第二次大規模侵攻時の話05





米屋と緑川の五本勝負が終わったのがと別れてから三十分後くらいで、風間さんからの言伝をへ伝え忘れたのを思い出したのもその頃だった。俺は彼女が作戦室にいると踏んで、米屋たちをブースに置いて風間隊の部屋を尋ねた。中にいたのは菊地原だけだった。彼はソファに寝転んで、本を読んでいた。彼がそうしているのをこれまでも何度か見かけたことがある。多分そこが彼の定位置なのだろう。

先輩でも探しに来たの」

本から顔を上げるまでもないといったふうに、菊地原は言った。「ああ」と短く頷く。

「あの人なら多分ここにはしばらく来ないですよ」
「はあ、何でだよ」
「へそを曲げてるからだよ。子供みたいにさ」
「何かあったのか?」
「さあね」
「さあねって……」

起き上がって、本を閉じた菊地原は大袈裟に肩を竦める。実際は事情を知っているのだろうが、説明をするのを面倒がっているようにしか見えなかった。「そろそろ風間隊クビかもね。うるさかったから清々するよ」なんて枕にしていたクッションをいじっている。いつもの憎まれ口だろう。それにしたって、さっきからボーダーをやめるとか、クビになるとか、どうしてそんな話ばかり出るのだろうか。

「まあいいや。に会ったら風間さんが探してたって伝えといて」
「それは無駄だと思いますよ」
「無駄?」
「あの人は昔から、風間さんと適切な距離でいれたためしなんて一度もないから」

それは、昔のは風間さんを酷く嫌っていた、という話だろうか。何だかその頃のことはあまり覚えていない。確かにぎくしゃくはしていたような気がするけれど、今のの印象が強すぎて、もはや想像がつかなかった。太刀川さんもたまにその頃の話はするけれど、いまいちしっくりこない。

「あ、もしかしてあいつ風間さんと喧嘩でもしたのかよ。明日は槍が降るな」

俺はそう、からから笑いながら言うと、菊地原の白けた視線が俺を射抜いた。笑いことじゃないとでも言う様だった。すぐさま口を閉ざす。
どうにも菊地原は話しづらい。はとても彼を可愛がっているけれど、普段どうコミュニケーションを取っているのか聞きたいものだ。……と、束の間思ったが、すぐに聞くまでもないという結論に落ち着いた。彼女は人によって態度を変えるようなことはしない。自分が誰かに嫌われるかもしれないなんてことを、恐らく少しだって考えはしないのだ。菊地原に少しだけ同情した。
俺は風間隊の部屋を出た後、自分の隊の作戦室に向かった。どうせ米屋や緑川はもう少し模擬戦をやっているだろうし、太刀川さんならと風間さんの話を教えてくれるような気がした。あの人は授業がない日は基本的に隊室で餅を焼いているかゲームをしているかだ。作戦室の扉を開けると、そこには案の定ゲームをしている太刀川さんとどういうわけか探していたの姿があった。は太刀川さんの隣で膝に顔をうずめていた。

「おう、出水か」
「太刀川さん、今どういう状況」
「これから8面のボス戦ってとこ。もう残機が3しかない」
「そうじゃなくてなんでがここにいるのかって聞いてんですよ」
「知らん」
「知らんって……。おい、……」
「私は今日から太刀川隊に入るのでよろしく出水」
「はあ……?」

顔を上げぬまま、手だけが伸びる。意味が分からない。助けを求めるようにもう一度太刀川さんを呼ぶと、彼は代わりに「お前なんてうちにいれないぞ」とへ言葉を返した。

「なんで」
「A級三位に捨てられるような弱いコマはうちにいらない」
「……たしかに」
「……納得しちゃったよ。マジで意味わかんね」

そもそも捨てられたって何だ、と眉を顰めると「風間さんだよ」と太刀川さんが答えた。どうやら風間さんに隊を追い出されたというのだ。
話の大筋はこうだ。大規模侵攻時、角付きネイバーと対峙した際に風間さんから撤退命令が出ていたにもかかわらず、それを無視して攻撃をやめなかった。最後は菊地原と歌川に引きづられるようにして本部まで戻ったらしいが、一歩間違えればあの時点で菊地原と歌川の戦力までもが失われることは目に見えていた。そのことで風間さんにお叱りを受けたらしい。それから彼女は風間さんを避けるようになり、俺が訓練室でと別れた後、再び風間さんとひと悶着あって脱隊の話をしたのだとか。つまり俺はをわざわざ探さなくても良かったというわけだ。

「風間さんのことで落ち込んでるのはわかったけど、わざわざ脱隊することはないだろ」
「でも風間さんは私と同じチームにいたくないだろうから」
「はあ? 風間さんがそう言ったのか?」
「言ったよ。やめろって」

