たくさん心配される話04
※原作沿いではないオリジナルの話です。設定が謎めいていてもOKの方のみどうぞ! 記憶の食い違いを気にしている暇は、当然ながら今の私にはなかった。一先ずは、そのことを捨て置くことにする。 矢庭に距離を詰め始めたモールモッドに、私は後退を徹底した。相手のブレードの硬度は今の私の持っているパイプでどうにかなる代物ではなく、また斬撃のスピードも高速で、生身でかわせるほど生易しいものではない。 視線をざっと辺りに巡らせてから、私は後方へ走り出した。それと同時にモールモッドもまた動きだす音が聞こえる。このままではすぐに追いつかれることは目に見えていた。 私は屋上の端までたどり着くと、柵を足場にしてそばにある塔屋の上に飛びついた。 後を追ってきていた勢いのついたモールモッドは壁に衝突し、束の間怯む。私はそれに一瞥をくれてから、どうにか屋根へ登りきった。パイプを逆手に構える。足元にはそこへ這い上がってこようとするモールモッドが見えて、私は大きく息を吸うとありったけの力を込めてそのコアへ、パイプを突き立てた。コアにできた亀裂から僅かにトリオンが漏れ出す。 コアは硬く、パイプの刺さりも浅いように思えた。ブレードのついた足が不気味にもがき、私はそれを押し返すようにパイプへ力を入れる。 「くそ、トリオン体なら、楽勝なんだけどなあ……!」 孤月なら一振りだ。私ならこんな雑魚、動く隙だって与えない。姿が見えた瞬間に破壊する自信だってある。けれど今は生身だ。トリガーによって、自分がいかに力を増幅させられているかがわかる。でも、何も今そんなことを実感しなくてもね、と苦笑する。 片腕が使えないこともあって、力が入りきらないことに苛立ちを覚え、私は垂直に突き刺したパイプを乱暴に横へ倒すと、ばき、と確かな手ごたえを感じた。どうやら目的の場所を破壊できたらしい。 それは忽ち動きを止め、コアの光が失われたかと思えば背から落ちて行った。どっと疲れた気がして胸に溜めていた息を吐き出す。 落下したそれがもう動き出さないことを確認してから、私は数歩後ろに下がって口を固く結んだ。いつも孤月でしているように、パイプを肩にかけて、塔屋の上を走り出す。私はこちらの様子を伺っていた二体のうち、近い方の背の上に飛び降りた。 着地の反動で、ずきんと背中が痛んでふらつきかける。せめて怪我さえしていなければなあと思う。 心の中でそんなことをぼやきながら身を低くして、私は向かいのもう一体と対峙した。 コアが目玉の様に私を確かに捉えて、暗闇に怪しく光っている。僅かにその左脚が前に進んだのが見えて、私は息をたっぷり時間をかけて呼吸をすると、言った。 「おいで」 その声に反応する様に、向かいのモールモッドは電光の如くこちらに飛び掛かった。私は、足代わりにしていたモールモッドを強くそちらへ蹴り出して、乗っていた背から自分の身体を後方へ逃がす。 そうしてパイプを支えに辛うじて足から着地をすると、自分が乗っていたモールモッドが突進して来た一体のブレードに薙ぎ払われた。金属が擦れ合い歪むような耳障りな音が夜の空気を震わせる。それはそのまま屋上の柵を突き破り地面へと落下して行くのが見えた。 自分の仕組んだこととは言え、その破壊力に足が竦みそうになる。普段、自分はこんなものと戦っているのだ。粟立つ腕をさすりながら、私は残りの一体へと向き直った。 怖気付くなよ、ここまでは想定通りだ。 ただ、残りのこの一匹をどうするか。 塔屋の扉は真後ろにある。中へ逃げ込むことができれば時間稼ぎになるだろう。しかし扉を開けるタイミングを間違えてはいけない。いっそ敵のブレードで扉を破壊させることができればいいけれど、生身の上に負傷して機動力のない今の自分に寸前で相手の攻撃をかわす自信はない。 また塔屋の上からコアを狙う方法を取るにしても、果たして同じ手が効くだろうか。そもそも、身体が限界に近い。