12_ばらばらに続いてゆく話


俺が初めてという少女に会ったのは数週間程前。どういうわけかずぶ濡れの赤也に連れられてやって来た彼女は、赤也同様に髪から水を滴らせており、覇気のない面持ちで俺達の前にふらりと現れた。どうやら赤也は遅刻の理由を押し付けるつもりで彼女をどこからか連れてきたらしいが、当の本人は何処となく傍迷惑そうな色を醸しながら、気だるげに立っていた。
初めの印象は、暗そうな奴だなと、それだけ。瞳の色が酷く暗く見えた。俺が言えたことではないが、何を考えているか分からないと、ただそう思ったのだ。
そして次に会ったのがその日の昼。
その時には彼女のことなどすっかり頭から抜け落ちていた俺は、別段狙ったつもりもなく、購買のパンをたまたま彼女から横取りした。
は口元に確か朝にはなかったはずの怪我をしており、瞳の色は相変わらず暗く、ブン太の名前を出すとあからさまに嫌がっていた。
3度目はわざと自分から近づいた。
が現れてからブン太の様子がおかしいことと、がブン太を嫌う理由が気になって、たまたまB組を覗き込んでいたを見つけた俺は、ブン太に成りすまして彼女に接触した。
結局のところ、決め手になるものは分かったかと問われれば、それはノーだ。しかし、がブン太を嫌っているわけではないことだけは分かった。彼女のブン太を映すその目は、嫌悪やら憎悪やら、そういうもので満たされているようには見えなかったからである。
…むしろ、好きや嫌いではなく、もっと面倒で、複雑な、そんな何かを抱えているように見えた。


廊下を歩く音が二人分減る。
わあわあと煩かった後輩達と別れた後、夕焼けが差し込む廊下を、俺とブン太は歩いていた。数歩前のブン太との微妙に開いた距離に、俺は思わず頭をかいた。恋人か、思わず心の中でくだらない言葉を吐く。
普段、ブン太は存外機転の利く奴で、その場に合わせて話題を振る術も、逆に俺のような騒ぐことが好きでない奴には、それに合わせる術も心得ている。しかしこの時ばかりはどうにも、そうはいかないらしいかった。
沈黙と、少し張り詰めた空気。

「悪りいな」
「…は?」
「いや、ほらゲーム」
「ああ、」
「風紀トリオが来なければな」

そう思ったのもつかの間、何を思ったのか突然ブン太の口からは感情の籠らない台詞がぼろぼろと零れ出して、場繋ぎを始めた。今更遅いから黙ればとは、流石に言う気にはなれなかったけれど。俺はそのまま生返事をしながら辿り着いたB組に足を踏み入れて、真田の打ち込んだ釘通りに、手早く部活へ行く支度をする。俺が鞄を抱えて前の席のブン太の背を捉えた時だった。

「あ」
「…なに」
「やーべー、仁王、俺ノート忘れたかも」
「は?どこに」
「理科室」

嘘くさ。
俺はあからさまに目を細めた。
相変わらずブン太は俺に背を向けたままであるから、きっと俺が今どんな顔をしているか分かるまい。「2限の実験でさー、隣の奴のノートをさあ、」わざわざノートを忘れた過程を並べるところも全部嘘くさい。
つまり彼の言いたいことはこういうことだろう。

「すぐに追いつくから先に行ってて」

俺は返事はしなかった。そのまま無言で踵を返すと廊下へと出る。そのまま部活へ行くふりをして、扉の影に隠れるようにして立っていた。案の定、ブン太は理科室へノートを取りになんて行かなかった。
何をしているのか、教室には沈黙が続いて、気になってこっそりと様子を見ると、中ではブン太は自分の席に座ってぼんやりと外を眺めていた。

「…何で俺じゃないんだろ」

ぽつりと呟かれた彼の言葉の意味は、俺にはちっとも分からなかったけれど、に関わることであることは確かだろう。単純な疑問よりも幾分も悲しみを孕んだその声色に、聞くべきじゃなかったかと妙な罪悪感に駆られる。

「部活に行ったんじゃないのかよ」

逸らした視線をブン太へ戻すと、いつの間にやら、窓へ注がれていたはずの視線はこちらへ向けられていた。しまったと、俺は小さく息を飲んだ。だけど「そういうお前さんこそノートはどうしたんじゃ」あくまで平常を装いながら切り返す。今度はブン太が黙る番だった。彼の追及を逃れたことにこっそりと安堵する。

「ブン太は嘘をつくのが下手じゃのう」
「お前にとっちゃ皆下手だろ」
「何、褒め言葉か」
「貶してんだよ」

そこでブン太がようやく立ち上がった。鞄を乱暴に引っ掛けるとズカズカと廊下へ出てくる。「ところで」

「さっきの、どういう意味なん」
「は、さっきの?」
「さっき呟いてた台詞」
「何も呟いてねえよ」

はい、嘘。
聞かれていたと分かっているのだろうから、もっと上手くはぐらかせば良いものを。しかし、しつこく問いただしたところでこれでは口を割らないと踏んだ俺は、あっそ、とあっさり引いて見せた。
ブン太はそんな俺の様子を訝しんでいたけれど、そのまま前を歩き出した。

「ちゅうか、もうええんか」
「ああ?」
「いじけタイム」
「うるせえよ」

どうやらもう良いらしい。それもそうか。俺が見ていたのでは教室に残るわけにもいくまい。先程の彼の台詞を頭の中で繰り返しながらその意味を探った。ブン太は相変わらずこちらをちらりとも見ない。

