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影だけ

まっすぐに、


打ち返したボールがラインの外に叩きつけられる。もう何度目か分からないアウトボールに俺の苛立ちも増していた。俺は最近ずっとこんな調子だ。


「調子悪ィじゃん、赤也」
「…」


コートから出てきた俺に丸井先輩がそう声をかけた。気遣いか、頭にタオルを乗せられて、俺は無言のまま僅かに頭を下げる。そのまま横を通り過ぎようとすると、頭上からため息が零された。「何イラついてんだ」「…別に」否定の言葉を吐いたものの、俺が苛立っているのは明らかだっただろう。石を蹴飛ばすように歩き出す俺に、丸井先輩の声は少しだけ厳しくなる。


「佐熊に何か言われたか。それとも前の台詞気にしてんのか」


図星をつかれて、何だって良いでしょと声を荒げた。この人に先輩面なんてして欲しくない。ダラダラいろんな女と付き合って雑にやり過ごすこんな人に。構うなという意味も込めて先輩を睨むと、先輩は呆れ顔で「…振り回されてんなよ」と一言残して行ってしまった。俺だって好きで佐熊に振り回されているわけではないのに。
とにかく、この苛立ちをなんとかしなければならないと思った。以前までできていた感情のコントロールができなくなっている。まるで中学の時のようだ。怒りをそのまま表に爆発させなければ収まらなかったあの時の。
水道横で俺はフェンスに背中を預けて気持ちを落ち着つかせる。たまたま近くを通り過ぎるが視界に入り、俺はすぐに目を逸らした。彼女を見ると、今は苛立ちが増した。このままだと、俺は彼女を傷つけてしまう。


「…何やってんだ俺は」


ぎりりと唇を噛んだ時だった。休憩をしていたらしい同学年の一人がフェンスに手をついて外をジッと見つめている。「おい、あれってお前が仲良くしてた先輩だろ?確か、先輩…とか言う」彼がこちらに振り返った。なんてタイミングが悪いのだろう。好奇に溢れた相手の目に心の奥底の黒い靄が騒ぎ出すのを感じる。「なら知ってるよな、あの噂」ぴくりと、俺は顔を上げた。噂とは、きっと、をかばっているだとか、そんなことだろう。近くにいたもう一人が「やめろよ」と彼を止めようとしたが、口を閉じる様子はなかった。


「だって気になるだろ。切原最近あの人と一緒にいないしさ、どうした?やっぱ噂と関係あんの?」
「お、おい…」
「切り裂き魔の事件て、実はあの人も犯人、」


ガシャンと、気づけば俺は横のフェンスを力の限り殴りつけていた。目の前の2人からは小さな悲鳴が漏れた。
沸騰したようにぐらぐらと頭に熱が集まる。ああ、またこの感覚だ。何も考えられない。怒りだけが俺を支配している。彼らは中学時にもテニス部で俺の悪い噂を実際に目で見て知っているからか、俺の反応にいつの間にか恐怖に顔を引きつらせていた。後ずさりを始める。


「じょ、冗談だよ。気を悪くしたなら謝る、ごめん。…あ!それじゃあ俺達、もう休憩終わるから…」
「ちょっと待てよ」
「…へ、」
「俺もテメエらに聞きたいことあんだよ。ツラ貸せ」


ああイラつく。
俺は一体どうしてしまったんだろう。





信頼からか、恐怖からか。
私は自分の中にいるを信じ続けている。疑いたくなかった。今まで一緒にいた時間が、全て嘘だったなんて。彼女はいつだって私のそばにいたし、いつだって私を励ましてくれた。人を信じられなくなった私が唯一信じられたものだったのに。
…ああ、分かっていたじゃないか。いつも、私が何かを信じようとする度に、それは私を裏切って行く。分かっていたくれど、ここまで心を許していた彼女を失うのが、孤独になるのが、怖い。

