黒トリガー奪取時の話02



玉狛支部からボーダー本部へと飛び帰るなり私を待ち構えていたのは風間さんの鋭い視線だった。機嫌が悪そうであることは教えられずともよく分かった。身体を貫いたその視線に、私は一瞬だけ呼吸をすることさえ忘れた。あ、割と真面目に怒ってるやつだ。やばい。
少し広めの作戦室には、どういうわけか、風間隊以外にも、遠征に参加したメンバーと、三輪隊が換装をして出揃っており、どことなく緊張感が漂っている。自分も少し前までは当たり前のようにこの空気の中に身を置いていたにも関わらず、すっかり生身の私はどこかふやけたように足元がしっかりせずに浮いて見えた。そもそも呼び出された理由は知らないが、全員が任務モードだ。これ絶対重要な仕事だわ。

「……と、トリガー起動」

ポケットにしまっていたトリガーに触れて、そう口にすると、私は数秒でトリオン体を形成する。隊服に身を包むと、太刀川さんがそれを見で、ぶは、と吹き出した。

「何で今換装すんだよ、お前俺達と戦うの?」
「いや、生身だと空気に飲まれる気がして、つい」

トリオン体なら怖くないかなって、とぼそぼそ口にすると、風間さんが私の名を呼んだ。びくりと身体が跳ねる。どことなく声は鋭さを孕んでいた。「今まで何をしていた」聞かれると思った。当然の質問だ。だけど、まさか玉狛で親子丼食べてましたーなんて言えるはずもない。あああ最悪だ。

「俺達があれほど連絡していたにも関わらず、何故連絡を寄越さなかった」
「す、すいませんでした……!」

ば、と私は勢い良く頭を下げた。携帯のバッテリーが切れてしまったこと、充電が終わるまで手元から離してしまったことを正直に話す。すると確かに休養を取れとは言ったがボーダーのトップチームとしての自覚が足りないことを注意されて全くその通りですと、私は下げた頭を上げることができなかった。私が遅れたことで隊長の風間さん自身に恥をかかせたのだ。どどど、どうしよう。ていうか、任務の連絡が来ているのに気付かずに遊んでるとか、私情けなさすぎ。風間さんに失望されたら、と早速私の心が折れそうになったときだ。ふいに太刀川さんが「まあまあ」と割って入った。

「風間さん良いだろ。あんま責めてやんな。予定してた時間には間に合ってるし、問題ないじゃねえか」

私は僅かに顔を上げる。たちかわさん……。いつもバカにしててごめんね。
横で話を聞く限りでは、任務はこれからすぐに実行されるのだとか。確かに私をわざわざ呼び戻したということは、急を要する任務、というこになる。視線が風間さんとかち合い、彼は避けるように目を伏せると「そうだな」と静かに答えた。それだけで私にはダメージだった。

「もう時間だ」
「あの、かざまさ、」
、これから俺達は玉狛支部に向かう」
「……え、たまこま……」
「お前を呼び戻したのは、城戸指令からの極秘任務のためだ。詳しい話は移動しながら話す」

簡潔にそれだけ言うと、風間さんは作戦室を出て行った。それに三輪隊が続く。私は視線で風間さんを辿って、何歩も遅れてその背中を追いかける。「あーあ、嫌われたね」無慈悲な台詞が隣に並んだ菊地原の口から零れた。すかさず入った歌川の「そ、そんなことないですよ!」というフォローは胸にしみた。
ぐっと喉の奥が詰まるような思いがした。私は少し俯いて唇を噛み締める。

「おいおい菊地原、女子泣かせんな」
「……え、」
泣くなよ。当真さんが胸貸してやろうか」
「……。泣いてませんし結構です」
「あ、そう?」

菊地原が当惑しているのが、気配で分かった。それを面白がって太刀川さんと当真さんが冗談半分で彼を煽るので、私は頭を振って、顔を上げるとキッパリ言い張る。全然泣いてない。
何だ、泣いてないじゃん、なんて菊地原も少し安堵した様な顔つきをした。こんなことで泣くわけがないだろう。私は髪を横にきっちり束ね直すと、ばちんと両頬を叩いた。ようし。

「あんま落ち込むなよ、。任務に支障がでるぞ」
「大丈夫です」

扉の前に立った太刀川さんが、頭だけ私を振り返った。

「??こっから挽回、するんで」

キッと太刀川さんを見上げる。彼の隣にいた出水はおっかねえな、なんて私を見て困ったふうに肩をすくめとそそくさと出て行ってしまったが、太刀川さんだけは私に向き直ると「お前ってたまにいい顔するよなあ」と薄く笑ったのだった。

本部から出発した太刀川さん率いる私達混成ボーダートップチームは、月明かりの下、危険区域内から玉狛支部への最短ルートを駆け抜けていた。

「玉狛支部のブラックトリガーの奪取?」
「そ、玉狛が……っていうか元は迅さんの手引きみたいなんだけど、ネイバーを匿ってるみたいでさ。なんとそのネイバーがブラックトリガー持ちなんだと」

