タマガタワーでの攻防の話03
最上階に近づくにつれ、今まで私達がいたところに比べて幾分か荒れ具合は落ち着いているように感じられた。それでも各階の非常階段の入り口からはフロアに大型が何体もいたのは確認できたし、こちらへ攻撃してくるものもいた気がする。今はそれどころじゃなくて相手にしなかったけど。 私達はそれらをどうにかかわしながら、恐らくトリオン兵の手が進んでいないと思われる最上階へと急いでいた。トリオン体が息を切らすことはほぼあり得ないし、この身体はただの作り物だから、脈動なんて感じるはずもないけれど、今は確かに心臓が私を急かすように跳ねている気がしている。 そのときだった。突然、最上階の方から銃声が響いた。普通ならあり得ない話だろうがボーダー隊員なら、普段からごく当たり前のように聞いている音。 出水と顔を見合わせる。再び銃声。続けて「非常階段を閉鎖しろ!」と、それこそまさしくよく知る人物の声が私達の耳に入ったのだ。 「は、はい!」 指示に反応したのは古寺であると声で分かった。私達は踊り場に差し掛かり、方向転換をはかると、そこには今まさに非常階段の扉を閉じようとしている彼のその姿が見えた。私はひゅ、と息を呑む。 「っ待て待て待て待てエエエ!!」 「な、出水先輩と先輩!?」 「扉を開けろ!!」 半ば怒鳴りつけるように叫ぶと、古寺は弾かれたように閉じかけていた扉を開き私はグラスホッパーを強く踏み込んだ。そうして二人でそこへ飛び込むような形となり、勢いのついた身体は、バランスを崩しそのままフロアの床へ叩きつけられ肩から倒れた。私の手から投げ出された出水もフロアに転がっていく。痛そう。 それからギリギリで回る思考で、私は咄嗟に後ろ足で半開きの非常階段の扉を蹴り飛ばすと、それは小型の蜘蛛が入り込むすんでのところで封鎖された。 「っ……はあああ……」 「死ぬかと思った」 「私はもう死にたい……」 二人で床に倒れこんでいると、「何でお前らがこんなとこにいんだよ」と米屋が不思議そうにやってきて私達を見下ろした。それはこちらの台詞である。三輪隊の出動要請でも出たか、その割には奈良坂がいないけれど。怪訝に思いながらも身体を起こすと、周りには先程上の階へ逃がした客がちらほらと伺えたので、客を上に逃すという私達の選択は間違いではなかったことにひとまず安堵した。 それから、もう1つ気づいた点で言えばエレベーターの前には、あの大型トリオン兵の残骸があった。殺せたのか、と問いたかったが、その前に周りの客は突然現れた私と出水に困惑しているようだったので「あ、ボーダーです」ととりあえず二人で簡単に手を振っておいた。 「なるほどな。下にもボーダーがいたと聞いていたが、お前達だったのか」 「いかにもかくにも。偶然出水とここに来てたんだけど、まさかこんなことに巻き込まれるとは」 「……ここに来てた、って……お二人で、ですか」 「何で古寺が照れてんの。別にデートじゃないよ。ね、出水」 「な、当たり前だろ!」 「歴史博物館見に来てたの」 「なんだ俺達と一緒じゃん」 米屋の台詞に、あ、真面目に課題をやる気だったのか、と思う。でも古寺と三輪を巻き込んだんだな。 「ところで、あれは倒したの?」 私は立ち上がってエレベーターの前で潰れている蜘蛛を顎でしゃくると、三輪が頷いた。 どうやら、どこから現れたのかは知らないが、あのトリオン兵が突然エレベーターの扉をこじ開けて襲いかかってきたのだとか。奴もやはり再生能力を持っており、それでもどうにか倒したという。状況は大体私達と同じだ。とはいえ、私達は完全に四方を囲まれていたけれど。 「これからどうする」 「こっちの戦力としては申し分ねえんだけどなあ。再生されちまうと手も足も出ねえっつうか」 「そういや、俺らがここに来るまでに人が何人もまゆ玉みたいなのに捕まってるのを見たぜ」 「どこかに運んでいるみたいだった。助けたかったけど、殺されてないみたいだしとにかく体勢を立て直す方を優先したけど」 どうする、と三輪を伺ったとき、ふいにエレベーターの中が騒がしくなり、私は米屋とふとそちらへ目をやった。エレベーター自体は数階下で止まっているのが確認できる。どうかしたか、と問う三輪に、「うん……?」と曖昧な返事を寄越しながら、私が扉の隙間からふと視線を横の壁に移したときだった。 「――っ!!」 「どうした」 「いいいい、いるいるいる!!」 「何!?」 