約二年後――


窓から流れ込む爽やかな春の陽気と風に、俺は小さくあくびをする。せっかくの春休みなのに、登校日があるなんて、休みモードに入っていた気持ちをガタ落ちさせる。とは言っても、春休みでも部活が朝から晩まであるわけだから登校日とさほど変わらないと言ってしまえばそれまでなのだが。
昼飯に、と購買で買った焼きそばパンを抱えながら俺はふと窓へと視線を移した。
この廊下の窓からは立海の高等部一、大きな桜の木が見える。とは言っても一階だから、上の階と違い全体が見えるわけでは無いが。
ひらひらと舞う桜の花びらを目で追ってから、俺に釣られて欠伸をした丸井先輩を見遣った。


「なんか、すっかり春ッスねえ」
「だなあー」


気の抜けた返事に、俺は苦笑を零す。そういえば、「彼女」は今頃どうしているだろうか。外で咲き乱れる桜に、俺は彼女の事を思い出していた。アメリカに引っ越して行った彼女は初めこそ、月に一回は、本当に一言だけしか書いていないお粗末な手紙を寄越していたが、それも数ヶ月でピッタリと止まってしまった。
しかし、先輩達はといえば、手紙が無いなんて一体どうしたのだろうと騒ぐ割に、こちらから先輩へ連絡をしない。しかも俺が電話をかけると言った時でさえそれを止めたくらいだ。


「そういや、幸村が言ってたけど、春合宿あるみたいだぞ」
「へえ、また手伝い先輩にでも頼むんですかね」
は部活で無理だってよ」「…じゃあ、原西先輩とか」
「…さあな」


心なしか、丸井先輩の声のトーンが落ちた気がした。先輩の表情は暗い。その様子に、やはり、皆先輩が嫌いになったわけじゃなかったのだと、改めて思い直す。
きっと先輩達は怖いのだ。
もしかしたら、先輩がもう俺達を鬱陶しく思っているかもしれない。連絡をしたら、彼女が俺達を拒絶するかもしれないと。もし、連絡が途絶えた裏にそんな事実が存在するなら、彼らはそれを知りたくないのだ。


「…先輩、どうしてますかね」


確信を得たくて、俺は足を止めて先輩を見た。しかし、俺の問いかけに、丸井先輩は答える事はなかった。ただ、少しだけペースをあげて前へ進む。相変わらず表情は硬い。何かから、目を背けて、逃げているようにも見えた。
置いていかれた俺は、慌てて先輩に追いついて、「ちょっと、」と丸井先輩の行く手を遮った。


「気にならないんスか」
「…」
「先輩達は逃げるんですか」


丸井先輩はハッと顔をあげて、すぐに目を伏せた。それから近くの窓から腕をだらりと伸ばし、外の桜の木を見上げる。「お前さあ、」丸井先輩がようやく口を開いた。


は、何で連絡寄越さなくなったと思う?」
「…」
「そりゃ新しい友達もできるよな。俺達より、居心地の良い居場所を見つけられたのかもしれねえ」
「…そ、そんな事、あるわけ無いッスよ!」
「わかんねえだろい」


…結局、怖いんだよな。
丸井先輩が珍しく弱気な言葉を漏らして、自嘲気味に笑った。らしくない姿に、何だか俺までモヤモヤとし始める。
その時だった。


「おい、何をしている。皆待っているぞ」


真田副部長の声に呼ばれて俺達は顔を上げた。そうだ。昼飯はテニス部で食べる事になって、屋上に集合がかかっていた。早くいかないと幸村部長に嫌味の一つでも頂きかねない。
何だか疲れた様に丸井先輩はその言葉に答え、再びとろとろと歩き始める。俺は真田副部長からはキビキビ歩けだのなんだの注意されるかと思っていたが、どうやら俺達の様子に、何の話をしていたのかを察した様だ。ただ空気を切り替える様になるべく早くしろと一言急かしただけだった。


「へいへい今行きますよ」


先輩達の背中を追おうと、足を踏み出す俺。しかし、それは誰かによって妨げられた。後ろから襟元を掴まれて首が締まり、ぐえっと情けない声をあげながら後ろへのけぞる。
丸井先輩や真田副部長は、俺のうめき声に、ちらりとこちらを目を配せて、ーーそれから何を思ったか二人とも目を見開いた。視線は、俺の後ろに注がれている。つーかそれより苦しいんだけど!


「おい、いきなり襟元掴みやがって一体誰が、」
「いやあ、焼きそばパンが用意してあるなんて関心関心ー」
「は、…」


忘れるはずのない、懐かしいその声に、振り返る俺が視界に捉えたのは、俺の焼きそばパンを攫って行くその手と、そして、


「なんで、…アンタが、…」


ずっとずっと会いたかった、先輩だった。


「大きくなったね、赤也」








信じられなかった。
窓の外から、こちらへ手を伸ばして赤也の襟元を捕まえて笑っているが、そこにはいた。彼女は変わっていなかった。相変わらずの棒読みな台詞に、へにゃりとした笑顔。唯一変わっているとしたら、ショートカットだった髪がさらりと長くなっていた事だけだ。

ああ、がいる。
は俺達が嫌いになったわけではなかったんだ。その事実に、安堵と共に自然と笑みがこぼれた。


、せんぱ、…っ」


窓から土足である事を構わず校舎内へ乗り込んでくるに、赤也が途端に涙声になる。それから、「せんぱあああい!」とすかさず彼女へ飛びつこうとした。しかし彼女はそれを受け止めるどころか、サッとかわして、赤也の頭を撫でる。「なんで、」なんて別の意味で泣きそうになっている赤也には笑いそうになったが、それに構うよりも、俺はの方へ歩みを進めた。
前に来た俺に気づいたは、すっと息を吸う。


「ただいマンゴー!」
「おかえリンゴーって、やらすな」
「あたっ」


久々なのにどうやら彼女のボケと俺のツッコミのキレは変わらないらしい。流石ツッコミの相棒、なんてくだらない事を呟く彼女は、それから後ろにいる真田へ視線を移す。
真田は突然現れたに、やれやれと、困った様に腕を組む。


「土足で校内を歩くなど、何を考えているのだ。…馬鹿者が」
「なはは。待ってました」


そう言った真田も、そして注意をされたも、どこか嬉しそうで、に至っては瞳に涙が溜まっていたという事は、きっと一番近くにいた俺しか気づかなかっただろう。


「…ねえ、私、やっと帰って来たよ」
「ああ、皆待っていた」
「そうだ、屋上に今皆集まってんだよ。お前も来いよ」
「皆きっと驚きますね」
「じゃあ、きちんと『ただいま』するのは、そこでにしようかな」


春の風が、ふわりと俺達の間を吹き抜ける。


「じゃあ、行こうか」



俺達の絆は何も変わらないまま、確かに俺達を繋いでいた。





春のお届けもの
(おかえり。やっぱり君がいなきゃね!)

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( エピローグです。早速帰ってきました。一応二年後。エピローグはあと2,3話続きます。多分 / 130328 )