25_幼さに縋って


仁王先輩が提案したジャンケンに負けて、真田副部長が買出しに出てから約1時間。30キロの重りを背負いながら場所も分からぬスーパーまで歩くマゾ訓練を、ただでさえノルマをこなして疲れ切っている身体でやってのけようとするのは、きっと真田副部長だけだ。しかもこの昼休みを削って行くなんて。文句も言わずに合宿所を出て行った副部長をうわあすげえと思いながらも、ちょっとだけ、後輩という立場的に、ここで待つことは果たして正しいのだろうかとも思う。
そろそろ戻って来る頃だなと言った柳先輩に、俺は壁の時計をもう一度確認して、ふらりと玄関の方へ歩き出した。

「切原」
「…ん?」

午後の陽に照らされて白く光る道にはまだ真田副部長の影はなくて、ぼんやりとそこに立ち尽くしていた俺は名前を呼ばれて振り返った。俺をそう呼ぶのはこの部活の中ではただ一人しかいない。わざわざ追いかけてきたのか、マネージャーであるは携帯を俺の目の前に、ぬっと突き出したので、俺は釣られて画面を見るとそこにはよく知る名前が表示されていた。彼女の携帯のアドレス帳の、の欄には携帯の番号のみが登録されている。俺はそれとを交互に見ると「番号なら俺も知ってるけど」と首を捻った。

「違うよ。メールアドレスを知りたいの」
「俺の?」
さんの」

あんたなら知ってるでしょ。
酷く白けた視線だった。冗談なのに。
それにしても最近、自分の周りではの名前をよく聞くようになった。先輩達もだって、皆がを構う。そんなことを言ったら自分もかもしれないけれど、以前の彼女だったならば、きっとこんな風に俺達と関わるようになるなんて、あり得ないことだ。けれど、それは突然変わった。前まで目すら合わせようとしなかった彼女が、俺に「おはよう」と気だるげな声で言って、のことをやけに追いかけるようになって、に対する丸井先輩の様子が何と無く変わって。
まるでがある日突然、別人にすり替わってしまったような、そんな錯覚。

「切原、聞いてる?」
「え、ああ」

ポケットから携帯を取り出しての名前を探す。
そっか、こいつのアドレス、俺しか知らないんだ。はどういうわけか丸井先輩を妙に嫌っていたから、きっと丸井先輩があいつの連絡先を知っているとは思えない。そうすると、あいつと仲が良いのは俺だけだから。

「つうか突然アドレスが知りたいなんてどうしたんだよ」
「いや、電話だとお互い都合が悪い時にかけたりしちゃうから」
「まさかお前に電話してんのか」
「してるよ。昨日も、皆が枕投げしてる時に」
「はあ、ずりー」
「何がずるいの」

きちんと休憩中にしてるし、何もずるい事はないと思うけど。彼女はもっともな意見を言った。確かにそうだけれども、彼女が休憩中に電話なんてしたら俺はいつ電話すれば良いんだって話になるじゃないか。不公平だ。すると「何、切原も電話かけたかったの?」なんてキョトンとした顔で問われたので、俺は慌てて首を振った。馬鹿じゃねえの!と五回くらい無駄に言った。変な汗をかいた気がする。

「今のは、ほら、例えばの話だっつうの」
「何でそんな例え話するの」
「な、なんとなくだよ」

自分でもめちゃくちゃな事を言っているなと思った。それからはアドレスを出せと俺を急かしたものだら、再びアドレス帳を漁っていたのだけれど、ふと携帯をいじる俺の手が止まった。アドレスを教えてやるのが、躊躇われた。「ちょっと、切原?」「わりい、今、」そこまで言いかけた時、後ろで戻ったぞと声がした。真田副部長があの30キロを背負って帰ってきた。