前を走る出水の説明に頷きながら、もはや無人となった置き去りの家屋の上を飛び越える。私は数時間前の玉狛支部で過ごした時間を振り返りながら、もしや迅さんが言っていた興味深いものと言うのは、このことだったのでは、と思った。しかし、それにしても、私が見た限りではブラックトリガー使いのネイバーなんて、見かけなかったはずだ。

「迅さん含め、玉狛に2本のブラックトリガーがある。これじゃボーダーのパワーバランスが崩れるし、何よりネイバーがブラックトリガーを持ってるっていうのが問題だ」
「……ふうん」

つまり、今回はこっそり玉狛に言ってブラックトリガーを取り上げてこいという話らしい。ただネイバーは三輪隊を一人で抑えるほどの実力者のため、最悪の場合を想定し、ボーダートップチームの私達が選定されたわけだ。
それにしても、さっき顔を出した限りでは問題って言うほど、緊迫した空気は玉狛支部自体にはなかったように思える。事態は果たして城戸指令が騒ぐほど、そこまで深刻な状況になっているのだろうか。
迅さんの言葉を含め、状況に思考を巡らせようとしたとき、オペレーターから目標地点まで残り500を切った合図が入った。次いで太刀川さんから「止まれ!」と号令がかかる。思考が現実に引き戻された。全員が、その場で動きを止めた。
風間さん達の方を見下ろすと、道の真ん中に迅さんの姿があった。

「太刀川さん、久しぶり。皆お揃いでどちらまで?」

白々しい台詞に、私達はアイコンタクトを取って素早く下に降り立つ。隣の当真さんが、「迅さんじゃん、何で?」と呟いた。

「よう、当真。冬島さんはどうした」
「うちの隊長は船酔いでダウンしてるよ」
「余計なことを喋るな、当真」

敵が玉狛で、もともとネイバーの手引きをしたのが迅さんなら、私達の今回の敵の一人は彼だ。きっと彼はサイドエフェクトで私達が来ることを予知していたのだろうから、私達は彼を抑える必要がある。先ほどまで普通にやり取りをしていただけに少々やりづらい。それにしても、私と当たり前のようにメールをしていた彼はどの時点で私達が攻めてくることを予知していたのだろう。
当真さんが、こちらの戦力をあっさり明かした直後、迅さんの視線がその隣の私に移った。どきりとする。
「あれ、やっぱはこっちに来たか」と彼が言った。

「どういうことだ、迅」
「風間さんには悪いけど、俺の予定だと、は今頃玉狛支部で夕飯食べてるはずだったんだよなあ」
「何だと」

風間さんがこちらに振り返り、私はギョッとした。「お前、玉狛にいたの?」と迅さんに親子丼を奢ってもらう話を知っている出水が問うた。嘘をつくわけにもいかないので、迅さんから視線を外さずに、私はぎこちなく頷く。隠していたわけではないけれど、風間さんの怒りに触れるような気がして正直気が気じゃない。

「どういうことだ
「いや、実は、その、」
、親子丼美味かったでしょ? たくさん用意しといたんだけど」
「……想像の5倍はありましたよ」
「俺の大事な後輩達と皆で仲良く食べてくれるかなと思ってさ。特に遊真なんて、お前と仲良くなれると思って」
「遊真? 例のネイバーか」

風間さんが言って、私はああ、と合点がいった。
諮ったな、迅悠一。私はぽつりと呟いた。疑問だったことが全て頭の中で一つの答えに集結する。コンセントが使えなかったのは、私と本部の連絡手段を奪うため。もし栞ちゃんから充電器を借りなければ、私はずっと玉狛支部にいたままだったに違いない。それに、あの大量の親子丼は、私と、あの三人の中にいるネイバー、??空閑遊真に接点を持たせるためだったわけだ。親子丼を利用するとは許すまじ。すごく美味しかったけど。
風間さんや太刀川さんは、私達の話から、迅さんの考えていることを察したらしい。なるほど、と太刀川さんが笑みをこぼした。

「風間さん、の遅刻はどうやらこいつが悪いみたいだぞ」
「……」
「ま、要は俺達の目的は分かった上で戦力を削ろうとしたわけだな、迅」
「悪いね、うちの後輩、最近良い感じだからどうしてもちょっかい出して欲しくなかったんだ」

それから迅さんは、ボーダー隊員の野試合は規定違反だから、玉狛支部に所属するネイバーを襲うのは違反だと言ったが、それを太刀川さんは本部の入隊式が行われるまでは、正式な隊員ではないとねじ伏せた。つまり、厳罰を受けるのは、任務を邪魔する迅さんだけということになる。それでも、迅さんはここから引く気はないようで、不敵に笑って見せた。

