22_死ぬなら君のせいがいい |
「おい、この馬鹿女」 「へ、あ、っどあああああ!?」 私の思考はその瞬間から動き出した。いつの間にか眠っていたらしい。私が状況を把握する前に、寸刻程の浮遊感に次ぐ背中の痛みに表情をゆがませた。どすんとベッドから着地したらしい私は仰向けのまま、斜め上に見える時計を確認すれば、私が最後にそれを見た時からぐるんと針が何周もしていて、すっかり放課後の、部活動すら終わっていてもおかしくない時刻を示していた。 私は相変わらず間抜けに倒れたまま、今度は本来この場所にいるはずのない切原君の姿を視界に捉える。彼は私の顔のすぐ横に、私が学校へ忘れて行った鞄達を置くと、私の顔を覗き込むようにしてしゃがんだ。彼の表情は険しかった。 「何か言うこと」 「…えー、鞄ありがとうございます?」 どうしてここに、という台詞は口に出すまでもなかった。恐らく、丸井先輩とのやり取りのあとに私が鞄を持たずに学校を飛び出して家に帰ってきてしまって、いつになっても一向に戻らない私を心配して(かどうかは定かではないが)もしや鞄を置いたまま帰ったのではないかと柔軟な発想を繰り出したのだろう。そのとんでも発想は当たりである。電源を落としていた携帯には切原君からの履歴で埋め尽くされており、何だか申し訳ないことをしたと、こっそり反省した。 「お前何してんの。朝のホームルームすら受けないで帰るとか新しい反抗期かよ」 「流石にこの新しさは流行らないよね」 「だったら初めから来るなって話だしな」 「君にしてはもっともな意見だね」 私の部屋の外が騒がしいから、きっとゆずるも家に帰ってきているのだろう。切原君が家に来たことにはしゃいでいるに違いない。加えてもしかしたら、というか、私の家を知るはずのない切原君がここにいる時点でゆずるに道案内を頼んだのではないだろうか。それはゆずるがはしゃぐだろう。 私はそこまで考えてようやく身体を起こすと、すっかりシワのついたスカートを撫でながらベッドに腰掛けた。それを見て切原君は勝手に私の勉強机用の椅子をひっぱりだしてどっかりと座った。帰らないんだ、とぼやく。 「丸井先輩となんかあったか」 「どうして?」 ためらうような間もなく、切原君の口からはそんな言葉が飛び出した。すぐさまその名前が出たことに、やっぱりなあと思う反面、実は少なからず驚く気持ちもあって、けれどそれを悟られぬように平然とした態度で首を傾げる。白々しいと思ったのか、彼の表情が曇ったように見えた。 「丸井先輩の名前聞いて教室飛び出してったし」 「ああ、…」 「お前がおかしい時は大抵丸井先輩が絡んでる」 「大袈裟な」 「…うん。ま、今のは半分冗談」 でも今回は丸井先輩だろ、と口には出さなかったけれど、切原君がまるでそう言うように私を見つめ返した。答える気はなかった。答えたところで何になるだろう。視線を下にはずして、私はしわくちゃのスカートをじいっと見ていた。けれど私の背中がいつの間にかすっかり丸まっていて、答えなくともそれが肯定を示すことは明白だった。「お前さ、」切原君が口を開く。何を言われるか身構えていると、それは丸井先輩のことからは掛け離れた質問だった。 「どうしてあの日、掃除用具入れの中にいたんだ」 あの日。 私がこの世界に来たあの日。 どうしてか、なんてそんな事は私が聞きたいことである。だけどこればかりは誰も答えをくれない。私はこの世界で『一人』だからだ。それが嘘でも本当でも、がこの世界に存在する理由をくれる誰かが、私にはいない。 元々はなくなるはずの命だったと、今まで何度もそう自分を納得させて来た。だから理由をくれる人なんて、いらないのだと。だけど。 ぐっと胸を締め付けるような痛みに気づかないふりをして、私は顔を上げると冗談交じりに言った。 「実は本当のこと言うとさ、私、」 「…」 「タイムトラベラーなんだ」 「は?」 「あの中にはタイムマシンがあって、私は未来から来たのだよ」 「…馬鹿にしてるだろ」 「はは、ごめんごめん」 本当に自分でも分からないんだよ。私は続けてそう言って、切原君が黙り込んだ。初めに会った時、彼は私に虐められているのかと問うた。そうなのかもしれない。誰かに追いかけられて、そこに逃げ込んだか、はたまた閉じ込められたか。