B級上位戦とバレンタインの話03


キーンと冷たい空に伸びていく高い音。『野球の音』というやつはいつ聞いても気分がスッとする。私は冬の高い空に白いボールがぐんぐん近づいてゆくところを想像して、薄っぺらい雲の張り付いた空を見上げた。暫くすると、運動部の掛け声に混ざって校舎から吹奏楽部の音も微かに耳に届いたから、放課後の学校と言うのは、どこでも似たようなものだなと思う。
さて、本日の風間隊は防衛任務がお休みだ。それじゃあ私が一体どこで何をしているのかと言うと、三上と出かける約束をしていたので、彼女を迎えに放課後、こうして六頴館高等学校に来ていた。校門に背を預けて、今しがた三上から届いたメールに目を落とす。

『遅くなってしまい、すいません。今すぐそちらに行きます』

彼女からのメールはいつだってえらく畏まっている。メールに限らず、任務でも、そうでないときも。今でこそ慣れてしまったからどうとも思わないけれど、これで彼女とは同い年と言うのだからすごくヘンな感じ。彼女が私に敬語を使うのは、初対面のときからで、私が自分よりひとつ年上だと勘違いしたかららしい。以前に、もっとくだけて良いんだよと本人に言ったこともあったが、三上自身がこれに慣れてしまったから今更変える気はないようだ。まあ、たまに少しだけくだけることはあるけれど。
メールの返事には了解、と簡単に打って、視線を足元に落ち着けた。三上を迎えに行くと言い出したのは私だったけれど、下校する生徒達の物珍しそうな視線を集めるのは本意ではない。「他校の人だ」「三門市立の制服だよ」とちらほら上がるひそやかな会話を聞き流しながら私はローファーの踵を上げ下げして、その場をやり過ごす。

「あれ、もしかして?」

とても聞き覚えのある声が私の名前を呼んだ。まあ、菊地原達も通う学校だし、ボーダーと提携している学校の一つなので、知り合いがいるのは当然なのだけれど、振り返った私は視界にその人物を捉えると半ば条件反射で後ろに飛びのいていた。トリオン体での戦闘時顔負けの反応である。ついでに癖でトリガーも構えていた。

「げ、犬飼、……先輩と荒船先輩」
「今完全に呼び捨てだったな」
「俺との距離を詰めたいなら澄晴先輩って呼んでくれても良いけど」
「エンリョシテオキマス」

いけないいけない、一応この人先輩だった。……一応。トリガーをしまって、そう言えば彼も六頴館高校だったか、とへらっと笑う犬飼先輩を見遣った。私と先輩達の間には弧月で切り込むには程よいなあ、みたいな妙な距離が開いて、荒船先輩が「遠いぞ、」と言った。いやいや適切な間合いかと。

「用心深いなー何もしないって」
「……えええ」
「安心しろ俺が見張っておくから」

普段ボーダーでたくさん話しているのに、まだ私とお喋りたいのか。邪魔にならないように校門の端に寄った荒船先輩が手招きをした。さっさと帰れば良いのに。任務とかないんだろうか。

「何かご用ですか」
「いや特に用はねえけど、そんなに俺らと話すのが嫌なのか」
「まあ主に犬飼先輩が」
「わー傷ついた」
「マジッスカア、サーセェン」
「絶対思ってないやつだよね」

当たり前だろ。とは流石に答えなかったが真顔で犬飼先輩を見遣ると、先輩はやっぱり口元に弧を描いて私をにっこり見つめていた。何を考えているか分からない。やっぱり苦手である。
私に苦手意識を持たれていることは、よく理解している筈なのに、犬飼先輩は私に対していつもこんなふうに余裕ぶっている。初めは私にどう思われようが、きっとどうでも良くて、だからいつだってへらへらしてる、そう思っていた。だけど、本当のところは違うのだと思う。私は何も悪いことをしていないはずなのに、何だか急に体裁が悪くなって、近づいたら鎌で首をハネますと荒船先輩の影に隠れた。「相変わらずカゲに似てつれないなあ」と犬飼先輩。
早く三上来ないかな。

「ところで、わざわざお前がこっちに来てるなんて、珍しいな菊地原か歌川にでも用か?」
「ああ、まあ、三上と待ち合わせしてるんです。お買いもの行く約束したので」
「良いねー。どこ行くの?」
「……バレンタインの買い出し、と言うか」

バレンタイン! と犬飼先輩が手を叩く。安心しろアンタの分じゃねえよ。という顔をしてやると、「、顔」と荒船先輩に頬をつねられた。痛い。何だよ荒船先輩にはいつもちゃんとしたやつあげてるじゃないか、荒船先輩には。

