04_似た人を見ただけ


結局あの後、私は何も昼ご飯にありつけぬまま教室に戻る羽目になった。あの銀髪には次に会った時には仕返しに何か嫌がらせをしてやろうと思う。そう意気込んだのもつかの間、前方からあからさまに不機嫌オーラを放っている切原君がやって来るのを見つけた私は、途端に身体を強張らせた。銀髪のせいで忘れていたけれど、そういえば私はつい先ほど切原君と殴り合いを繰り広げたばかりだった。
ど、どうしよう。殴ったことは勿論後悔はしていない。何故なら先に手を出して来たのは向こうなのだから。そうは言ってもこのまま教室へ帰って、顔を合わせるなりまた殴られるのはごめんだ。
私はしばらくその場で右往左往を繰り返してからやむを得ないと、そばにあった理科室へと飛び込んだ。

「…ていうか何やってんだ私…どうせ隣の席なんだから授業が始まったら逃げられないのに」

だったら今この場で蹴りをつけてしまった方が幾分も賢かっただろう。とは言え今更出て行く勇気も私にはなく、切原君を殴った右手を開いてぼんやり眺めていると、ふと、その時ようやく人の気配に気づいた。奥の方の実習テーブルに腰を下ろしていたその人は、私と目が合うと、にかりと笑って見せる。何度も言うが、本当に今日は厄日だ。

「…げ、丸井ブン太」
「先輩をつけろ先輩を」

そんなことどうだって良い。たかが、一つ年が離れてるだけだ。それよりも彼がどうしてここにいるのだろう。どう見ても休み時間も惜しんでこうして実習室に来るような勤勉少年には見えないが。素直に思ったことをそのまま口に出すと、彼は悪かったな馬鹿っぽくて、なんて口を尖らせた。別にあなたが馬鹿だろうとそうでなかろうとどうでも良い。ただ、頭が悪いなら悪いなりに休み時間を騒いだりして過ごせばいいものを、わざわざこんなところにいて欲しくなったと思っただけである。
彼は机に積んであるノートを私に見えるように押しやったので、それで彼がここにいる理由を何と無く察した。

「日直でな。化学のノート提出ってわけ」
「ふうん。そうでしたかそれじゃあ」
「え、」
「さようなら」
「待て待て待て!」

素早く教室から出て行こうとした私の手はいとも簡単に捕まえられる。彼と私の距離はなかなかあったように思ったのだけれど、あっという間に詰められてしまったことに、私はこっそりと驚いていた。
彼に掴まれた腕を解こうとそれを振り回す。

「お前ってホント素っ気ないのな。そんな慌ただしくしなくてもとりあえずまあ、座れよ」
「私も日直でやることあるんですよ」

ないけど。日誌も何も、日直らしいことをしてやる気なんてミジンコ程もないけれど。

「ちょっと先輩の話に付き合っても罰は当たらない」
「いくらくれますか」
丸井先輩はそういうのは良くないと思います

こんなお腹も空いてイライラしている時に限ってなんて面倒な人なのだろう。あからさまに嫌がる私へ、丸井先輩は肩をすくめてふざけた言葉で私を諭そうとした。

「こんなによく会ってさ、その上日直まで一緒とかもうきっと運命だぜこれ」
は、何言ってんだあんた
お前ってもしかしなくても俺のこと嫌いだろい

何を今更。それにしても、ここまで拒絶されているのに懲りない人だ。てっきり敵意を向ければさっさと目の前から失せるタイプだと思っていたが。変な人だと思った。まだ三回しか会ったことはないけれど、この人はいつも変だった。もしかしたら、朝言っていた私に似ている誰かのせいだろうか。良い迷惑だ。
まあ、そんなことよりもだ。解放してくれないことは今までのやり取りで十分理解したので、私は諦めてしぶしぶ近くの椅子に腰を下ろすことにした。

「それで、何ですか」
「んー、一つ目に、のつけてる絆創膏が気になって」

一つ目?という疑問はあえて問わずに、口元の絆創膏をそっと抑えた。やはりまだぴりりと痛む。この人に会うならこんなに子供っぽい絆創膏なんてつけるんじゃなかった。
「この柄は私の趣味ではなく、テニス部の銀髪に貰ったんです」とりあえず今は不可抗力のものだということを伝える。

