10_私を知らない膚 |
私はどこぞの漫画の主人公のように、大きな壁にぶち当たった時、自分からそれに立ち向かう勇気なんぞみじんこ程も持ち合わせていない。なるべく壁に当たらないように、迂回して迂回して、遠回りになっても構わないと思っていた。 だから私はと奇妙な再会を果たしたあの日からずっと、の存在から逃げ続けていた。と、言っても、いくらあれが私が求めていたじゃないとはいえ、私が彼女に会いたかったことは確かだ。ビクつく反面、また話したいという思いは持っていたのだ。だから、私は彼女と直接接触をすることをしばらく避ける代わりに、のことを調べ始めたのである。 さて、は、切原君の言うだけあって、知らぬ者はいない程、有名な人物だった。誰に聞いても、「ああ、あのさん?」の一言に始まる。 彼女がそこまで有名たる所以の一つがまずテニス部のマネージャーというポジションだった。この世界に来てまだ一週間ちょっとだが、テニス部と名がつけばこの学校では無条件で有名になれることは理解していた。そうしてもう一つの理由が、彼女が風紀委員ということ。 私のに対する不可解な反応の訳を聞きたそうにしながらも、どういうわけか聞いてこない切原君に(その方が都合は良いが)、試しに彼女について問うと、彼は一言。 「あれは女版真田副部長だ」 と言った。彼女のストイックさも、名の知れた理由の一つのようだ。 それから、どうでも良い話だが、私がを調べている数日の間も、懲りずに例の二人組が私を追いかけ回していた。彼女達のせいで、どうにも聞き込みが捗らないので、もういっそこの二人にのことを聞いてしまえば良いのでは、と、捕まるフリをして、その話題を振れば、思いのほか、2人はまともに取り合ってくれるようだった。私の質問に顔を見合わせた彼女達は、物珍しそうな顔で私に向き直る。 「なになに、のこと聞くなんて、まさかあんたあいつに喧嘩でも売るの?」 「別にそういうわけじゃないですけど、どうしてそうなるんですか」 私はテニス部に近づくため、なんて間違った答えを導き出されなかったことを不思議に思った。てっきり、に近づいてテニス部と仲良くしようとしてもうんたらかんたら、なんてくだらないことを言われるかと思っていたのに。「残念だけど、弱みなんて知らないよ」とわざとらしく肩を竦める先輩は、私の頭をぽんと叩いた。まるで諦めな、とでも言っているようだった。だから、私は弱みなんていらないのに。 「弱みじゃないなら、じゃあどうしてあんな奴のこと知りたがるのさ」 「…知りたいからです」 「だからどうして」 「私の知ってる彼女とどれくらい『違う』のか知りたいから」 「…はあ?」 「すいません、今のは忘れて下さい」 私は彼女達に頭を下げると、逃げるように教室を出て行こうとする。余計なことを言ってしまった。こうなれば長居は無用だ。下手をしたら、また追いかけ回されるかもしれない。しかしそんな足早に廊下へ踏み出した私は案の定先輩の声に引きとめられた。そらきたぞ、と私はやや振り返りつつ、身構える。先輩の私を見る目はもはや苛立つ対象を見るそれではなかった。 「あんたさ、」 「…」 「なんか変わったな」 別人みたいだ。 その言葉の孕むものはいつだったか切原君に言われたそれに少しだけ似ていて、私は二人から視線を外した。どうやっても、私はこの世界に馴染めないのだと、そう言われているような気がしたのだ。もちろんそんなことはとっくに分かっていたし、馴染む気もないのだけれど。 私がそのまま足元へ視線を落としていると何を思ったのか一人が言った。 「今のは褒め言葉だよ」 一体どういう意味で言ったのか、私はそれに何も答えずに教室を出て行く。私は、この人達はもう私をうざいだなんだという理由で追いかけては来ないのだろうなと、そんな根拠のないことをぼんやり考えていた。 さて、そんなことがあってからも私はについて調べ続けており、最後にターゲットにしたのはあの『真田副部長』だった。これまで色んな人にのことを聞いて回っていていたが、疑問に思う点がいくつかあって、どうやら彼女はあまり周りの人間に好かれていないようなのである。それは先程の二人がためらいなくに喧嘩を売るのか、と問うたことからも分かる。他の人も、彼女の名前を挙げていい顔をした者はあまり多くはなかった。(とはいってもあからさまに嫌われているというわけではなさそうだけれど)だから、真田先輩ならばとは部活も委員会も同じであるし、何か分かるかもしれない。