「俺にもちゃんとしたやつちょうだいよ」
「えー」
「えーって、……そうだ、聞いてよ荒船。去年が俺にくれたチョコがさ、」
「5円チョコ100個だろ」
「何だ、知ってんの」
「いや、ボーダー内でしばらく話題になってたしな」
「俺は荒船とかカゲとか他の奴が皆チョコクッキー貰ってるの見たけどね」
「あれは美味かったな」
「えへへ」
「納得できないんだけど」
「犬飼先輩のは、他の方に配ったものよりかかった金額は高くなっているはずですが」
「いやそういう問題じゃないでしょ」

じゃあどういう問題だ。
犬飼先輩は口を尖らせて今年は手作りのチョコが欲しいと騒ぎ出していて、そのせいか下校する生徒からの注目を余計に集めているようだった。いや、犬飼先輩と荒船先輩の知名度みたいなものも少なからず影響していそうだけど。
早く二人とも帰ってくれないかなあとこっそり思って肩をすくめる。犬飼先輩なんて私にせびらなくても学校の女の子なり、ボーダーの子なりにどうせたくさんもらえるくせに。

「チョコなんてたくさんあっても食べきれないですよ。だいたい貰えても義理でしょう」
「えっ、本命くれないの」
「な、なんですって……?」
の本命は風間さんだろ」
「そうですとも」

どういう思考回路を形成したら、犬飼先輩に私の本命チョコが渡ることになるんだろうな、と思った。例年通り、私の本命まじチョコは風間さん一択である。とはいえ、これまでに告白した試しはなく、毎年意気込みだけは一丁前にあるものの、実行に移せたことは一度もない。私は意気地なしだ。普段のお前の態度から風間さん分かってるだろ、と荒船先輩は言って、しかもそれはこれまでに他の人にも言われたことだけれど、多分風間さんは私の言うことを大体本気にしていない。確かに普段から風間さんに飛びついたり、ストーカーまがいのことはしていてしばしば怒られるけれど、きっと風間さんのことだから、子猫が親猫に懐いているくらいの気持ちでいるに違いないのだ。だって何をしても恐ろしく動じないし、下手をしたら頭を撫でてくる始末。いや嬉しいですが。

「一体どうしたら良いんでしょうね。色仕掛けですかね、押してダメなら押し倒せば良いですか」
「考え方が乱暴だなお前……」
「ていうか、ってなんだかんだ言って、戦う以外に関しては度胸ないし、色仕掛けとか俺は無理だと思うよ」
「んな、」

色仕掛けができるならその前に告白してるでしょ、犬飼先輩の正論に荒船先輩が小さく吹き出したのが分かった。そうだよその通りだよ、あああコノヤロウ痛いところ突くじゃねーの。荒船先輩は、笑みを含みながら取って付けたように、私の頭をぐりぐり撫でて慰めるふりなんてしちゃって、ムカつくこと山の如し。

「まーまず風間さんの胃袋でも掴むんだな。どんなチョコが好きかリサーチでもして」
「風間さんは手に乗せれば大体何でも食べますよ」
「子供か」
「愛らしいですよね」
「……うん?」

思い返せば、これまであまり風間さんの食べたいものをリサーチするということがなかった。(失敗したくなければカツカレーを出しておけば間違いがない)代わりに、甘すぎると嫌だとか苦すぎるのも嫌だとか、ただのチョコは飽きるだとか、ハイパー我がままな菊地原の要望に応えたものを皆に配るようにするというのが定型化してきていた。去年のクッキーは菊地原が気に入っていたみたいだから(悪態がなかった)、今年もそうしても良いのだけれど、多分、考えるのが面倒なら作らなきゃ良いのにとかうだうだ言われそうなので、たくさん皆に配れるようなものを別に考えなければならない。

「日々の晩飯の献立に悩む奥さんみたいだよ」
「何お前、菊地原と付き合ってんのか」
「まさか。この場合菊地原はどっちかって言うと姑ですよ。面倒くさいのなんの」
「とか言って可愛がってる癖にな」
「そりゃもう。可愛くて何でも言うこと聞いてあげたくなりますね」

やっぱり付き合えよお前ら、と荒船先輩がそう笑ったとき「うわーやめてよね」なんて声がした。振り返った先には菊地原がいて、むっすりした顔で私達を見つめている。おー、菊地原、なんて呑気な荒船先輩を横目に、私も気のない声で彼を呼んだ。彼は律儀にも本部では私服か隊服だから、ブレザー姿は何だか新鮮だ。視線がかち合ってへらっと笑って見せると、こっち見ないでよとあんまりな切り返しが来た。なんだなんだ反抗期か。

「ていうか何で先輩がここにいるのさ」
「三上と待ち合わせなんだよ。バレンタインの買い出しで」
「あー、そんな時期だったね。先輩も飽きないなー」
「毎年飽きずにチョコ貰ってる口がそれを言いますか」
「先輩が押し付けるからでしょ」

