connect_19

朝は
沈んだまま
浮かばない


「切原君の事が、好きです」


見知らぬ女子生徒に呼び出された時からこれから何を言われるかなんて理解できていた。もちろん彼女の望む答えを口にする気は毛頭ないし、自分で言うのもなんだが、今までに何度もこういう経験があって慣れているから、相手が好きであろうがなかろうが今更呼び出される事に気持ちが高揚なんてするはずもない。しかし、彼女が何も告げられぬままに、その場で断ってしまうのも流石の俺でも酷だと思うから、こうしてわざわざ校舎裏まで呼び出されてやっているわけだ。それより、一度も話した事がないのに告白なんかして上手くいくと思っているのだろうか。俺はぼんやりと思考を別の方へ飛ばしていると、目の前の女子生徒が、俺の反応の無さに不安になったらしい、おずおずと俺の名前を呼んだ。もう言う事は一つである。


「あー、悪りいけど、無理」
「…なんで?」
「なんでって、俺好きな人いんの」
「だ、誰…?」
「…はああ?」


何でそれをアンタに言う必要があるんだよ。あから様に面倒臭げに頭をかいて見せても、彼女が引く事はなかった。名前を言えば、きっと自分の方が優っている事をアピールするとか、その人みたいになるからとか、厄介な展開になる事は目に見えているし、そこから無理に振ろうものなら数日の内に学校中に「切原赤也の好きな人」が広まる事だろう。だからこういう女子は嫌いだ。


「教えて」
「あーもー関係ねえだろ」
「納得できないっ」
「つうかそもそもアンタ自分が告白OKしてもらえるとでも思ってんの?俺、アンタみたいな面倒臭い女が一番嫌いなんだよなー」
「…そんな、っ」


何度も見た事のあるこの反応。彼女はわっと顔を手で覆って、俺に背を向けると、小さく「馬鹿っ」と俺を罵って走り去って行った。馬鹿って、いや、馬鹿だけども。俺は悪くないだろう。少々腑に落ちないながらも、とりあえず厄介事が消えたので、俺は息を吐いて空を見上げる。


「あー女ってめんどく、どあ!?」


俺の視線の先には、三階の窓から顔を出してこちらを見下ろしているの姿があった。ずっと今のやり取りを見ていたのだろうか。彼女は俺と目が合うなり、ヒラヒラと手を振った。俺も彼女に合わせて何故か手を振る。


「ワカメ君モテるねー」
「…やっぱ見てたのかよ」


上から降ってきた能天気なその声に、俺は頭を垂れる。いや、別に振ったから良いけどさ、良いんだけど…あああもう。ぐしゃぐしゃと頭をかいてもう一度上を見ると、彼女は今にも中に引っ込んでしまいそうな勢いがあったので、俺は慌てて彼女の名前を叫ぶ。は他人と少しずれている。そうやって自分の気分で会話を終わらせてしまうところが厄介だ。なあにと答える彼女に、今からそこに行くから動くなと告げて俺は校舎へ駆け出した。別に会って話す事なんてないのに、階段を二段飛ばして駆け上がる自分が少しおかしく思えた。


「そんなに急いで来なくて良いのに」


猛スピードでの元に辿り着くと、彼女はきょとんとした顔で俺を迎えた。それからお疲れと俺の肩に手を置いて、慰労のつもりかパックジュースを手渡す。


「すんません、ってこれあの人のじゃねえか
「あげるよ」
いらねえよ


俺の手におさめられたのは佐熊が配り歩いている超絶まずい恋彼ジュースだった。どうやら俺が来る前に通りすがりに渡された様だ。あの人は歩く災厄である。俺はそれを近くのゴミ箱に素早く放り投げる。窓に映った自分の顔が怖いくらいに無表情だった。


「ああ、ところで何か用があるの?」


二人でゴミ箱におさまったパックジュースを眺めていると、が唐突にそう切り出した。いや、特にはない。自分でも何故呼び止めたのかイマイチ分からないのだが。俺は歩き出したに続きながら、口を開いた。


