覚える限りでは、修学旅行や遠足のような班で動くような場面では、私はいつも空気のような存在だった。いや、そうでなくても、クラスで誰かとつるむようなことはなかったけれど。 ただひたすら息を潜めて、存在を隠すように振る舞った。誰かに言われたわけでも、強いられたわけでもない。自分がそれを望んだ。中学から高校の間は、取り分け私には意思のない人間で、グループで何がしたいとか、どこに行きたいとかのやりとりも、私の中に希望が浮かんだ試しはなかったように思う。いつだって余る私を入れてくれた他の人は、それをどう思っていたかは知らない。気を使ってあれこれ声をかけてくれていた子もいたような気がするが、それもよく覚えていない。 ただ、学校の行事で、どこかに出かけて行く度に、お土産を他校の友人にとか、家族にとか、班の仲間でお揃いとか、そういうふうに騒いでいるのが少し羨ましかった。 「そんなにお土産が買いたかったなら、家族に買って行ったら良かったじゃん」 「そうだね」 私の話に、兄君が口を挟んだ。正論だ。今なら私もそうするだろう。けれど、当時は両親は今より家にいることが少なかったし、その頃既に私が預けられていた叔父夫婦からは何も買わなくて良いと言われていたから、そのときは本当に何も買って帰ることはなかった。なにより、何を買っていいかが分からなかったのだ。 「同じ班の女の子が買ってたキーホルダーとか、お菓子とか、そういうものは隅で見てて良いものに見えて、誰にあげるわけでもなく、こっそり買ったりはしたことあるけど」 「うわ寂しすぎだろ」 「寂しかったよ」 酷く、寂しかった。そのときは、楽しそうにする他の子がただ羨ましくて仕方がなかったけれど、今思うと、寂しかった。 遊園地の土産屋は、夕方になると混み始めて、レジの前には何人も並んでいた。私達は人との間をうまくすり抜けて店の中に入った。あれこれと悩む客に、カゴいっぱいにお菓子を詰め込んでレジに並ぶ客、混雑するレジ、忙しない。 兄君は、また来るからと土産は買わないことにして、私の横についていた。丸井さんと弟君は買いたいものがあるのか、店の奥にすぐに見えなくなる。私も土産を買うかは朝から悩んでいたけれど、やっぱり仁王には何かをしなければいけないし、話題として幸村にも何か買っていくのも悪くないのでは、と思ったりする。 「ただ、こういうとき何を買うのが正解なのか、私は知らない」 「はあ、別にものの内容はどうだって良いんだよ。こっちが金払うんだし、むしろ文句言うなって感じ?」 「ら、乱暴な言い方だなあ」 「土産なんて所詮自己満足だろ。相手のためじゃなくて、ただ相手の反応を見たいからやるんだよ」 「そうなの?」 「そうなの。相手の本音は考えなくて良し。ただのこっちの記念だから。つうか、そう考えた方が気ぃ楽だろ」 「確かに楽だ」 本当に皆がそう思っているなら。 でも、それならば自分の反応を見られていると知っている土産を貰うその人は果して何を思いながら貰うのだろう。どの立場にいても、私にはむつかしくて疲れる。 そんな私の横で兄君が手に掴んだのは、よくある箱のクッキーだ。彼はそれをちらつかせながら「色んな奴に配んの?」と私を伺った。 「いや、ふたり、……くらいかな」 「じゃあお揃いーとかやれば。女子ってそういうの好きじゃん」 「迷惑じゃないかな」 「知らない。迷惑ならつけないだけでしょ。でも、お揃いでも渡して親睦でも深めれば? は友達いないんだし」 「深まるかな」 「さあー、深まるんじゃん?」 お揃い、はよく聞いた響きだった。賑わう土産屋で、ちらほらとら聞いていた覚えがある。私はそばにかかっていた観覧車の形のそれを一つとった。この遊園地といえば、あの観覧車で、あまりいい思い出にはなっていないけれど、たぶん、選ぶとすれば、これが無難だと思う。 「それじゃあ兄君、良ければ私とお揃いを買おうよ」 「なに、お土産を上げたい友達のふたりに俺が入ってるの?」 「いや、君を入れたら三人になる」 「じゃあ何でさ」 「兄君と、親睦が深まればなって、思うから」 「俺と親睦なんて深めてどうするの」 「どう? どうと問われたら、仲良くなりたいって答えるのが正しいのかな」 「は俺のこと、少なくとも好きではないと思ってたけどね」 「嫌いじゃないよ」 求めていた答えではなかったのか、兄君は肩をすくめた。私はしばしば相手の求めるものを正しく汲み取ることができない。それをこの短い付き合いの中で理解しているのか、彼はそれ以上突っ込むわけでもなく、私から視線を外した。