B級上位戦とバレンタインの話01


影浦先輩は、結構誤解を招きやすい人だ。
根は単純で、以外と優しいところもあって、そこらへんにいる人よりよっぽどまっすぐな人だけれど、多くは、――取り分けC級隊員は――それを知らない。定期的に隊員がボーダーに入る度に、あらぬ噂に流されて彼の陰口を囁く人は少なからずいて、私はそれを見かけることもしばしばあった。影浦先輩はダサいからやめろというけれど、やはり自分の大事な人をそんなふうに言われて気分が良いわけもなく、見かけたらなるべく諭すようにはしている。しかし私自身、一部のC級には舐められているので、効果があるかは定かではない。たぶん、これからもずっとそう。


久々の非番にも関わらず、放課後、私は荷物を携えてボーダー本部へと足を運んでいた。実は人を探していたのだけれど、通りがかりのランク戦室が何やらざわついており、しかし覗いて見るとその理由はすぐにわかった。

「影浦先輩、珍しいですね」

人の多い場所を嫌う彼が、人がよく集まるこの時間帯に、誰かと対戦をするわけでもなく、ここにいる姿は久々に見る光景だった。案の定といえば良いのか、私の声に不機嫌そうな瞳を持ち上げる影浦先輩。どうやら村上先輩と待ち合わせをしているらしい。

「あんまり顰めっ面してると皆怖がって近づいて来ませんよ」
「構いやしねーよ。それでも近づいてくる物好きはうざってぇくらいいるしな」
「私は師匠の良さをもっと皆に知ってもらいたいんですけ、あでっ」
「師匠って呼ぶな」
「私今トリオン体じゃないんですから殴らないでくださいよう……」
「あーそりゃー悪かったなー」
「雑」

心底適当に私の頭を撫でながらカタカタとスマホを弄る影浦先輩は、いつもより随分イラついている。また誰かにあらぬ噂でも立てられて、いざこざでもあったら心配だなあと、肩をすくめて何気なく彼の隣に腰を下ろすと、「やめろ」と肘でど突かれた。どうやら心配する気持ちが彼には筒抜けていたらしい。仕方がないだろうと思いながら、すいませんと形だけ謝った。きっとそれも意味がないのだろうが。

「つうか、お前何だその袋」
「あ、これクッキーですよ」
「クッキー?」
「もともとは風間さんのために焼いてきたんですけど、ちょっと出水に用事があるので、ついでに彼に渡そうとたくさん持ってきたんです」

風間さんにはきちんとした包みに入れていたのだけれど、出水用にはタッパーにざらっと入れただけのもので、それを先輩に見せてやる。まあ出水の場合、太刀川隊の皆で食べそうだし、タッパーでも問題ないだろう。あ、ていうか私、出水を探してたんだった。自分の言葉に本来の目的を思い出して、見かけていないか先輩に尋ねると、「知らねー」と素っ気ない台詞が返った。そうか。

「やっぱ作戦室かなー……って、先輩何勝手にクッキー食べてるんですか」
「あ? 減るもんじゃねえだろーが」
「いやいや着実に減ってますから」
「うるせーな」
「美味しいですか」
「ふつー」
「先輩、女子にモテませんよ。風間さんだったら、たとえ不味くてもきっと、」

いつの間にか蓋の開けられたタッパーからは、影浦先輩がクッキーを攫っていき、相変わらず眉間にしわを寄せながらそれを咀嚼している。そうして私が風間さんの話を出した瞬間だった。クッキーを掴んだ彼の手は、それを突然私の口に押し込んで、大きく舌打ちをしたのだ。え、私何か怒らせるようなこと言った? ……言ったな、モテないって言った。いやいやでもそんなことで影浦先輩が怒るか。

「オイ、そこの二人」

怪訝に思いながら彼の手の下で私は押し込まれたクッキーにもぐもぐと口を動かす。その横で、彼は突然頭を仰け反らせて、先にいるC級隊員を睨みつけていた。彼の怒りの矛先は私ではなく、どうやら数メートル離れたところにいる二人らしい。