大きく後ろに下がると、私はたまたまそばにいた三輪に飛びついた。私が振り向いたその目の前にはシャフトの中をぞろぞろと這い上がってきていたらしい無数の小型トリオン兵がいたのだ。「勘弁しろよ!」「米屋早く閉めろ!」「分かってる!」お前も手伝えみたいな顔をされたが、ひとまず米屋が慌ててエレベーターの扉を閉じた。 「……あああもうどうすんのこれ、三輪!」 「騒ぐな」 「私虫嫌いなんだよ!」 「虫じゃなくてトリオン兵ですよ先輩」 「うるさい騒ぐな古寺」 「……えええ」 「ていうか悪いですけど、後で何でもしますから今回は私、戦力外でお願いしやがれ」 「強気なのか弱気なのかはっきりしろよ」 「そもそもお前はいつまで俺に引っ付いているつもりだ。離れろ」 「そうやって三輪は私に冷たい!」 ブラックトリガーの一件しかり、三輪は銃を持つ方の腕で私を押しのけるので、私はむっと口を尖らせた。ていうかどうせこの場の指揮は三輪がとるのだろうし、私がどうであれ三輪は私を信頼して頼ることなどするはずもないのだから、中途半端にチームに加えられるより今回くらい本格的に戦力から外してもらった方が良い。 まあまあ、と古寺に宥められながら、私達はふとタワーの外へ目をやった。いつの間にか、タワーの下には警察や救急車などがずらりと待機している。「おい」三輪が声を上げた。 「今本部と連絡が取れた。現状は既に伝わっているらしい。月見と奈良坂がもうすぐこちらへ到着するそうだ」 「本当ですか……良かった」 「どう動くかは月見からタワーの状況を聞いてから決める」 「おーさっすが秀次」 蓮さん達と連絡が取れたのはそれからすぐ後のことだった。『無事で良かったわ』と零す彼女の声に、私は月見シックになりかける。蓮さんに、あいたい。 『ところでさんは大丈夫?』 「大丈夫じゃないです。帰りたいです」 『いつもの喧しさはどうした』 「お黙り奈良坂。ていうか本当なら私は今頃風間さん達と合流してるはずなんだよ。心ばっきばきに折れてんだよ察しろ」 『そのことなら風間さんにはこの件はきちんと伝わってるから大丈夫よ。蜘蛛型のトリオン兵と交戦してるって話をしたら、情けない戦い方はしないようにって伝言を預かったわ』 「なん、だと……」 「アタッカーなのに遠距離攻撃に転じるってこと既にやっちゃったけどな」 「余計なこと言うな出水!」 それにしたって風間さんは私の虫嫌いを誰より把握しているはずなのに、随分と酷なことを言いなさる。頑張れよ、と米屋が肘で私をどついた。苦手なものをどう頑張れと。私が渋い顔をしているそばで、蓮さんと三輪は、外と中の情報を共有している。どうやら、私達がいる西棟も、連絡通路で繋がれた東棟もトリオン兵が外壁を守っており外からではどうしようもないのだとか。加えて、携帯端末の反応から、その丁度向かいの東棟の最上階でもまた、私達と同じように多くの人が取り残されていることが分かったらしいけれど、もしかしたら、それは連れさらわれた人達の反応かもしれない。 「そんで? とりあえず東棟を見に行くとして、どう戦う」 そばのソファに腰をかけた出水が三輪を見た。そう、そこが問題だった。向こうは再生能力を持つけれど、こちらのトリオンは有限だ。ベイルアウトもできない。古寺は私の台詞にそうですよ、と三輪へ詰め寄るものだから、出水が落ち着くように彼を諌めていた。古寺の気持ちはよく分かる。だけど確かに騒いでも現状が変わるわけではないもんな。私は騒ぎたいけど。 一体どうすれば、と私もまた三輪へ視線をやると、彼は何かを考え込みながら、妙だ、と零した。そりゃ妙だわ。再生するんだもん。 「違う、コストは一体どうなっている」 「コスト?」 「ああ、再生するだけのトリオンがどこから来てるかってことね」 「そうだ。外壁を覆う多数のトリオン兵と内部の無数の小型トリオン兵。おまけにそれが再生する。膨大なトリオンが必要な筈だがそれは一体どこから……」 『恐らく、人質となっている人間から奪っていると推定する』 「あれ、鬼怒田さん」 『ああ。話は聞かせてもらった』 どうやら鬼怒田さんの話によれば、最近現れている新型のトリオン兵には、直接トリオンを吸い取って使うことのできる性能を持ち合わせているものがいるそうだ。今回のトリオン兵が恐らくそうなのではないかと。 