他人と関わることは、常に相手のことを考えていなければならないからたくさん疲れるし、むつかしい。 「なんていうか、私はお礼がしたい」 「余計謎」 「私は確かに君に振り回されたけど、でも来て良かったよ。そういうことが、言いたいんだ」 棚には、この遊園地の目玉なのか、あの観覧車のキーホルダーが並べてある。これについてはあまりいい思い出は無いけれど。すると、おい、と横から兄君の手が伸びた。 「どうしてもって言うなら、持ってやらないこともない」 遊園地に関するすべてのやりとりは、交換日記に書くにはぴったりの内容で、いつもは空白ばかりのフリースペースに今回ばかりは、遊園地であったことを殆どすべて詰め込んだ。仁王の約束を破ってしまったこととか、観覧車が怖かったこととか。ただ一つ、丸井さんの感じが悪かったことだけは書くことをやめた。他人に伝えると、たちまち悪口くさく感じたからだ。それに、あの瞬間、丸井さんの秘密に触れたような、そういう気がした。 「つまり、今俺に話した内容がそっくりそのまま日記にも書いてあるっていうわけだね」 「そういうことになる」 幸村と学食で昼食を取ることが私の中の当たり前になりかけている。それを不本意に思いながら、ぱらぱらと日記をめくって中を確認する幸村にしっかりと頷き返すと、彼がこっそりと息を吐いたのが分かった。 「幸村は遊園地が嫌いだった?」 「どうしてそういう発想になるかな。違うよ。君が日記に書いたことを、今取りこぼしなく話すからさ」 「取りこぼしがないかは、幸村が日記を読まないと分からないよ」 「そういう問題じゃないよ」 「じゃあ、どういうこと。私は察しのいい人間じゃないから、はっきり言ってくれないとよく分からない」 「つまり、君が話したら日記を読む楽しみがなくなるだろって話」 「ああ」 私が今更彼のため息の意味を理解したことに、幸村は疲れたようだ。そう言えば、以前私といると疲れると言われたことがある。多分、今のがそうだったに違いない。でも、読む手間が省けたじゃないか、とフォローのつもりで(それはもはや誰へのフォローかは自分でも分からなかった)私は言った。 「それじゃ交換日記の意味がないだろ」 「……幸村がやりたいっていうからやってるのに」 「俺じゃない。君だろ、やりたがったのは」 「私はやりたがってないよ」 「君は間違ったことばかり言ってるのに、どうしてそう平然としているんだ」 「間違ったことを言った覚えはないけど……」 「いい機会だ、教えてあげる。君は間違ってるよ、いつも」 「オォ……」 幸村は時折辛辣だ。それでも、私と違って彼の言うことは大体間違っていないから、もうどうしようもない。彼はよく私と関わりを持っているなと思う。今までも関わりを持っていた人が完全にいないわけではなかったけれど、いつだって、だいたい陰で何かを言われているのは知っていた。自分が『良くない』ことは分かっているけれど、嫌なら完全にいないものとして扱ってくれればいいんだ。それなのに、攻撃される。残酷だ。 それでも、幸村はどういうわけか笑っていた。私といて、今までそんな表情をした人はいない。 「まあ、飽きないからね。俺の想像してる返答と全然違うから」 「……私今何も言ってないよ」 「でも何が言いたいか、さんの顔を見たらわかるよ。君って顔に出るし」 「素直なんです」 「あはは、そうだね」 「今のは冗談ですが」 「冗談にしなくていいよ」 幸村がまた笑った。彼は変わった人だ。私と友達になりたいと言ったことも含めて、色んな部分が変わっている。 「まあ、今度からは、日記に書いたことを俺が読む前に話すのは禁止ね」 「あ、そこに話が戻るの」 「だって元々はこの話をしてただろ」 「そうか。困ったな」 私という人間は誰かとあれこれ話すのは苦手だった。何度も言うように、私はしばしば人を苛立たせる。 それが分かっているから、私も言葉を選ぶ。言葉が凝り固まったように、うまいことでなくなる。余計人を苛立たせる。悪循環だ。 水筒のフタをひねって、麦茶をのどに流し込むと、氷がからんと鳴った。 「俺と話すのつまらない?」 幸村が言う。私の出方を窺うような視線。氷が唇に触れて、ひやっとした。複数の意味で驚いたけれど、ここで間をあけると空気が悪くなることは流石に経験で知っている。間髪入れずに私は「まさか、」と答える。 「私は人と話すのがうまくないから」 「言うほどじゃあないと思うけどね、まあいいや」 「まあいいんだ」 「君の話が上手でもそうでなくても、俺と君の関係にもまったく問題ない」 幸村はそう言って、交換日記を鞄の中へしまった。