16_殺意さえ鈍らせない


「行きたい」
「え?」
「私も幸村先輩のお見舞い、行きたい」

何故こんなことを言ったのか自分でも分からない。あの病院は、本当は一番近づきたくない場所であるはずなのに、まるで吸い寄せられるように、私は無意識のうちにそんな言葉をこぼしていた。


事の始まりは今日の放課後のことだ。何時ものようにテニス部にふらりと立ち寄った私はたまたまに出くわして、そこで彼女に彼の名を聞いたのだった。今日はレギュラーの皆で幸村部長という人のお見舞いに行くそうで、だから部活は早めに切り上げるのだと。

幸村精市。その名前はもちろん知っていた。以前丸井先輩と一緒に下校した時に出た話の中にもあったし、切原君がよく口にする名前でもある。そうでなくても、テニス部関連で名前が上がっているのはもちろん、彼の絵が校内に飾られているのを見たことがあるし、彼の名前は学校のいたるところに溢れていた。
無駄にポテンシャルが高い人なのだなあということだけは分かった。

結局、テニス部の人たちの訝しげな表情の中、私は幸村先輩に会うことを許された。病院に行く道の途中、私はテニス部の人達の一番後ろを何故かかなりの距離をあけて、彼らの背中すら見ないようにとぼんやり海の方を眺めながら歩いていた。前を歩く彼らの背中は、まるで私と線引きをするように、ぴりりと張り詰めた空気を纏っている。私が見舞いに行きたいと申し出た時も、あまり歓迎はされていないことが見て取れたから、やはり来るべきではなかったのだろうか。

「なんか、が幸村部長に会いたいなんて言い出すの、意外だった」

そんな中、私を前に向き直させたのが切原君のその言葉で、彼は足を止めて私が追いつくのを待つと、そこでようやく私を振り返った。探るような瞳が、私を捉えていた。
幸村部長に会いたかったわけではない。ただ、あの病院に行かなければと、そう思っただけである。だから「なんとなく、」と曖昧な答えを返すと、彼は納得のいっていなさそうな返事をして歩き出した。ふうん、と。

「まあ、お前に限ってないだろうけど、冷やかしとか、…なんていうの?幸村部長かっこいーとか、そういうの、やめろよな」
「そんなにかっこいいんだ」
「…俺は、一番強くて、かっこいいと思ってる」

きっと私の言うかっこいいと、切原君のそれは違うのだろう。彼の言葉は、もっともっと重みがある気がした。
私はやはり来るべきではなかったのだろう。何も知らない私が、彼らの空間に水を差すようなこと、本来はすべきではない。俯く私はごめんね、と零す。切原君は、私の言葉の意図するところを察したようで、明るい調子で言った。

「ま、お前が良いやつってことは俺が知ってるから」

だから別に気にしなくていい。
切原君の台詞はすとんと私の中に滑り落ちて、染み込んで行くようだった。多分、嬉しかったのだと思う。まるで他人事のようだけれど、実際のところこれまではずっとそうだったのだ。これは器に入っているだけで、器自体は『私』ではないのだから。今まで、この世界の私がどうだとか、以前はこうだったとか、外見ばかりに囚われた生活をしてきたけれど、私の核の部分に触れられた気がした。



それから金井総合病院に着いたのはすぐ後だった。私がここに来るのはが死んだその日以来初めてで、病院を目の前にするなり先ほどまではあったここに来なければならないと言う使命感は消え失せて足取りが途端に重くなる。を横目に伺うと、彼女も顔を強張らせて、私に気づくこともなくじっと前を向いていた。
なんとなく、もしかしたら、とは思っていたのだが、幸村先輩の病室はの病室と同じ場所であった。予想していた半面、まさか本当にそうだとはと、ぎくりと嫌な汗をかいた。

「幸村、見舞いに来た」

ノックと、それからやはり少し躊躇いがちな真田先輩の声。ついで、「どうぞ」と聞こえて私達は病室の中に招かれた。話によれば、彼らはこうして見舞いにに来た時に、大会の試合結果を幸村先輩に報告しているそうなのだった。この間神奈川大会が開幕したばかりだから、そのことだろう。

