タマガタワーでの攻防の話02


「今日が短縮授業で学校が早めに終わるのすっかり忘れてたわ」
「俺はてっきり短縮授業だから誘ったのかと思ってたけど」
「単に近場で非番の日が昨日と今日くらいしかなかったんだってば」

目的の歴史博物館は、思いの外広々としていて、資料集めには十分適した場所であった。加えて中では写真撮影も可能だという点もかなりポイントが高い。てっきりタワーのおまけに設置されたくらいのこじんまりしたところだと思っていたけれど、確かに先生が指定するだけあるなと思った。私は入り口でもらった薄いパンフレットをぶらぶらと揺らしながら時計を確認すると、時刻はまだ16時を少し過ぎたところだった。

「結構資料たくさんあったな」
「うん、欲しい資料見つかったし、来て良かった」

レポートが捗りそうだ。
頷いてから、それはそうと、宿題にちっとも手をつけていない米屋はどうしただろうかとふいに彼のことが思い起こされた。私はこの間の日直といい、間の悪いことに今回は掃除当番だったので、放課後はすぐに学校を出ることは叶わなかったのだけれど、ヒカリが言うには米屋は三輪を連れてとっとと帰ってしまったという。私も出水もまったく気づかなかった。

「基地にでも行ったかね」
「え、誰が?」
「米屋」
「あー。今日さっさと帰ったみたいだしな、あり得る」
「課題あるのにここぞとばかりにランク戦やってそう」
「確かに」

それから近くの自販機で飲み物を買って椅子に腰を落ち着けると、私を一瞥した出水が「そんで、この後どうすんの」と言った。もとより、歴史博物館を見に来るのが目的で、お互いそれが終わったらさっさと帰ってレポートを仕上げるつもりだった。しかし、実際のところ、これだけで帰るのももったいない気がする。出水もそう感じたからそう私を伺ったのかもしれない。

「まあ、今日は歴史のレポート仕上げて、とりあえず現国の課題をやります」
「ふーん、俺もそうすっかな」
「最近突然本部に呼び出しくらうことも多いし、やれるときに課題やらないと本当終わらない」
「それなー」
「だけど、だけどね。その前にだよ、出水君」
「ん?」

私はすくっと立ち上がると、タマガタワーのフロアマップをさっと彼の前に広げてみせた。突然のことに、彼はぱちぱち、と何度か目をしばたかせる。私はクレープ、と書かれた店を指ではじいた。ここ、最後にここに行こうと。
ここのクレープは大玉の苺とホイップがたくさん詰まっててとっても美味しいんだって、あと今月はじゃんけんサービスってのをやっててそれに勝つとクレープの値段が安くなるらしいんだけど、それからそれから味の種類が云々……、と私は昨晩リサーチしたことを止め処なく出水に語って聞かせた。缶に口をつけたまま彼の視線が、指と私とを交互に移り、私の話を半笑いで聞いている。「クレープね」と。次にいつここへ来ることができるかも分からないし、せっかくだから観光もしようじゃないか。すると持ち上げられた出水の瞳が柔らかく私を捉えたのが分かった。理由は謎だけれど、彼はたまにこういう優しい顔をする。

「女子ってそういうの好きな」
「へー、出水は別に食べなくても良いんだよ」
「いやばっちり食べるけどさ、つうか、お前これもしかして前もって調べてたやつ」
「下調べは重要だよ、だって今日は遠足だからね」
「そうだったわ」

しかも指定通りきちんと300円で食べられるやつだ。「抜かりねぇな」出水が笑った。
目的のクレープ屋はひとつしたのフロアにあるらしかった。タマガタワーには飲食店や売店が並ぶフロアというのが幾つかあって、そのうちでゆったり飲食の出来る場所というのは、下の階の25階と、それから一番飲食物の種類が揃っている50階のふたつある。出水はフロアマップを眺めて、50階には「パフェもあるな」と呟いていた。確かにそれも捨てがたい。しかし。

「50階まで行くの面倒だし、それに今日のさんの口はクレープの口なの」
「クレープの口って何だよ」
「良いから良いから。しゅっぱー、……ん?」
「どうした」

踏み出そうとした足を元の位置に戻し、私は微かに振動を感じた鞄の中に手を突っ込む。「電話?」「みたい」そう答えて取り出した携帯には《着信:風間さん》の文字で、ふとブラックトリガー事件のときのことを思いだし、きゅ、と身体が強張った気がした。「風間さんじゃん」と出水。もしかしたら呼び出しかもしれない。

