connect_21夜は澱んだまま 煌めかない あれから、放課後は赤也に自宅まで送ってもらう日が何日か続いたが、私は彼に告白されたにも関わらず、今までと変わらぬ関係を続けていた。赤也も赤也で別に返事を急かす風もないし、むしろ変に避けられたりしなかった事に安堵しているようにも見えた。というか、あの時はとてつもなく恥ずかしかったけれど、今となってはもっぱらあれは本当に告白だったのかと首を捻らす毎日。ほんとにサラッとだったし、少女漫画で読むようなそれとはかけ離れていた。そういうものなのだろうか。それとも、私のただの自惚れ?いやいやキスされたし。 額をぐりぐりと押しながら放課後の廊下をぷらぷらと彷徨う。テニス部の練習は勿論見に行く気はないし、こうなってしまうと赤也が来るまでいつも暇を持て余してしまうのだ。 「ああ、そういや宿題出てたんだっけか」 誰に言うわけでもなく、ぽつりと零れた言葉は、私の足を教室へ引き戻した。しかし、私が教室に足を踏み入れる直前、自分の足音だけだったはずの廊下に、ピリリと誰かの着信音が響いた。突然の事で肩を揺らした私は音の先を辿る。それは二つ隣の教室の中からで、無人のクラスには不自然に置いてきぼりにされた携帯がある。少しばかり気になってその携帯の席まで近づけばそこはの席で、着信音を鳴らし続ける携帯も勿論彼女の物であると気づいた。 横には鞄まで掛かっているし、不用心だと私は眉をしかめると携帯を手に取る。中身を見る気は毛頭無かったが、着信の相手に私はハッと息を飲んだ。 「…の、彼氏」 正直私は彼が大嫌いだ。まだ数回しか話した事はないけれど、初めて会った時から、彼には好印象を抱いた事なんて一度もない。人を蔑むようなあの目を思い出て、私は携帯をギリリと握りしめた。どうしてもから離れて欲しかった。今まで彼女が彼を庇うからそこまで口を出さないでいたが、この際、に嫌われても良いからここで相手を別れるよう説得すべきではないか。その方がのためになるのではないか。お節介なのかもしれないが、その時の私は妙な使命感に駆られ、勝手に電話に出てしまったのである。 後々考えてみると、きっとそれは私にとっては最悪の展開に転ぶ選択であった。しかし仕組まれた、変えようがなかったものだった事も、事実だった。 震える手で通話ボタンを押すと、私が声を発する前に、少しだけ切迫した相手の声が耳に飛び込んだ。 『おい、やべえよ。何か仲間が二人警察に連れてかれたって』 突然のその言葉に私の頭はついて行くことは当然できず、小さくえ?と声を漏らす。彼は走りながら電話をしているようで、こちらが黙っているのも御構い無しに、自分が伝えたい事をべらべらと話し出した。『俺たち、何かポカやからしたか?し、してないよな?あいつらドジだから、たまたま捕まっただけだよな?』まるで自分を安心させるように理論も何もない内容を彼は早口で告げる。しかしようやくそこで、私が何も反応しない事に疑問を持ち始めたらしい。どこかこちらの機嫌を伺うような遠慮がちの口調で、?と問いかけた。どうやらが怒っていると感じたらしい。 『……なあ、もうやめようぜ、そもそも男を狙ったのが間違いだったんだよ。いくら男でもまさか相手があそこまで抵抗してくるとか思わねえし…!な、なんか空手とかやってるっぽかったじゃん。あぶねえよ、こっちだって怪我した奴がいる。次狙う奴がまたそうかもしれない。な、お前の気もすんだろ?やめようぜ、なあ、』 頭が真っ白になった。 何、どういう事?警察?男を狙った?襲った相手は何かを心得ていた?そんな事を言われて、脳裏に過るのは、私がこうして赤也に自宅へ送ってもらわなくてはならない日々の原因にもなった、切り裂き魔事件しかない。そしてその襲われた男に心当たりが無いわけでは無い。 聞いてるのか、、そんな彼の言葉に私は首を振った。 「…ご、ごめんなさい、貴方が何を言っているのかよく、分からない」 『……いや、あんた誰だ』 かしゃんと携帯を床に落とし、額をおさえる。