「あの女子生徒、フッたんスよ」
「ああ、そう」


まあ声は聞こえなくても、見てれば分かったけどね。彼女はそう続けて、小さく欠伸をした。興味がない事は一目瞭然である。やばい泣きそう。このと仲良くなった様で実は全然違うのかもしれないという距離感が俺にはどうにももどかしかった。いっそ告白でもしてしまえばまた何か違うのだろうか。俺はの横顔を盗み見ながら、心の中でごちると、彼女は「好きな子でもいるの?」と終わった様に見えた話題を引き継いだ。


「え、あ、まあ、」
「ふうん」


まさかそんな事を聞かれるとは思っていなかった俺は、その果てしなく曖昧な答え方にすぐさま自己嫌悪に陥る。どうせならアンタですけど、くらい言ってやれば良かったかもしれない。あの女子生徒の様に誰なのか聞いてくれないだろうか。いや、に限ってそれはないだろうが。
現に、既に告白から今日の晩飯の話へいつの間にやら話題が転じている。「今日はウチ酢豚らしいよー」「共食いッスか」「首折ろうか?」「…冗談ですよ」
彼女に罪はないのだが、むっとしたままを見つめていると、とうとうそれに痺れを切らしたらしいが足を止めて俺に振り返った。「何かあるなら言いなってば。さっきからチラチラと」


「…別にー」
「とか言いながら不貞腐れてるし」
先輩が鈍いなあと」
「私の機敏な動きを見てから言って欲しいね」
「どこら辺が機敏、って、いやそう言う話じゃねえッス」
「良いから見なさい」


違うと言っているのに、彼女はそう言って素早いとも言えぬ奇妙な動きをしてみせた。何かの踊りのようにも見えた。周りからかなり痛いものを見るような視線を注がれている。正直即刻立ち去りたかったのだが、その時彼女が足をもつらせ豪快にこけそうになったので、俺は咄嗟にそれを受け止めに入る。「どーこが機敏なんだか」「…お黙り」
ため息をつく俺に、彼女はというと体勢を立て直して、フンと鼻を鳴らした。助けてやったというのに随分な態度である。

それから俺達はの教室へと足を進めていると、彼女はふと小さく声をあげた。「兄貴の事なんだけどね」


「あ、具合どうッスか」
「うん、もうすっかり良くてね。傷も塞がってきたから、あと二、三日で退院できるって」
「良かったですね」


だいぶ深そうな傷跡だったが、そこまで元気になってなりよりだ。は俺の言葉に小さく笑っていた。なんだかんだで兄貴が心配だったのだろう。そんな彼女を見ていると、それに関連して、俺はふとの兄貴に頼まれた事を思い出した。それはを守って欲しいという、あの話の事だ。確かに切り裂き魔がうろついている今、いくら護身術を心得ているからと言って、を1人で家に帰すのは危ないわけで、丁度いい機会だから、俺は試しに一緒に帰ることを提案してみることにした。


「ワカメ送ってくれんの?」
「最近物騒スからねー」
「余計なお世話だよ」


しかし思いのほか、彼女はいらない、とあっさり両断した。ならば、軽いノリで良い返事をくれると思っていたのに想定外である。そうして俺は教室へ入って行くの後姿を唖然と見つめる。


「…余計なお世話って言われた」
「およよよ切原氏じゃないっすかあ」
「うわ出たよ」


感傷に浸っていると、その時あの歩く災厄の声が背中にぶつけられた。我に返った俺は情景反射で慌てて中へ逃げ込んだ。後ろでぶつくさと文句のような言葉が聞こえたがスルーする事にする。俺はもうそんぐらいじゃキレないくらい大人になったのである。


