05_限りある光源のすべて


昼休みが終わって、授業が始まったら今度こそ切原君にもう一発グーパンをお見舞いされる。
正直その時の私の頭にはそれしかなかった。後から思えばなんて周りの見えていない考えだっただろう。丸井先輩の、まるで私が悪いようなあの言葉を頭の片隅に追いやりながら私は授業の始まるギリギリに教室へ滑り込んだのだが、幸か不幸か私の席の隣に彼の姿はなかった。授業開始の鐘は彼を待たずに鳴り響き、そのまま5限、6限と続いたが、とうとう彼が教室に帰ることはなかった。
鞄が残っているのでまさか家に帰ったわけではあるまいが、些か気にはなる。すっかり誰もいなくなった教室で、彼の席をぼんやりと眺めていると、誰がチクったのか、いつの間にかやってきた担任になんと今更昼休みのことの説教を食らった。人を殴ったいけないかららうんたらかんたら。話の9割は聞き流した。

それよりも私は切原君が気になった。先生の口ぶりからすると、私より切原君の方をキツく叱ったようだ。

「一番初めに殴った切原が一番悪いが、挑発するような発言も良くないぞ」

お節介な台詞は、誰かの言ったそれと良く似ていた。先生はすぐに謝りに行くように私に厳しく言う。まあどうするにしろ、明日も彼の隣に座って授業を受けねばならないのだ。段々と面倒になってきたので、くだらない意地を守るより早いところ仲直りでもなんでもした方が利口か。私は素直に頷けば、担任は満足そうに笑い返した。テンプレートにはまり過ぎた反応は反吐が出る。怒るだけ怒って満足した背中は、あっさりと廊下の向こうへと消えた。

さて、そんなことよりも切原君の居場所である。彼のような人間は屋上にいると相場が決まっているので、彼の鞄を掴んで、さらに機嫌取りの缶ジュースもお供に屋上へ向うことにした。案の定、切原君はやはりそこにいた。

「部活に出ないとなんとか副部長に怒られるよ」
「そうなったらまたお前のせいにするからいい」

下のグラウンドを眺めているらしい彼の表情はここからでは伺えない。突然背中にぶつけた私の台詞に切原君は存外驚いていないようで、振り返らない彼からすぐにそんな捻くれた言葉が返る。手の中の缶ジュースを一瞥してから、私は彼の隣に並んだ。

「…まだ怒ってますか」
「…お前は?」
「へ?」
「お前は怒ってんの?」
「怒ってたらこんなもの持ってこない」

私は缶を自分が殴った頬に押し当てる。「ほっぺ痛かったかい」てっきり嫌がると思っていた切原君はされるがままで、別に、なんて視線を足元へ移した。それにしては何だか不服そうな顔をしている。まあ良いと言うならあえてつっこまないが。面倒だし。

のパンチなんて、真田副部長のビンタに比べたら全然痛くねえ」
「ふうん、真田副部長強いんだ」
「強いって言うか、…まあ強いけど」
「なに」
「変な言い方」

変な言い方らしい。私は感じたままを言っただけなのでどうでも良いけど。
私は缶を彼にしっかり渡すと鞄も彼の足元に置いた。流石にそれには彼もわざわざ持ってきたのかと面食らっていた。

「ぶってごめんね」
「…」
「先生に言われたんだけど、女の子は人を殴ったらいけないんだって。初めて知ったよ。でも自分の信じる正しさを証明するためならあの拳は間違いではないと思うけどね」
「…お前本当に悪いって思ってる?」

だってあの場で言葉で彼を押さえつけるのは明らかに不可能じゃないか。目には目をだ。そもそも私のパンチ一つじゃ彼のパンチと比べるのにまだまだお釣りが来る。
私は肩をすくめて苦笑して見せた。

「まあ、缶ジュース一本分くらいには」

切原君はそれを聞いてあっさりそっかと頷いた。自分の方が悪いことは理解しているのだろう。早速缶ジュースに口をつけながら「ってさあ、」とつぶやいた。なんでしょう。

「変わってるな」
「初めて言われたよ」
「そりゃそうだ。お前今まで誰とも口聞いてなかったし、そんなの気付かねえよ」

そういえば自分の設定をすっかり忘れていた。当初は黙っていようと決めていたのに、どうにもテニス部に関わるとろくな事がない。
それよりも、この世界の私はどれだけ根暗だったのだろう。以前の私を、彼はどう見ていたのだろうか。