「邪魔するな迅、お前と争っても仕方がない。俺達は任務を続行する」
「……」
「ボーダー内のパワーバランスが崩れることを別としても、ブラックトリガーを持つネイバーが野放しにされている状況をボーダーとして許すわけにはいかない」

風間さんの言うことはもっともだ。それに、ボーダーはもともとネイバーから市民を守るために結成された組織。それが迅さんの後輩だろうが、ネイバーを入隊させる上にブラックトリガーを所持していることを見逃すことはとてもではないができない。たとえここで迅さんが私達を止めたとしても、遅いか早いかの違いだけで、城戸司令はまた玉狛に刺客を送り何としてもブラックトリガーを奪取するだろう。

「お前も当然知っているだろうが、遠征部隊に選ばれるのはブラックトリガーに対抗できると判断された部隊だけだ。他の連中相手ならともかく、俺達相手に勝てるつもりか」
「……俺はそんなにうぬぼれてないよ。遠征部隊の強さはよく知ってる。それにA級の三輪隊も。……だからこそ、少しでも戦力を削ろうとしたんだ」

なあ、。迅さんの視線が再びこちらへ向き、咄嗟に私は身構えた。

「ネイバーは悪い奴ばかりじゃない。少なくとも遊真は真っ直ぐな良い奴だ。お前も話してみて分かっただろ」
に取り入る気か」
「取り入るなんて風間さん、人聞きが悪いな。が見たものを俺はそのまま信じてもらいたいだけさ」

「えーなんかすげえ展開になってきたわ」と隣で当真さんが笑った。どうすんだ、、なんて、どうもこうもない。正直、白羽の矢を立てられている私には果てしなく迷惑な展開なのだけれど。私がそう肩をすくめたときだ。

[ないと思うけど、迅さんの味方につきそうになったら真っ先に先輩の首を落とすように風間さんに言われてるから]

そう、菊地原から内部通信が入った。
視線をそっと隣に向けるが、彼は素知らぬ顔をしている。まあ、こうなるだろうとは私も読んでいなかったわけではない。わざわざ菊地原が通信を繋いでくれたのは、彼なりの優しさか。
風間さんからの視線を受け止めながら、私はふと遊真が親子丼を頬張る姿を思い出していた。悪い奴ではなかったよなあ。うん。

「……迅さんの言い分はよく分かりました。確かに、私には遊真が危険にはちっとも見えなかったし、結構良い奴だった、と思う」
「だろ?」
「それに正直、私は三輪みたいにそこまでネイバーを恨んだりしてない。私はこの隊にいれるならパワーバランスとかどうでも良いし、今回のことも、そんなに騒ぐことかなって思う」
、」
「でも、」

何を言われたって私の答えはただの一つしかないのだ。あの日に決めた、これは私の中の取り決め、「絶対」だ。風間さんとの約束でもある。は、風間蒼也を死んでも裏切らない。

「私は風間さんを裏切ってかばってやる程、ネイバーが好きなわけでもないから」

私がきっぱり答えると、夜の空気に張り詰めていた緊張が、少しだけ薄れた気がした。皆、まさか裏切らないだろうと思っていただろうが多少なりと、不安な気持ちはあったのかもしれない。
太刀川さんが笑った。

「コイツの忠誠心を見誤ったな、迅。出水、お前少しはを見習えよ」
「俺も太刀川さんソンケーしてまーす」
「棒読みやめろ」

それに、私が一人が本部を裏切ったところで、このメンツ相手に勝てる気はしない。だって風間さんは強いし。強いという表現では足りないくらいだ。ほんとに。

「もちろん、一人が仮に味方についても俺は負けてると思うよ」
「だってよ
「うるせえ出水。ていうか分かってるけど他人に言われるとイラッと来る迅さん」
「ごめんごめん。でも、俺が負けるその未来は、??俺が初めから一人だったらの話だから」
「……は、」

迅さんがそうして不敵に笑った瞬間だ。そばの家屋で何かが降り立つ音がした。私達はそれに釣られて咄嗟に顔を上げると、そこにいたのは嵐山隊だったのだ。

「嵐山隊、現着した!」
「嵐山っ」
「うわマジかよ」
「……忍田本部長派と手を組んだな」
「悪いけど、嵐山隊がいる今俺は太刀川さん達には負けないよ」
「……ッ」

嵐山隊の到着により、状況は一変した。この場においての力の優位性を失った私達の間に緊迫した空気が流れる。忍田本部長派と玉狛支部が組んだならば、ブラックトリガーの奪取は、緊急性を増す。そこまでして迅さんは、空閑遊真を守らなければならないと思っているというのか。
面白い、太刀川さんが、孤月に手をかけた。

「お前の予知を覆したくなった」

そうして鞘から孤月が引き抜かれたその瞬間、間合いを取るために、私達は瞬時に後ろへ飛び退いた。そうして太刀川さんの素早く踏み出した一歩を合図に、一斉に走り出したのだ。


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