「俺に何か用かァ」

二人は肩をビクつかせて互いの顔を見合わせていた。しまった、みたいな顔をしたのが私にもよく分かる。多分、このC級が『先輩に向けて』の気に触るようなことでも思ったのだろうことは安易に想像がついた。影浦先輩は、二人を呼びつけて、前に立たせる。彼らは先輩の隣にいた私を見て、うわ、じゃねーか、みたいな顔もした。それがどういう意味かは、分からないけど、影浦先輩の悪口でも言っていたのであれば、私に対する感情も似たようなものに違いない。

「で、何か言いたいことがあんだろ?」
「え、いや、俺ら別に雑談してただけだよな!」
「そうっす。つうかむしろ俺ら影浦さんのファンっつーか」

じろ、と先輩の視線が鋭くなった。彼らが嘘をついていることはサイドエフェクトがなくたって分かる。だけれど、ここでこんな奴らのことごときで大事にしてやることもないので、私はわざと柔らかく笑って見せると、「ですって影浦先輩」と口を開いた。先輩のファンだなんて、私と一緒ですね、と。すると先輩は毒気を抜かれたようで、ため息をつくと、二人を追い払うように「あーもういいや、めんどくせー解散」と手をひらひらと振った。
その後影浦先輩は、私を見て酷く煩わしそうな目を向けたけれど、そんなものは慣れっこなので、笑ってかわしてやった。それから、逃げるように背を向けた二人を見やりながらうまく難は逃れたかと、私は安堵する。 しかし、次の瞬間、影浦先輩からの鋭い気配が増し、たちまち背中が粟立った私は思わず息を飲んだ。え。なに。

「オイおめーら、やっぱ待て」

影浦先輩が立ち上がる。あれ、あれ、見逃したんじゃないの、と私もまたC級の二人同様困惑の色を示す。しかし、彼が腕をかすかに動かしたとき、私は彼が何をするかが即座に理解できた。

「影浦先輩、ストップ!!」

とは言ったものの、私の言葉が通じるはずもない。鞭のように彼の腕から伸びたスコーピオンは、二人の首をあっという間に跳ねていた。私もB級時代はこれを何度も食らったことがある。煙に包まれ換装が解かれた二人は、何が起こったのか状況も把握できていないように、唖然とこちらを見つめていた。

「あーもう何やってんですか先輩!」
「うるせえ、テメエはすっこんでろ
「先輩、私は先輩を心配して言ってるんです。こんなC級のためにまた点数落としたらどうすんですか。いい加減にしないと怒りますよ」

あんまり煽ると、私まで首をはねられかねないので(しかも、流石に攻撃されることはないにしても今は生身だ)、いつでも孤月を出せるようにトリガーを身構えていると、そのそばで、C級の二人は、我に返ったのか模擬戦以外での戦闘はなんだこうだと騒ぎ始めた。影浦先輩も先輩で、自分達が勝手に転んだんだろうとキレ始める始末。やれやれといった感じだ。けれど、天の助けか、ちょうど影浦先輩と待ち合わせをしていた村上先輩の姿が階段から降りてくるのが見えた。どういうわけか、その隣には遊真も。ああ、そういや、玉狛第二の次の相手の一つは影浦隊だっけ。

「村上先輩、遅いですよー」
「何だ、もいたのか」
「影浦先輩、私の言うこと聞いてくれないんです。収拾をつけてください」

先輩は、周りの関係のないC級に威嚇しながら「おっせーよ目立っちまっただろうが!」なんて村上先輩にまでいちゃもんをつけている。それでも表情を崩さないあたり、村上先輩は流石である。そんな先輩に、C級は助けを求めるようにやって来たのだが、村上先輩は、影浦先輩は人の心が読めるんだよーと大袈裟に脅してみせた。本当は少し違うのだけれど。しかし、するとまさしく二人には『心あたり』があったのか、顔をサッと青くするなりあっという間にランク戦室から飛び出して行ったので、ひとまずは一件落着である。それにしたって、影浦先輩の喧嘩っ早さはどうにかならないものか。確かに一度は我慢していたけれど。