足の力が抜けてふらついた勢いで体重を預けたの机が揺れた。その反動か、気味が悪いほど、まるで図られたかのようなタイミングで、小さな瓶が彼女の机の中からで落ち、割れる。飛び散った液がが皮膚に少しかかりピリピリとそこが痛みを訴える。割れた瓶にあるラベルを見て、すぐにそれが化学薬品であることが分かった。 硫酸の文字にどきりと心臓が跳ねる。 気づかなかったわけじゃなかった。 病室でを妙に恐れていた兄、被害者にある火傷の跡、以前の手にしていた硫酸、雨の日、硫酸と水の反応、繋がる。全部、繋がる。 「何してるの?」 その時だった。背後から足音が聞こえて、それにバッと振り返ると、そこにいたのはやはりだった。いつもの彼女とはかけ離れた、冷たい目をしている。これは嘘だよね?誰かの酷い悪戯なんでしょ?ぐらぐらと揺れる頭の中でようやく紡ぎ出した言葉は、今まで彼女を信じてきた自分を守るための抵抗だった。しかし彼女が私の問いに答えることはなく、床に散らばる硫酸を顎でしゃくってそれは?と首を傾げる。どうやら彼女もこれがここにある事を不思議に思っているらしい。 「の、机から…落ちてきた。ね、ねえ、嘘だよね!?じゃないよね!?」 「…ギャーギャーうるっさいな」 「、っ」 「あーあーめんどくさい。そう、バレちゃったんだ。何だつまんない。何でこうなるかな。…ああ、そうだちゃん、この事内緒にしてくれない?」 「…は…?」 は一歩、また一歩とこちらに歩き出し、不気味に笑うとそう言った。切り裂き魔にが関わっている事を口外するなと。 「そうしたら、私はいつも通りちゃんと接してあげるし、ちゃんの大切な人は誰も傷付けないよ。約束する」 「な、何言ってんの…?」 「良いから秘密にするかどうか選んでくれる?ちなみに、」 戸惑う私を置いて彼女はポケットからカッターナイフを取り出すと、こんな物も持ってるから返答はよく考えた方が身のためかな、とにこやかに私を牽制する。私は未だにこの状況を受け止める事ができなくて、無言で彼女を見つめていた。そんな私に、が苛立ち始めた時。 「はいはいそこまでねー」 突然気の抜けたあの声がしたと思えば、その人物は何故かベランダから窓のサッシをひょいと飛び越えて現れた。佐熊遥。全てが謎に包まれた彼女は、ここでも一つ何故ここにいるのかという疑問を生み出した。 「あんたでしょ、瓶をわざわざ私の席に置いたの」 「あははご名答ー。しかしそれは私が君が持ってるのに似せて用意したもんで、実際には君のじゃないっすけどね」 跳ねるように歩き出した佐熊は恐怖を抱いている様子なんて微塵も見られず、相変わらずへらへらとした笑顔を貼り付けていた。しかし、今ではそれこそが偽物らしく見えてしまう。彼女は一体なんのためにここにいるのだろう。何を知っているのだろう。 「私は全部知ってるっすよ」 「全部?」 「全部。氏が知りたい事そうでない事、これから知るであろう事、知らないで終わるであろう事全て」 「佐熊、あんたふざけてるの?」 はカッターを私から佐熊へと向け、まだ裏に何かを隠していそうな彼女を威嚇する。「それはこっちの台詞」佐熊の声のトーンが落ちた。 「それで威嚇してるつもりかい?」 「黙れ!あんたも他の奴にこの事喋ってみろ!私が引き裂いてやる!」 「はいはい」 「私が捕まったって他にも仲間がいるんだから、余裕ぶれるのも今のうちだ!すぐにあんたを酷い目に、」 「あらあらあら、私の事随分嗅ぎ回ってた割に、その様子じゃ何も分からなかって事?」 「…は、どういう、」 「私が<君達>の尻尾が掴めてないと?これだから相手を見誤る馬鹿は嫌いだよ」 「っ、お前!」 いつの間に録っていたのか、佐熊はICレコーダーを投げて弄んでいた。それはきっとを警察に突き出した時の証拠となる。はというとそれよりも、自分を鼻で笑った佐熊がとうとう我慢ならなくなったらしい。大きくカッターを振りかぶると佐熊の方へとつき出そうとした。その瞬間、彼女は私の腕を引いて後ろへ下がる。