26_羽化の始まり |
あの赤と銀の髪というのは本当に目立つ。そのお陰で彼らの存在にいち早く気づけたのであるし、結果的にゆずるに「姉ちゃんこんなとこまで着いてくるとかうざすぎ」発言を回避できたと言えば、阿呆らしい頭だとは言えある意味助かったと感謝すべきか。いや別にゆずるのために静岡に来たわけではなく、本当に偶然だけれども。 「お嬢ちゃんビールね」 すっかり出来上がったオヤジの注文にこっくりと頷いた私は、結露してぱたぱたと雫を滴らせるビール瓶をテーブルに運ぶ。私は先程散歩中に、ここから少し先の海岸で見つけた、昨日に引き続き2度目の立海のジャージ達を思い出していた。おとなしくコートでボールを打ち合っていれば良いのに、何故わざわざ海に来る必要があるだろう。お陰で慌てて店に引き返す羽目になった。 私の存在は真田先輩に知られているし、と、あと昨日もらった切原君のメールから、おそらく彼だけが私が近くにいることを知っている。(切原君が他の人にも言いふらしたりしていなければ)ただ、店の場所がここであることは知らないだろうから、ピンポイントでこちらに現れる心配はしていない。それに、私がいるいない以前の話で、親戚がここで店を開いていると知っているゆずるが阻止をするだろう。だから私はここから出さえしなければ、ゆずるに文句を言われることはないわけだ。…て、何で私がこんなに気を遣っているんだか。 「お嬢ちゃん浮かない顔だな。どうした、おじちゃんに話してみー」 「はあ、弟が生意気だと大変だなって思っただけです」 「そうかいそうかい。お嬢ちゃん弟がいるの」 こいこい、と酔っ払いに手招きをされて、私は叔父さんを伺うと付き合って上げなさいと頷いて返すので、私は渋々横にちょこんと座った。お酌してね、と酔っ払いは瓶を私に押し付ける。 「いくらくれますか」 「こら!」 冗談なのに、叔父さんの怒鳴り声が飛んで、周りのお客さんがけらけらと笑った。変に注目を浴びてしまった。酔っ払いが気を悪くするといけないので、本気にしないでくださいねと愛想笑いを返すと、彼は首を振っていーのいーのと呂律の回らぬ口調でそう言った。「お礼にあとでうちのかき氷食べさせてやるよお嬢ちゃん」酔っ払いは隣に建つ海の家の名前をあげて、あれうちの店だからとにっかり笑った。いや何でうちにいるんだよ、店番しろよ。 「敵情視察ってえ、やつよお」 「叔父さんこの人追い出した方が良いんじゃないの」 「がははは手厳しいねえ!」 まあ完全に酔っ払っているし、そんなに悪そうな人には見えないけれど。どうやら叔父さんに聞くところによれば、ライバルはライバルだが仲良しさんだから良いのだとか。確かにこの様子では客を取って取られてなんてやりとり、していそうにはない。 「それじゃあ後でと言わずに今私を連れ出していただきたいのですが。そろそろ店番疲れたので」 「、聞こえてるぞ」 「いでで、耳引っ張るとか怒り方がなんかもう世紀末レベル」 「!」 スパンと頭をはたかれた私はぷくりと頬を膨らました。お客さんは楽しそうで何よりですけども。叔父さんはすっかりご立腹なようで、大量のゴミ袋を私に押し付けると、出て行きなさいと私を店から追い出した。最悪である。こんな円天の中、ゴミ捨て場とかここから大分先じゃんねえ。多分頭を冷やして来いとかそう言う意味なんだろうけど逆にのぼせてしまうよ。 ぷらぷらとゴミ袋を振りながら熱い砂浜を歩いていると、ふいに「あああ!」なんてすごく聞き慣れた声がした。 「何で姉ちゃんがここにいるんだよォオオ!」 「うわあ、ツイてねえ私」 「悪霊ー退散!」 「ごめんぶっ飛ばして良い?」 たった今叔父さんに店を追い出されたことによってゆずる対策が全て水の泡になってしまった。どうやら彼は一人でここまで来たらしく、周りを確認してから私を店の影まで押して行って、私は彼に自分がここにいる理由を簡単に説明することにした。ゆずるの反応的に、おそらく真田先輩も切原君も、そしても私のことを誰かに話したわけではなさそうだ。まあわざわざ言うほどのことではないと言ってしまえば、それまでなんだけど。 「信じらんね、こんな所に姉ちゃん来てるとかどんだけ過保護だよ失望したよ」 「別に好きで来たわけじゃないし、失望される意味が分からない」 「でも他の人から見たら姉離れできてないって思われる」 「知らないよ」 そもそも、何で彼らがこんな所に来ているかと言えば、ゆずる曰く息抜きだそうだ。海なんて神奈川で見慣れているだろうに、やけにはしゃいでいる様子だったのを思い出す。 