「何やってんだカゲ、また減点と降格を食らうぞ」
「そうですよ、村上先輩、もっと言ってやって!」
「ハッ、そんなん痛くも痒くもねえ。だいたい、おめーだって似たようなもんだろーが」
「うぐぐ」
も? それってどういうこと?」

痛いところを突かれた、と渋い顔をする私に、遊真が問う。すると彼の存在をようやく認識したらしく、「誰だこのチビ」と影浦先輩が言った。

「ああ、彼は玉狛第二の空閑遊真くんです」
「初めまして」
「今日は彼に会わせたくて呼んだんだ」
「玉狛第二の空閑ぁ?」

影浦先輩は、その名前にすぐに合点がいったようだった。なんせ荒船先輩と村上先輩が負けた相手だ。遊真はどうやら次の対戦相手として、影浦先輩の実力を知りたかったらしい。しかしその後に彼の機嫌を損ねたこともあり、結局模擬戦に持ち込むことはできなかったようだ。

「ふむ、あのスコーピオンの使い方、もう一度見てみたかったな」

そういうことらしい。猫背の背中を揺らしながらだらだらとランク戦室から出て行く先輩の姿を見送りながら、呟いた遊真の台詞に、村上先輩の視線が私で止まった。

「それならでも対策は立てられるよ」
「えっわたし、」
「ほう、はあの伸びるスコーピオン、出せるのか」
「まあ」

出せないことはない、というか、出せるようにはした。もともとはそのために影浦先輩の弟子になったのだから。でも今トリガーにはスコーピオンを入れていない。それに、影浦先輩にも関わるし、あまり自分の手の内を明かすのも憚られて、曖昧に笑っていると遊真の瞳が「ふうん」とじっと私を見つめていた。居心地の悪い目だ。

「そう言えば、と影浦先輩ってどういう関係なんだ?」
「え? あー……」
は、カゲの弟子だよ」
「そういうと師匠は怒るけどね。弟子だと思ってるのは私だけかな」
「俺はそうでもないと思うけどな」

肩を竦めて影浦先輩が見えなくなった方を一瞥すると、村上先輩がそう付け加えたので、私はその意味を掴みあぐねて首を傾げたのだった。

「じゃあさっきのが降格って話は?」
「え? あー……正確には降格になったわけじゃないけど、」

私は言葉を濁して、作り笑いを浮かべる。正直後輩に示しがつかないような話だ。

「前に減点を食らったことがあるって話」
「ほう、そんなふうには見えないけどな」
「形は違えど師匠と弟子は『色々と』似るってことさ」
「どういうことだ?」
「しばらく一緒にいたらきっと分かる」

村上先輩は私がまごついていることを察してか、ゆるく笑みを浮かべるだけだった。隠していても、村上先輩の言うように、一緒にいればそのうちどこかで耳にするかもしれない話だろう。今まで関わってきた人達は皆そうだった。
その後、私達はしばらく雑談をして、その流れで、次のランク戦に向けて村上先輩に遊真の相手をしてくれないかと頼まれたのだけれど、丁寧にお断りした。「ただのB級とは違ってかなり実力はあるぞ」と言われたが、それは分かっている。これまでのB級ランク戦は見た。それに、私がなかなか勝ち越せない村上先輩を倒した奴だもの。ただ、私はせっかくの非番の今日は他人の世話をしに来たのではなく、自分の訓練をしにきたので、申し訳ないが、また日を改めてほしい。

「それは残念だ。ランク戦対策っていうか、普通に興味あったんだけどな。A級三位の風間隊の人の実力に」
「……」
は強いよ」
「村上先輩が言うと素直に喜べないです」
「本当に思ってるよ」
「またまた」