だけど、ずっとずっと、そこにいる必要がなくなっても『私』がその中にいたのは、 「一人ぼっちになりたかったからじゃないかな」 ここは私にも、きっとここにいるはずの私にも、あまりに広すぎる世界だ。だったら、大勢の中に取り残されるより、本当に一人だけになりたかったのではないだろうか。真実は、分からないけど。そこまで話して、なんてね、とはぐらかした。しかし切原君は真面目な顔で「寂しいならそばにいてやる」なんて、普段なら絶対言わないような言葉を寄越して、だから私は小さく笑った。 「切原君が優しいなんてらしくないなあ」 「…なんだよ、俺は、お前のこと、助けてやりたいって思うくらいは、友達だと思ってんだよ」 「君がそう言うことを言うから、」 丸井先輩が生きろと言うから、 皆が、私に優しくするから、 ここにいても良いのかなって、勘違いしてしまうんだよ。 「…」 「切原君、帰って」 だけど、それは間違ってる。本当なら、こんな風に優しくされる前に私はいなくなるべきだったのだ。 「もう君とは話したくない」 どうにも彼の顔は見ることができなかった。きっと切原君は怒るだろう。もう私と話してくれないかもしれない。 彼は「やっぱ俺じゃ駄目だな」と小さく言って、立ち上がった。それがどういう意味か私には分からなくて、ただ、心の中で何度も切原君に謝り続けた。 「…お前がそういうなら、俺は、帰る」 「…?」 「せっかく鞄持って来たんだから、明日学校、来いよ」 切原君の台詞に違和感を覚えた。だから私は顔を上げて、部屋から出て行く切原君の背中を見つめていたのだけれど、扉を開けたその先に見えたのは、今一番会いたくない、 「…丸井先輩」 扉の向こうでは、切原君がもう帰りますと簡単に挨拶をしていて、それに不服そうなゆずるの声が聞こえた。俺は鞄を届けに来ただけだからな、本題はこっち。そんな切原君の声。 本題って何。 まさか、丸井先輩とのあのやり取りを家でもやれと言うのだろうか。そんな気力は私にはもう残ってはいない。何のために家に逃げ帰って来たと、と、私は瞬時に後ろの窓へと視線を移して、そこから逃げ出そうと考えた時だった。 「ちょっと待った」 いつの間にか部屋に入ってきた丸井先輩は私の腕をしっかりと掴んでいたのだった。このまま逃げても今度は切原君に捕まるオチが見える。結局逃げ遅れた私は観念して、その場に座り込むと「カッターでも返しに来ましたか」と思ってもないことを問うてみた。私の声色は出してみると思いのほか、弱々しいものだった。 「お前を傷つけたかもって、思ったから、謝りに来た」 「ああ、説教しに来ないだけ良かったです」 「でも俺は自分が間違ったことを言ったとは思わない」 「…」 「なあ、お前はどうしてそんなに死にたがるんだよ」 「生きる価値がないからです」 「どうしてそう言い切れる」 「知ってどうするんですか、この偽善者」 言葉がばらばらと、口から零れるように出て行った。切原君とは違って、どういう訳か、丸井先輩に対してはいくらでも酷い言葉になった。ゆずるが、私は丸井先輩に甘えていると言った。そうかもしれない。けれど多分、それだけではなくて、きっと私がこの人に苦手意識を持っているからという、その事実も、きっと嘘ではないのだ。 この人は、私の世界に許してはいけない人なのだと思う。直感的なものだけれど、そんな気がする。その理由が分かるのは、恐らくもっともっと先な気もするし、それとも、分からないまま私はいなくなるような、そんな気もする、茫茫たるものだ。 「丸井先輩、私はもう疲れちゃったんです」 「…」 「自分のために生きれない。そんな図々しく構える勇気、もうないんです」 私は机の上にあったハサミを掴むと、それを喉に押し当てた。「カッターを返さないなら、ここにあるハサミで喉でも手首でも刺します」 あのカッターでないと駄目だと、漠然としたそんな考えが私を支配していたけれど、やって見なければ分からない。 丸井先輩は動かなかった。もしかしたら動けなかったのかもしれない。 「お前、後悔するぞ」 「死んだ後に後悔できるならしてみたいですね」 そうしたらきっと、本当にに謝りに行くことだって、できるかもしれない。 