たくさん心配される話01



※原作沿いではないオリジナルの話です。設定が謎めいていてもOKの方のみどうぞ!




菊地原は、私の音を聞くのが得意だ―と思う。
思う、というのは本人から聞いたわけではなく、また他人から指摘されたわけでもない、私の推測の域を出ない情報だから。
けれど彼はいつだって、私が彼を見つけるよりも早く私を見つけて、律儀に私が追いつくのを待っている。……呆れ顔で。面倒なら無視をすればいいと思うけれど、嬉しいから彼には言わないでいる。きっと話したらもう二度と待ってくれなさそうだ。
戦闘中も菊地原は私の音を絶対に間違えない。音だけでを認識できるのは菊地原だけで、だから彼の傍にいると、私はとても安心する。多分、自分の存在が紛れもなくそこにあると、感じることができるから。

今日も例外なく、菊地原は私の音を正しく捉えたらしい。

学校帰りに基地へ向かおうとした私が菊地原に出会ったのはほんの数分前に遡る。
三門市には基地へ通じる秘密経路が点在していて、私の通う学校と、菊地原の通う学校の近くにもそれが存在しているため、放課後に彼と基地へ向かうことは、示し合わせたりしなければほぼない。普段、私は大体米屋や出水と基地へ向かうし、菊地原も恐らくは歌川や同じ学校に通うメンツと基地までの道を共にしている。
ただ、今日ばかりはどういうわけか普段使うその通路が使えないようになっていた。トリガーの認証機能が壊れているのか、入口はうんともすんとも言わないし、開いてもくれない。

「どうしちゃったんだろう」

先を急いでいたわけでもないのだけれど、別の通路まで行くのも億劫で、私はそこから基地への最短ルートになる警戒区域を抜けていく道を選択することにした。トリオン兵に遭遇する確率は高いのだけれど、トリガーがあれば問題はない。
そう基地の方へを歩き出したとき、先を歩く菊地原の背中を見つけた。
あ、きくちはら、と微かに呟く。自分にしか聞こえない程度の声だったが、私が名を言い切るよりも早く、彼は振り返った。
目が合って、もう一度、今度ははっきりと伝える意思を持って菊地原の名前を呼ぶ。彼は「うん」と短く返事をした。

「いつから気づいてたの?」
「名前を呼ぶ少し前から」

つまり足音で既に私の存在を認知していたのだろう。
菊地原が前に向き直ったので、私が小走りで隣に追いつくと彼は歩き出した。こういうとき、ちゃんと待ってくれるんだよなあ、と思う。

「やれやれ、菊地原の後をつけるのは一生無理そうだな」
「なに、つける気でいたの?」
「まさか。つけたところで基地に行くのはわかってるしね」
「あっそ。それで、その基地に行くのにわざわざ警戒区域の方へ向かっているのは通路が使えなかったから?」
「うん、開かなかった。その様子だと私のところだけじゃなかったみたいだね」

どうやら菊地原の普段使っている通路も使えなくなっていたらしい。基地で何かあったのかとも思ったけれど、本部からの通達はないし、出水や米屋から連絡がないのもおかしい。ただ一時的な故障みたいなもの、なのだろうか。

「ところで菊地原、学校が終わるの随分遅いね」
「ああ、日直だったから」
「ふうん」

気の無い声で相槌を打ってぼんやり空を見上げる。淡い水色が朱と、その先の紫に呑み込まれてゆく。夕闇が迫っていた。「上向いてると転ぶよ」と菊地原が言う。頭を戻すと菊地原が続けた。

「ていうか、そういう自分も遅いよね。……ああ、ごめん居残りさせられてたのか」
「いや違う、違うから――おいその馬鹿にしたような顔やめろ」

菊地原の頬を抓り上げて、そういうんじゃないと呟いた。とは言え、遅くまで残っていた意味も別段ないのだけれど。

「担任から頼まれごとをして、それが終わって、そのあとぼんやりしていたら、気づいたらこの時間だったんだよ」
「ふうん。暇そうでなによりだね」
「あはは何か言った? 菊地原」
「痛っ、痛いって、暴力反対ー」

私は菊地原の頬をぎゅ、と抓りあげて言うと、彼はそれからなんとか逃れて、頬を抑えた。不満そうな顔を向けられたので、そんな彼へ、べ、と舌を出す。その減らず口を恨め。
ただ確かに時間を持て余していたと言われたら否定はしない。でも、それは妙な胸騒ぎがして、その場から動くことが躊躇われたからだ。私の勘は、悪い方面に関してよく当たる。急に押し黙った私に、菊地原が怪訝そうな顔をしたので、空を再び仰いでから私は言った。