そう思ったものの、実際に真田先輩の教室へ行った私が、その目的の人物に接触することはなかった。 理由は真田先輩のクラスであるA組に、どういうわけかがいたからである。恐らく部活やら委員会のことで、真田先輩に用があったのだろうが、教室を覗き込んでいた私はたちまち首を引っ込めてしまった。 「どうしよう、ここは出直して、」 「おや、貴方はこの間の」 「へ…」 このままここに突っ立っていたら丸井先輩や仁王先輩に出くわす可能性もなきにしもあらずなので、日を改めて出直すことを思案していた時だ。ふと、聞き覚えのある声が私を引き止めた。振り返ればそこにいたのは、以前私が切原君に無理やりテニス部に連れて行かれた時にいた、眼鏡の紳士先輩だったのだ。仁王先輩と一緒にいたのでなんとなく覚えている。 「あ、えと、」 「誰かにご用ですか?私で良ければお呼びしますが」 「いえいえいえ!その、けっ、けっこう、結構で、」 今までに私が出会ったことのないような、物腰が柔らかでまさしく紳士という言葉がピッタリの人である。妙に強張った身体で、後ずさりをしていると、彼は教室を覗いてぐるりと見回してから、ああ、と何か納得したように頷いた。「もしやさんを呼びに来たのでは?」「はえ!?」いや、ちが、違う! 先輩が、さんならちょうど今出て来られますよ、なんて変な気を回し始めたので私は一気に冷や汗を流す。嫌な勘違いをしてくれたな、本当に。そうして先輩は教室から姿を表したを呼び止めたのだった。 「さん」 声を気づいて彼女はゆっくりと先輩を視界に捉える。柳生先輩?という台詞に次いで、彼女の視線が急に険しくなった。 「…いや、違いますね。何してるんですか、仁王先輩」 「え?!」 まさか、と、先日仁王先輩が丸井先輩に変装していた時のことを思い出した。咄嗟に私は柳生先輩の髪の毛を引っ張ると、その髪の下からは、あの時のように銀髪が現れたではないか。仁王先輩はそんなに乱暴に引っ張るなとでも言いたげな表情をしていたが、私からしたらいい加減私を騙すのはやめて欲しいと言いたい。 「そんなことしてるなんて、相変わらず暇そうですね。それで、何かご用ですか仁王先輩」 「いや、用があるんは俺じゃなくて、こいつぜよ」 「…はあ、」 は先輩から私へと視線を移し、不思議そうに私を上から下へまじまじと見つめた。それもそうだろう。いきなり知らない人に呼ばれればそうなる。彼女はしばらく首を捻っていたが、そのうちにああ、と声を漏らした。 「貴方、確かこの間赤也といた…」 「あ、そう、です」 どうやら、廊下を走っていた奴、くらいの認識はあるらしい。それでもなお不思議そうに、何か用?と怪訝そうな瞳が向けられている私は、しばらく視線を宙に彷徨わせていた。何を話すかなんて、当然何も考えていなかったわけで。 ああ、いざこうして接触してしまえば、今まで私のしてきたことは無駄だったように思う。正直、私はと会うのが怖かった。今のこのなら、このまま出会わずにこの世界を過ごすことは可能だ。だけど、私は実際にはとの繋がりを失いたくは無かった。このジレンマの中でもがくには、彼女のことを知り続ける以外に私にできることはないと思った。 喋り出さない私に、の視線は鋭くなる。こんなときに限って仁王先輩も助け舟を出そうとはしなかった。何か、何か言わなければ。 「あ、の、さんの事、って呼んで良いですか」 咄嗟に私からこぼれ出た言葉は、そんな台詞だった。流石のも少し面食らっており、それだけ?と呟く彼女に返す言葉はない。 「別に、わざわざ聞かなくても好きなように呼べば良い」 「…ごっ、ごめんなさい」 「それから、敬語やめてくれる?」 の台詞に私が大きく頷くと、彼女はフッと息をついて踵を返し、自分の教室へと帰って行った。取り残された私は、彼女の背中が見えなくなってから、ふと隣の仁王先輩を一瞥すると、彼も私をじっと見つめていた。相変わらず気だるげな彼の口が開かれる。 「あんな台詞を言うために呼んだんか」 私の思考を見透かすような鋭い視線から逃げるように私は足元へ目を落とした。 違う、私はあんな台詞を言いたかったんじゃない。小さく首を振って、私はきゅ、と拳を握りしめる。 「私が言いたいことは、彼女には全部届かないので」 何でも見透かしてしまいそうな仁王先輩は、私の言葉を理解しただろうか。 (私を知らない膚)(だからごめんなんて、言うだけ無駄だ) return index next ( まっくらな宇宙にはじき出された少女 // 140513 ) |