「何、帰ったんじゃないの君」


もう一度先程の頼みをにしに彼女の元へ行くと、いつにも増して冷ややかなそんな言葉が俺に浴びせられて、俺は閉口する他ない。柳先輩や丸井先輩が俺達のやり取りをなんだなんだと遠くから眺めているのが見えた。近くには佐熊もいて、彼女ばかりは未だに誰も聞いていない俺の悪口を吐き出しているようである。


「そんなに嫌がらなくても」
「君と帰って私にメリットある?」
「俺といた方が安全スよ」
「なら他の女の子を守ってあげなよ。例えば佐熊さんとか。弱そうだよ」
「冗談でしょ。誰が襲うんだよあんな変人」
「おいコラ切原氏、私も怒るときゃ怒るっすよ」


佐熊が恋彼のパックをぐしゃりと握り潰したので、中身が飛び散る。隣にいた丸井先輩が彼女の頭を無言ではたいていた。哀れだ。ああ、そんな事はどうでも良いとして、彼女を任された身としてはなんとしてもここは引けないし、しかもと帰れるチャンスを逃す手はない。


先輩、」
「しつこい。護身術も心得てるのにそんなに心配?」
「心配ッスよ」
「私、女だからとか特別扱いされるのは好きじゃない」
「女だからとかじゃなくて、純粋に心配なんですって!」
「何が違うの?」


全然違う。彼女は分かってない。例え彼女にボディーガードが付いてたって俺は彼女と帰ろうとする。女だからじゃなくて、自分の手で守りたい1人としてだ。差別だとかそういうものとは違う。彼女が女だなんだと過剰に反応するのは、きっと道場の後継の話とも関係しているからに違いない。理由が分かるからこそ無理に押し通す事ができなかった。そうして俺は伝わらないもどかしさにぐしゃりと頭をかいていると、「一緒に帰ってやってくれ」と不意に柳先輩が俺達の間に割って入った。


「柳君…」
の兄も被害にあったのだろう。最早男女で差別する問題ではない。相手は複数だと聞くし、いくら護身術を心得ていても対応しきれる保証はないだろう」
「…そうだけど」
「赤也の好意を悪く思わないで欲しい」


ちらりとは俺を見て、それから小さく息を吐く。だって君達部活あるじゃん、最後の足掻きのように彼女はそう零した。教室で暇を持て余すのは御免だと。


「なら、テニス部見て待ってれば、」
「っそれは絶対に嫌だ」


一瞬、ピリリと空気が張り詰めた。はすぐにハッと口を抑えて、俺や柳先輩、丸井先輩の顔色を伺った。柳先輩はただ黙っていただけだったが、丸井先輩は少しだけ表情を曇らせていた。分からない。分からないことだらけだ。テニス部との間には一体何がある。
俺は押し黙っての言葉を待っていると、俺から逃げるように視線を逸らした彼女は、教室で待ってると小さく告げて、自分の席へ戻って行った。どうやら彼女が折れたらしかった。そんな中、俺は佐熊に追い出される様に、教室の外へ促されたのだ。


「良かったっすね、約束取り付けられて」
「…本当にそう思ってんスか」
「もちろんすよ」


分からないといえばこいつもだった。胡散臭い笑みを浮かべた佐熊に冷ややかな視線を送る。


「嘘くさ」
「酷いっすよ。これでも応援してるんすー」
「へえ」


半信半疑で頷いた俺はさっさと彼女に背を向けて歩き出した。彼女の言葉に心なんぞないということはとっくに知っているから、構うだけ無駄である。佐熊は俺の反応の薄さに少し不服の色を浮かべていたが、すぐに口元に小さく笑みをたたえた。


「だってようやく面白くなってきたんですからね」


俺は微かに頭を上げて彼女を一瞥した。
佐熊遥の存在は、いつだって自分だけはまるで俺たちを取り巻く何者の干渉も受けていないのではないかと、そんな錯覚を起こさせている。


(どれもこれも断片)

もどる もくじ つぎ

( すべてを握るのは // 130801 )
お久しぶりです。夏ですね!テストが終わって実質今日から夏休み。ですが、本格的に休みに入るのは8/10からです。