何かないかとあたりを見回したが、考える隙もなく相手はこちらへと突っ込んで来た。パイプで牽制しながら横に逸れ、また距離を取る。そんなふうに逃げるのが精一杯だ。 腕の痛みも増し始め、呼吸が崩れ始めたとき、不意に背後でなにかの気配がした。 振り返ったときには、仕留め損ねていたバドが目と鼻の先にいた。 ひゅ、と自分が呼吸を取り込む音がやけに大きく聞こえる。 「ッやば――」 思わず飛び退いたのは対峙していたモールモッドのいる方向だったことに気づいたのはその直後である。 もうダメだ。 目まぐるしく動いていた思考がついに停止した。 「、ちゃんと生きてるよね」 その声と共に右方から通常弾が両者のコアを貫いた。爆風に煽られかけたその不安定な身体を横から攫われ、小さく悲鳴をあげる。 「間一髪だな」 私を拾い上げたのは犬飼先輩で、彼は私を抱えながら屋根をひょいひょいと飛び越えてゆく。 「遅くなってごめんね」と犬飼先輩は言ったけれど、状況についていけずにしばらく惚けていた私は、再び名前を呼ばれて我に返ると首を振った。 私は、助かったらしい。 「それにしても無茶したね。トリガーも使わずにモールモッドを倒すなんてさ」 「そうするしかないと思ったから」 「まあ、そうだったんだろうけど。でもどうしてまた換装を解いたわけ」 「解いたわけないじゃないですか」 「じゃあ一体、」 「勝手に解けたんです。トリガーも起動できなくなりました」 そうでなければ、生身でトリオン兵と戦うはずがない。ポケットからトリガーを出して犬飼先輩に見せてやる。一見壊れたようには見えないが、実際はただの鉄の塊みたいなものだ。 先輩は私のトリガーを一瞥してから視線を前に戻した。 「とりあえず、を一度基地に返すよ。換装が解けた理由を探る必要があるだろうから」 「……。はい」 「残り数時間、任務は俺と鋼君二人でなんとかする。元々と鋼君の二人でも、って話だったくらいだし、たぶん何とかなる。暇そうな誰かを回してくれても良いけど、まあそこら辺は本部に任せよう。とりあえずは手当を受けた方がいい」 「なんと言うか、とにかくすいません」 犬飼先輩は私をちらりと見てから、はは、と笑った。しおらしい私を珍しく思ったに違いない。 それから基地へ引き返す間、犬飼はしばらく誰かと通信で現状の報告をしていた。恐らく村上先輩とか、オペレーターとかだろう。忍田本部長ともかもしれない。 それを終えて私達は基地の前まで来ると、先輩は至極丁寧に、私を地面へ下ろした。 「……どうも、すいませんでした」 「らしくないなあ」 「らしくないと言われても、迷惑をかけたので謝るのは当然です」 「迷惑だと思うような奴は助けないよ、俺は」 彼は笑った。口元だけ。目は決して笑っていなかったように思う。その表情に胸がひやりとする。 腹の中では怒っているんじゃないか、なんて居心地が悪く思っていると、基地の中からストレッチャーを押した医療班と、米屋が姿を見せた。私はこっそり安堵の息を漏らす。たぶん、米屋は事態を聞きつけて心配して来てくれたに違いない。私の姿に「大丈夫か」と渋い顔をする。私は彼の名前を呼んで、そちらへ歩き出そうとしたとき、突然腕を後ろから引かれた。前へ伸ばしかけた足を後ろにつける。振り返ると、腕を引いた犬飼先輩の手が私の左頬へ伸びていた。親指がそこにある傷を撫でる。 「二度目がないのわかってる?」 何を問われているのか、瞬時には理解できなかった。一拍置いてから、大して思考も巡らさずに勢いだけで思わず、はい、と答える。 次は助けないという意味か、同じ失敗をして失望させるなという意味か、たぶん、少しずつ合っていて、でも決定的な部分の意味が違う。その一言には、単純な言葉だけではなくて、たくさんの意味が内包されているように思えた。もしかしたら、簡単に頷くだけじゃ足りないような、そんな意味が。 犬飼先輩の手のひらに赤く血の跡がつく。