14_扉の向こうに君はいない


「苗字が同じだとは思ってたけど、貴方、ゆずると姉弟だったの」

以前に耳にしたことのある台詞が聞こえて、私はそちらへ振り返った。学校に着いて、ゆずるや丸井先輩と別れた後のことだ。フェンスを隔てたテニスコートの中には伺えなかったの姿がそこにはあった。まさか探していた本人が後ろにいるとは思いもしなかったので、思わず一歩後ずさる。私は彼女への挨拶の代わりに小さく彼女の名前を呼んだ。

「弟の応援とか?」
「ん、まあ、そんなところ、です」

どうにも目を合わす気にはなれなくて、私は彼女の抱えていた箱へと視線をそらす。中にはテニスボールが詰められているのが見えた。倉庫まで運ぶのだろうか。
彼女はふうんと、あまり興味なさげに頷く。相変わらず、私の知ると違ってそっけない反応に思えた。そうしてしばらくお互い沈黙が続いて、私は何か会話を続けたかったけれど、これ以上引き止めるわけもいかず、仕事に戻って良いよと、そう促した時だった。突然、ちょっと付き合ってもらっていい?と彼女が口を開いた。「え」「都合悪い?」「いやっ、」今日朝練に来たのはそもそもと接触するためであったとは言え、彼女がこんな風に声をかけてくることなどもちろん予想しているはずもない。だいじょうぶ、と、なんとか絞り出した声にはが怪訝そうだったけれど、歩き出した彼女に、私は素直に続いた。

「ええと」
「いきなりごめん」

は前を向いたまま告げる。「話がしたかったの」それは構わないけれど、あまり自分から接触してこないにしては珍しい。一体どうしたのだろう。

「さっき君に聞かれたんだ」
「…ゆずる何かおかしなことでも、」
さんと友達か、って。さんは、私と友達になりたがってますよって」

思わず冷や汗が出た。あの馬鹿は朝のあのやり取りで何を察したつもりだったのだろう。私との関係が曖昧なのを理解したはずではなかったのか。このデリケートな中に突っ込んで来るなんて、馬鹿じゃないの。本当に馬鹿。家に帰ったらゆずるが楽しみにとってあるケーキを食べてやろうと思う。

「私、分からないって答えた」
「…そう、か、そうかそうか」
「私は、さんのこと何も知らない」
「…」
「それに、自分ではよくわらかないんだけど、キツイって言われるんだ。それでね、恥ずかしい話だけど、私友達いないの」

だからここで貴方と友達って答えたら貴方が困ると思ったんだよ。
至極真面目な顔で、は言って、私はやっぱり、頷くだけだった。それ以外の言葉が、浮かんではいても口に出すことができなかった。

だって、何を言っても、きっと何も届かない。

「でもね、もし貴方が本当に私と友達になってくれるなら、…ええと、少しだけ嬉しい」
「…へ」

そこでよくやく、初めてかもしれないの人間らしい表情を見れた気がして、私はその場に思わず足を止めた。彼女は私がついて来ていないことに気づいて、こちらに振り返り、バツが悪そうに視線をふよふよと彷徨わせる。

「…よくわからないけど、実は貴方とは初めて会った気がしてないんだよ」
「…」
「だからかな、さんは私を見る度に悲しそうな顔をするけど、それを見る度に、…何だろう、謝らないといけない気がして」
「違う!」

僅かな希望にかけることなんて、とうの昔に見切りをつけていたはずなのに。の言葉に、もしかしたら何かが彼女に伝わるかもしれないと、まだ何かが変えられるかもしれないと、漠然とした、小さな光に私はしがみついた。馬鹿げていると思う。言うべきではないと思う。だけど、私は縋ることしかできなかった。

は何も悪くないの、全部私が悪くて…っ、今までごめんなさい、私貴方に酷いことをした、」
「…一体、何の話を、」
「分からなくても良いの、聞いて」
「…」
「謝るべきはのは、…いなくなるべきなのは私の方で、は何も悪くないの、許してなんて言わない。だけどもういなくならないって約束して」

まだ出会って間もない人間にこんなことを言われたら、普通ならば怪訝に思われて当たり前だ。しかしは驚きはしていたものの、少し考えてから、小さく笑って見せたのだ。

「よくわからないけど、きっと私に何かしら関係のある話なのね。良いよ、全部約束してあげる。だからその代わり、さんと友達だって言っても良いかな」
「そんなの、」

そんなこと、駄目なわけがなかった。
それから私達は倉庫に辿り着いて、荷物を置くとは仕事があるからと先にかけて行った。私はしばらくそこに佇んだまま、彼女の背が見えなくなるまで見送って、それか彼女とかわした言葉の一つ一つを辿り直して、現実味のなかったやり取りが、ようやくストンと実感として身体に落ちてきた。そんな矢先だった。

「あれ、お前そんなとこで何やってんの」

狙ったようなタイミングで現れたのは丸井先輩だった。
あまり今会いたい人ではなかった。いや、違う。いつだって会いたいとは思えない。何故だか分からないけれど。彼は嘘臭さい笑みを浮かべて私の前まで来た。

「出てこない方が良かったんじゃないですか」
「相変わらずだなお前」
「聞いていたんでしょう」

途端にぴりりと緊張感が走った気がした。おそらく図星である。丸井先輩はたっぷり間を空けてから、うんと、はっきり頷いた。もう嘘らしい顔はしていなかった。「ごめん。たまたま聞こえたから」別に、怒ってるわけじゃない。丸井先輩が表情を曇らせたので、私は努めてなるべく優しい声色を作って、言った。だけど丸井先輩はどこか悲しそうな、何か蟠りのあるような顔をしする。先輩がそういう顔をすると、私はいつもどうしていいか分からなくなる。だから、

「丸井先輩、ごめんなさい」
「…何で謝るんだよ」
「なんとなく、そうしないといけない気がしたから」

私はいつも罪悪感に苛まれて、どうしてそんな気持ちになるのかは分からないけれど、

「謝んなよ、そんなことされても嬉しくない」

この人を傷つけてばかりいる、それだけは分かった。



(扉の向こうに君はいない)(なのに皆信じている)(先に求める人がいることを)




return index next

( まっくらな宇宙にはじき出された少女 // 140701 )