「幸村、元気そうで良かった」
「ああ、ありがとう。…ところで一番後ろにいる君は誰?」

後ろに隠れていればやり過ごせるかという考えはどうやら甘かったようだ。皆の視線がさっと私に集まる。一歩前に出たまではよかったのだけれど、夕焼けに染まるその病室の様子があの日と重なって、私は何も喋れなくなってしまったのだった。

「新しいマネージャーってわけでもなさそうだね。誰かの友達かい?」
「あ、こいつはって言って、俺のクラスの奴なんすけど!えーと、」
「赤也ストップ」
「え、あ、はい」
さんは自分で喋れないのかな」
「!しゃ、べれます」
「自己紹介くらい自分でできないと駄目だと思うよ」
「…すいません、声をかけられて少し驚いたもので」

見た目や想像をはるかに越えて威圧感のある人だと思った。その後、しばらくの沈黙が続いたのだが、私に気を使ったのか、柳先輩が大会の報告とばかりにするりと私と幸村先輩の間に入り込んだので、私はホッと息を着いて後ろに下がることができた。仁王先輩が苦笑して私を見ていた。笑うならば助け舟を出して欲しいと思った。それから、一度その大会報告が終わってしまえば、あとは部活以外の学校の雑談が始まって、皆がぎゃあぎゃあと騒ぎ、時折真田先輩の怒鳴り声が入る。初めのぴりりとした緊張が、思いのほか和やかな空気に変わり出した。そんな中、性格的に分かっていたことだけれど、あまり積極的に会話に入ろうとしていない仁王先輩に、そろりと近づくとこっそり幸村先輩の病気のことを尋ねて見ることにしたのである。一体幸村先輩は何の病気なのかと。しかし「その話は好かん」と一蹴されてしまえば、私はすぐに何も言えなくなった。けれど皆の様子を眺めていた仁王先輩は何を思ったのか、ぽつりと、言葉を零したのである。

「…ギランバレー症候群」
「…は」

どきりとした。 自殺したはずが知らない世界にきてしまうし、帰れないし、私の世界では死んだはずの人間に再会するし、この短い間にいろんなことがあって、今更どんなことがあったとしても、大して驚かない自信があるけれど、けれど、やはり『彼女』のことからは逃れられないのだと、悟る。そんなことは、この病院の名前が出た時点で、察していたことだけれど。そして、それに引き寄せられてしまう私がいることも。

「幸村はギランバレー症候群に似た病気っちゅう話じゃ。んで、聞いてどうするん」
「…別に、」
「どうせ聞いたところで分からんのに、」
「分かりますよ」
「…」
「私、その病気、よく、知ってますから」

結局、全てあの日に繋がるのだなあと、私は今は見えぬ傷をつけた自分の腕を見つめて、それから隠すようにそっと押さえた。
どうやっても運命の輪から逃がしてもらえない。

一人一人に分配される不幸の量と言うのは皆違っていて、言わずもがなで世界は不平等にできている癖に、どうやら一つの世界にある不幸の絶対量というのはどこも等しいらしい。幸村先輩が、の代わりなのだと思った。
正直、でなくて良かったと思う。それが彼女を思っての台詞なのか、ただ自分が同じことを繰り返さずに済んだというエゴなのか、そんなこと今は分からない。どちらにせよ最低なことを言っていることは理解している。だけど、

私が最低な人間だなんて、今更だ。

幸村先輩は、と同じように死んでしまうのだろうか。それならば、逆に私のように、彼を追い詰めてしまう人間がいるのだろうか。

もしそうなら、その人はきっと、


「…やっぱり私は良いやつなんかではないよ切原君」


全ては運命だったのだと、私が悪かったわけではないのではと、片付けてしまおうとしている私がいる。


(殺意さえ鈍らせない)(そう、やっぱりどこへ行っても死ななければいけない)




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すいません正直何を書いているのかわからなくなってきました。
( まっくらな宇宙にはじき出された少女 // 140822 )