「あ、帰ってきた」


前からそんな声がして、顔を上げるとそこにいたのはブン太だった。彼はマフラーを口元がすっぽり隠れるくらいまでぐるぐると巻いており、ちょうど玄関から出てくるところで、私と目が合うなり、何か言いたげにもごもごと口を動かす。「…おかえり」そんなくぐもった声と白い息が、冷たい夜空に溶けて行く。


「ああ、うん。ただいま」


彼は履きかけだった靴の踵を潰してずりずりと私の前まで来ると、両手に持っていた大きな買い物袋を全部取り上げた。マフラーで隠れていても分かる、むすりとした表情が私に向けられる。すっかり手持ち無沙汰になった冷えた手をこすり合わせながら、「どこか出かけるつもりだった?」と問えば彼は「…お前を迎えに行くつもりだったの!」と額がごつりとぶつけられた。そうだったか。それは気を遣わせてごめん。
ブン太と同棲を始めて約一年。彼が意外と世話焼きなのはもちろん知っていたことだけれど、一緒に住み始めてからはそれが特に感じられるようになった。仕事の関係で私よりも彼が早く帰る時がほとんどで、どうやら今日もそうだったのだけれど、彼は私が遅いと心配でそわそわしてしまうらしい。
愛されてるなあと、私はほんのりにやける口元をおさえた。


「何にやけてんの」
「ふふ、別に」
「ていうか今日はいつもより帰って来るの遅かったな」
「あー、スーパーで特売があってね!おばさん達と戦ってたら、ついね」
「だからこんなに買い込んでたのか。…スーパー寄ったり荷物多い時は連絡しろって言ってんだろい」
「ごめん、忘れてた」


とっても寒いからお鍋でもしたくなって、衝動的にスーパーに突撃してお鍋ができるとほくほくした足取りで帰ってきてしまったので、つい連絡を忘れてしまったのだ。けれど、彼だって今日は仕事があったわけだし、疲れているブン太を引きずり出して迎えに来てもらうのは申し訳無いのだ。彼は私の方が心配だから気にするなと言うけど、それなら私だってブン太が心配だ。
とにかく、外は寒いからさっさと中に入ろうと、彼は私を促した。玄関で靴を脱いだ所で中から美味しそうな匂いがする。そこで私は「あっ」と、声をあげてブン太の方を見た。彼はそれに答えるように肩を竦めて見せた。


「…残念だけど今日は鍋食えねえぞ」
「…ご飯作ってくれてたのね」
「見てないだろうけど、メールしたんだぞ。だからきちんと俺に連絡すれば良かったのに」
「わーごめんねブン太!ありがとう大好き!」
「はいはい」


本当に申し訳ないことをした。お鍋は明日にしよう。むぎゅ、と彼に飛びつくと買い物袋を玄関に置いてブン太はそれをきちんと受け止める。ぽそりと冷たい、なんて私の頬の冷たさにぼやかれた。


「こんな体冷やして、風邪引くぞ。ストーブのとこ行けよ」
「もうちょっと」
「…」


しょうがねえな、照れたような声が耳元で聞こえた。彼の腕の中はストーブにあたるより温かくて幸せな気持ちになれる。そうしてしばらくぎゅうぎゅうと彼に抱きついていると、不意に彼のお腹が鳴った。彼は正直だけど、たまにムードに欠ける。


さん、そろそろ俺お腹空いたんですけど」
「うわあ、ブン太ご飯と私どっちが大事なのさ」
「据え膳食わぬは、って言うじゃん。まさに据え膳」
「この状況でブン太にとって据え膳はどう考えても私だと思いますけども」
「そうだけど。…何、誘ってる?」
「いや、冗談だけどさ」
「そんなこと言ってるとキスするから」
「え、だから冗談、ってどこ触って!?…ちょ!…んんっ…な、ブン太待っ」
「待たない」
「っ、ん…ぁ、」


滑り込んで来た彼の舌に、私は体を震わす。背中に回されていた手が首筋をなぞり、ぞくぞくと肌が粟立った。まさかの急展開に、ぼうっとする思考の中に残るかすかな理性でブン太の耳を強く引っ張ると、ハッと我に返ったらしいブン太が私から慌てて離れた。手の甲で口元を抑えて視線はまるで私へ向けるまいと斜め下へ注がれている。


「…おいこらブン太」
「うん、駄目だ。真面目に止まんなくなりそうで怖いから、とりあえず続きは飯食ってから」
「は、ちょっと!?」


いや、私が変な冗談を言ったのもいけなかったけどもね。彼を諌めようと言葉を紡ごうにも、彼はほったらかしにされていた買い物袋を掴むと慌ただしくキッチンの方へかけて行った。聞いてない。


「…まったく。ムードもないし、ブン太のエロ助」


そう、肩を竦めて見たものの、美味しそうなご飯の匂いに、ぐうとお腹が鳴った私は怒る気も失せて、思わず笑ってしまった。私も人のことは言えない。部屋の奥から私を急かすブン太の声がして、はいはいと私は歩き出した。
なんだかんだでどんなブン太も、全部全部、愛しいと思えてしまうのは、きっと世に言う恋は盲目なんて、そういうやつなんだろう。
ホームスイートホーム
(俺特製 天才的ホワイトシチューだぜ)(わあ!いただきまーす!)


この話の後日談(W14企画に飛びます)

( 丸井君と生活する話 // 140310 )
ラジオのお便りを送ってくださった秋野さんへ!
社会人設定で大人の甘みがあるお話ということでしたが、いかがでしたでしょうか。
大人の甘みというものを悟り違えたような気もしますが、もし「求めてたのはこんなんじゃないわい!」という場合は申し付けくだされば直しますので…!
リク:秋野さん