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くらいつくす
まえに、
どうか、

「今日もあいつはいねえぞ」


最早昼休みに3-7に顔を出すことは俺の日課と言っても過言ではない。それはが学校を休んでいる時だってそうだった。もしかしたら途中から来ているかもしれないと期待を抱いては教室を覗きに行った。だから彼女が教室にいないことは慣れていると言えば慣れている。ただ休みなだけかもしれないし、それだけで大騒ぎするつもりはない。しかし最近ではまた状況が変わってきているのだ。学校にいるはずなのに、彼女は昼休みになるとふらりと姿を消してしまう。以前なら必ず教室にいたのに。
目的の場所に辿り着くなり、俺が中を確認するよりも早く冒頭の言葉を寄越したのはたまたま教室から出ようとしていた丸井先輩だった。彼は眉尻を下げて教室を一瞥してから、もう一度いないと答えた。


「…そッスか」
「声かける前にいつの間にかいなくなっちまうんだ。引きとめようにもな」
「別にいッスよ」


彼女がこうして昼休みに姿を消すようになったのは、との事件のせいで休んでいたが再び学校に来るようになってからだ。俺は避けられているのかもしれないとショックに思っていた初めとは打って変わり、今では悲しいとか辛いとかそんなものよりも前に、漠然としたもどかしさが俺の心にどっかりと腰を下ろして、俺を妙に苛立たせていた。

…もしかしたら彼女は、


「あいつ最近ずっと一人でいるし、話しかけても反応薄いし」
「…ふうん」


もしかしたら彼女は自分の中で何も決着がつけられていないのかもしれない。

しかし彼女がに対して信頼を寄せていたのも、大切にしていたのも知っている。本人の口から真実が出ても、それでもの知るを信じ続けた。それは彼女が心の優しい人物だからこそであるし、俺だって彼女のそういうところは好きだ。だから責めたりなど出来るはずもない。そのはずなのに。


「いずらいんじゃないんすか?」


ざわり。得体のしれない感情が心の底でざわついた。口を挟んだのは佐熊遥だった。彼女は教室の扉近くの椅子に勝手に腰を下ろすと、ギシギシとそれでバランスを取りながら俺を見上げる。丸井先輩が、彼女の言葉を制するように「おい」と睨んだ。しかし彼女の口は止まらなかった。


「なぁんたって、どこもかしこも自分の話ばっかりだものね」
「佐熊、」
「だってそうでしょう」
「…先輩は噂なんて気にする人じゃねえよ」


噂とは、恐らくをかばっているというそれのことだろう。
正直、俺は佐熊の言葉に同意していた。俺は思う。彼女はきっとここにいずらいのだと。ただそれを否定するようなことを言ったのは、信じたくなかったからだ。そう、だって彼女は『噂』なんて気にする人ではないから。


「それが本当の噂(デマ)ならね」
「…」
「確かに氏は噂を気にする人じゃないっすよ。でも、実はその噂が本当だから罪悪感に駆られて逃げてるんじゃないのかい。ま、何に後ろめたさを感じてるのかは知らないっすけどねえ?」


ばきりと、手の中で何かが折れた。持っていた筆記用具が砕けて破片が足元に落ちる。いつの間にか柳先輩が様子を見に来たようで、そんな状態の俺をたしなめるように、落ち着けと肩に手を置いた。俺は何にキレてるんだろう。その時の俺の中には確かにそう考えられるだけの冷静さがあった。だからこそ、自分が何に腹を立てているのか分からなくて、感情を抑えることができなかった。
「あっはは、ナイス握力っす切原氏」そんな決して明るいとは言えない空気の中で、ただ一人、佐熊だけが笑っていた。


「佐熊、前から言っているがこれ以上引っ掻き回すのはやめろ」
「そっちこそいちいち煩いんだよ、柳蓮二」
「…」


柳先輩が誰かに、あからさまに敵意を剥き出すことなど、今までに見たことがなかったと思う。しかしさして気にした風もなく鋭さを帯びた佐熊の声が間髪を入れずに飛んだ。席から立ち上がった佐熊は俯く俺を覗き込むと、こう言った。「気をつけるっすよ」