横目でを伺うと、彼女はいつの間にか顎を膝の上に乗せて顔を上げていた。つまらなさそうな瞳が、テレビゲームの画面を映している。
彼女の鼻頭が少し赤いのは、泣いたせいだろうか。風間さんから言われたことを、随分気にしているようだ。

「それにしたって、そんなこと言うなんて風間さんらしくないけどな」

確かに、は身勝手に動くことはある。今回も一歩間違えればボーダー側の戦力を大きく削る状況を招いたかもしれないが、結果的にはそうならずに済んだ。だから良いという話でもないけれど、チームから追い出す程のことだろうか。

「引けないときもある」

が言った。静かだけれど、強い意志を感じる言葉だった。

「引いたら、私は何のために生きているのかわからなくなる。そう言ったら、やり方が気に入らないなら出て行けって」
「……ああ、何だよ、別に追い出されたわけじゃねえじゃん。てっきり一方的に脱隊を言い渡されたのかと思ったわ」
「同じだよ」

は画面から目を逸らさなかった。睨みつけるように、ゲーム画面を見つめていた。
ゲームの中で剣を振りかざしていた騎士のようなキャラクターが火を噴く竜に焼かれてしまう。太刀川さんは、こちらの話なんて少しも聞いていないふうで、「また死んだー」と大きくため息を漏らしていた。
後から来たのは俺達なので、彼のしていることに口を挟める立場では無いのだけれど、それにしてもあまりにもこちらの話に無関心を極めている。

は、風間さんの指示に納得してないのか?」
「ううん、風間さんはいつだって正しい。理論的で合理的だ。人や物事を正しく評価する目を持ってる」
「なら名誉挽回すれば良いだろ」

不服でないのなら辞める必要はない。たとえ今風間さんを怒らせていたとしても、数日真面目に仕事に取り組んでいれば、またいつも通りの関係に戻れるはずだ。
の実力は、今回のことくらいで、チームから切り捨てるには勿体無さすぎる。風間さんがきっと一番よくわかっている。
「そんな簡単な話じゃない」とは零した。簡単な話だろ、と口を突いて出る。謝って、反省して、次に繋げれば良い話だ。

「やめたいならやめさせてもらえる隊員なんて、いらないのと同じだ」
「そうかもしんないけど、今回のは言葉の綾って言うか、絶対風間さんだって本気でやめるとか思ってないって」
「どうかな」

は薄く笑った。まるで、出水には何を言ってもわかるはずがないと諦めたような顔だった。彼女は時折、あらゆる物事に対してこんなふうに一線を引く。俺はいつだって線の向こう側の人間だ。その境界を踏み越えていける人間は、数える程しかいない。
じりじりと苛立ちが胸をかきまわすようで、今にも余計なことを言いそうだった俺はひたすら押し黙った。
俺からすれば、どう考えても大した話なんかではないのに、彼女をここまで追い詰める理由が少しもわからない。

「――私の命の原動力」

顔を膝に埋めたが、ぽつりと呟いた。意味を聞き返そうとしたが、遮るように作戦室の扉が開いたのはそのときだった。開きかけた口を閉じて釣られて顔をそちらへ向けた俺はそこにいた菊地原と束の間視線が絡まるが、すぐに逸らされた。

「そーら、ようやく迎えが来たな。菊地原、このいじけ虫連れてってくれ」

太刀川さんがコントローラーを放り出してソファへ身体をだらしなく預けながらそう言った。は菊地原を見つめたまま、立ち上がる素振りは見せない。

「別に迎えに来たわけじゃない」
「じゃあ何しに来たの」

が尋ねた。どこか寂しげな声色だった。

「先輩、この前僕が模擬戦付き合ってあげたら代わりに飲み物奢ってくれるって言ってたでしょ。先輩が風間隊を抜けて約束をなかったことにされるの嫌だし、今奢ってよ」

きっと、本当は、菊地原はを迎えに来たのだろう。風間さんとは関係なく、菊地原自身の意思で。今、の側にいて、彼女の話を一番わかってやれるのは、彼なのだろうと思う。多分、菊地原は彼女が引いた一線を踏み越えていける一人だ。
それにしても不器用な連れ出し方だと思っていると、菊地原が「」と彼女の名前を呼んだ。時折菊地原が彼女をそう呼ぶことは知っていた。それなのに何故かどきりとする。はしばらく菊地原を見つめてから、やおら立ち上がった。