村上先輩は本当に嫌味なんてこれっぽっちも抱いていないんだろうけれど、器の小さい私は、くそ、いつかぶっ倒すと静かに思った。

村上先輩達と別れた私は、次の目星として太刀川隊の作戦室の方まで来ていた。……の、だけれど、どうやら今日の私はついていないらしい。作戦室の前にはどういうわけか玉狛の三雲君と、太刀川隊のお荷物(出水談)と名高い唯我の姿があった。果てしなく謎な組み合わせである。

「今すぐ立ち去りたまえ!!」
「あああの! 出水先輩に確認をッ」
「ええいうるさいA級一位に逆らう気かアアア!」
「ちょ、ちょっと!」

……あれは、何をやってるんだろう。
遠目からだと、唯我が三雲君に迷惑を掛けているようにしかみえない。多分、実際そうだ。
控えめに言って、絶対関わりたくない。
唯我が何をしでかしたのか、出水に会いたがっている三雲君を追い返そうと暴れている姿に、三雲君が哀れで仕方がない。それにしたって、諦めない彼もなかなか根性があるが。
あの横を通り抜けていく自信はないので、私は手提げを一瞥してから、やっぱり出直して、遊真の相手でもしてあげようかなと、踵を返そうとした。すると、運の悪いことに「あ、先輩!」と唯我の声が私を引き止めた。く、と足を止めてゆるく振り返ると、彼は髪をさらっさらと揺らしながら私へ手を振っている。

「……。やあ」
「どうしてこちらに? ああ、もしかして僕に会いに、」
「違います」

相変わらずの唯我から、顔をもみくちゃにされている三雲君へ視線を移すと、彼はまるで助けて欲しそうな顔で私を見ていた。悪いけどやだよ。すると唯我が、私の視線に気づいたか、「ああご安心ください、この不審者は僕がしっかり追い出しますので」なんて言い始める。

「ちっ、違います! 僕はちゃんと烏丸先輩に出水先輩との約束を取り付けてもらっているんです、先輩信じてください!」
「いや心配しなくてもハナから唯我の言葉は一言も信じてないけどさ」
先輩酷い!」
「唯我、あんま勝手なことしてるとまた出水に蹴っ飛ばされるよ」

結局逃げ出せないままぴいぴい叫ぶ唯我に、あーめんどくせえ、と思っていると、不意に「唯我アアアア」なんて出水の怒鳴り声が聞こえた。顔を上げるとそこには出水と太刀川さんの姿がある。あ、助かったわ。
突然現れた出水は助走をつけて、少しも躊躇いなく唯我に飛び蹴りを食らわした。目の前に飛んでくる唯我を難なくかわす。トリオン体とは言え、床に突っ込んだ姿はいたそうだ。

「い、い、い、出水先輩! いきなり飛び蹴りなんて酷い! 先輩も避けるなんて酷い!」
「痛いフリすんな、トリオン体だろ」
「心が痛むんですよオオ!」
「ていうか何で私が君を受け止めなくちゃいけないんだ」
「あ、眼鏡君、遅れて悪かったな」
「いえ……」

出水の様子をみるに、やはり三雲君が言っていた通り、彼は出水と会う約束をしていたらしい。次のランク戦対策、といったところだろうか。そう言えば、次は風間さんが解説だったっけ。
唯我が喚くそばで、太刀川さんは、仲裁に入ることもなく三雲君が持ってきたらしい土産の袋を漁っている。本当にこの人は年上か。出水は、唯我は太刀川隊のお荷物、と三雲君へ簡単に紹介をして、また彼は役立たずの認知度を上げたようだ。哀れ。

「あんまりです出水先輩。僕は純粋に使命感から、不審者を廃除しようとしただけで、先輩も怖がっていましたからね」
「怖がってねーよ」
「眼鏡君、こいつが迷惑かけたら言ってくれ。俺が責任持って蹴りを入れる」
「私には言わないでね」
「僕の人権が失われようとしている!」