「俺が言ってるのは柄じゃなくて。いや柄もだけどさ」
「…どっちですか」
「ていうか銀髪に貰ったって言うんなら多分、それ俺の絆創膏」
「は?」

話が読めない。
首を傾げる私の前で彼はポケットから私のつけるそれと同じものを出した。「その銀髪、仁王って言うんだけど、そいつに絆創膏あげたの俺」彼はよく怪我をするから絆創膏をたくさんもっているのだとか。それで以前その「仁王」が怪我をした時に絆創膏を上げたそうなのだが、柄を嫌がってつけていなかったのだとか。そりゃあ私だって嫌だったわ。トーマスみたいな絵がかいてあるんだもの。ちなみに柄は弟の趣味に合わせたとか言っているから、相当年下の弟がいるのだろう。面倒なので深くは突っ込まないが。

「それよりも、俺が聞きたいのはなんで怪我してんのかってこと」
「それは貴方の後輩のせいです」
「はあ?」

私はザッと殴られるまでの説明を丸井先輩にしてやると、彼は頭をおさえてしょうがねえなあいつ、とぼやいた。切原君本人にもビシッと言ってやれ。
しかし、その後丸井先輩の口から出た言葉は私の期待していた言葉ではなかった。彼は諭すようにどこか厳しい目つきで私を見る。

「でも俺はお前も悪いと思う」
「…。やり返したのがですか」
「いやそれよりも、なんでお前ってそんなに攻撃的なの?」
「…」
「赤也も多分ふざけて言ったんだと思うぜ。ピリピリしすぎなんだよお前」
「だって、」
「まあ、先に殴ったのはあいつだから、一番悪いのは勿論赤也だ。だからあいつには会ったら俺から言っとくけどさ、もちょっと頭冷やせ。ま、それが納得行かないならお前の納得がいくまで話は聞くけど」

丸井先輩の世話焼きにどうにも嫌気がさした。話を聞く?そんなのいらない。私の気持ちなんて分からないくせに、よくもそんな薄っぺらな言葉を吐くものだ。
何故攻撃的なのか?そんなの焦ってるからに決まってる。自分がどうしてここにいるのか分からない。相手は私を知っていても、私は彼らを知らない。私だけこの世界の人間ではない。
誰かといても心はずっとひとりなのだ。
このままだと私が私でなくなってしまう。きっと何かが、変わってしまう。そう思ったからだ。こんなこと話したところでどうにもなるまい。

「丸井先輩に話したところで何も変わりません。ので、言いません」
「…。そっか」
「…」
「なら仕方ねえよな」

こんな言葉を言われたら、てっきり怒るかと思ったのに。…やっぱりこの人は苦手だ。これ以上は話す気になれず、私は席から立ち上がろうとする。しかし丸井先輩がそれを引き止めた。

「ごめん、あともう一つ」
「…」
「俺とお前って、初めて会ったのいつだっけ」
「…昨日でしょ」
「…」
「…違うんですか」
「ううん、違くねえよ。やっぱそうだよな」
「…」

何故そんな質問を、とは聞かなかった。よく分からないけれど、やはり彼は私の中に誰かを見ている。そんな気がした。それが怖かった。私は逃げるように教室を出てから、後ろ手で乱暴に扉を閉めて、そこで気づく。
私が丸井先輩を知らなくても、

「もしかして、この世界の『私』と会ったことがあるんじゃ、」

わざわざ何度も聞いてきたということは、もしかしたらそれだけ親密だったのかもしれない。だからあんなに声をかけて来るんじゃ、…いや、待てよ、それなら何故私の名前を知らなかったのだろう。それに初めて会った時の「前に、どっかで、」という彼のあの台詞。知り合いにかける言葉じゃない。ならばやはりずっと昔に会っているのか、それとも本当に他人の空似か。
どちらにせよ、今更どうすることもできない。とりあえず今は切原君にかける言葉を考えながら、重い足を教室へと向けたのだった。



(似た人を見ただけ、きっとそうだ)




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( まっくらな宇宙にはじき出された少女 // 140415 )