第二次大規模侵攻時の話02
先輩が地面を蹴った瞬間、周りの空気がピンと張りつめた。 息をつく暇もなく、そばにいた先輩の姿は数メートル先にあり、孤月の刃が振りかぶられ、新型の首元に深く突き刺さる。先ほどまでとは違う、確実に手応えのある破壊音を両耳が捉える。思わず息を飲む。 地を揺るがす程の威力が打ち込まれただけあり、自ら外へ逃がしきれなかったパワーを受けて孤月の勢いに流されるように、柄を支点にして先輩の身体が空へ投げ出された。新型の腕が体勢を崩した彼女を捕まえに伸びる。そこへ風間さんのスコーピオンが割って入った。僕や歌川も遅れず、新型を牽制しにスコーピオンを振った。 《待て歌川、菊地原、下がれ!》 脳筋のそれとは異なり、僕の刃は案の定うっすらと傷をつけただけだった。相変わらず硬い装甲に僕が眉をしかめたところで、風間さんの声と共に背後に現れたよく知る殺気に息を呑む。振り返ることすら憚られて、二人揃って弾かれるように左右に飛び退いた。新型の足が軋み、それもまた後ろへ下がる。直後、鎌の刃先が鼻の先をかすめた。かわされた斬撃は地面を破壊した。爆風とも言える捲き上る土煙と共にコンクリートの破片がこちらまで飛ぶ。あと一歩横へ飛ぶのが遅かったら自分も鎌の餌食であったかもしれない。 煙の向こうに先輩が見えなくなる寸前、見えた彼女の口元には薄く弧が描かれていた。ぞっと背中が粟立つ。 「……。相変わらず、破壊力が格段に上がりますね」 「ああ、さすがうちの火力だ」 「まるで獣だよ」 風間さんと歌川の隣まで後退すると、歌川が感嘆を漏らした。 先輩は、かわされた攻撃などまるでなんとでも思わないかのように、身体の浮いた状態から体勢も立て直さずに、そのまま鎌を横に大振りする。ガン、と刃先が新型の耳を削り取って行った。 あんな無茶苦茶な攻撃なんて普通ならあり得ない。僕はもう一度、獣だ、と呟いた。 先輩の集中力は、人並外れていた。 特に戦闘に関することにかけては、特に常軌を逸している。しかし本人は自分にリミッターでもかけていたのか、そのことにしばらく気づいてはいなかったし、恐らくボーダーの中で最も彼女と行動を共にしていた僕でさえ、そのことを知らなかった。このことを初めに指摘したのは風間さんだ。持ち前の鋭い観察眼によるものなのか、それとも他に何か理由があったのか、風間さんは、先輩の並外れた集中力を戦闘の下へ引きずり出すことに成功した。 しかしそれは、とても使い勝手が良いと言えるものではなかった。 今の状態からもわかるように、先輩は一度集中すると、防御と味方という概念がなくなる。敵以外のものは、壊してもいい障害物くらいにしか思っていないし、どんなに不利な体勢でも一撃を食らわすことしか頭にない。 「味方がいてもそこに突っ込んで来るのはやめて欲しいですよ。さっき顔がえぐられるかと思いました」 「今のあいつの頭には敵を倒すことしかないからな」 「ほんと脳筋」 斬撃の爪痕が残る地面を一瞥して言った僕の台詞に、歌川が顔を引きつらせたけれど、彼も似たようなことを思ったのか、何も言うことはなかった。 すぐに鎌がコンクリートを破壊する音がして、僕は顔を上げた。 もともと、今先輩が使用している改造孤月は、振り回すには少し重くできていて、全力で振るうとどうしても身体がそれに釣られて、バランスを崩しやすくなる。だから普段、先輩は7割程の力にセーブして使うようにしているけれど、一度本能を剥き出しすればそれすらコントロールできなくなるようだ。先輩は自分の攻撃の勢いに振られてあちこちに身体が投げ出される。けれど、代わりにどんな体勢からでも破壊力の高い次の攻撃が繰り出された。それが、先輩と連携が取れなくる代償に僕達が得るものだ。 要するに使う相手を選ばなければ不利益しか生じない扱いに困る代物で、僕達の連携も普段以上に重要になる。先輩の間合いにできるだけ入らないようにしながら、敵の攻撃をいなし、先輩をカバーすることが徹底される。 練習はいやという程繰り返されて、最近ようやくまともに扱えるようになったくらいだ。風間さんの許可が下りなければできない。 先輩の旋空孤月の流れ弾がこちらに伸びる。