三雲君が持ってきた袋は、いいとこのどら焼きのようで、太刀川さんは廊下にも関わらずそれをもさもさと食べ始めた。何だこの空間はと思ったのも束の間、唯我があまりに騒がしかったため、作戦室からは、「何を騒いどるかねー」なんて柚宇さんまで顔を出した。

「おやおやちゃん」
「国近せんぱぁい!」
「うるせー唯我」
「こんにちは柚宇さん」
「うんうん。今日はどうしたのー?」
「ああ、そうだよ。そういや何でがここにいるんだ」
「ん、ああ出水に用があったんだけど」

これクッキーね、と出水の手に袋を載せた。三雲君のいいとこのどら焼きにはかなり見劣りしますが。隊のみんなで良ければどうぞ。

「あー、用事っていつものか」
「うん。でも三雲君の先約があるんじゃ今日は良いかな」
「いや、どうせだからお前も入れよ。眼鏡君の用事もお前と似たようなもんだし」

ああ確か、三雲君はシューターだったか。わざわざ烏丸が出水に約束を取り付けた理由に合点がいって、私は三雲君を横目で伺った。彼はすぐそばで、太刀川さんに、唯我は半人前だなんだと何やら貶されている騒がしさについては最早気にしていないようで、あれ、この人シューターだっけ、みたいな顔をしている。
私が戦っているところは今までたぶん見たことがないだろうけど、私がアタッカーということは確かどこかで話しているはずだ。

「あー、私一応今は孤月使いだから」
「え、あっ、はい」
「ていうか私本当に邪魔じゃない?」
「いやいやーお前もハウンド使ってんだし、なんか教えてやれよ」
「えええ……」

なんか教えて欲しいのは私の方なんですけどね、という台詞は飲み込んだ。
私のハウンドは大雑把だ。始めに私にそう言ったのは菊地原だった。まあ自分でも分かっていたし、それで困ったことはなかった。風間さんにどうにかしろと言われたこともない。けれど、それがきっかけでせっかく使うなら、もう少し使いこなせるようになった方が、戦闘にも利用できるから良いかなと思ったのも事実。加えて、そばに天才シューターと呼ばれた出水公平がいたことが大きかった。影浦先輩の時同様、即刻頭を下げに行ったのを覚えている。といっても弟子と言う扱いとはかなり違うけど。

私は背中を押されるまま、太刀川隊の作戦室に転がり込むことになった。上がりこんで早々になんだけど、うちの部屋と違って結構散らかっている。
出水はそばのソファを私達に勧めて、三雲君の隣に並ぶように腰を落ち着けた。私はいつも通り、出水には実践に付き合ってもらう予定だったのだが。太刀川さん達も話に入ってくるわけでもなさそうだし、一人でも点が取れるようになりたいと言い出した三雲君の話を聞き流しながら私はぼんやり太刀川さん達のゲームの様子を見ていた。

「良いんじゃねえの。シューター以外全滅して一人で戦わなくちゃいけないときもあるしな」

出水がどら焼きに手を伸ばしながら答える。彼の答えに、三雲君は満足そうだ。反対されると思ったのだろうか。まあ、なんとなく想像はつく。そんなふうに私はただ隣に座っていただけだったのだけれど、出水がお前も食えば、なんてふいにどら焼きを顎でしゃくった。え、でも私ちっとも関係ないんだが……。「あ、どうぞ食べてください」「これはどうも……」三雲君が私にもどら焼きを差し出したので、好意に甘えることにした。こうなると私も真面目に聞かねばならない。

「唯我、お前は食うな」
「ひ、酷い! ふんっ」
「……唯我クッキーで良かったら食べて良いよ」
「わあ、」
「そっちも絶対食うな」
「酷い!!」

出水は唯我の伸ばしかけた手を二度も払う。私が良いって言ってるのに。ていうかほんと大したもんじゃないからな。邪険にされた唯我は泣き真似をして、太刀川さん達の方へ逃げて行った。まあいいや。