「ん?入口で何をしている」
「あ、いや別に、おかえりなさいッス、真田副部長」
「私荷物運びます」
「大丈夫だ」
「あ、じゃあ何か飲み物持ってきますね」

真田副部長は多分、昼も食べていないだろうからせめて飲み物でもと彼女はそう言って、そそくさと中へ引っ込んで行った。副部長はこんな円天の中一時間近く歩いていただろうに、やけにスッキリした顔で、疲労を感じさせなかった。靴を脱ぐために袋が横に置かれて、副部長は大丈夫だとは言っていたけれど、さりげなくそれを掴むと、中を覗き込んだ。皆が食べたいと騒いでいたアイスがきちんと買われていたので、少々面食らう。しかし、丸井先輩の不慣れな副部長は一人一つ買って来るんじゃないかという予想は外れて、箱アイスが三つあるだけだった。
丸井先輩、残念がるだろうな。
こっそり苦笑を零すと、アイスと一緒に何故か日焼け止めが入っているのに気づき、それを取り出す。

にでも頼まれたんですか」
「…そんなものは買った覚えがないが。…ああ、おそらくの買ったものだろう。間違えて持ってきてしまったようだ」
「…?何でなんスか」

やけに子供っぽいキャラクターがプリントされた日焼け止めを眺めながら、真田副部長の口にしたその名前を問い返した。

「何だ、聞いていないのか」
「何がッスか?」
「俺も詳しくは聞いていないが、どうやらこの近くに彼女の親戚がやっている店があるらしい。偶然もこのタイミングで手伝いに来ているそうだ」
「え、今ですか」
「ああ。買出しの途中ばったり会って、あの地図では不安だったから道案内を頼んだ」
「へえ…」

なんつうか、すげー偶然。合宿所まで顔を出せば良いのに、そうしないところが彼女らしいと思った。それから俺は、結局に教えることがなかった開きっぱなしののメモリーに「に日焼け止めの事、伝えておきましょうか」と真田副部長に携帯を見せた。



部活の踏ん張りどころと言うのは昼一番だと俺は思う。ついさっき昼飯も食べて、真田副部長に買わせたアイスまできっちり腹に収めたはずだろうに、隣では丁度仁王先輩と試合を終えた丸井先輩が暑いだのお腹すいただの文句を垂れ流している。

「やめてくださいよ、こっちまで暑くなるでしょー」
「お前の頭見てる方が暑くなる」
どういう意味スか

毎度の事だがひどい言いがかりだ。ムッと口を尖らせながら、そういえばもよくそうやって俺の髪型に文句をつけるよな、と思ったところでふと先程彼女に送ったメールの返信へと意識が飛んだ。思えば彼女にメールをしたのは初めてかもしれない。返信が限りなくとろそうである。

「急に黙り込んでどうした」
「え、ああ、そういや丸井先輩知ってますか」
「何が」
「何か今が、」

が、近くに遊びに来てるみたいですよ、と続けるはずの言葉は、意思とは反して丸井先輩に届くことはなかった。ごくんと自分の中に閉じ込めるようにそれからの言葉がしぼんで行き、丸井先輩が「が何?」と怪訝そうな顔を向けた。さっきも、そして今も。俺は一体何をしているんだろう。

「あの、ゆずるの方が、丸井先輩にボレー習いたいって、言ってました」
「ふうん。別に構わねえけど、もっとうまくボール拾えるようになってからって言っとけ」
「で、ですよねー」

丸井先輩はぷく、とお得意のガムを膨らました。すごく無理やり話を合わせたものだから、不審に思われなかっただろうかと、横目で丸井先輩を伺って、どぎまぎしていた。「何、まだ何かあんの?」「いや」

丸井先輩にのことを教えたらきっと喜ぶだろうに。もしかしたら彼女にこっそり会いに行くかもしれない。
そこまで考えて何か引っ掛かりを覚えた俺は頭を振ってその考えを追い出した。

本当、何してんだ俺。



その夜、から遅い返信がきていた。

『日焼け止め欲しいなら切原君にあげるよ』

いらねえよと思った。
こんな奴の事でどうして悩んでるのか、馬鹿馬鹿しくなった。


(幼さに縋って)(うん、マジで馬鹿馬鹿しい)




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( まっくらな宇宙にはじき出された少女 // 140924 )