「だって今日の空はどうにも気味が悪い」

嫌な予感がする、とそこまでは口にはしなかったものの、菊地原は、私の言わんとすることを察したらしい。彼は基地の方をじっと見据えて静かに「そう」と頷いた。

が言うならそうなのかもね」

長いと思われた基地までの道のりは、そんなふうに話していれば存外短く感じるもので、気づけば私達は警戒区域の入口まで来ていた。
遠くの方で煙が上がっているのが見える。防衛任務に当たっている隊がトリオン兵と交戦しているのだろう。確か今日防衛任務に当たっているのは三輪隊だったか。
彼らがトリオン兵を取り逃がすとも思えないが、いつどこでゲートが出現するかもわからないこの中を抜けていくにはトリオン体の方が都合が良さそうだ。そう、お互いトリガーを構えた時だった。
ピリ、とその場の空気が張り詰めたのがわかった。見えない何かが自分へ急速に迫ってくるような気配に、咄嗟に横へ飛び退く。菊地原もまた、同様に逆側へかわしていた。私は息を飲む。
――何かがいる。

「菊地原!」
「わかってる」

トリガーを持つ手に力を込めて換装体へ切り替わると素早く菊地原の方へ飛び込み、背を合わせる。注意深く辺りを見回して、私は長く息を吐いた。

「今なにか、突進して来たよね」
「うん、見えなかったけど」
「音でなにかわかる?」
「……銃弾、って感じではないね。うまく言えないけど、壁みたいな」
「壁……」

ピンポイントな攻撃というより、効果範囲の広いものということだろうか。
私と菊地原は、じりじりと警戒区域へ足を進めていく。相手の場所がわからないまま動くのは得策ではないが、交戦するならなるべく警戒区域内だ。
そのまま、しばらく膠着した状態が続いた。敵の気配は消えないが、一向に姿を現さなければ攻撃も仕掛けてくることもない。互いに怪訝に思い始めたとき、私は何かにつまづいて盛大に地面に倒れ込んだ。

「ちょ、、なにやってんのさ」
「いや、なにかにつまづいて、」

そう思って足元へ目をやると、そこには傷だらけの男子学生が倒れていた。手にはトリガーが握られていて、辺りには真新しい交戦した跡がある。
見たことのある顔だ。確か、B級19位の早川隊だったか。さしずめ、彼も秘密経路を使えず警戒区域を通過しようとしたところで、何者かに襲われたのだろう。

「しっかり、なにがあったの!」

肩を揺するが反応はない。ぐったりと地面に伏せたままだが、息はまだあった。
とにかく、早いところ基地の医務室に運ばなければ、と私は握られていたトリガーを掴んで、脇に落ちていた鞄へしまう。それから彼を背負おうとしたところで、私はふと、手を止めた。
よく考えたら、この状況はおかしくはないだろうか。
交戦した跡があるのに、何故彼は今換装していないのだろう。換装さえしていれば、負けたとしてもベイルアウトして本部に強制送還されるはずだ。
換装を解かない限りは、生身でやられることなんてあるはずがない、そこまで考えが至ったとき、菊地原が私を横へ突き飛ばした。刹那、すぐそばを見えない何かが突き抜けて、そばの瓦礫を砕いていく。

「――っ」
「ぼやっとしないでよ!」
「ご、ごめん!」

今度こそ素早く早川隊の隊員を背負うと、気配のする方へハウンドと飛ばした。一方向目掛けて弾丸が飛んでいき、建物の上で爆発した。煙が立ち、束の間視界が悪くなるが、手応えがない。

「ダメだ、一度引こう。菊地原」
「……うん。その方がいいかもしれない」
「このタイプの『見えない攻撃』は初めてだ」
「ああ、それを抜きにしてもこいつを庇いながらいつゲートが開くかもわからない警戒区域内で戦うのは部が悪い。カメレオンも使えないからね」
「基地の近くに三輪隊がいるはずだ。そこまで下がって、気絶してるこの子だけでも渡そう。それから叩く、いい?」
「異論はないよ」

菊地原が頷いたのを確認すると、私は基地の方へ向き、菊地原気配から視線はそらさずに後退を始めた。しかしその直後、唐突に側の家屋から行く手を阻むように素早く何かが目の前に降り立つ。「誰だ!」足を止めた私はすかさず孤月を構える。「俺だよ」のそりと起き上がったのはよく見知った顔だった。

「な、米屋!」
「おいおい、爆発につられて来てみたはいいけど、これどういう状況だ?