それをかわすために地面を蹴ったところで、鎌が一番装甲の硬い背中へ叩きつけられ、白い身体はそのままコンクリートへ串刺しになる。鎌と鉄が擦れるようなギィギィと耳障りな音がした。 「ほんと、暴力的な音だよ」 誰よりもそういう音を作るのが彼女だ。 そんなことを考えたのは束の間で、僕はすぐに新型との間合いを一気に詰めて、スコーピオンをコアへと突き立てた。 途端、吹き出したトリオンに、新型が沈黙する。ぷつりと、張り詰めていた緊張の糸も一気に緩み出す。数秒様子を見てから「風間さん、動く気配はないです」と僕が言った。 「よし。菊地原と歌川は諏訪の状態の確認だ」 「了解」 新型に一瞥をくれた風間さんは、僕と歌川にそう指示を出した。僕は、新型の傍に降り立った歌川の隣で、風間さんの方を見ていた。彼は新型を倒した瞬間に、電池が切れたようにその場に倒れこんだ先輩へ近づいていき、彼女の顔を覗き込んでいた。 「大丈夫か」 「はい、は元気ですよ」 「気分は」 「さあて、トリオン体ですからね。通常通りです」 ここからでは表情は見えないけれど、そんなやり取りをしてから、先輩が笑ったのが声でわかった。それから、彼女は身体を起こして、こちらへ視線をやる。歌川は、トリオン兵にスコーピオンを突き立てて腹をこじ開けようとしていたから、それには気づいていなかったが、僕は先輩と目が合った。ひらりと、彼女の右手が小さく上がり笑う。 なんで笑うんだよ、と思う反面、その顔に安堵としている自分がいた。おかしな話だ。いつも飽きる程見ているのに、どうしてそんなふうに思ったのだろう。 「ていうか、さっきまで、新型もろとも殺そうとしてた人が何のんきに笑ってるんだか」 「……ん、なんの話だ?」 「別に。歌川には言ってないし」 僕は肩を竦めてこっそり息をついた。 先輩はいつだって、能天気だ。 鎌を振るう時は、確かにゾッとすることはあったし、間違いなく強いけれど、戦闘から離れた先輩からはそんなことは感じない。いや、今までずっと感じなかった。だからC級ごときに舐められて陰で馬鹿にされるのだと思っていたし、それを知っていても彼女はまるで他人事みたいにのんびりしている。 そんな先輩が、僕はとても嫌いだ。だけど、僕の知らない先輩を風間さんが引きずり出した。風間さんは、まるで初めからそれを知っていたみたいに。 先輩は、ボーダーの誰もが認めるように本能で動く脳筋だけれど、風間さんの呼び起こした獣みたいな先輩は、それとは少し違うように思える。圧倒的な強さをこっそり隠している先輩は嫌いだったはずなのに、この先輩も、どういうわけか好きにはなれない。 「菊地原って勝っても全然嬉しそうな顔しないよね」 「勝って当たり前の相手に勝っても嬉しくないのは当然でしょ」 ようやく新型のそばまで来た先輩は、風間さんに同意を求めながら、僕の頭にぽんと触れた。 嬉しいものか、と思う。新型討伐一番乗りは嵐山隊だし、そもそも一対一ならともかく、僕達が四人がかりでトリオン兵に負けるわけがない。 「別に競争しているわけじゃない」 「そりゃそーですけど」 口をとがらせてそう答えると、歌川が新型の腹から、トリオンキューブの様なものを取り出した。どうやら中に諏訪さんはいないようだ。 風間さんは、この中に諏訪さんが圧縮されているのだろうと見立てていた。まあ、救い出すまでは僕達の仕事だけれど、そこから先はエンジニアの仕事だから、正直どうでも良い。 「そんなことより、さっきなんかドカドカ食らってましたけど、大丈夫なんですかね、本部」 僕はそう言って、遠くに見えるボーダー本部へと視線を移した。先輩が新型と対峙している間、本部はイルガーの爆撃を何発も受けているのが見えていたのだ。本部は崩れてはいないにしても、爆発を受けたような跡は痛々しく残っている。 先輩は、不意に短く声を漏らした。 「えっ、なにあれどうしたの本部」 「はあ、爆弾みたいなの食らってたの気づかなかったわけ」 「全然。いつ」 「先輩が馬鹿みたいに鎌を振り回してるときだよ」 「本部は大丈夫なの?」 「だからそれを今聞いたんでしょ」 見た限りでは、崩れているわけではないし、特に大きな問題があるわけではなさそうだけれど。 