「俺はお前が死にたがってるなんて、思えない」 「例えそうでも、生きる価値がなければいなくなります」 「価値って何だよ。お前何様だよ」 「……。丸井先輩、一つ、聞いてもいい?」 もしも、丸井先輩が友達に酷いことをして、それがもう、取り返しのつかないことで、だけど友達にも、もう謝ることができなくなってしまったとしたら、先輩ならどうする? 「酷いことをしたのに、こうしてのうのうと生きているのは、間違ってるんじゃないですかね」 黙れば良い。もう、何も喋って欲しくない。そういう気持ちも込めて威圧的に私は問うた。けれど、丸井先輩が怯む様子はなかったのである。 「お前は俺になんて答えて貰いたいんだ」どきりと、心臓が跳ねた。 「お前が生きたいなら生きれば良い」 「…やめてください」 「そうやって死んだら、お前が死んだのはその友達のせいになるだろ。友達も良い迷惑なんじゃねえの」 「…違う!私はそんなつもり、」 「人に酷い事したって、反省しなくちゃいけないからって、生きたいって思うことの何が悪いんだよ。普通のことだろ。死ぬなんて、逃げてるだけだ。――本当に反省したいなら、一生かけて後悔して後悔して、苦しむくらいしろ!」 「やめて、もうたくさんです!このままじゃ私、おかしくなりそう!」 ずっとずっと、一人ぼっちなんだ。この世界にただ一人、誰とも繋がれないまま。そもそも死ぬ死なない以前に、私は本来ここにはいるべき存在でないことは確かなのだ。そんな足枷までつけて、生きて行けっていうの。 「お前に何があったから知らないけど、お前が一人じゃないことは確かだろい」 「いいや、一人ですよ!誰も私のこと分かってない!」 「お前はで、弟がいて俺にばっか冷たくて赤也と仲が良くて、あと最近柳とも仲が良くて、捻くれてて、俺にとっていなくちゃ困る人。お前に関してこれだけ分かってれば十分だ」 「…何を、」 「俺はお前が誰なのかちゃんと分かってる」 丸井先輩が並べたのは、この世界にいるべきではなく、『私』のことばかりだった。器はなんであれ、丸井先輩の中に、私はきちんといると、まるでそう言われているようだった。それだけではない。彼の確信した言い方は、私が本当はこの世界の人ではないことが分かっているのではないかと、そんな気持ちにさせるものだったのだ。 それから掴んでいた腕を引き寄せると、丸井先輩はぎゅう、と私を強く抱きしめた。途端に緊張の糸が切れたように、ぼろぼろと涙が溢れて、ぐすりと顔を丸井先輩へ押し付ける。頭を撫でる先輩の手が妙に心地よくて、そういえば弟がいると言っていたのを思い出した。だからこの人の手は優しくて、作るものも思いやりに溢れているのだろう。 ああ、何だろうこの感じ。すごくあったかい。こんな気持ちを、…手放したくないなあ。 「生きたいって気持ちだけじゃ足りないなら、俺のために生きれば」 「…は、丸井先輩のためとか、プロポーズですか、…馬鹿じゃないの」 私の台詞に頭の上で丸井先輩が苦笑するのが分かった。相変わらず、冷たさは変わらないのかと、若干しょぼくれている風もあった。 「……丸井あんちくしょう先輩」 「…」 「…。私を生かしているのは先輩です」 「…」 「私は先輩のせいで生きてるんですから、そこんところ分かっといてくださいよ」 「お前もうちょっと言い方が、」 「あとそれから、…先輩の好感度がスタート地点に戻るくらいは、嬉しかったです」 「…。ちょっと待て、それは好感度上がってんのか、下がってんのか」 「本当丸井先輩は脳足りんですね」 丸井先輩の好感度なんて、スタート地点に達せないくらい、出だしはマイナスにマイナスを重ねていたに決まっていたじゃないか。態度を見れば一目瞭然だっただろう。 言葉にしづらいおかしな表情を見せる丸井先輩にこっそり笑う。 こんな私を、は勝手だと怒るだろうか。だけどもう少しだけ、貴方のことを反省する時間を下さい。 「ねえ、丸井先輩」 「…ん?」 「さっきの先輩の言葉が嘘でも、私の思い違いでも、私のことを『分かってる』って、しばらく信じさせて」 (死ぬなら君のせいがいい) chapter01 END return index chapter02 ( まっくらな宇宙にはじき出された少女 // 140915 ) |