きっと私が放ったハウンドの爆発音を聞いて三輪あたりが様子を確認させに米屋を出したに違いない。

「その後ろのは」
「うちの隊員みたい。警戒区域入口に倒れてたから拾った。どういうわけか生身でやられているんだよ。言えるのはそれくらいで私達にも状況がまだ飲み込めてないんだ」
「あとは見えない攻撃がさっきから飛んできてるってことだけ、――右から来るよ」
「げ、まじかよ」

菊地原の合図と共に私と米屋は上に飛ぶ。
見えない攻撃はそばの木の幹に当たったようでばきばきと音を立てて木がやや斜めに傾いていく。
屋根の上からそれを見ていた菊地原が、「斬撃というより打撃だね」とこぼした。確かに幹は切り裂かれているというより、丸く凹みの跡がある。それも凹んでいるのは幹の三分の一程度で、思うほど威力は高くないのかもしれない。攻撃を透明化できる分、威力に力を割けないのだろうか。
菊地原が私を名前を呼ぶ。まるで行くよと誘うようで、私はそれに小さく笑みをこぼすと背中の彼を米屋に押し付けた。

「ねえ米屋、悪いんだけどこの子を本部の医務室に届けてくれるかな」
「はあ、お前はどうすんだよ!」
「私と菊地原は敵サンを捕まえる。やられっぱなしは性に合わない」
「早くしないと相手も逃げそうだしね」
「確かに」

先程から攻撃がワンパターンだし、追い詰める攻撃を仕掛けて来る様子はない。近接攻撃もない。まるで威嚇されているようだ。逃げるタイミングを探しているのか、あまり近づいて欲しくないようにとれる。

「二人だけで行くのか」
「取り逃したくないからね」
「だいたい米屋は任務があるんだからここを放り出していけないでしょうが」
「そうだけど」
「心配ならその子置いてから応援寄越して」

私がそう言い切るなり、菊地原は飛んだ。私もそれに続く。「あ、おい待て!」と米屋が制止の声を上げたが、私も菊地原も聞こうとはせず、走る速度を上げた。
気配が近づくと、菊地原はカメレオンを起動する。菊地原の気配が私より先に行ったのを確認すると、私はそれに合わせてハウンドを飛ばした。弧を描くように、白い弾丸がある一点に向かって飛んで行く。
すぐ近くのビルの屋上でハウンドは爆発し、煙の中に人影を見た。

《――捕捉した》
《足引っ張らないでよね、
《そっちこそ》

グラスホッパーで加速をつける。そのまま屋上へ滑り込んで貯水タンクの裏に身を潜ませる。反撃が来る様子はない。距離を詰めるわけでも、離れるわけでもなく、攻撃の調子もめちゃくちゃだ。なんだかテンポがうまく掴めない。
煙が薄れ、視界が晴れると、そこには全身黒い服に身を包んだ男がゆらりと立っていた。顔も、深くフードをかぶっていて見えない。だからだろうか、相手がそこに存在している、という以外の気配がなにも読めない。
「お前、一体何者だ」と、私は姿を隠したまま問うた。

「うちの隊員を襲ったのもお前だな。なにが目的だ」

浅く呼吸を続ける。数メートル先の人の気配へ意識を割きながら黙って様子を伺うが、黒フードが、なにかを答える気配はない。
だんまりか。

《話す気なさそうだね》
《ああ、そう。それなら捕まえて吐かせるだけ。仕掛けるよ》
《りょーかい》

菊地原の気のない声を聞いてから、私は右手に孤月を掴む。

「私待つのは嫌いなの。そっちが来ないなら、……こっちから行くよ!」

物陰から駆け出した私は孤月の柄を長く持つと、大きく息を吸って鎌を横に振り切る。

「――旋空孤月!」

空気を切り裂き拡張された斬撃が黒フードに伸びて行く。周りのコンクリートや障害物も構わず切り裂いて進んだ。その斬撃の軌跡をたどるように距離を詰めると、相手はすんでのところで旋空の刃を飛んでかわし、私の肩に手をついてそれを支点に宙返りした。……うそだろ。
すぐ後ろに降り立つ音。見えていたのに気配を感じさせない動きに、ぞっと背筋が粟立った。反射的に後方へ蹴りを繰り出す。それと同時に黒フードの背後から菊地原がスコーピオンで首を狙う。しかし私の蹴りは腕でいなされ、スコーピオンの刃はシールドのような盾が弾く。スコーピオンの刃が砕ける。バランスを崩した菊地原に、黒フードはやおら掌を向けたので、あの見えない攻撃が来るような気配がして、咄嗟に足を払った。