「はい、
、俺だ。非番のところ申し訳ないが、隣町で例の新型の出現で風間隊の出動要請が出た。来れそうか』
「あ、はい」
『今どこにいる』
「ええと、隣町のタマガタワーにいます」
『そうか、丁度いい。出動要請はその近くだ。今日は三門市外でネイバーの出現が多発している。急いで来てくれ』
「了解です」

通話を切ると、聞かずともそれが招集の連絡であることを察した出水が肩を竦めて「忙しいよなあ俺達って」とぼやくのだった。確かにここ最近は異常なくらいに出動要請がある。しかも、ゲート誘導装置があるにも関わらず三門市外でだ。
噂では人型ネイバーが三門市の近くに潜伏していると聞いたが、事実は定かではない。上層部と、A級上位の隊長、それからそれに関わる隊員くらいにしか情報はいっていないのだとか(木虎あたりは何か知っていそうだった)。隠密部隊の風間隊である私達にもそのうち仕事が回って来るだろうと風間さんは言っていたけれど。

「クレープは残念だけどまた今度だな」
「うん。たぶん、そのうち出水にも招集かかると思うけど、」
「遅かれ早かれそうなるだろうな。そんならお前についてくわ。必要だったら別のとこ加勢するし」

飲み干した缶をそばのゴミ箱へ放って、私達はエレベーターの列に並ぼうとした、その時だった。ばたばたと慌ただしく何人かの大人がすぐ横の非常階段から駆け上がって来たかと思えば、腰が抜けてしまったようにその場に倒れこんだのである。「た、た、助けてくれ!」声なんて裏返って息も荒い。ジタバタと階段の方から離れるようにもがいている人達に、周りは状況が把握できないまま、ただただ彼らは周囲の注意を引いているだけである。

「え、なに」
「分かんね。助けてって言ったように聞こえたけど、」

そこまで出水が口にしかけたとき、私はもしやと非常階段の方へ走り出した。「あ、おい、!」と出水が声を上げる。それと一緒に「お嬢ちゃん危ないぞ!」と誰かの声。
対峙した非常階段のすぐ下へ私は目をこらす。どういうわけか電気は落ちてしまったらしい薄暗がりの中、よく知る丸いひとつの大目玉が、私を見上げていた。それは、私を捉えるなり、大きな鋭い脚を素早く動かしてこちらに迫ってきたのだ。理解するよりも早く、私はハッと息を呑み、後ろに飛び退く。

「出水ッ!!」

反射的に出水の名前を叫ぶと、彼はただならぬ気配を悟ったらしく、こちらに駆け出したのが視界の隅に見えた。

「トリガー起動!」

トリオン兵が明かりに晒されて、その姿が巨大な蜘蛛を模していることが分かった。背筋がぞわりと粟立つ。周りがボーダーだなんだと騒いでいることに取り合う暇もなく、まっすぐにこちらへ突進してくる蜘蛛を、私はいなさず大鎌でダイレクトに叩き返すと、それはまっすぐに押し返されて非常階段の下へ転がり落ちた。誰かが「死んだのか……?」と呟いている。「いや、」隣に並んだ出水が静かに答えた。

「っつうか鎌フルスイングかよ、脳筋」
「びっくりして気付いたら打ち返してた」
「んでもま、これで風間さんのとこに行けなくなったな……こんなとこまで来て災難だなマジで」
「……本当だよ」

とは言え、落ち込んでいる場合ではない。うな垂れた頭を持ち上げて、私は暗がりの奥を睨みつける。そこに押し込まれたはずの大型のトリオン兵は、微塵もダメージを受けていない様子で、体制を立て直すと、再びこちらに向かって来たのだった。図体が大きい割に、動きは素早い。すぐ後ろで腰を抜かしている男を近くにいた人に押し付けて「下がって!」と私は叫んだ。ぐるんと鎌を回して戦闘態勢に入る。

「は、のカウンターくらって無傷かよ。装甲半端ねぇな」
「いや、そんな硬い感じはしなかったはずだ。砕けててもおかしくはないのに、」
「来るぞ!」

出水の声と共に身体に緊張が走った。しゅ、と鋭い前足が私達の目の前を掠め、後ろへ大きく飛んだ出水が「バイパー!」と光のキューブを走らせる。それは複雑な弾道を描き、トリオン兵の脚を崩す。それを確認するや否や私は地面を強く蹴り鎌を振り上げた。