「良かったね、グッドタイミング」彼女がぽそりと私の耳元で呟いたのを聞いた。それと同時に、は後ろから来た誰かに思い切り蹴り飛ばされて、床に倒れこむ。そこにいたのは赤也と、そして柳君、丸井君だった。 「ごくろーごくろー待ってたよ。あと一歩遅れてたら私達死んでたかもっすー」 いつも通りの口調に戻った佐熊はICレコーダーを柳君に放り投げ、彼はあとは任せろと頷いた。私には何が何だかサッパリで、状況を飲み込もうと必死に佐熊に事情を問い詰める。彼女は困ったように頭をかいてから、簡単に話すと、と歯切れ悪く口を開いた。 彼女の説明は本当にあっさりしていた。佐熊遥は前々からが何やら怪しい事に気づいていた。それは柳蓮二もそうだったらしい。それで、佐熊は独自に調査を進めた結果、は切り裂き魔事件に関係している事を知り、色々あって、柳君と協力して彼女を追い詰める事にした。そしてこちらも色々あって事情をきちんと知っている人物は柳君の他に丸井君もいるそうだ。 「それで私は柳氏と丸井氏と連携していたわけっすー。あ、二人には今まで別の仕事を頼んでたんでここに来るのが遅れたんすけど。ちなみに切原氏には事情を話してないんで、氏と同じく何が何だかーってな感じかと」 「そ、そんなんじゃ分からない!はどうしてこんな事したの?色々って何?佐熊さん貴方一体何なの」 丸井君と柳君はお互い顔を見合わせ、どうしようかと肩を竦めている。赤也は私と同じでわけが分からないと言った具合だ。佐熊は赤也に押さえつけられているを一瞥して首を振った。それは私には何も教えられないと、そう言っているように見えた。 「がこんな事した理由なんて知ったこっちゃないっすよ。ただね、人間て、案外簡単に狂気に落ちるもんで、ちょっとした妬みとか、恨みとか、そういうものに凄く弱い」 「…」 「それから、私が濁したのは君が知る必要の無い事。ちなみに、前にも言ったけど、私はただの夢見る乙女っすよ、氏」 その後、しばらく私達の間には沈黙が流れていた。それもそうだ。語られるより、今は整理する時間が必要なのだ。ただ、与えられた情報も僅かであるから、整理したところで何も理解できないかもしれないが。しかしもいるわけであるし、いつまでもそうしてはいられない。彼女は赤也が丸井君へと引き渡し、後片付けは私達がやるから氏は気にしなくていいよと私と赤也を置いて、三人は行ってしまった。彼らが見えなくなってから、私はぺたんと床にしゃがみこんだ。 「も…何が何だか、」 「確かに分からない事だらけッスけど、なんか俺、もういいや」 「…はあ?」 「俺馬鹿だから、ややこしい事考えんの苦手なんだよなー」 「だからって」 「それに、先輩が無事ならそれで」 「…」 私の目の前にしゃがんでニッと赤也は笑った。その顔を見ていたら少しだけ、本当に少しだけ肩の力が抜けた気がして、思わず赤也に向かって倒れこむ。背中が優しく撫でられて、何故か涙が溢れて来た。 「ほんと、分からない事だらけだけど、…それでも私は、思う事はあるよ」 きっと佐熊遥という人物はすごい人間なのだろう。あまりに漠然とした表現の仕方であるが、それこそが正しいのかもしれない。彼女の後ろに、その漠然とした何かが存在している気がした。そしてそれは、佐熊がいう私達が知らなくていい事。 それから、私達と同じただの高校生であるはずの彼女がここまでやってのける原動力の「一つ」、それは遊び心にあると、これだけは確信している。全てをまるでゲームのように楽しむ彼女は、本当のところ今回の事は彼女の善意だけでやった事では無いと思う。最終的にどうなっても、きっと楽しければ良かったのだろう。 佐熊遥の存在にどこか恐れを抱いた私は、小さく首を振ると赤也の背中に手を回した。 ああ、よそう。今は何も考えたく無い。もう少しだけ、この温かさに包まれていたい。 (もう何かを知るのが怖くなった) もどる もくじ つぎ ( とりあえずひと段落 // 130821 ) 佐熊さんの秘密はこの物語では語りませんのでお暇な方は推理して見てくださいませ。 |