血を拭われたようだ。頬だけでなく、腕も足も、私の身体は至る所が擦り切れ血が滲んでいた。こんな自分、久しく見ていない。 急に身体が重たく感じて、足の力が抜けた。後ろにいた米屋が慌てて私を支える。 「おいおい大丈夫かよ」 「大丈夫、気が抜けたわ」 「ストレッチャー乗れるか」 「なんか怪我人みたいだね」 「いや怪我人なんだっつの」 「この間よりはよっぽど大丈夫なのになあ」 「ボロボロの癖によく言うぜ。だから気をつけろって言っただろ」 「別に気を抜いていたわけではないんだけどねえ」 「良いから寝てろ」 米屋にしては珍しく、少しだけ厳しい口調でそう言ったので、私は顎を引いて小さく返事をした。医療班に支えられて私はストレッチャーに横になる。視界の端で犬飼先輩の手がひらりと上がったのが見えた。 「じゃあ俺任務に戻るね。あとよろしく」 そのすぐあとに、先輩が地面を蹴る音がして黒いスーツが、ふっと夜の闇に消えていった。 がたん、とストレッチャーが動き出す。 「二度目はない、か」 犬飼先輩の言葉を誰にも聞こえないくらいの声で呟いた。 動く方の腕を持ち上げて、手を結んだり、開いたりする。今更、手が悴んでいることに気づいた。吐く息だって、そういえばずっと白い。 「どうかしたか」 「今日は寒いなと思って」 「まだ二月だからな」 「そういえばそうだったね」 そんなことにも気が回らないくらい、自分は差し迫った状況にいたのだろう。 基地の中へ運ばれながらぼんやり天井を見つめて、そばを歩く米屋に気のない声でそう返した。 私は基地の医務室まで運ばれると、応急手当を受けた。騒ぎを聞きつけて隊員が何人か医務室を覗きに来たりしていたけれど、何だか騒がしい声を遠くに聞いているうちに私は眠ってしまったらしい。その後は三門市立病院に運ばれたようだった。 その間、私は夢を見た。 夢の中の私は家屋の倒壊した荒れた道を歩いていた。見下ろすと靴は履いていない。身に付けていた服は中学の頃に着ていた制服だった。 そこでふと気付く。これは第一次大規模侵攻があったあの『四年半前の私』の夢なのだろうと。 私はしばらく一人で歩き続けた。少し遠くにボーダーの基地が見えた。 すると突然、どういうわけか涙が込み上げてきた。泣きながら私は歩き続けて、気づけば父親と母親を幾度も呼んでいた。 どうしてこんなに悲しいのかと不思議だったが、そういえば私は家族をなくしていたのである。そうか、いないとわかって尚、私はこうして家族を探しているんだった、と。 しばらくそのまま歩き続けると誰かが立っていた。顔は見えない。性別もわからない。でも、たぶんボーダーの人間だった。 「何故ここにいる」 誰かは言った。今すぐ帰るようにと私が歩いて来た道を指差した。それもそうだ。私が歩いていたのは警戒区域内だった。 「探しています」 私は答えた。 何を、と相手は聞き返す。家族、と答えたかった。けれどいなくなった家族はもう探せない。それはわかっていた。わかった上で、探していた。 それでも何か、その人が納得することを言わなければ、私は来た道を引き返さなければならないだろう。そう思って、私は答えた。 「写真」 仕方がないから手伝おう、とその人は頷いた。代わりに、見つけたら二度とこの中には入らないようにと条件を出した。私は理解を示したしたフリをした。 写真はすぐに見つかった。私はそれを受け取り、その人がこちらに背を向けたとき、私はその人の足を払ってその場に倒すとそこから逃げ出した。 気づいたら私は初めにいた場所に立っていた。よく覚えていないがどうしてこんな場所に一人で立っているのだろうと辺りを見回す。家屋の倒壊した荒れた道が目の前に広がっていた。何故か右手に家族と撮った写真を持っていたので、見つめているうちに、思い出した。そういえば私は家族をなくしていたのである。そうか、いないとわかって尚、私はこうして家族を探しているんだった、と。 