「…それどういう、」
「その自分の手で、大切なモノを壊さないようにね」


俺にそう忠告した彼女はやはり笑みをたたえていた。



部活を終えた俺は教室に明日提出の英語の課題を忘れたことを思い出し、小走りに教室へ戻る。夕日も落ちかけ、眩しい程の茜色が、この時刻ではすっかり夕闇と混じり合い、窓から廊下へ薄暗い色を落としていた。自分の足音だけが響く廊下に校内に残っている生徒はほとんどいないらしいと分かる。先輩を待たせているので早くしなければと、走るペースを上げた時だった。ふと視界の端に半開きの図書室が移り、俺は足を止める。普段、図書室に用事ができることなど皆無な俺は、遠慮がちに中を覗き込むと、そこにはがいた。何と無く、似たような事が前にもあったような気がする。俺が英語の課題を忘れて、取りに戻る途中で彼女に出会って。場所は違えど、あの時と感覚は似ていた。
しまったと、感じた。今彼女に会いたくはなかった。
窓の外をぼんやり見つめるの後ろ姿から逃げるように目を逸らし、俺は足を引く。きゅ、と上履きが廊下をこする音がして、俺は息を飲んだ。


「…赤也?」
「あ、…、せんぱ、」


音に気づいてこちらに振り返る彼女は、俺の引きつる声など気にした様子もなく、こんな時間にどうしたのかと問うた。しぶしぶ図書室の中へ足を踏み入れて、俺は事情を話しながら彼女の元まで歩いていく。


「部活お疲れ様」
「え、ああ…。もしかしてテニスコート見てたんスか」
「んーまあ…図書室があいてたから、ついさっきここに来たんだけどね」
「俺のかっこいいとこ見たかったらいっそテニスコートに来ればいいのにさ」
「ばか」


わざと戯けてそう言うと彼女は肩を竦めて苦笑した。それからすぐに彼女の視線は窓の外へと戻される。の目はテニスコートなど見ていなかった。


「先輩、」
「…」
先輩」
「…ん?」
「何考えてんスか」
「教えない」


やけに冷たく静かな声が俺に届いた。と会いたくなかったくせに、目が合わないことに安心するはずなのに、一度たりとも合わせられない視線に、俺は何故か焦りと苛立ちを覚えていた。なんすかそれ。


「冗談だよ。本当は何も考えてない」
「嘘」
「嘘じゃないよ」
先輩、こっち向いて」
「嫌だよ」
「…」
「…」



頭がぐらぐらと熱くなっていく。俺は短気でブチ切れやすいけれど、この感覚は久しい。彼女の一つ一つの反応が、どうにも気に食わずに俺は一人で腹を立てていた。名前を呼ばれたは、一瞬びくりと身体を震わせる。それと同時に俺は彼女の腕を捕まえた。ぎりぎりと強く握りしめてそのまま窓の方へ彼女を押し付ける。痛い、彼女が小さく呻いた。


「赤也」
「…」
「目が、赤いよ」


がそう言って俺の頬に触れる。ああ、目が充血しているのかと妙に納得した。最近はなるべく自分をコントロールするように、こういう形で怒りを表すのは制御していたから。ああ、俺は怒っているのだ。

彼女の瞳は不安げに揺れていた。怖がっていると言うよりは、俺を心配している色が大きいように見える。彼女は何も見えていない。自分のことも、俺の気持ちも、何も見えていない。


「ね、赤也…?」
「…あんたさあ、いい加減にしろよ」
「…なに、が、」
「いつまでも馬鹿みたいに、」


バサバサバサッ。突然積んであった本の山がバランスを崩して床に散らばった。恐らく俺がを窓へ押し付けた時にぶつかって位置がズレたのだろう。ハッとした俺は出かかった言葉を飲み込む。俺達の意識がそちらへ逸れ、彼女を捕らえる手の力も緩んだ。はそのタイミングでするりと俺から逃げ出すと、落ちた本を手早く拾い始めた。「本、傷ついてないみたい」まるで何事もなかったかのように彼女は言って、元の位置に本を積む。


「ああ、こんな時間だ。私稽古があるか、帰らないと」


それから彼女は思い出したように手を打つと、席に置いていた荷物を抱えた。俺は何も言えないまま、呆然とその場に立ち尽くしていた。「じゃあね」彼女の背中が廊下へ消える。
彼女を引き留めるとか、そんな考えの前に、俺の頭の中では先程の自分の台詞がこだましていた。



俺は今何を言おうとした。




俺は先輩に、今何を言おうとしたんだ。



「いつまでも馬鹿みたいに偽物の友達なんか信じて。正直恥ずかしくて見てらんねえよ」



俺、今、彼女を傷つけるつもりだった。



ねえ、切原氏。
その自分の手で、大切なモノを壊さないようにね。


(彼女の言葉の意味)

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( 完結まであとちょっと // 131120 )
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