第二次大規模侵攻時の話03
人型近界民は、身体を液状化させて死角からブレードのような攻撃を繰り出すトリガー使いのようだった。上からの情報によれば、角つきのトリガーは、武器というより身体の一部だという話だったから、敵のトリガーにそういうことかと納得をする。 私達は、菊地原の聴覚を共有を利用して床や壁を這うブレードの音を拾いながら、不意に鋭く突き抜けてくるブレードをかわしてゆく。 死角からの攻撃は大体、菊地原の強化聴覚が相性が良い。難なくかわされる攻撃に、相手はあからさまに苛立っているのがわかる。 ただ私達もかわしているだけで、決定的な一打が繰り出せていないこともまた事実だった。 《どこかで近づきたいですね。長時間の聴覚共有は酔ってくる》 《わかるわかる》 《二人とも根性ないなあ。そもそも先輩は根性だけが取り柄でしょ》 《だけってなんだ、だけって》 鋭く横目で菊地原を睨むと、風間さんが良い加減にしろ、と会話に割り込んで、あたし達は口を噤んだ。先程からずっとこんな調子だ。普段ならまだしも、こんな状況で、もう少し緊張感を持っても良いような気がする。特に、それは自分自身に言えることだ。今日はいつもより自分の攻撃のテンポがおかしい。初めこそ気づかなかったが、戦いが長引くに従い少しずつずれが見え始めているようだった。 こんな光景は四年半ぶりだから臆病風にでも吹かれているのだろうか。どうにも調子がおかしい。 「……しっかりしてよね」 唇を固く結ぶと、隣の菊地原が怪訝そうに首を傾げた。その瞬間、ブレードが下を潜って足元へ近づく音が聞こえて、私はハッとして後ろへ飛び退く。三人とは一拍遅れて着地すると、風間さんの鋭い視線が私へ向いた。私が戦闘に集中できていないのは一目瞭然だ。すいませんと、口をついて謝る。 《先輩、機動力無いんだから、気抜いてるとやられるよ》 《わかってる》 《いや、わかっていないな》 息を吐いて、鎌を握り直すと風間さんがそう言った。 《あのときと同じ目だ》 菊地原と、歌川がその台詞に怪訝そうな顔をしたけれど、風間さんが、いつのことを言ったのか、私にはすぐにわかった。あの日のことはよく覚えている。鉛のように重く動かなくなった手足にが微かに震えて、瞳だけはソレを確かに捉えていた。間違いなく、恐怖に支配されていたあの瞬間。 自分に言い聞かせるように、あのときとは違います、と私ははっきりと答える。そう、同じわけがない。 あのときの私と風間さんとの間に起こった出来事は、とりたてて強く記憶に絡みつくように鮮明に残っているものだった。忘れたいくらい大嫌いで、不愉快で、それでいて忘れたくない複雑な思い出だ。 人型が発するブレードのノイズのせいでその記憶に靄がかかった瞬間、床下を這いずる刃の音が鋭さと勢いを増した。 素早く重心を低くする。ぴり、と空気が変わる。 「あーめんどくせえ! 雑魚に付き合うのはもう終わりだ!」 床下、壁、人型近界民の身体そのものから黒いブレードが勢いよく伸びる。 きた、と待ち望んでいた展開に、菊地原が身構えた。建物全体を破壊せんとばかりのブレードが人型を中心に飛び出していく。 右に二本、左斜め上に四本。私達はそれぞれ孤月とスコーピオンでブレードをいなしながら、風間さんがカメレオンで姿をくらますのを確認する。 かわし損ねたブレードが右足を掠め、トリオンが噴き出したが、構いはしない。人型近界民へ視線を戻したとき、既にその背後を突いた風間さんが、首を切り落としていた。 「はい、終わり」 菊地原がつまらなさそうに告げた。落ちていく首に、私も決着はついたと思った。きっとその場にいた誰もがそう思ったはずだ。しかし次の瞬間、落ちたはずの首が、ブレード状に形を変え、風間さんへ牙を剥いた。咄嗟に構えた風間さんのスコーピオンの刃の上を滑り火花を散らす。 息を飲む。 「ちょ何、どういうこと!」 切ったのは間違いなく首。切断したはずだ。しかしトリオン体は破壊されていない。急所は首ではないということか。ならば一体……。 事態の飲み込めない私達に、風間さんからおそらく、このネイバーはブレードだけではなく、全身が液体化ができるという推測が通信で届いた。しかし、それをすぐに打ち砕くように人型が口を開く。 「残念、ハズレだ」 ぞわりと背筋が泡立つ。人型はにたりと口元を歪めた。まだ何か仕掛けが、と思うや否や、人型の視線が鋭くなり私達は一歩後ろへ飛び退く。しかしトリオンを吹き出したのは私達ではなく、風間さんだった。 「――え?」 「風間さん!!」 歌川が声を上げた。 私は目の前で起きたことが、束の間理解できなかった。私達のいる建物から、ベイルアウトの光の軌道が飛び出していく。 ――あれ? トリオン体は生身よりも呼吸を必要としない。走っても息苦しさを感じたことはない。けれど、今の私はその呼吸すらままならなかった。胸を押しつぶされているような圧迫感。風間さん?その名を呼ぶ声は、何故か出なかった。 「相手の大技を待って姿を隠し、囮の三匹が気を引いて影役のチビが斬りかかる。……頑張ったなあ。工夫したなあ。……いっぱい練習したんだろなあ」 こちらの気を逆なでするようは声色。私は手放しそうになった孤月をしっかりと握りしめる。冷え切っていた身体にはふつふつとした怒りが湧き上がってくるのが分かる。 ……よくも、 「一瞬でも俺に勝てると思ったか、雑魚チビが」 次の瞬間、私の身体は地面を力強く蹴り人型の懐へ飛び込んでいた。誰かが私の名前を叫んでいる。けれど、止まるつもりはなかった。力の限り鎌を振りかぶり、奴の胴体を真っ二つに切断する。水を切ったような、柔らかい手ごたえ。代わりに、建物の床へ鎌の斬撃が叩きつけられ、そこがぼろぼろと崩れ落ちた。やはり、と舌打ちする。 学習しねえサルだな、すぐ耳元でそんな声がした。ハッと息を胸に取り込み、鎌の柄で体を捻らせ方向転換すると、目前に伸びたブレードの切っ先を樋に滑らせて押し返す。 「おいおい、真っ正面から突っ込んでくるか普通。玄人のサルは馬鹿しかいねえのか。それとも何か、大事な仲間がやられて頭にきたか。そりゃ、弱ぇ仲間を恨むんだなァ」 「――殺す」 「あ? ――誰が誰を殺すって?」 素早く後退した私は、周りにハウンドを散らす。 近距離戦が分が悪いのなら、遠距離に変えれば良い。私にはハウンドがある。どこかにあるトリオンのコアを破壊するならむしろこちらの方が当たりやすいはずだ。蜂の巣にしてやる。 《菊地原、歌川、援護》 《了解》 《行くよ、1、2――》 《やめろ》 《なッーー》 《三人とも引け》 二人に指示を下し三方向へ飛び出そうとした私達は、風間さんからの通信に足を止めた。三上による通信に乗せているようだ。 《何で止めるんですか!》 《アタッカーは、そいつの液体化トリガーとは相性が悪い。ブレードは不利だ》 《でも伝達能か供給機関のどちらかを叩けば倒せるはずです》 《歌川の言う通りですよ。あたしにはハウンドがあります。まだやれることはある》 《俺のやられた正体不明の攻撃もある。不用意に戦えば無駄死にだ》 《ムカつくんですよコイツ。このままじゃ引き下がれないでしょ》 そうだ、風間さんを侮辱された以上、ただでは引き下がれない。菊地原の返答の後、通信機の向こう側から微かな溜息が漏れた。諏訪隊の笹森はお前らより聞き分けがあったぞと。菊地原と歌川は、そこで我に返ったのがわかったけれど、ああ、笑ってしまう。そんな話がどこに関係あるというのだ。 《日佐人のときとは状況と実力が違いすぎます。こいつはここで押さえておかないと被害が拡大しますよ。だいたい、他の奴のことなんて私の知ったことじゃないです》 《そうか。好きにやりたいならそうしろ。そこでお前達の仕事は終わりだ》 《……。終わるかなんてやってみないとわからない》 《呆れたな。やらないと分からないほど相手の力量も図れない奴だったのかお前は》 ぐ、と私は唇を噛みしめる。その横で歌川が遠慮がちに私へ目配せをした。人型もいつまでも待ってはくれない。 《先輩、一度離脱しましょう。風間さんの言う通りにするべきです》 誰が。 私は鋭く息を吐いて鎌を肩に担ぐ。ここで諦めたら、自分の存在価値がわからなくなる。私は、私の命の原動力は、あの日からずっと、ただ一つなのだから。 《良いよ。逃げたいなら二人で逃げれば良い》 《ちょっと、先輩》 《もう良い、菊地原、歌川。放っておけ。命令も聞けずにいっときの感情に振られる奴はこの後の戦いで足手まといだ。そんな奴はうちの隊にはいらない》 私が鎌を大振りして旋空孤月を繰り出したのと、風間さんがそう言ったのはほぼ同時だった。私の心には、聞く耳を持たぬ自分と、酷く動揺するふたつの意識があった。だからかは、わからない。旋空の半月状の斬撃が、間違いなく揺らいだ。人型に届く前に、かき消えてしまいそうな程。トリオンが精神に左右されるなんて聞いたことがない。 続け様にハウンドを打ちだそうとした瞬間、横から足元を掬われて私は大きくバランスを崩した。 「――なっ」 「行くよ、」 「ばか、やめっ、」 足を払ったのは菊地原だ。私を素早く担ぐと、歌川と共にビルから飛び出した。逃げ出す瞬間、人型の口元が弧を描いたのが見えた。揺らいでいる心が掻き乱される。己の弱さを見透かされたような気になる。 ぐんぐんと人型近界民から遠ざかってゆくが、奴が追いかけてくる気配はなかった。やはり私達を足止めするのが役目なのか。どうであってもそんなことは関係がない。私は菊地原の背中を力の限り殴り身をよじる。 「ッお前ら何やってんだ! 離せ!」 「暴れないで下さい。今は一度引きましょう!」 「私は、二人で逃げろって言っただろうが!」 「あんたが暴走したら止めるように言われてたし」 「でも、私は……!」 「これ以上命令に背いたら本気で風間隊から追い出されるかもよ」 「だって」 「いい加減にしろよ」 下ではあちこちで建物が崩落し、戦闘が繰り広げられているのが見える。そばの廃マンションの屋上に足をつけると、菊地原は私をそこへ投げ出した。おい、と歌川が菊地原を諌めるが、彼は私から目を逸らさない。「」と菊地原が私の名前を口にした。 「自分ばっかり被害者面するなよ」 「きくちはら、」 「あんなこと言われてムカついてんのはあんただけじゃないんだけど」 「……」 「僕らがチームだっていうこと、忘れないでよね」 菊地原の口から出たチームという言葉が、嫌に胸に深く突き刺さる。 私は彼をゆっくり見上げると、彼は一度本部まで退くよとまるで異論は認めないとでも言うような強制力のある声色で言い、私は微かに頷くことしかできなかった。 ( 171119 ) |