11_もはや失われた夢の名を |
先日、本格的に梅雨入りを果たし、私達は連日の湿気た空気の中、憂鬱な気持ちを抱えながら毎日を過ごしている。ちなみに隣を歩く切原君の頭は相変わらず爆発していて、彼は口を尖らせながら反抗期の髪を撫でつけていた。 「芸術は爆発だというけど、それなら君のそれも芸術かね」 「は?」 「なんでもないよ」 私の口の軽さも相変わらずである。このうっかりを直さねば再び彼に殴られる日も遠くはない。肩を竦めた私は放課後の廊下に響く足音二つと、それに混じる外からの運動部の声を聞きながら、そっとスカートのポケットをおさえていた。 私がこちらの世界に来てからもう何日も経つが、私は未だに帰る方法を掴めずにいる。そもそも丸井先輩からあのカッターナイフを取り戻さないことにはどうにもならないような気がしているので、彼から取り返すチャンスがない限り今は動きようがないのも確かなのだが、こちらの世界にはあまりに変哲のないありふれた日常が流れているので、元の世界に戻らねばという危機感が薄れてしまっていることもまた事実であった。まるで初めからこの世界にいたような、そんな気さえしているのだ。 「おい、俺の話聞いてんのか」 「ごめん」 「真っ先に謝罪が出てくる程聞いてなかったんだな」 「はは」 普段から切原君の話は面白いのだけれど、如何せん今日の彼の話は九割型『私への文句』と言うやつなので、聞き流すほかない。ちなみに文句、というのも、それは私が今切原君と一緒にいる大きな理由に繋がるのだけれど、なんて、そうこう考えているうちに、目的の職員室の前にたどり着いたわけだが、どうやら私はこの二人に何かと縁のある星の下に生まれたらしい。そろそろ見慣れ始めた赤と銀の頭に、私と切原君はつい顔を見合わせた。彼らは職員室の前にあるダンボールの影に隠れるようにしてしゃがんでいた。 「…何してるんですか」 「ん?おお、お前らか!ちょいしゃがめ」 「ええ…」 丸井先輩は手前にいた私の腕を引いて自分の隣に座らせると、切原君も隣に続いた。「今隠れてんだよ」なんて、そんなことは見れば分かることであるが、それに次いで仁王先輩が不機嫌そうに目を細めた。どうにも丸井先輩に苛立っているようだ。 「どうしたんですか仁王先輩」 「ゲームを没収されたん」 舌打ちでもしそうな勢いで答えた仁王先輩は、相変わらず職員室の様子を伺っていた。つまり二人はそのゲームを取り返すためにここに隠れている、と。それにしても仁王先輩もゲームに拘る人だったとは知らなかった。彼は丸井先輩や切原君と違ってそういうものは、付き合いでやりはしてもあまり興味を持たないイメージがあったのだ。言葉にはしないものの、意外な発見に切原君へと目をやると、彼も存外驚いているようであった。 「それにしても仁王先輩が没収されるなんて珍しッスね」 「没収されたんは俺やなくてブン太ぜよ」 「いやあ、授業中に弄ってたらうっかり」 「授業きちんと聞けよ」 思わずいつものノリで口を挟むと、切原君が私をどついた。丸井先輩に辛く当たるのが癖になっている。 それよりも、丸井先輩が没収をされゲームを取り返すのによく仁王先輩が手伝ってますね、なんて切原君が言って、仁王先輩が大げさに肩を竦めて見せた。 「あー…それが、そのゲーム仁王の弟ので」 「ああ、仁王先輩は弟が怖いんですか」 「んなわけあるか。でも死んでも取り返す」 やっぱり怖いんじゃ、という言葉は飲み込んで、私はこの状況にやれやれと苦笑を零した。 「ところで、お前らは一体どうしたんだよ。まさかまだ例の日直やってんのか?」 「いや、それはもう一昨日終わったんスけどー…」 そこで言葉を切った切原君が、私を一瞥した。ので、代わりに私が口を開く。 「今日は没収された切原君のゲームを取り返しに来ました」 「お前らも大概だな」 「同じ穴の虫ってやつっスね」 「狢な」 丸井先輩が素早く訂正を入れるて切原君があれ?と頭をかいて照れ出した。君のそれは今に始まったことではないので照れる必要はないよ。 そんな切原君(の頭)を心配そうに見つめていた先輩とふと目があって、私は今更だとばかりに首を振ると丸井先輩は苦笑していた。 「ああ、それにしても、何でまでいるんだよ」 「いやあ、まあ私は別に取り返しに来たくはなかったんですけど、」 「何言ってんだよお前のせいで没収されたんだからな!もっと反省しろ!」 「だからごめんてば」 「そういうことか」 そう、先程言っていた私が切原君といる理由というのが、実はこういうわけだったのである。散々先輩をけなした割に人のことを言えない立場にいたのである。だけど、私の場合は授業中ではなく休み時間にやっていて没収をされたから、そこは、丸井先輩よりも悪くない、はずだ。 それにしてもこの人達、今日も部活があるんじゃないのだろうか。まあ彼らが怒られようと私は知ったことではないけど。 「それで、先輩達はどうやって取り返すつもりッスか」 「ああ、仁王が先生に化けて職員室に入るんだよ。ついでだからお前のもとってきてやろうか」 「マジスか!やりい!」 「ブン太取りにいくの俺なんじゃけど」 「うるせえな、良いから行、」 「先輩方、何してるんですか」 「!」 丸井先輩と仁王先輩とがもめていると、その間を割るように聞き覚えのある声が聞こえた。