私は歩き出した。荒れた道を、ひたすらに歩く。基地が見えてくると、そこには誰かがいた。たぶんボーダーの人間だった。 「何故ここにいる」 誰かは言った。今すぐ帰るようにと私が歩いて来た道を指差した。それもそうだ。私が歩いていたのは警戒区域内だった。 「人を探しています」 その答えに、誰かは尋ねた。 「ここには誰もいないが、一体誰を探していると言うんだ」 確かに、ここには私とその人以外、誰かが存在しているような場所には見えなかった。 けれど私は知っていた。ここに、時折黒い扉が現れること、そしてそれが比喩ではなく本当に「扉」であることを。 嘘が思い浮かばなかったので、私はその人の問いに正直に答えることにした。 「家族を殺した人です」 「探してどうするつもりだ」 私はその質問に、たぶん何らかの言葉を返した。 気づいたら私は初めにいた場所に立っていた。よく覚えていないがどうしてこんな場所に一人で立っているのだろうと辺りを見回す。家屋の倒壊した荒れた道が目の前に広がっていた。何故か身体中に怪我をしていた。包帯が巻かれている。少し考えて、思い当たる。そういえば私は近界民に襲われて家族をなくしていた。そうか、いないとわかって尚、私はこうして家族を探しているんだった、と。 私は歩き出した。荒れた道を歩いて、基地が見えてくると、そこには誰かがいた。たぶんボーダーの人間だった。 私はその人と何か言葉を交わした。 そうして気付くと一人で荒れた道にぽつんと立っていた。 私はひたすら道を歩いた。そうしてある日、自分が同じことを繰り返していることに気がついた。そういえば、昨日も、一昨日も、もっとずっと前から同じ道を歩いている。 けれど、そのことがわかっても、その先で、自分が何をしていたのかいつだってちっとも思い出すことが出来なかった。 家族のために何かできればと、それだけを原動力にしていた私は、なんて無意味な日々を送っているのだろうと絶望した。 それからも私は歩き続けた。それでわかったのは、やはり私の記憶の何かが、……どこかが、おかしいということだけだ。 ある人は心の病気だと言った。そう言われたらそんな気がしてきたので、私は考えるのをやめた。心も身体も、ひどく疲れていた。 そのうち、私はどうして歩いているのかも忘れてしまった。 そのくせに、歩くことはやめなかった。あてもなく好きなように歩くのは楽だったけれど、いかんせんとても退屈だった。そろそろ足を止めようかと悩んでいると、少し先に私は人の姿を見つける。よく知った顔だ。 「迷ったのか」 振り返って、私にそう尋ねたのは風間さんだった。何も答えない私に、彼は続けた。 「一緒に来るか」 私は口を開かない。迷っているわけでもないし、彼について行く理由も見つからない。黙って彼がどこかへ行ってしまうのを待っていた。せっかく自由を手にしているのに、誰かの後ろについていくのは嫌な気がした。 だから私はずっと黙って、そっぽを向いて、彼が何を言っても答えずにいた。それでも彼は私の一歩先でこちらを向いたままどこにも行かなかった。 そのうち、先に進めないならと、私は来た道を引き返すことにした。別に前を歩いても、先に私を待つものなんて、何もないような気がして。 けれど、彼に背を向けたとき、ちっともその場から動かなかった風間さんが私の手を掴んだ。掴んで、後ろではなく前へ、強く、引いた。それだけは許さないと言われている気がした。 「一緒に来い」 今度は選択ではなく、問いかけでもなく、まるで命令のような強い言葉だった。 私はまた懲りずに前へ歩き出す。 その歩みは前のような自由はなかったけれど、風間さんが手を離すことは決してなかった。私はそっとその手を握り返すととても安心して、こっそり泣いた。 不思議なことに、ずっと、この手を待っていた気がした。 そんな夢を見た。 ( 190503 ) |