「…」
「…
「…」

きっと自分が介入すべきことではないのだろう。しかし好奇心か、それともこれもブン太を気遣う優しさのつもりか、放っておこうとも思わない。僅かな罪悪感は置いてけぼりにして、俺はその名をブン太の背中へぶつければ、彼の足が止まった。

「お前さんはあいつの何を気にしとるん」
「今日は質問が多いなお前」
「まさかが好きとか」
「何でそうなるんだよ」
「本気にせんでも、冗談じゃ」

まさかあんな変わった人間を好きになる奴もそうそういるまい。そんなことを付け加えながら、そのまま足を止めているブン太の横を通り過ぎて行く。「…変わってるとか、仁王にだけは言われたくないと思うけどな」ブン太が呟いた。

「いやー…そういう意味やなくて、なんちゅうかのう」
「…」
「んー…浮いてる、ような。そういうあれじゃ。の場合はただのはみ出し者ちゅうより、もっと根本的な部分が、どっか、おかし」
「おかしくねえよ」

ぴりりと、途端に空気が張り詰めた。声は荒げていないものの、ようやく伺うことのできた表情や、声色を聞けば分かる。ブン太は怒っていた。別にを貶したわけではなく、ただ、そういう風に見えると、感じたままを話したつもりだった。
きっとブン太もそれを理解しているはずだ。

「2度とそんなこと言うな」

鋭い視線に、俺は肩をすくめる他ない。そうして立ち尽くした俺を置いて歩き出したブン太の背中を見送り、見えなくなってから、俺は緊張の糸が切れたように、ホッと息を吐き出したのだった。

、か」






あの後、俺は部活でブン太とは一言も会話を交わすことはなかった。別に普段からそこまで話すわけではなかったからどうというわけではないけれど、ブン太の機嫌の悪さに、周りは騒ついていたのを、酷く面倒に思った。そんな矢先だ。俺はもっと面倒になりそうな要因を見つけてしまった。

「…なんじゃ、お前さんまだ帰っとらんかったんか」
「のあ…っびっくりした仁王先輩か…」

隅からこっそりとコートの様子を伺っていたを見つけてしまった。彼女は妙にそわそわと辺りを見回してから、何かを聞きたげに俺へと視線を戻す。

ならまだ来とらん」
「…そうすか」

自分で風紀委員会は長引くと言った癖に、かいないことに酷く落胆した面持ちを見せた。それ程彼女に会いたかったのだろう。
…それにしても。

「お前さんはとそんなに仲が良えようには見えんがのう。よくもまあ、そんな、」
「私の知り合いに似てるからって、私言いませんでしたっけ」
「あー、言ってたような」
「そういうことです」
「…いや、俺が聞きたいんはそういう話じゃないぜよ」
「聞かれても事実を答えるとは限りませんよ」

やけに冷たい声色で、は言った。別に構わない。元より正しい答えなど期待していないし、そもそもの話だって、どこまで本当か分かったものではない。ただ、なんとなく聞かずにはいられないだけだ。真実が欲しいわけじゃない。

「ブン太とは、いつから知り合いなん」

というより、ブン太はどうしてそこまでお前に執着しているのだろう。手に掴んでいたタオルを肩に引っ掛けて、じっと俺を見上げるの言葉を待つ。
そうして次に開かれた彼女の口からは、偽物の答えすらでてこなかったのだった。「私も一つ良いですか」と、そんな台詞で俺の言葉をかわす。

「どうしてこの世界の人はいつから知り合いだとか、前に何があったのかとか、そんな過去のことばかり気にするんですか」
「…は?」
「なんて、今のは忘れてください」
「…」
「最後の質問は私でなくて丸井先輩にでも聞けば良いんじゃないですか?」

もっともな言葉を残して、彼女は失礼しますと俺に背を向けた。
何も言えなかった。彼女の最後の台詞が頭の中を巡る。

「この世界、とか」

まるで自分は違うとでも言うような、そんな言い方だ。
そんな唖然と彼女の背中を見送る俺の横に、俺を呼びに来たのか赤也が隣に並ぶ。

「あ、あれじゃないッスか」

何話してたんですか、と頭に腕を回しながら赤也はそんなことを問うてくる。いや、俺もよく分からん。

「赤也、って、…変な奴じゃなあ」
「はあ?今更ッスよ。まあ俺は慣れましたけど」
「ああ…お前さんら仲良えもんなあ」
「まー、あいつ、俺以外に友達いないみたいなんで。しょうがなくって言うかなんて言うかあー」

とかなんとか言いながら満更でもなさそうだ。へらへらと、俺からすれば一ミリも羨ましくない赤也の自慢話を聞きながら、ふと、視線の端に移ったブン太の方を振り返る。

「のう、赤也」
「はい?」
「その話、ブン太には黙っといた方が良えかもしれん」
「…どうして?」

赤也はきょとんと俺を見た。しかしこいつが満足するような答えを、きっと今の俺は持ち合わせていない。

「俺にも分からんけど」

だから俺は、ブン太にぶっ飛ばされるかもしれんから、と、適当なことを言うと、赤也は身震いさせて恐々とブン太を見やって「丸井先輩趣味悪ー」なんてあからさまに目を潜めたのだった。

さて、お前のその予想は果たしてあっているのかいないのか。



(ばらばらに続いてゆく話)(いつか繋がる日を望んで)




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( まっくらな宇宙にはじき出された少女 // 140622 )