彼はわざわざ単独でこちらの方にきて、叔父さん達に自分が近くに来ても他人のふりをするようにと頼みに来たのに、余計な問題が増えたじゃないかとばかりに私を睨んでいた。酷い。ていうか恥ずかしいからなんて理由であの叔父さん達が納得して協力するかどうか疑問が残る。 「分かったよ、きちんと他人のふりするから」 「顔知られてる姉ちゃんがしても意味ねえだろ」 「姉ちゃんだって色々頑張ってたんだからガミガミ言わなくてもね」 「とにかく、先輩達がこっちに来そうだから姉ちゃんはあっち行って」 「あっちって…」 「あっち。もっとずっと向こう、見えなくなるまで」 「じゃあ私消えるから代わりにゆずるゴミ捨て行って」 彼だって私と同じくここに来慣れているのだから、ゴミ捨て場くらい分かるだろう。三つの袋を彼に押し付けると、ゆずるは何か言いたそうにムッと口を尖らせたけれど、すぐにそれを掴んで行ってしまった。「絶対見つかんなよ」ゆずるはそんな台詞を残して行ったけれど、真田先輩や切原君に既にばれている事はきっと言わない方が良いんだろうな。私は彼の背中が見えなくなってから、肩を竦めて岩場の方へ歩き出した。 岩を伝いながら足場の悪い岩場の影までやって来ると、私はその場に腰を下ろした。当然と言えば当然だが、客は殆ど店が並ぶ浜辺の中央の方に集中しており、こちらにはあまり人がいなかった。海にサンダルごと足だけ突っ込んで隔絶されたような空間に、黄昏ているとサンダルが脱げて海の中に沈んで行った。拾いに行く気はしない。虚しくなった。 一曲歌います。 「うーみーは拾いーなおおきーいなー、サンマーは釣れるーしアジ釣ーれーる…あれ、次なんだっけな」 「ぶは、」 「…へ?」 笑われた、と思ったのもつかの間、とても自然に隣に腰を下ろしたのはなんと切原君だったのだ。なんてこったい。見つかるなと言われてから3分も経っていない。カップラーメンもできない。見つかってしまったなあと零すと、何、まさか隠れてたの?と彼は少しだけ表情を曇らせる。別に本気で会いたくないから隠れていたわけではないのだけれども。弁解の言葉を悩む私の横で切原君は私と同じように海へと足を突っ込んだ。 「つうか真田副部長から聞いたんだけど」 「うん?」 「お前の親戚の店ってここら辺なの」 「え、うん」 切原君が日焼け止めの連絡を入れて来たから、きっと真田先輩に私に連絡するように頼まれたりしてその時に知ったんだろうなあ。 私はあの海の家だよ。看板傾いてるやつと遠くの方を指差すと、そこには先程まではいなかった黄色い集団が見えた。テニス部の人達である事は言うまでもないだろう。ゆずるにあそこから追いやられたのはある意味正解だったのかもしれない。あのままあそこにいたら確実に見つかっていたはずだ。切原君には早速見つかったけど。 彼は私の指差す方へ目をやってから「ああ、あのすっげえ傾いてるとこな、なんて言うか、…すげえよな」とあからさまに言葉を選んでいますよといった風に話した。 「でもお客さんは1番入ってるらしい」 「ふうん、そうなんだ」 こうして私はべらべら全てを話してしまってから、私はゆずるに怒られそうだなあとこっそり苦笑をこぼした。友達なのだから普通だろうと切原君は言うかもしれないけれど、私は少し彼と気軽に話しすぎているように思える。それこそ私が元からこの世界にいたみたいに。 じゃぽん、サンダルを落とした片足で水を蹴り上げた。 「切原君、切原君」 「あ?」 「実は今した話全部内緒なんだ。ゆずるが嫌がるからね」 「…何で嫌がるんだよ」 「自分だけ近くに身内がいるって恥ずかしいものだよ」 「ふうん」 「だからね、全部私の独り言だからね、聞かなかった事にしてね」 彼は納得しきっていないような顔で、ひとまずは頷いて見せた。 それを確認してから私は小指を立てて彼の前に出す。 「はい、ゆびきり」 私と切原君との内緒ですよ、と小指をちらつかせれば、彼は一瞬もしょもしょともたついて、ああ、ゆびきりとか子供っぽくて嫌なのかなと思った。だから私は手を引っ込めようとした時、彼はようやくそっと小指を出したのである。 「ないしょないしょ」 流石にゆびきりの歌までは歌わなかったけれど、私は繋がった手をゆらゆらと揺らして笑うと、彼は何故か突然私の頭を引っ叩いた。俯く彼のちらりと見えた耳は怒っているのか真っ赤だったので、やっぱりゆびきり嫌だったんだなあと思った。 (羽化の始まり)(何だよこれ) return index next ( まっくらな宇宙にはじき出された少女 // 140925 ) |