「おら、よっ!」

ずずん、と孤月が深く刺さり込んだ感触。装甲は、やはり割り切れない硬さではなかったように思う。それこそラービットの方が、まだ反応も早く、装甲も厚くて厄介だった。こいつは一人で倒せない相手では決してない。実際に、トリオン兵は真っ二つに割れてその場に崩れた。しかし、それは「やったか」と出水がトリオン兵から視線を外し緊迫した空気が解けた瞬間だった。「まだだ出水!!」裂けた部分がぴったりと結合し、元の姿に戻って見せたのである。間合いを取る間もなく、奴の前足が出水へと振り上げられていた。

「っマジかよシールド!」
「出水!」
「……っ心配すんな、生きてる」

まさかあれだけ綺麗に割れて、殺しきれていないとは夢にも思わなかっただろう。すんでの攻撃を受け止めた出水は後退し、アステロイドを打ち込んだ。しかし、こちらの攻撃はどこに命中しようが、向こうには関係ないらしい。

「面倒くせえな、再生すんのかよこいつ!」
「あああもうどういう仕組みなの出水」
「んなの知るかよ、どーすんだこれ」
「それこそ知るか」

死なない、ということは、もしやこれは幻覚か何かなのだろうか。いや、それにしたって、斬った感触は間違いなくあったし、攻撃も重かった。それならば、ダメージを補完できるだけのトリオンを持っているのか、……しかしそれは現実的ではない。むしろ、どこかから調達している可能性の方が高いのではないか。でも一体どこから。
そこまで思考を巡らせながら、私は大蜘蛛が放った糸をかわした、その瞬間だった。非常階段の下に小型の蜘蛛のトリオン兵が大群でこちらへ押し寄せているのが見えたのだ。

「出水さんんん、下から小さいのも来たんですけどオオオ!」
「はああ!? 」

「ハウンド!」と私達の声が重なる。もっぱら相手をこちらに誘導するために使っているだけのハウンドがここで役立つとは思わなかった。しかし出水と私じゃあそもそもトリオン量に差がありすぎるし、シューターの技術についてはもちろん勝てるわけもないので、私の放ったハウンドは、出水のものより幾分も心許ない。
それに敵の数が多すぎてこれでは打っても打たなくても同じことのように思われた。虫嫌いのとしては正直こちらに進行し蠢めくトリオン兵の気持ちの悪さに思わず倒れてしまいたくなる。「いずみぃい……」と悲痛の声を上げると、私の虫嫌いをよく理解している(実は前にひどく迷惑をかけた)出水は、顔を引きつらせて「あああ頼むから気張れよ!」と酷く焦りのうかがえる表情をした。

「つうかこのままじゃ埒があかねえ。確かあっちにも非常階段があったな、客を上の階に逃がすぞ!」
「私も一緒に逃げたい……」
「ふざけんな! 逃げたら蜂の巣にしてやるからな!」

出水の指示で、彼が小型と大型を牽制している間に、私はフロアにいた客を奥の非常階段から上の階へと逃がすこととなった。とはいえ、上に逃げたところで本当に逃げることはできない。しかし、少なくとも、下の階から奴らが来たということは、下は壊滅状態だと言って良いだろう。最後の一人が上の階に見えなくなったところで、出水が私の名前を呼ぶのが聞こえた。そろそろ一人で抑えるのは難しくなってきたのかもしれない。

「今行く、いず、……っ」

み。最後の音は喉の奥に消えていた。先程まで非常階段の入り口で出水と拮抗していたトリオン兵達は、いつの間にかフロアの中ほどまで進行しており、床だけでなく、壁や天井にまで蜘蛛が蠢いていた。加えて大型の2体目と3体目が非常階段と、それからエレベーターシャフトからまさにこちらへ飛びこもうとしているのが見えたのだ。

「こんなにめっちゃベイルアウトしたいって思ったの初めて」
「ふざけたこと言ってる場合か、手伝え鎌バカ!」
「無茶言うな今気絶してないだけミラクル」
「はああまじで頼むからとりあえずこっちこいお前!!」