そのタイミングで、私は「ちなみに」と補足した。実際には、何の補足ではなく、脈絡もない新たな話題が始まったに過ぎなかったのだけれど、私は鞄から遊園地の袋を取り出すと、幸村の前に差し出した。 彼はすぐに、もしかしてお土産かなと察しがついたらしい。その通りだ。 「幸村ともお揃いにしたんだ」 「嬉しいよ」 彼は早速小さな袋の包みを開けると、しばらく止まって、それから笑顔のまま首をかしげた。「これは何?」と問われて、自分のキーホルダーと幸村のそれを交互に確認してから 「目玉焼きキーホルダーだよ」 と答える。幸村は目玉焼きを知らないのだろうか。 「そうじゃないよ」 「いやこれは目玉焼きっていうんだよ」 「そうじゃなくてさ、このセレクトの意味を聞いてる」 「なんだ、それならそうと言ってくれないと」 私の目玉焼きキーホルダーには、デザインをよく見ると、塩がかかっていて、幸村のものには醤油だった。それを彼に見せて、「すごいでしょう?」と私は言う。彼は余計に謎を深めたような顔をした。またしても私と幸村の間の歯車がかみ合わなくなっているらしい。つまり、凝ってるなあと思って買ったということだったのだけれど。 「あと、私目玉焼き好きだから」 「そうなんだ。もっと遊園地に関係あるものだと思ってたからちょっと驚いたよ」 「そう、私もびっくりしてね、面白いかと思って買ったの」 「あ、一応変わったものだという認識はあったんだね」 「あったよ」 でも、兄君が、お土産なんて自己満足だからと、そう言ったから私は自分が面白いと思うものを選んだ。笑ってもらえたらいいなと、勝手に私が想像して、勝手に満たされただけだ。彼はそれを聞いてから、目玉焼きをそっと袋に戻した。大切に、まるで壊れ物でも扱うような優しい手つきだ。数百円の多分プラスチックとかそういうものでできたただのキーホルダーなのに。 「さんの予想通り、俺は喜んでるよ」 「そう?」 「うん。でも今の言葉が一番うれしかったかな」 「ええと、私何か特別なこと言った?」 「君には特別じゃないかもね。君のいいところだ」 彼との話の中で、理解できない部分というものが幾つもある。今のもその一つ。私にとっては不思議な会話。そういうものは、結局意味を理解しないまま流してしまうことが多い。私には理解力がないというのもあるのだろうけれど、幸村はむつかしいことばかり言う人でもあるから、そのせいだ。これは私の予想なのだけれど、幸村がややこしいことを言うのは、私をどうにかしたいからなんじゃないかと思っている。たまに、私をどこかへ誘導するようなしゃべり方をするから。でもそれに付き合うつもりはないから、「ところで」と彼が続けた。 「仁王には何か買ったの」 「買ったよ。ちゃんと三色団子」 「三色団子を買ったんだ。約束のこと、仁王許してくれた?」 「私がレポートを請け負うことで許された」 「仁王怖かった?」 「今朝出合い頭に胸ぐら掴まれた。ヤンキーかと思った」 「仁王ってそんなことするんだ」 「多分本気ではなかったと思うけど」 仁王のことだから、思うほど怒ってもいなかったのだと思う。彼のどの言葉も行動も、私をただ脅かしてやるって、そんな魂胆が見えた気がしたから。からかっているのだろう。そうでなきゃ三色団子なんて言うはずもない。 それに、幸村と交換日記をすることになったんだけどね、って言ったら本題を話す前に爆笑されて仁王が酷くむせていたから、もう 「こっちは真面目にやってるのになあ。仁王にも交換日記やらせようか」 「名案だな」 「ということで、さん仁王に言っておいてよ」 「はああ私今、仁王に頭が上がらないのにハードル高すぎっすよ」 「大丈夫だよ」 何がどう大丈夫何だか。じゃあ頼んだよ、なんて幸村は無責任なことを言って、キーホルダーと、食堂のプレートを掴むと席を立った。私は話してばっかりで、ちっともご飯に手をつけていなかったから、彼を追いかけることもできなくて、しようがなく浅く頷いて幸村の背中を見送った。それにしても仁王と、幸村と、私と交換日記なんてシュールの極みである。絶対仁王はやらないにうまい棒をかける。そうして肩を竦めて、また私は水筒に口をつけたのだった。 ちなみに、正直、もう関わることはないだろうと思っていた切原赤也と私が再会したのは、そのすぐあとの話である。 ( 180330 加筆修正 ) ( 160717 ) |