私達は振り返ると、そこには真田先輩と柳生先輩と、そしてがいて、仁王先輩が小さく「…風紀トリオ」と呟いた。成る程、風紀トリオと呼ばれているらしい。なんだか切原君達とは対極にいるような存在だ。 「職員室の前でしゃがんでいては通行の邪魔だ。それにお前達、部活はどうした」 「確かに、どうかなさったのですか?」 「べっ、べっつにー。なあ、仁王」 「おん」 「とか言ってますけどこの三人が揃ってるときな臭いですよ。どうしますか真田先輩」 「うむ」 「きな臭いってなんだよ失礼だな」 切原君達は完全に風紀トリオに気を取られているらしく、私は三人の後ろへ追いやられていたので、私はしめたと思った。この隙に逃げてしまえば達に怒られることはないし、ゲームを取り返すことに付き合うこともなくなる。ゲームはどうせ仁王先輩がどうにかするのだから、私は明日切原君に逃げ出したことを謝るだけで一件落着だ。 私はそろりそろりと後ずさりを始めると、そのとき、不意に振り返った丸井先輩が私の腕を引いて、自分の前に引きずり出すと、私は後ろからがっちり肩を掴まれて逃げそびれてしまった。は、何を、「つうか俺らは三人じゃなくてこいつもいる」この野郎。本当にロクなことをしないなこの人は。 の視線が私に移ったのに小さく舌打ちをすると、丸井先輩が 「逃げようったってそうは行かねえぞ」 と私の耳元で言った。 「目ざといですね。後ろに目でもついてるんですか」 「お前に関しては俺、察知能力高いんだよ。残念だったな」 「気持ち悪いです」 「結構キツイこと言うなあお前…」 私の言葉に割と傷ついたらしく、彼は私に何かを言い返すことはしないまま達の方へと向き直った。 私もそれに倣うと、のじとりとした視線が私を捉えて、すぐさま体が硬直する。 「貴方たしか、ええと」 「あっ、です。えと、テニス部に弟のゆずるがいるから、えっと」 「ああ、そうそうさんね」 「…で、良いよ」 「結構よ」 さいですか。 すっぱりと切り捨てられた私を切原君は哀れに思ったのか、肘で私を突ついてきたので、なんだか腹が立って足を踏み返してやることにした。切原君からの視線が痛いのであとでまた何かしら文句を言われるに違いない。 一方のは、三人から話を聞く気はないらしく、私にこの三人とは何をしていたのかと問うた。流石にゲームを取り返しに来た、何ぞ言えるはずもないが。 「ええと」 「が無くし物をして、それを一緒に探しとったんじゃ。それでも見つからんから職員室に届いとるんじゃないかと思ってのう」 視線を彷徨わせた私にすかさず助け舟を出したのは仁王先輩だった。柳生先輩がそうでしたか!なんて嬉しそうに納得していたけれど、がそれを制する。彼女の判断は正しいな。 「仁王先輩の言い分は10割型怪しいです」 「お前一ミリも信じられてないみたいだぞ。正直チームメイトとして哀れに思う」 「ブン太黙りんしゃい」 「それで、それは本当なんですか?」 「…ほ、本当だよ。私が切原君に探すのを頼んで、そうしたらたまたま通りかかった丸井先輩と仁王先輩も探してくれて」 「ふうん、そう」 彼女は私の言葉に思いのほかあっさりと頷いた。それならもう良いというように踵を返して、加えて真田先輩が探し物が終わったらすぐに部活に来るのだぞと釘を打っただけだったので、三人は彼らの背中が見えなくなってから心底ホッとしたように息をついたのだった。 「…あの三人が一緒にいるなんて、今日風紀委員あったのか」 「あー…昨日が言ってたかもッス」 「なら今日ゲームを取り返すのは無理ですね。多分しばらくあの三人ここら辺うろつきますよ」 「う、だよなあ…」 そういうわけで、今日のところは私達のゲームを取り返す大作戦は失敗に終わり、彼らは部活に行かねばと私を含め教室に置いて来た鞄を取りに帰ることになった。 私の隣を歩く切原君は、ゲームを取り返せなかった八つ当たりと、足を踏まれた文句を矢継ぎ早に吐き出して、私ははいはいとそれを聞き流す。そんなことよりも私は落ち込んでいるのである。そっとしてほしい。なんたって私は、 「…に嘘ついちゃった」 ポツリと呟かれたそれに、仁王先輩と切原君の視線が私に注がれた。そうか、この二人は私とが話しているのを前にも見たことがあったのだっけ。 気にせずそのまま歩き続けていると、切原君がついにおずおずと口を開いた。先程までの勢いとは大違いである。 「何か聞きづらくて黙ってたんだけどさ、お前となんかあったわけ?…向こうはお前のことは知らないって、言ってたけど」 「…そう。まあ、別に何かあるわけじゃないよ」 「…」 「は、『私の知ってる人によく似てる』から、それだけ」 「ふうん」 そこまで話したところで、私と切原君は二年生の階に辿り着いた。「じゃあ部活で」と律儀に頭を下げる切原君に倣って、挨拶くらいしようかと私は振り返り、ふと丸井先輩と目が合って、先輩はすぐいつものように私へ笑顔を向ける。 「じゃあ、またな」 その笑顔がやけに作り物のように、冷たく見えたのは、私の気のせいだろうか。 (もはや失われた夢の名を)(君がいつか思い出すことはありますか) return index next ( まっくらな宇宙にはじき出された少女 // 140607 ) |