09_いないひとと生きること |
「、ちょっとツラ貸せよ」 今時そんな台詞で空き教室に人を呼び出す人なんているだろうか。いや実際にいたからびっくりしちゃったんだけど。 それは丸井先輩に辛辣な言葉をかけて別れた数十秒後の事で、私は見知らぬ女生徒二人に声をかけられていた。それが冒頭の台詞である。二人はそこそこの美人の上に、上履きの色を見るに3年生であることが分かる。しかし喋り方からも目つきからも、さらに言えば、私の返事も聞かずに襟首を掴んで引き摺り出してしまうあたり、あまり友好的な雰囲気は感じられない。 空き教室に連れて来られると、私はその中に投げ飛ばされて、よろよろと起き上がったところに顔面パンチを食らった。 「…くそ、最近ついてないな私」 一体全体何なんだ。突然殴りかかるなんて私だってしない。それに今殴ったところ、ついこの間切原君に殴られたばかりのところなんですが。痛いんですが。 だいたい、女の子は人を殴っちゃいけないそうだぞ。私はそうは思わないけれども。と言うわけで私も殴り返して良いですかと私は律儀に尋ねると、どういうわけだよなんて素早く切り返された。どう、と言われても、喧嘩はしたくないが、やられた分はやり返したい所存だということだ。しかしそれでまた殴り返されたらもっと嫌なのだけれど。 「ところで、」 「ああん?」 「ところで、あの、私、以前お二人にお会いしたことは…」 「はああ?」 「ああありますね、あります。すいませんありました」 この様子だと会ったことがあるらしい。それならば、きっと二人が怒っているのは私ではなく、ここにいるべきはずの私のせいなのだろう。まったく、色んなものを背負わせ過ぎでは無いだろうか。いくら自分とは言え困ってしまうよ。 二人はギラギラとした目つきで私を睨むと、「ちゃんさあ、テニス部に近づかないでって前に何度も言ったよねえ」と前髪を掴み上げられる。その台詞で私の置かれてる状況がわからない程、私は馬鹿ではない。面倒な人達に目を付けられたもんだ。 「…す、好きで関わってるわけじゃ、」 「出た出たぁ。自分が気に入られちゃってます宣言?」 「自意識過剰なんだよ」 「つうかさっきの聞いてりゃさあ、丸井にあの態度なんなの。何様」 「いや本当それ思いますよ私何様なんでしょうね。でも話して見ると分かりますけど結構うざいですよあの人」 「てめえのがうぜえよ」 「ですよね。はははごめんなさい。でも本当にうざいんですけどね、ごめんなさいははは」 「殺すぞ」 何も悪いことを言っているつもりはないのに、二人の怒りのボルテージが上がって行くのは何故だろう。心から思ったことを言っているだけなのに。何が怒りを煽っているのか、考えるその前で、片方の先輩はずいずいとこちらへ顔を寄せて、私の思考はそこで中断される。 「ハッ…うざいとか言う割りに昨日相合傘とかしてたじゃねえか嘘つき」 見ていたのか、と私は肩をすくめた。確かにあれは元々丸井先輩は一人で帰って良いと言っていたのに、私が彼を放置することになんだか良心が痛んだ気がして、二人で帰ろうと申し出たのだ。あれは嘘つきと言われても致し方のない事実である。 私がだんまりなので、二人は私がそれを認めたのだと悟り、うざいだの死ねだのと、それはそれは幼稚な言葉で罵って見せた。 「あんたみたいな女がテニス部の周りにたかってんの見るとさ、うざいんだよね。邪魔なの」 「いや、でも席が隣なのは不可抗力で、」 「そこは、…ほら、なんとかしろよ!」 「いきなり投げやりになるなよ」 なんとかって言われてもな、と私は首をひねると片方の先輩が名案を思いついたとばかりに、手を鳴らした。「あんたが死ねば一件落着じゃんか」確かにすごくスマートとな解決法を提示された。良い笑顔でとんでもないことを言う。 だけどそんなもの、やれるなら、とっくにやっている。こちらの気も知らずに軽々しくそんなことを言われたことに、私は少なからず苛立ちを覚えた。とは言え私の状況もぶちまけるわけにはいかぬし、…ああ、このままではラチがあかない。 追い詰められて後退する私は、乱雑に置かれた机に背中がついて、それにそっと手を掛ける。もうこれしか思いつかない。 「…先輩達には分からないでしょうが、」 「…」 「私だって好きでここに生きてるわけじゃない」 「じゃあ死んでよ」 「私を生かしているのは丸井先輩です」 「は?」 「私を殺したいなら、…丸井先輩に言って」 「…お前何言って、きゃ、」 すでにカラカラの体力を振り絞って、私は机を二人へ放り投げると、空き教室を飛び出した。本当に朝ご飯は毎日欠かさず食べなければな、と、しみじみ思う。