第二次大規模侵攻時の話04





第二次大規模侵攻から一週間程度が過ぎた。街にはまだ襲撃時の爪痕が痛々しく残されているが、街の空気といえば今では不思議な程穏やかだ。とは言え行方不明の隊員や市民の捜索、そして破壊された街やボーダー施設の修復など片付いていないことは未だに山ほどある。ただそこに頭を悩ませるのは大方上層部の方で、俺達ボーダー隊員の生活自体は殆ど元に戻りつつあった。

「おい出水、珍しいことやってんぞ」

俺と米屋、緑川は本部の仮想訓練室へ続く廊下を歩いていた。
先を歩いていた米屋が不意にこちらを振り返って手招きをした。誰が? と問うと、米屋の隣にいた緑川が、「先輩」と答える。
頭に風間さんの顔がちらつく。つい先ほど、俺は米屋と緑川を連れて、三雲修の見舞いへ三門市立病院へ行ってきたところだった。彼はようやく集中治療室から一般病棟へ移れるほどには回復したらしいが、まだ目を覚ましていない。すでに多くの隊員が彼を見舞ったそうだが、そこにはちょうど風間さんもあり、偶然鉢合わせた折にの行方を尋ねられた。大規模侵攻の最前線で戦っていた隊員達は休暇をとっていたので、恐らくしばらくチームて顔を合わせていないのだろうと思う。どうやら形態もあまり確認していないようだ。
「探してたから、ちょうど良かったね」と言った緑川に同意して訓練室へ入ると、右端のブースでと影浦先輩が模擬戦を行なっているのが見えた。確かにと影浦先輩が試合をしているのは珍しい。

「ちげえって。のトリガー、孤月じゃなくてスコーピオンだろ」
「あ、本当だ」
「珍しいよね。俺、先輩がスコーピオン使ってるの、入隊したばっかりのときに何度か見たきりだよ」

もう一度ブースの方へ目をやると、二人の言うようにの手にはいつもの大鎌ではなく、スコーピオンが握られていた。
は風間隊の中で、唯一あまりカメレオンは使わないし、機動力もない方だと言われている。しかしそれは孤月を使い始めてからの話で、スコーピオンを使っていたときの攻撃スタイルは、菊地原達に劣らない素早さとステルス性を有していた。だから、トリガーを変更した直後はしばらく周りがそれを不思議がっていた。今でこそ、孤月の方が彼女にぴったりだとは思うが、当時は俺もそう思っていた。
緑川がこちらを見た。

「ねえ、スコーピオンでも強いのに、先輩はどうして孤月に変えたの? 気まぐれ?」
「いや気まぐれでは流石のあいつも変えねえよ」
「じゃあなんで?」
「ずっと孤月には変えたいって言ってたんだよ。ただ使い辛いから、A級になったらすぐに改良してカスタマイズしてから孤月に変えるつもりだったんだ」
「そうなんだ」
「あいつにとっては一時凌ぎでスコーピオンを使ってたような感じだな」
「えーそれであんだけ強いってちょっと悔しいなあ」

米屋は模擬戦の方を見つめたまま緑川にそう答えた。彼の言うように、はC級時代から孤月にしたいと騒いでいたそうだ。けれど、その扱いづらさと風間隊の戦闘スタイルに、トリガーが合わなかったから、ずっと孤月は我慢していたのだと言う。だからはスコーピオンでかなりソロポイントを稼いでいたけれど、A級に上がり孤月に転向してからは、ソロポイントと孤月の実力が噛み合わないからと、しばらくソロランク戦から離れていた。

「数ヶ月伸び悩んでたりしたみたいだけど、今じゃ風間隊の主戦力だよな。あいつが派手に動き回ると、風間隊のステルス性が上がるって言うチームの形もできあがったし」
「へー先輩でも悩むことってあるんだ」
「緑川、に怒られんぞ」
「べ、別に変な意味で言ったわけじゃないよ」

米屋が意地悪く笑うと、緑川が肩を竦めた。緑川の言うように、は普段から明るいし、脳筋だし、悩みがないように思われがちだ。けれど、俺なんかが触れられないようなところに、闇を抱えているような、危うさがある、そんな気がする。性格も、纏う雰囲気も真逆だが、三輪に通じるところを感じることはある。きっと米屋もそれは気づいているはずだ。
ブースの中では、影浦先輩のマンティスが鋭く伸びての首をはねようとしていた。それをシールドで凌ぐと、彼女は一気に間合いを詰めて、殴りつけるような動きでスコーピオンを振り下ろす。「わー際どい」と俺と米屋が同時にこぼす。しかしそれはすんなりかわされた。影浦先輩が薄く笑った。