「つまり、東棟の人間は達が見たまゆ玉になって運ばれてる奴で、もしかしたらそれがトリオン兵のエネルギー源になってるかもってことだな」 『そういうことだ』 つまりどうであるにしろ、蜘蛛の巣窟を突き抜けて、東棟に捕まっているであろう人達を助けなければどうにもならないということらしい。とは言えここにいる人達も守らなければならないとなれば、救出組と待機組の二手に分かれることになるだろう。私も出水の隣に腰を下ろす。足を投げ出して遠くに見えるボーダー基地へと目をやっていた。トリオン体なのに、ひどく、疲れた。米屋と出水が何か言いたげだ。だけど、聞かない。たぶん下手な慰めしか出てこないから。 「お姉ちゃんを助けて」 それは唐突だった。私達の視線が、ゆっくりと声の主に注がれる。お姉ちゃんを助けて。お願いだよ。瞳に涙をためながら、少年は私達に駆け寄ってくるなり、そう訴えた。お姉ちゃん、……は、この様子だと逃げ出すときに恐らく目の前で姉が捕まったに違いない。 私も、それから三輪も何も答えなかった。答えなかったけれど、彼はそれを行動で示すようだ。私達を一瞥すると、おもむろにエレベーターの方へ進んでいく。 「おっ、やるか?」 跳ねるように米屋がベンチから立ち上がった。三輪の後を追いかける彼は、通りざまに私の頭を乱暴に撫でて行った。まるで行くぞと誘われているようだ。 「月見。俺と陽介、は東棟の展望室に向かう。ルートを指示してくれ」 『了解』 やっぱりな、とばかりの出水の視線が私へ寄越された。それみたことか! 私は思わず叫びそうになる。こうなると思ったのだ。突撃するのはいつだって私の役割になる。いや、風間隊でそうなったのは殆ど自分の意思ではあるのだけれど。「ほら、ご指名だぞ」出水が私を押し出した。ふらつきながら前に出る私へ三輪が振り返る。彼の瞳はこんなときばかり私をきちんと見据えていた。 「行くぞ」 「……っ私今回は絶対役に立てない自信、ある」 「んなこと言うなって」 「代わりに出水か古寺は、」 「こんな閉鎖された空間でスナイパーにどこから狙撃させるつもりだ。それに、小型がここへ大群で来た場合に弾数の多い出水に守らせるのが妥当だろう。お前に対応ができるのか」 「……分かんないけど」 「一箇所を守り切るわけではなく走り抜けられさえすれば良いのなら、お前のハウンドと俺のバイパーである程度なら対処は可能だ」 「ぐ、」 正論。人員の分配の仕方は妥当だった。わざわざ三輪に言われずとも分かっている。 東棟への空中回廊があるのは30階。そこまではエレベーターシャフトを降りるのが一番早い。つまりあの蜘蛛だらけの中を通るということだ。私はきゅ、と肩をすくめると、あの少年の瞳が私をじっと見つめていた。知り合いによく似ている。たちまち小さく芽生えていた罪悪感が膨れ上がる気がして、私はぐしゃぐしゃと頭をかき乱す。ああ、もう! 「行くよ、行けば良いんでしょ! 分かってるよんなの初めから!」 「よーし、そうこなくっちゃな」 「古寺、出水。お前らはここを死守しろ」 「任された」 「分かりました!」 しようがなく、消していた孤月を掴み取ると、手に重みが伝わった。私のリアルはいつだってここからだ。トリオン体はちっともリアルではなくて、孤月を掴むときに、この重さでそれがきちんと本物に変わる、そんな気がしている。敵をぶった切って粉々にして、それをするだけに必要な重さだ。それをぐるんと体の周りで回転させて、調子を伺う。蜘蛛にビビっているくせに、腕はいつも通りだ。浅くため息を零して柄を肩に載せると、エレベーターの扉をこじ開けるために槍の刃を差し込んだ米屋が、私を一瞥して小さく笑った気がした。「開けるぞ」「え、ああうん」気のせいだったのだろうか。考える間も無く、米屋の槍はエレベーターの扉を開いた。三輪がバイパーを、私がハウンドをエレベーターの中へ放つ。そのまま私達はシャフトへ飛び込んだのだった。 シャフトの中は然程蜘蛛の糸が張り巡らされている様子はなかった。ここでエネルギーを供給されたところで意味はないからだろうか。それならそれで都合が良い。再生もしないまま多くが破壊され、私達は10階下で止まっていたエレベーターの上に着地した。私と米屋がエレベーターの天井を蹴破り、素早く三輪の弾丸が中のトリオン兵を一掃する。そこからフロアへ抜けて、私達は更に非常階段を下り30階を目指す。 「……にしてもひっでえなこりゃ」 「ああ。この短時間でタワーはほぼ壊滅状態だ。