出水のバイパーが四方に飛び散っていく。しかし数の利以前に、再生能力があるというチート技を繰り出されてはいくら天才ともてはやされた出水の攻撃でも無意味に等しかった。そんな姿を見つめながら精神防御のためか、あはは、出水が虫に囲まれてらあ、なんて最早私の気持ちはだいぶ遠いところにある。今の私にあの虫の大群の中へ飛び込む勇気は米粒ほどもない。しかし出水を置いて逃げるほど薄情なつもりもない。何より、私がこの状況から逃げ出したいと思案している間に、客を逃した非常階段からも、トリオン兵が溢れ出していた。今のところ大型が見えないのが救いか。

「それにしたってだいぶ詰んでるよなこれ……」

三門市から離れてしまった私達は、トリオン体が破壊されてもベイルアウトすらできないというのに。仕方がない、と腹をくくって鎌を強く握りしめると、私は深く息を吸った。

「出水屈んどけよおおお!」
「は、」
「せぇえの!」
「ちょ、待て待て待て!」
「――旋空孤月ッ!」

出水がやめろ、と叫んだのと同時に拡張された二つの三日月状の刃が、ぐん、と伸びていく。それは今まさに出水に飛びかかろうとしている大型と、そばにいる小型トリオン兵を薙ぎ払い、間一髪でそれをかわした出水は、吹き飛んだ残骸をかえりみて、息を呑んだようだった。何か言いたそう。でもすぐに再生してしまうだろうトリオン兵のことを考えたらそれを聞いている暇はない。私は周りのトリオン兵を一掃するなり、グラスホッパーで彼の元へ飛び込んだ。今は逃げに転ずるしかない。ジャンプの勢いに乗せて出水を掬い上げるように抱きかかえると、そのままグラスホッパーを駆使しながら非常階段へと急いだ。

「うお、ちょ、!」

出水の言葉は聞こえないふりをした。

グラスホッパーで飛ぶその真下にはトリオン兵がひしめき、あたりは蜘蛛の巣のような糸で覆われていた。まだこいつらが、逃した人達のところまで辿りついていなければ良いが。

「ごめん俺今の状況についていけてない」

しばらく黙って抱えられていた出水がふと下を見つめながらそう問うた。

「分が悪すぎるからとりあえず上に逃げることにした。それと下に見えると思うけど、いつの間にか客を逃した方の階段にも小型が群がってた。すぐ追いかけて食い止めないと皆死ぬよ」
「いやそうじゃなくて、なんつうか、ああ、そう、さっきの、俺に向かって旋空孤月使うとか殺す気か」
「ごめん」
「それからお前グラスホッパー持ってたっけ、あと何でお姫様抱っこされてんだ俺は、とか、そういうことが聞きたいんだよ」
「全部ごめん」
「いやまとめんなって」
「暴れると落としちゃう」
「……」

旋空孤月のことはただただごめんとしか言いようがない。しかし、あの場では私にはあれしか方法がなかった。グラスホッパーについては、このオプションをつけたのはつい最近のことだ。ブラックトリガーの一件で、太刀川さんに機動力がないといわれてから、少しでも身軽に素早く動けたらと、希望的観測も含めて。確かに私の攻撃は振りが大きく、技の軌道が分かりやすいのでパワーに加え素早く動けることは、強みになると踏んだのだ。
とはいえまだ練習中のオプショントリガーだから、個人の移動もままならないのに、誰かを抱えて移動など、不安でしょうがない。
素直にそう告げると、出水に「怖いこと言うなよ」と真顔で言われてしまった。だからごめんて。

しばらく階段を突き進んでいると、そこには先程までは見かけなかったまゆ玉のようなものがちらほらと伺えるようになった。それはもう何十階も続いており、途中でそれが捕られた人であると気づいたときには、最上階の50階も目前だった。上に行けばまだトリオン兵の手は伸びていないだろうと踏んでいたが、考えが甘かったようだ。もしかしたら下からじわじわと攻めてきたのではなく、同時に色んな階を攻めてきていたのかもしれない。
糸に絡め取られた人達は気を失っているようだった。助けてやろうにも、周りには無数のトリオン兵がそれを守るように構えており、下手に武器を振り回せば捕まっている人を傷つけるかもしれない。

「いずみ、」
「まゆ玉の中の奴は見た感じ殺されてはいない。大丈夫だ」
「……うん」
「ボス叩けば元に戻んだろ」
「それは誰が叩くの……」
「順当にアタッカーのお前だろうが」

ですよね。とは思ったけれど、それを口に出す気力は私にはもうなかった。



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