「軌道がミエミエなんだよバァカ」

は動じなかった。その理由は直後にわかる。彼女はかわされたスコーピオンをすぐに消し、その場で回し蹴りの要領で、身体を大きく捻らせ飛ぶように右足蹴りを繰り出した。そこからはいつの間にかブレードが出ており、影浦先輩の胸元を勢いよく切り裂いていく。
あの技は見たことがある。確かアウーセンマオという格闘術だ。はこういった体術をよく攻撃に取り入れる。

「トリオン体って言ってもよくあんな動きできるな」
「同感」

米屋が笑った。
ボーダーの戦闘には、トリオン体を破損させない打撃系の技の大方が無意味だと言う考えがある。しかし彼女の活用の仕方に関してはその限りではなかった。
隣で、緑川がかすかに感嘆の息を漏らしたのがわかった。

「初めの攻撃は布石です」
「ハッ、面白ぇ。だがよ、」

ただ、流石影浦先輩と言うべきか、簡単に攻撃を食らうようなことはしない。再び、マンティスが伸びる。至近距離からの回避は今の体勢のには難しいように思えた。実際に、が優勢に見えたのは束の間で、次の瞬間には、彼女の胸へ影浦先輩のスコーピオンが突き刺さっていた。

「ッ……」
《トリオン供給機関破損。、ダウン》

「隙だらけなんだよ」と影浦先輩が、その場に仰向けに倒れたへ言った。
モニターに映る数字が更新される。10本勝負だったらしい。9対1で、の完敗だった。
確かに影浦先輩はより強いし、彼女が先輩に負けているところは見かけるけれど、こんなに圧倒的だっただろうか。米屋の様子を伺うと、彼もまた、押し黙ったままこちらを見ていた。の様子がおかしいことは明白だった。

「ひでぇザマじゃねぇか。弱くなったなァ
「……わたし弱いですか」
「弱ぇよ。クソつまんねえ」
「……そっか」
「何迷いながら戦ってやがる。戦術の真似事か? テメェそれができるほど器用じゃねえだろ」

は天井を見つめたまま、それきり口を開かなかった。影浦先輩もしばらくそんな彼女を見つめていたけれど、やがて苛立ちを孕んだ面持ちでブースから出ていった。彼女がブースから出てきたのは、それから五分くらいしてからだった。俺達の視線に気づいたからのようだ。

「どうしたの三人そろって」
「別に」
「今の見てた?」

換装を解いたが言った。彼女はとても強いけれど、こう見たらただの女の子だ。

「ボロ負けしたのを?」
「見てたんだ」
「最後の一戦だけな」

もう少し言い方があったんじゃないかと思ったが、は気にしていないふうだ。「負けちゃった」とさも当然のような言い方をした。調子悪いのか、と米屋が続ける。「さあ」と随分と淡白な言葉が返った。

「珍しくスコーピオン使ってたな」
「まあね。初心に返ろうと思って」
「なんだそれ」
「前はどうやって戦ってたかなあって」
「ん、それならついでに俺とも一戦バトってくか」
「パス。一息ついたらもう戻る」
「えー。俺先輩とやりたかったのに」
「ごめんね。米屋も緑川も今度ね」

二人は渋々といった様子で引き下がり、しようがないと肩を並べて傍のブースに入っていった。自分も今は模擬戦をする気分でもなかったので、誘われなくて良かったとこっそり安堵する。は、米屋達のブースから試合開始のブザーが鳴ったのを横目に自販機で買ったお茶のカップに息を吹きかけながらそれをそっと口に運んでいた。どこかずっと遠くを見つめるような目をしていた。

「ボーダー、辞めようかな」

それはあまりにささやかな調子で聞き逃してしまいそうなほどだった。

「……は? なんで」
「冗談だよ」
「影浦先輩に負けたのがそんなにショックなのかよ」
「違うって。辞めないってば」
「……ふうん」
「信じてない?」

信じられるはずがない。普段のならば、まずこんなことを言うはずはないからだ。

「辞めたらボーダーに借りてる今のマンションに住めなくなるし、お給料が出ないと身寄りのない私は結構きついから辞めないよ」

は、まさか本気にされると思っていなかったのか困ったように笑う。それでも俺には本音を零したように聞こえた。

「出水は私がボーダーからいなくなったら寂しい?」
「……まあ、割と」
「そっかー」
「今まで一緒に戦ってきたわけだし」
「それならなおさら辞めないでおくよ」

彼女はカップをゴミ箱へ放って、手をひらりと振った。「もう行くね」
その背中を追って、嘘くさ、と俺は思わずこぼした。が例えば本当にボーダーを辞めるとして、俺の言葉なんて彼女を引き留めるきっかけにすらならないのだろうと思う。

彼女を止め得る人間を、俺はボーダーの中でただのひとりしか知らない。





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( 180103 )
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