「わかった」


二人が出て行ってから、太刀川さんは再びコントローラーを手にして竜の討伐に繰り出した。俺は扉の向こうへ意識を向けたまま、意図して大きなため息を零した。

「まじでやめるつもりなんすかね」
「あー?」
ですよ。風間隊」
「さあな」
「あいつは風間隊を抜けたら、きっとボーダーも抜けちまうような気がする」

が冗談だと笑った仮装訓練室での一言が、頭をよぎる。太刀川さんは、まともに話す気がないのか、さあな、と同じ台詞を繰り返したので、俺は横目で彼を睨んだ。

「太刀川さん」
「何だよ、今俺は忙しいんだよ」
「俺は真面目に聞いてるんですよ。本当に辞めちまったらどうするんですか」
「んなの、どうもこうもねえだろ」

そう、どうもこうもない。本人の意思ならば。まったくその通りなのだけれど、俺がもう一度太刀川さんの名前を呼ぶと、彼は肩を竦めて渋々ゲームの画面を消した。あーもー、と子供みたいに不機嫌そうな声を上げる。

「ったく。やめないだろ、たぶん」

と太刀川さんが投げやりに言った。

「なんで」
「菊地原がやめさせねえよ」
「菊地原が引き止めるってことですか。菊地原ってそういうキャラでしたっけ」
「……つうか、あいつらはお互いが揃ってないと多分ダメな奴らだし」

つまり、互いに依存し合っているということだろうか。が菊地原のことが好きなのはよく伝わってくるけれど、逆はいまいちしっくり来ない。少し考えてから、どういう意味かと問うたけれど、太刀川さんは退屈そうに欠伸をしただけで、教えてはくれなかった。そもそもこの人は理屈がある上で話していると言うより、感覚的に思ったことを話しているように見えてならないから、教えるような内容もないのかもしれない。

「まあ、菊地原の話以前に、確かにあんなに風間さんが好きなが、風間隊を抜けるとはやっぱり思えないですけど」

太刀川さんは、今度はスマートフォンを指でつるつるなぞり始めた。興味もないのに明日の天気なんかを確認している。この人は……とか思ったが、明日は晴れるそうだ。そりゃあ何よりである。
それから彼は、不意に「風間さんが好き、ねえ」と声を漏らした。

「なんすか。公然の事実でしょ」
「まあ、そうだな。好きなことには間違い無いんだろうけど」

引っかかる言い方だ。
これまで、が風間蒼也に好意を寄せているという事実を疑ったことなんてないし、きっとボーダーにいる全員もそうであるはずだ。風間さんに対するあの盲信ぶりを見ていれば、今更そこに思案する要素などないように思う。

は風間さん中心に生きてるようなもんでしょ。今回のことだって、風間さんが本当にに出て行けって言ってたら、あいつは風間さんの望むように黙ってそれに従うと思いますけど」
「それは違うだろ」
「はあ、どこがですか」
のやってることは風間さんのためじゃなくて、全部自分のためにやってるんだよ」
「はああ、いやいや、意味わかんないですって。風間さんのためなら命だって惜しくなさそうなですよ?」

ぎゅ、と太刀川さんの眉間に皺が寄る。これは説明したくない、という顔だ。この人はすぐ面倒くさがる。

「太刀川さん、意味深なことだけ言って逃げるのはなしですよ」
「あのな、お前、俺よりと仲が良いし、学校じゃ同じクラスなんだろ。普通お前の方がのこと詳しいんじゃないのか。何で俺に聞くんだよ」
「太刀川さんが俺の知らないこと言うからですよ。それに太刀川さんなら、風間さんから色々聞いてるような気ぃするし」
「色々って何だよ」
「色々は色々」
「……」

太刀川さんの言うように、間違いなく俺の方がと仲が良く、知っていることも多いと思っていた。でも、俺の中のと、太刀川さんの中のがことごとく違っているのだから仕方がない。しかも、自分の知るより、太刀川さんの知るの方が、きっと真実に近いような気がしてしまう。
彼は頭をかくと、観念したように、なんつうか、と口を開いた。

「あいつは、風間さんが大事なことにはきっと変わりはねえんだと思う。大事で、風間さんを守ろうとしたり、望むように生きてる。でも、違うんだよ。そもそもの考え方が」
「はあ」
「大事だから守ってんじゃない。守りたいから大事ってことにしてるっつうのかな」

言っていることは、何となく理解できた。
主体となる部分が、普通と異なっているということが。
太刀川さんは、は、大事なもののために守る行為が必要になるのではなく、守るという行為そのものを行うために大事なものを必要としているというのだ。

にはそういうのが必要だったんだよ。だから、風間さんがそれを買って出てるんだろ」

なら、は、守るという行為のために、わざわざ大事なものを作って、『たかが、その大事なもの』のために命だって差し出すような気持ちでいるって、そういうことなのだろうか。
そんなの、おかしいだろ。

――私の命の原動力。

ああ、そういう意味だったのか。
俺は、の言葉を反芻して、再び、二人の消えた扉の方を見やった。




本部
( 180513 )
4か月ぶりの更新でした。へい。