「それで、嵐山さんのところにも行ったんでしょ。収穫はあった?」
「はい。弾道のひき方、シールドを避けての弾を当て方、シューターの基礎は一通り教えて頂きました」
「流石嵐山隊。俺、もう教えることなくない? あとは実践だろ」
「そうそう。実践経験を出水に聞くのは、天才肌の感覚派だから、あんま参考にならないかもよ」
「俺に教えてもらってる奴がよく言うよ」
「いやまあ分かりやすいけど、無茶言ってるときもありますよ出水さん」

初心者の初心者にはそんなことはないのかもしれないけれど、ある程度できるようになると、そりゃあんただからできんだよ、みたいなことを平気で指示してきたりする。じゃあ俺が出したハウンドを全部撃ち落として、とか言われた時はそもそも弾数が足りていないのに何言ってんだこいつ、ってなった。

「出水先輩は、合成弾の名手だと伺ってます。僕はこの前の試合で、合成弾の威力を身を以て知りました」
「ああ、鈴鳴と那須隊のときの……」
「はい」
「合成弾を覚えたいってことか? あれは確かに強ぇけど、素人が使うと隙だらけだぜ」
「私はそんな大技覚える前に、まずは実践経験を積むのが良いと思うけどねえ」
の言う通りだな」

私達の意見に、三雲君は、考え込むように「実践経験……」と零した。私はどら焼きを小さくかじりながら小さく息を漏らす。たぶん、彼は心のどこかで焦っているに違いない。理由は知らないけれど、相当遠征に行きたいらしいし、何せ同じチームに実力のある遊真と、実力は足りなくとも、相当の戦力となり得るトリオンの持ち主の雨取千佳がいる。それに引き換え彼はかなり弱い。足を引っ張りたくないのだろう。だけど、話していて正直彼が今何をどうしたいのか、というのがちっとも見えてこない。木虎は三雲君に冷たく当たったようだが、わかる気がする。
視線を持ち上げて出水を伺うと、彼と目が合った。どうしたもんかな、って顔だ。私に聞かれてもな。

「んー、ハウンドオンリーの相手……じゃ、シューター云々の前にもっと根本的なレベルで眼鏡君には荷が重いだろうしな」

まあ、確かに仮に武器を何も持っていなくとも、本気になればこれまでの実践経験や身体能力、戦術諸々で彼を羽交い締めにするくらいわけない。でも相手は別にシューターじゃなくたって実力の差が大き過ぎなければ良いのだろう。それなら唯我は、と私が提案すると、出水がはた、と目を丸くした。それから口元に弧を描く。あ、悪い顔だ。

「名案だな。んん、唯我、ちょっと来い」

先程まであれ程蔑ろにされていたと言うのに、出水に呼ばれて「あ、はい」なんて素直に来てしまうあたり、唯我はすっかり太刀川隊に飼い慣らされてボーダーのスポンサーの息子という威厳を失っている。
そんな彼の指すと、出水は言った。
とりあえず唯我に100勝。もちろんそこに唯我の意思は欠片も入ってはいない。案の定、彼は僕のプライドがどうとかチームプレイのフェアな戦いをとか、そういうことを騒ぎ出した。チームプレイの時点でちっともフェアじゃない。出水の出した課題に、唯我はかなり拒絶の色を見せていたが、だからと言ってこの場で唯我の意思がまかり通るはずもなかった。

「じゃあそういうことで、とりま10本な。まず眼鏡君が実力確認もかねて俺とで見させてもらうわ」
「はい、お願いします!」
「あ、私も見るの」
「当たり前だろ。どうせ俺の手が空かねえとお前も練習できねえし」
「そっか」
「区切りついたらも見てやっから」
「まじかー、しゃーす」
「ゆっるー」

こうして泣き喚く唯我と三雲君との訓練が始まろうとしていた。

「人権団体を呼んでくれエエエ!」
「うるせーぞ唯我」




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( 160919 )