風間さん、と先輩が彼の方を見る。 「問題ない。本部には太刀川や当真がごろごろしている。いざとなれば忍田本部長もいる」 「……皆が忙しいときに呑気なもんですね」 先輩が言うと、風間さんが小さく笑った。この状況で、この空気も随分呑気であるように思うが。 まあ、本当に必要なときは、あの迅さんが動くはずだ。 キューブを回収して、呼び出した諏訪隊へそれを引き継ぐと、僕達はまたトリオン兵を一掃しながら進み始めた。 先輩は全力を出し切った後であるだけあって、疲弊しているようにも見えたが、攻撃の手が緩むことはなかった。 「あのさ、先輩って、リミッター外したときの記憶とかないの」 モールモッドを真っ二つに切断した先輩に、僕は不意にそう尋ねた。本部の爆撃に気づかなかったこともあったので、ちょっとした興味だった。 側の兵に着地した彼女は、少し面食らった顔をして、それから首をひねる。 「うーん、ぼんやりなら覚えているような」 「どういう仕組みなのそれ」 「私が知りたいけどね」 先輩がグラスホッパーで跳ね上がった。身体を捻らせて、バンダーの脳天へ鎌を叩きつける。 「のコレは特殊な能力だ。宇佐美に調べさせたが、これでトリオン能力が高ければサイドエフェクトと認定されていてもおかしくない」 話を聞いていたのか、風間さんが答えた。 つまり、トリオンが絡まないので一般人が持てる程度の能力であるにせよ、その中でも超人クラスの潜在能力ってやつなんだろう。 納得しながら、コアを破壊されて動力を失ったトリオン兵がこちらに倒れてきたので、僕はそれをかわして側の家の屋根へ降りる。 「サイドエフェクトとして位置付けるなら菊地原と同じ強化五感になるんでしょうか」 「五感というか、……強化直感と言えるなら、六感になるだろうが、そういう括りになるのかもしれないな」 「ていうか先輩のトリオンってかなり少ない方だし、サイドエフェクトになることはまずないんだから一緒にしないで欲しいんだけど。そんなこと考えたところでって感じでしょ、って、あぶな」 横から先輩の拳が突き出されて、僕はそれを後ろに飛んでかわす。先輩がそっとため息をついた。 「菊地原って私をイラっとさせるのが上手いよね。私のこと大好きなのかな」 「先輩も僕を苛つかせるの上手いよね」 「そう? なんでだろう」 菊地原のことが好きだからかな。こちらに背を向けていた先輩は振り返ると大真面目な顔をしてそう言った。 口癖のように毎回似たような切り返しをされる。決して冷やかしたり、冗談交じりに言うのではなくて、さも当たり前のように真顔で言うから厄介だ。自分は誰かに取り分け好かれるような人間でないことをよく知っている。別に、哀しくないし、馬鹿なやつらと群れるよりは一人でいる方がずっと良い、と、思っていた。そもそも今は風間隊があるし。 だから、そんなふうに感情をまっすぐぶつけられると、どうして良いかわからなくなることがある。すごく、胸がこそばゆくなるのだ。 でも、最近はわからなくて良いと思うようになった。先輩は馬鹿だし、脳筋だし、そんな人を理解しようとするだけ無駄だ。 歌川と連携して、迫ってきたバドを落としながら、僕は鎌を肩に乗せる先輩の背を一瞥してそう思った。 そうしてアフトクラトルの人型が現れたのは、三体目の新型を倒した直後だった。 どこにラッドが潜んでいたのか、突然開いたゲートから姿を見せたのは黒いマントの、人相が悪い男だ。片目が真っ黒に染まっている。いかにも悪役ヅラだ。 「うわー、人型来ましたよ、風間さん」 僕が言うと、風間さんが頷く。 「ああ、しかも黒いツノ。俺達は当たりのようだ」 「強気の風間さんSO COOL!」 「先輩うるさい」 大した余裕だと思う。 きっとC級やB級じゃあきっとこうはならない。自分のことながら、もう少し緊張感を持っても良いような気がしていたが、負けるなんて、少しも頭になかった。 けれど、どう言うわけか僕はこのとき、何と無く嫌な予感がしていた。 勝敗のことなのか、もっと別の何かなのか、どちらのことかはわからなかったけれど。 ( 170505 ) |