私はそのまま3年の階の廊下を爆走し続けていたわけだが、これまたしぶといことに、先輩方もきちんとついて来るではないか。 「どどどうしよう、なんかめちゃくちゃ怒ってるな」 まあ、それはそうだろうけど。なんせ机を投げたのだから。なんて、そんなことはさておきだ。どうにかこの状況を打開するには、と私がそんなことを考えた時、どういう訳かすぐさま頭に弾き出された人物が、切原君だった。 まあ確かに今の状況では一番助けを求めやすいのは彼かもしれない。 「…とりあえず携帯にヘルプを、…って私あの人の連絡先知らないじゃんか!」 周りに冷たく当たっているツケが回ってきたような気がした。未だに後ろにピッタリとついてくる二人に頭を抱えて、私はひとまず二年生の階へ逃げることにした。 三年の廊下もそうであったが、ホームルームが始まる時刻であるので、廊下には誰もおらず、いっそ自分の教室に飛び込んでしまえば、彼女らもどうしようもないし、それが得策なのではと考え出した時だ。ふと前方に誰かが立っているのに気づき、目を凝らすと、それがなんと切原君だったのだ。まさか私を探していたのだろうか。 「き、っ切原君!」 「あ、お前どこにいたんだよ。もうホームルーム始まって、」 「わた、私やっぱり虐められてたよ!」 「はあ?」 「あと、携帯の番号とアドレス教えといてよ困るだろ!」 「はああ?」 体当たりさながらに切原君へと突っ込んでいった私は、彼に相当怪訝な顔をされたがそれを弁解しているどころではない。彼の腕を引いて再び走り出した私は、走りながらとても簡単に事情を話してやると、彼は「あーいるいるそういうの」とさして興味なさげにふむふむ頷いた。 「つうか」 「は、…っなん、なんすか、」 「言うの忘れてたけど、『今』廊下走ると多分怒られんぞ」 「はあああ?」 今でなくたって廊下を走れば怒られるだろう。一体それはどういう意味なのだろうか。というかそもそもまさか彼にそんな注意をされると思いもしなかった。以前真田副部長が風紀委員だと切原君が言っていたが、それを気にしているのだろうか。そうだとしても、ここは二年の階だから、まさかこの時間に真田副部長はいないだろうに。 「いや、俺が言ってんのは真田副部長じゃなくて、…つうか、」 つうか、もう誰も追いかけてきてねえしな。なんて切原君は続けた。「な、なんだと」「だいぶ前に撒けてるぜ」そういうことはもっと早くいって欲しい。私は後ろを確認してから足を止めようとしたその瞬間だった。「くぉらああああ!」なんて漫画みたいな怒鳴り声がビリビリと私の鼓膜を揺らし、ついで後ろから誰かに頭をはたかれたのだ。 隣にいた切原君は叩かれた頭を押さえながら私を見てまるで、言わんこっちゃない、とばかりの苦い表情をしている。一体何が、そう思って振り返った先にいた人物に、私は頭の中が真っ白になった。 「廊下を走るなってそこに書いてあるでしょう!?」 二年生の上履きをキュッと鳴らして、私を睨んだ彼女の腕には風紀委員の腕章がある。そうか、彼女は二年の風紀委員か。丁度校門で行っていた服装点検からの帰りのようで、だからこそ切原君は『今』怒られるといったのだろう。…なんて、違う。そうじゃない。 切原君は、彼女の知り合いのようで、今回は仕方ないんだって、とお得意の嘘を並べている。回らぬ思考の中、私は切原君の腕を掴んだ。 「…あの、この方…は、」 「ああ?お前まさか知らねえの?」 「…切原君の、友達さん、ですか、」 「は?友達っつうか、」 二人は顔を見合わせると、不思議そうな顔をして私へ向き直った。 「風紀委員で、テニス部マネージャーのだよ。有名だろ」 もう見ることはないと思っていた彼女が、確かに私の目の前に立っていた。 私はずるずると、後退しながら、それでもから視線を逸らせずにいた。彼女の瞳は確かに私を写していたけれど、そこにあの時のような意味はない。私に対する憎しみも、悲しみも、もしかしたらまだあったかもしれない友情の温かみも、何一つなく、彼女の瞳は当たり前に赤の他人に向けるそれだった。 「嘘、」 「…?」 「…こんなの、信じない」 「あ、おい!」 後ろで再び怒鳴る声がしたけれど、私は制止も聞かずにその場から逃げ出した。 彼女に再び会えたことを泣こうが、自分のしてきたことを謝ろうが、償おうが、 きっと私の声はには届かない。 ああ、神様はとても残酷だ。 (いないひとと生きること)(そんなこと、私にはできないよ) return index next ( まっくらな宇宙にはじき出された少女 // 140513 ) |