「お前ってずっと俺の事怖がってると思ってたから、気ぃ遣ってあんまり話しかけなかったんだぜ?なのに突然ペラペラ喋るようになるしタメ口になるし」
「あれ、私敬語だったっけ」
「誰にでも敬語だっただろ」
「…」
「もしかして心開いてくれたのかなーとか思ったら殴られるし」
「言っとくけどあれは君からしかけた喧嘩だからね」
「はんせーしてます」

棒読みも甚だしく舌を出して切原君はそう言ってのけた。お前こそ本当に悪いと思ってんのか。まあそれはさておき、これからどう起動修正をかけよう。今日の私はキャラチェンジだよととでも試しに言ってはみたが、彼は至極どうでも良さげにふうんとジュースを啜っただけだった。…にゃろう。

「じゃあこうしよう」
「どうだよ」
「切原君は今の私と昨日までの私、どっちが良い」
「どっちもやだ」
「…難しいね君は」
「昨日までは根暗すぎてうぜーし、今はすっげえ変」
「…」
「変だよ、お前」

それはとても笑い飛ばせるような声色ではなくて、まるで本当にそれを嫌がるように、彼の言葉は拒絶を孕ませていた。
きっと彼は私の考え方も含めて、何がどうとは言えないけれど、皆とは違うことに、違和感を覚えてるのではないだろうか。

「…変な自覚はないんだけど、切原君が言うならきっとそうなんだろうね」
「ほらそれとか」
「…はい?」
「なんかそうやって回りくどい言い方してさ、さっきの正しさを証明するとか言う奴も、っていつもそんなこと考えて生きてんの?」

疲れねえ?真顔で問われて今度は私が驚く番だった。もっと簡単に言ってくれないと俺よく分かんない、なんて、そんなこと言われるとは微塵も考えてなかった。

「…切原君て、馬鹿なの?」
「今更かよ」
「まあでも私単細胞君は嫌いじゃないよ」

妙な詮索をされないし、その方が割と扱いやすかったりする。一番めんどくさいのは丸井先輩だ。なんだかこっちのペースが崩されるし、何かがかき乱されていく気がして、あの人とはなるべく一緒にいたくない。

「俺はお前のこと嫌いだけどな」
「残念」
「思ってねえだろそんなこと」

思ってなかった。どうせ出ていく世界だ。こんな世界で誰かと関わるだけ無駄なことで、だから、

「変な風に距離取るなよ」
「…」
「俺はお前とフツーに友達になりたいんだけど。…おい、なんか言え」
「は、友達とか、…」

友達なんて、いらないのに。一人で構わないはずなのに。…いや違う、一人で無いと、だめなのだ。元の世界に帰れなくなってしまう気がするから。
でもほんとは、

「お前本当にさ、一人で寂しくねえの?」
「…さびしくないわけ、…」

ないじゃないか。
だってわけのわからない世界で、一人きりで。早く帰りたいのに、帰り方が分からなくて。

「やっぱ寂しいんじゃん。おし、今のは一番の本音っぽく聞こえたから、信じてやるよ」

突然頭に乗せられた手に、ぐしゃぐしゃと髪を乱されて、私は黙って下を向いていた。
変な世界に来て二日目。早速妙なやつに弱み的なものを握られた。じゃあ今日から俺とお前は友達な、なんて馬鹿みたいな恥ずかしいことを真顔で言いやがる切原赤也にムカついて、私は仕返しのつもりでボソボソと口を開く。

「…このあと部活行くなら丸井先輩に気をつけると良いよ」

彼の手が止まった。

「は?なんで」
「切原君が私を殴ったこと怒ってる、はず」

まあどちらかと言えば呆れていたように見えたが、どちらでも良いや。
切原君は途端に慌て始めるので、もしかして丸井先輩って怒ると怖いんだろうかと首をひねった。弟がいるらしいから、後輩を叱るのに慣れてるとか。…なんだ叱るのに慣れてるって。

「お、お前丸井先輩にチクったんだな!」
「人聞きの悪い。聞かれたから答えただけです」
「っのやろ!今俺とお前の間に生まれた友情はナシだぞ!」
「構いませんけど」
「なんで構わねえんだよ!」
「なんなの君」

切原君が焦り出したことで私にも余裕が生まれる。

とりあえず目の前でわたわたと動きがうるさい彼を眺めて、私は騒がしいな、とぼんやり思ったのだった。



(その光すべてを、私はこの瞬間失っていたことに気づくのは、)




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( まっくらな宇宙にはじき出された少女 // 140422 )