「こっちもいるの忘れないでよね!」

黒フードもまた、体勢を崩した。菊地原のもう一方のブレードが肩を掠める。しかし相手はそれに取り乱すふうもなく、倒れかけた身体を片手で支え、右方へ飛びのく。それから間髪入れずに私の首元へ手刀を繰り出した。
私はそれを受け止めて、顎を蹴り上げる。相手は後ろへ倒れていくと思いきや、身体を捻り、その勢いで、左から蹴りが飛ぶ。綺麗に脇に決まり、私は倒れこんだ。まるで自分と戦っているみたいだ。トリガー使いのくせに、体術を使うなんて。

「はっ……これは随分、格闘家、だね」

菊地原はカバーのために私の方へ走り出したが、それよりも早く、黒フードが怯んだ私との距離を詰めた。起き上がろうとした私の肩を足で踏みつけ、私の目の前に掌をかざす。――まずい、そう思ったときには身体全身に強い電撃のようなものが走っていた。視界がちらつく。

「う、あぐ……っ!」
!」

今までに食らったことのない攻撃だった。身体が引き裂かれるような感覚。これはおそらく、私達が普段使っているトリオンによる攻撃とは全く別物だと悟る。悟ったところで、仕組みが分からなくてはどうすることもできない。
逃げなければと思うのに、身体が自分のものではないかのように、まるでいうことを聞かなかった。菊地原が敵の背後に回り込み斬撃を繰り出しているのが見える。
せめてハウンドで援護をと、意識を集中させようとしたが、ハウンドの弾丸は小さく、歪に形成され、とても弾丸として使えるような代物ではない。

「ちく、しょう……ざっけんなよ……ッ!」

傍に落ちている孤月へ、有らん限りの力を振り絞って手を伸ばす。強い痺れが身体を支配していたが、なんとかそれを掴むと、グラスホッパーを踏んだ。もう走って間合いを詰めるほどの力はない。威力の半減したグラスホッパーは一枚置くので精一杯だった。だからこの一撃に賭けるしかない。

「っらあああ!」

菊地原のブレードをかわしている黒フードの方へ突っ込んでいく。菊地原がぎょっとした顔で私を見つめていたが、無謀だろうがなんだろうが知ったことではない。これが今私にできる最善だ。
私はその背中へ半ば倒れこむように大鎌を振り下ろした。刃は浅い。ただ、フードが捲れ上がり、敵の顔が晒された。それと同時に、菊地原が敵の首へスコーピオンを鋭く滑らせる。彼の首元には機械のようなものが巻き付いていた。スコーピオンがそれを破壊する。首輪が外れた。その瞬間、男はまるで電源が落ちたようにその場に崩れた。体の痺れが僅かに消える。あの妙な技は、この機械と連動していたのだろうか。
たちまち静寂が訪れて、拍子抜けしたように菊地原が半歩下がった。

「な、んだ。これ、勝ったの?」
「……さあ。今、なにか首から外れた、……みたいだけど」
「なんの機械だよ、これ。こいつの原動力みたいなものだった、とか?」
「……トリガー使いじゃない、ってこと?」
「ていうかそもそもこいつどう見てもトリガー使いには見えない」

確かに、足元に倒れている男は一般市民にしか見えない。トリオン体のバトルウェアに見えていた黒い服も、ただそれらしいものを着ていただけで、鎌で切り裂いた下には普通の服を着ている。
荒い呼吸を繰り返していると、菊地原が「そういえば大丈夫なの?」と私を伺った。大丈夫じゃない。今にも倒れそうだ。視界が大きくぐらつき、身体を支えていた鎌が突然手元から消える。トリオン切れとは思えないから、多分食らった攻撃のせいか。

「これは、やばい……」
「えっ、ちょっと!!」

後ろに倒れていった私は衝撃を身構えたが、気づけば誰かに受け止められていた。あれ、と微かに残る力で薄目を開く。受け止めたのは菊地原ではない。見上げたそこには真っ黒い影が映った。

「死んでねぇな、

表情は太陽の光のせいで見えないけれど、そこにいる人物に、私は安堵の息を漏らして頷いた。米屋が応援を出してくれたらしい。少し遅かったけれど。

「……ししょう」
「情けねえ声出すなアホ」







本部
( 190126 )
ノリとテンションが生み出した産物。後悔はしていない。