菊地原が、べ、と舌を出した。今取り立てて説明することもないのだろうけど、こういう顔は気の許された間でしか見ることができない。どんなに生意気な口を聞かれたってこういう挙動からウチの菊地原は可愛いなあと思ってしまうあたり、私は彼に甘すぎるんだろう。
彼の台詞に、あげないといじける癖にとは思っても口にはしなかった。多分、反撃が来るから。菊地原は文句ばっかりで表情には出さないけど何だかんだ言って、仲間とわいわい何かするのが好きだし、そういうことで菊地原を後回しにすると、実はこっそり不貞腐れていることを私は知っている。
やれやれ今年は何が食べたいんだい、と昨晩携帯でざっくり調べたバレンタインのレシピを指でなぞりながら問うと犬飼先輩が、俺はガトーショコラお願いね、と画面に顔を寄せた。近い。

「犬飼先輩には聞いてないです。菊地原に聞いてます」
「いや、もうガトーショコラって決めた」
「オイ」
「僕は食べて死なないなら何でもいいよ」
「菊地原もよくもまあ憎まれ口が出てくるなあこのう」

私が料理得意って知ってるくせに。逆に美味しくて倒れても知らんぞ。
携帯をスカートのポケットに押し込んでいつものごとく菊地原の頭をぐりぐりしてやろうと私は両手を構えると、何をされるか悟った菊地原が、持っていた鞄でおざなりな防御壁を作る。けれど私が彼を捕まえるより先に犬飼先輩にがっちり肩を掴まれて身動きが取れなくなってしまった。途端に菊地原の目がす、っと細まったのがわかった。彼はたまにこういう冷徹な瞳を向けることがある。こういうときの真意はまだ私も掴みあぐねているが、まあ十中八九私を貶している目だ。菊地原ってたぶん私のこと大好きだと思うけど、こういうとき、そう言い切る自信がなくなる。

「触らないで下さい」
「ね、ガトーショコラ」
「うるっさいですよ犬飼先輩」
「良いんじゃねえか? 俺にもガトーショコラでよろしく」
「ほら、荒船もこう言ってるし」
「……」

ていうかあんたらさっさと帰れ、と私は怒鳴ってやろうかと思ったが、そのときちょうど慌てた様子でようやく三上が現れたため、なんだかんだで私はその空間から脱することができた。ちなみに、菊地原は最後まで冷ややかな目をやめなかった。ちくしょう、なんだってんだ。
犬飼先輩には絡まれるわ、他校の生徒に注目を浴びるわで居心地は最悪だったから、しばらく六穎館高校にはいかないことにしよう。そんなふうに考えた所以の一部始終を、歩きながら彼女に伝えると、三上は何故か楽しそうに顔を綻ばせていたのだった。ただただ謎だ。
商店街にたどり着くと、いつの間にかそこはバレンタイン当日に向けて、可愛らしく様変わりしていた。バレンタインのフェアを行っていたり、お菓子のレシピや材料なんかの売り出しをあちこちでしている。

「菊地原君、今年の食べたいもの何か言ってました?」
「ううん。食べて死ななきゃ良いってさ。可愛くないよねえ」
「彼らしいですね」
「まあね。でもいっそリクエストしてくれた方がやりやすいのに」
「じゃあちゃんはまだ何を作るか決めてないんですね」
「いや、私はー……」

通りがかりの本屋で、外のワゴンに山積みになっているチョコレート菓子のレシピを私は何気なく手にとってぱらぱらとめくる。いつもはネットで調べたりして作っていたけれど、こういうものが一冊あると気になったものをチェックしておけるし便利なのかも。

「私は今回はガトーショコラかな」
「あ、良いですね。私はどうしよう」

そうして私が広げたレシピを覗き込んだ三上の隣で、ふと、顔を上げた先の目にとまった店の中に、私は偶然木虎の姿を見た。どうやらバレンタイン特集が組まれているスペースで、彼女は百面相をしている。
その時私の頭の中には、玉狛のもっさりしたイケメンの顔が浮かんでいた。


相変わらずおモテになりますなあ。



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「やっほ、木虎」
「な、先輩と三上先輩!?」
「烏丸へのチョコの準備かね」
「は、いや、ちちち、違いますから! 普段お世話になってる隊の皆に配れたらと、そう思ってるだけです!」
「あ、そうなの? 私はあげるつもりだけど。木虎もあげれば良いのに。ね、三上」
「ええ。烏丸君も喜ぶんじゃないかしら」
「……!!」
「私も風間さんにまじチョコあげるから、恋する乙女同士一緒に頑張ろうぜ木虎!」
「だっだから違いますってば!」




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