それだけ大群で攻めてきたということだな」 「……」 『いいか、3人とも。再生するトリオン兵には目もくれるな。エネルギー源にされている捉えられた客を救出するんだ。目指すべきは東棟最上階。そこが敵の急所だ』 「分かってますって、忍田さん」 通信からの指示に、米屋は軽く答えて、前を塞ぐトリオン兵を蹴散らした。 私達が走り抜けるどのフロアも電気は落ち、加えて窓に張り巡らされた糸のせいで、外界からの光はほぼ遮られていた。薄暗い中で、私達3人の足音が響く。真っ暗なわけではちっともないのに、酷く不気味だ。 ぶ厚い糸の束に足を取られそうになりながら、私は三輪と行く手を塞ぐ蜘蛛達を打ち落としていく。「おーい、生きてるかー」私が黙り込んで一言も発しないので、米屋が私の背中へ問いかけた。 「超生きてるし」 「そりゃ良かった。落ちてんのは気持ち『だけ』みたいだもんな」 「……」 米屋がきっとそこでニヤついたであろうことは見なくとも分かった。エレベーターの前のときと、たぶん同じ顔だ。これで、虫を怖がる上に戦力も落ちるのであれば、私はもしかしたら待機組にいたのかもしれない。しかし残念なことに、なんだかんだで敵を斬り捨てる調子はいつも通りだった。自分でもなかなか図太いとは思う。風間さん効果かもしれない。 やっとのことで連絡回廊に辿り着くと、どこから湧いて出たのか、大型のトリオン兵がずらりと私達を囲い行く手を阻んだ。きゅ、と走る勢いを殺し、そのまま互いに背中を向けて敵と対峙して三方を牽制する。逃げ延びた客の話では、フロアには、小型の他に大型が何体もいたという。私も出水もそれはぼんやりとだが確認している。それでもこんなにいるなんて話は聞いていない。 「っとー、いち、にー……8体かよ、きっつー」 「……更に奥に見える限りで、こちらに加わりそうな4体を確認」 「つまり一人頭4体だな」 「冗談でしょ」 「こんなところで冗談を言ってどうする」 「マジレスすんな」 く、と顎を引いて、私は孤月を構える。 米屋はふいに「しゃあねえな」と口を開いた。 「米屋?」 「こいつらは俺が相手する。お前らは隙を見て抜けろ」 「は、マジか。……お前やるな」 「だろ? 一度やってみたかったんだよ。ここは俺に任せてお前は先に行けってな」 「そしてその後米屋を見たものはいなかった」 「何でだよ、勝手に殺すなっつーの」 「でもそれ死亡フラグだし、」 「おい、お前ら来るぞ!」 「――っ」 三輪の声とほぼ同時に、私達は上に飛んだ。目の前に居た大型の前足が空を切る。切っ先は目と鼻の先にあり、あと一歩反応が遅れていたらたぶん鼻がなくなっていた。それはダサい。 「悪いけど私は米屋に同情してこんなところ残らないからね」 「そこはじゃあ私もってなるとこなんじゃねーの」 「じゃあ死にそうになったら言って」 通信から頑張れって応援する。そう続けると、米屋が「あー、もうそいつ連れて行け秀次」と手をひらひら振った。ここに残さなくても連れて行けば十分盾にはなる、なんて随分怖いことをいう。すると三輪は私に目配せして走り出した。来いってことなんだろう。 「非常階段はこの先だ」 連絡回廊を渡りきると、三輪がバイパーを放つ。そこから逃れて飛びかかる小型を私が鎌で叩きおとした。エネルギーの供給源があるだけあって、西棟より守りは堅そうだ。実際、私達は再びトリオン兵に包囲された。階ごとにこんなことをやっていたらいくらトリオンがあっても足りやしない。 ハウンドをかっ飛ばしながら孤月で敵を薙ぎはらい、それでも再生するトリオン兵に、このあと自分がどうするべきなのか、私には分かっていた。 「この数で再生されたら埒があかない」 「出水も連れてくるべきだったかね」 「それでも結局同じことだ。……くそ、どうすれば」 「私達にはイマイチ突っ切るだけのスピードが足りないんだよな」 斬っても斬っても、再生が速ければ空いた道を駆け抜けることもできない。どうやっても二人では、突っきれないのだ。私はしようがないと、頭を押さえて、「一歩下がるが良いよ」と三輪を後ろへ押しのけた。 「何をするつもりだ」 「黙って突っ込む準備でもしてな。タイミング逃したら死ぬよ」 「、お前、」 私は右足を一歩踏み出し、浅く息を吐いた。それから鎌を斬りあげるように素早く三方へ刃を放つ。 「旋空孤月!」 そうして孤月から放たれた鋭い刃は敵を薙ぎ払い、真っ直ぐと道を切り開いたのだった。 ( 160906 ) |