねたのだろうか。元の世界に戻れるか、はたまた次こそ本当の本当に目を覚ますことはないのか。どちらにせよ今は試す勇気なんて、全部丸井先輩に奪われてしまった。 さくさくと砂を踏みながら歩く私の足は思いのほか軽快で、そのまま海岸を行ったり来たりをしていると、ふと目の前になんだか見覚えのある後ろ姿が見えた。目を細めてそれが誰であるか脳内で弾き出す直前、その人物はふらりとこちらを振り返ったので、反射的に私はその場にしゃがみ込んだ。切原君に初めて出会った時もそうだったが、私は瞬時に正しい選択を取れない人間らしい。 「どちら様」 丸井先輩の声だと思った。 何も悪いことをしているわけではないのだけれど、どきまぎと心臓が嫌にうるさい。今更立ち上がってやあ偶然ですねなんて言える度胸もなく、私はうつむいたまま彼が去るのを待った。こんな所でしゃがみ込む女など構う奴はきっといない。うん、いない。 そうしているうちに、予想通り先輩は構ってらんねえぜとでも思ったのか、足音が遠のいていくのが分かった。それが寂しいような気もしたのだけれど、気づかないふりをして、この隙に私は店へ戻ろうとした。まさかこんな方法で知り合いを回避できるとは思わなかった。神回避というやつである。 …そんな風に気を抜いたのがいけなかったのか、そもそも波打ち際にいたのがいけなかったのか、突然勢いよくやって来た波が、しゃがみ込んでいた私に襲いかかって来たのである。 「ほぎゃっ」 「…」 べしょりと浜辺に倒れた私は、すっかり濡れてしまったズボンに重くため息を零す。 「…?」 どきりと心臓が跳ねた。丸井先輩がその言葉と共にこちらに引き返して、私との間にあった長い距離がぐんぐんと縮んでいった。「やっぱりだ」彼は腕を掴むと私を立たせるために引っ張り上げて、それから彼が首に引っ掛けていたタオルを私に押し付けた。 「…どうしてここにいんの」 自惚れのつもりはないけれど、丸井先輩は私の存在をきっと喜ぶのだろうなあと思っていた。合宿へと出発するあの日の朝だって、私が合宿に参加するという仁王先輩のホラに喜んでいたくらいだから。しかし今の丸井先輩は、すごくすごく戸惑った様子だった。今までに彼のこんな表情を見たことがないというくらいだ。真田先輩は私と出くわした時、驚きはしていたけれど、こんな表情はしてはいなかった。 そうであるからか、どういうわけか私は咄嗟にここにいる本当の理由を言えなくなってしまって、その場の空気を変えようと、冗談交じりに目の前の深い深い海を指差して見せたのだ。 「お、泳いで来たんです」 「…どこから?」 「学校の海から、魚みたいにすいすいって!海はどこにでも繋がってますから。だから、えっと、…皆が驚くかなって…」 私の声はだんだんしぼんで行く。馬鹿にすればいいのに、そうして欲しかったのに、丸井先輩は私が喋る度、どこか泣きそうな、そんな切なげな顔をした。 「…そっか」 「そ、そっかって、…笑ってくださいよ。今のは冗談ですよ」 「別に俺はそれが冗談でも、本当でも、どっちでも良いんだけどな」 「それどういう、」 「…なんてな!俺のも冗談」 借り物だったはずのタオルを、私はすっかり自分の首にかけていて、丸井先輩はそのタオルで私の頬を挟み込むと、おりゃーなんて私の頬をいじくりまわして笑っていた。私の嫌いな丸井先輩の嘘くさい顔だ。 先輩のあの台詞は、一体どういう意味だったのだろう。 「ところでお前は何でこんなとこにいるんだよ。…まさか俺を追いかけて」 「あーねえわ」 「通常運転で丸井先輩すげえ安心した」 「それは良かったです」 私はもう何度目か分からない事情を話して、それから横にある店が自分の叔父のものであることを説明した。内緒話が広がっていく。こんな風になってなお、秘密にしている意味はあるのだろうかと思うのだけれど、ゆずるからのゴーサインが出るまでは、秘密にできるところまでして行こうとは思う。 「あの、ゆずる、身内が近くにいるの恥ずかしいみたいなんで、知らないふりしてあげてください」 「ん、そういう年頃な。任せとけって」 「すいません…」 「まあ、今日は息抜きで来てただけだし、もうこっち来ねえから」 「…ふうん」 私はサンダルにつまった砂をぼんやり眺めながら、気の抜けた返事を寄越す。「何、寂しい?」と丸井先輩が口元を緩めてそう問うた。にやにやするなよ。だから変に意識をして恥ずかしがると先輩の思う壺な気がして、 「まあ、こうして会う前は何とも思っていませんでしたけど、一度顔を合わせて声を聞いてしまうと、後ろ髪を引かれるような思いはしますよね」 そんな何てこともないように答えた。 「…いつもそうやって素直だと、丸井先輩お前のこともっと可愛がってやんのになあ」 「抓らないでくだふぁい」 「え、何だって?何喋ってるかわっかんねーよ」 「せんぱいきもひわるい」 「気持ち悪いって言うな」 聞こえてんじゃねえか。 私は丸井先輩の手からなんとか逃れると、先輩は少々名残惜しそうに表情を沈ませていた。もう2度とこんな隙は与えてやらない。 「ああそうだ」 「何ですか」 「丸井先輩と一緒にいたいお前に、」 「別に一緒にいたくないです」 「…一緒にいたいお前に良いことを教えてやる」 押し切りやがった。 彼は何食わぬ顔で「俺実は明日買い出し当番なんだよ」と話を続けた。はあ、それが私にどう良い話なんでしょう。というより、買い出しはノルマ達成した人が行くものでは?なんていう疑問も上がったのだが、あまりに皆が買い出しを拒むのでじゃんけんで負けた人というルールになったのだという。丸井先輩ご愁傷様。 「それで、だ。お前この辺詳しいか?」 「まあ」 「お前、俺に道案内してよ」 つまり、また明日会えるってことだろい?ニッと笑った丸井先輩は携帯で時間をちらりと確認すると、途端に慌てた素振りを見せた。恐らくもう消灯の時間なのだろう。ここにも黙って来たに違いない。 それより、どうして先輩はここにいたんだろう。 「あ、タオルはその時にシクヨロな」 まだ道案内をするなんて言っていないのに、先輩は早口に言ってあっという間に走っていってしまった。私はシクヨロってだっせえな、と丸井先輩の後ろ姿を見送りながら思った。 …だから首にかけられたタオルに、胸のあたりがこそばゆく感じられたのは、きっと気のせいだ。 (鼓動のなかを探してごらん)(それが何か分かるかもね) return index next ( まっくらな宇宙にはじき出された少女 // 140925 ) |