いつだって、世界は私に、何かを信じることを、怖くさせる。


遠くで微かに聞こえる蝉の声が夏の近づきを知らせていた。私はそっと目を閉じて昇降口の前で足を止めた。ふと、数分前の切原赤也が脳裏にちらついた。私を見た彼は、確かに私から目を逸らした。最近、彼には避けられている。もともと彼を避け始めたのは私だ。彼にそうされたからと傷つくのはお門違いである。そうでなくても、今まで散々彼には失礼なことを言ってきたというのに。しかし、悲しかった。彼を避けたから、嫌いになったのだろうか。
何と無く、彼の笑っている顔が見たくて、私はテニスコートの方へ引き返した。会わなくて良い。笑顔が見れれば。

そう思って引き返したのがいけなかったのかもしれない。


「…、ちが…!…だから、…許し、…」


ふと、戻る途中で誰かの口論が耳に入った。倉庫の裏で揉め事でもしているのだろうか。一瞬、介入することが躊躇われたのだが、問題が起きてからでは遅いだろうと、私はそうっと影から様子を伺った。その時見た光景に私は目を疑い、息を飲んだ。切原赤也が、同じテニス部の仲間であるだろうその相手に、拳を振り上げていたからだ。胸ぐらを掴み上げられているその人は、すでに右頬が赤く腫れている。先ほどまで感じていた暑さなどすっかり忘れて、背筋が凍って行く感覚を覚える。
分からない、なんで、どういうこと。


「あ…っ、赤也!」


気づけば彼の名前を叫んで振り下ろされた彼の腕を無我夢中で捕まえていた。間一髪で拳を逃れた男の子は、腰を抜かして、私を見上げている。倒れているもう一人を顎でしゃくって、その子を連れて誰でもいいから呼んでくるように早口に言うと、2人はフラフラした足取りで走り去った。走れるようだから、そこまでひどい怪我ではなかったのだろう。見えなくなった背中にホッとしたが、それもつかの間だった。
突然腕を捕まえられたと思えば、壁に思い切り押さえつけられる。それは先日の図書室での出来事と重なった。あの時は恐怖なんて感じなかったけれど、今は、怖い。私の知らない赤也がいる。


「なんで、こんなこと、」
「ムカついたから。相手を殴るのにそれ以外理由ある?」


目の前が、真っ白になった。

いつも、私が何かを信じようとする度に、それは私を裏切って行く。


ギリギリと力強く掴まれた腕が痛い。彼の充血した目が、私を捕らえた。「あんたに言いたかったことがある」と。


「ずっと、ずっとずっとずっと、あんたにイラついてた」
「…」
「一度裏切った奴なんてどうだって良いだろ!」
「いっ、赤也、腕が痛い…!」
「なんでそこまでして信じるんだよ下らねえ!あんたがいつまでもふらふらしてっから…っ、だから、」


ガン、と顔の横スレスレを彼が力いっぱいに殴りつけて、私は反射的に目を閉じる。


「いつまでもはっきりしねえから、周りに変な噂立てられて、馬鹿みたいに自分の居場所減らして、あーあーほんと笑っちまう!」
「…やめて」
を信じてる?下らねえ下らねえ下らねえ!はあんたことコマくらいにしか思ってなかったに決まってんだろ!」
「やめて!」


空いている方の手で赤也をおさえてそう叫ぶと、彼はハッとしたように言葉を飲んだ。それで我に返ったらしい彼の目は、もう元に戻っていた。「あ…先輩、俺、…」掴まれた腕が解かれ、弱々しく紡がれた彼の言葉に顔を上げると、彼はくしゃりと顔を歪める。泣きそうな顔だった。
もう、わけが分からない。


「なんで、あんたが泣いてるの」
「…俺、」
「分からない、私、もう何も分からない」
「…」
「…をかばう私をただの馬鹿だと思うなら、なんで優しくしたの!」
「ちが、」
「違くない!」


もう嫌だ。いらない、こんな繋がりいらない。捨ててしまえ、壊してしまえ。
じわりと目が熱くなる。彼を力の限り突き飛ばすと、私は震える声で言った。


「…わけがわからないよ」
「先輩、聞いて、」
「もう何も言わないで」
「…」


「私に貴方を『信じ』させないで」



ポケットから探り出した自分の白いその携帯を、私は地面に落とすと、それを勢いよく踏みつけた。

切原赤也との繋がりは壊してしまえ。


「もう貴方なんて『知らない』」



(さよなら『繋がり』)

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( 壊れた繋がり // 131129 )
舌を火傷していたいです。