黒トリガー奪取時の話01
いつだって、近界遠征に出向く際の気がかりな点と言えば、食事の面だと私は思っている。遠征艇を浮かすだけでも膨大なトリオンを使うと言うのだから、積荷にはあまり容量を使いたくないことはわかるし、装備品や通信機器は削ることができないとなれば、食料の軽量化に辿り着くのは当然のことだった。それでも保存の効く食料は正直あんまり美味しくない。ほんと、次こそは鬼怒田さんにどうにかしてもらおうと思う。 そうして何週にも及ぶ遠征に多少なりと疲労が溜まっている身体を、私はちょっと硬い椅子の背もたれに預けた。そのまま重くなる瞼を黙って受け入れようとする。けれど、まぶたが完全に落ちる前に、誰かが「もう本部着くってよ」と私の肩を揺らした。声でそれが出水であることは分かった。 「う」 「起きろー、帰ってきたぞー」 「……さようか、ウワァイ……」 「腹減ったなー、久々にがっつり肉が食いたい」 「わたしは、おやこドォン……」 「本当好きな、親子丼」 「……帰ったら迅さんが奢ってくれるって、約束した」 目をこする。話すうちに私の意識は徐々に明確になり始めた。出水が、俺も迅さんに焼肉たかろっかなあなんて言っている。好きにすれば良いけれど、私が迅さんに親子丼の約束を取り付けられたのは、遠征に行く直前に、彼にセクハラを受けたからだ。あの人はそろそろS級からB級くらいまで降格させられてしまれば良いのにと最近思う。まあ、それはさて置き、私はセクハラの詫びにメガトンパンチを食らわし、加えて親子丼を要求したと言うわけだ。私が、出水も親子丼食べに行くかと問うそのそばで、遠征艇で着陸準備のアナウンスが流れた。しばらくしてから船体がずうんと重く揺れる。奥で扉の開く音がした。 どうやら私達は本部に帰ってきたらしい。 「遠征ご苦労様です。ゆっくり休養を取ってください」 地下の遠征艇格納庫に降り立つと、エンジニア達が私達を迎えた。ぐん、と伸びをする。ボーダーの本部の「景色」も随分と久々だ。 この後、隊長格は、今回の報告を含め、成果である未知の4本のトリガーを上層部のところまで届けに行くそうだ。と言っても、冬島隊の冬島さんは船酔いで動けそうにないので、代わりに当真さんが行くらしいけれど。 「冬島さん、男のくせにだらしないなあ」 「オイオイ。良い男ってーのは多少なりと弱点があるもんなんだぜ」 「良い男って言うのはうちの隊長みたいな人のことを言うんです」 「ブレねえなあ」 当然、親子丼と風間さんへの愛はブレない。 私達はその後、司令室の前で一時解散となった。トリガーを携えて司令室へ入っていく風間さん達の背中が見えなくなってから、私はさーて、と部屋から遠ざかるように進路を変更して爪先を放るように伸ばした。もう必要はないだろうとさくっと換装も解いてしまう。 「先輩、どこ行くんですか」 「迅さんに親子丼奢ってもらいに。歌川と菊地原も来る?」 「僕は遠慮しとく」 「歌川は?」 「あ、俺は少し仮眠とります……。すいません」 「えー二人ともツレねえ……」 「先輩、食べてばっかいると太りますよ」 「うるせえよまだまだ余裕だよ」 「でも体積増えたらスナイパーの餌食だね」 「やめろお前、もう菊地原には頼まれても親子丼さんはやらん」 「だからいらないって」 結局、出水も少し休憩するとかで、自分達の作戦室に引っ込んで行ってしまって、私は一人で迅さん探しの旅に出ることにした。旅、と言っても、いつ情報が入ったのか、数分前に迅さんからおかえりの言葉と、親子丼は玉狛支部に用意してあるという内容のメールが、電池が切れかかっていた携帯に届いていたので、素直に玉狛に向かうだけなのだけれど。それに「きっと興味深いものが見られる」なんて添えられていたから、気になってしょうがない。 さて、てっきりどこかに食べに行くのかと思っていたが、わざわざ玉狛に呼び出すと言うことは、もしかして迅さんお手製の親子丼、とかなんだろうか。ある意味レアな親子丼だ。 つい先程、近界遠征から帰還したばかりだと言うのに、私の心にはもう緊張感のかけらすら無かった。 「どーん!」 玉狛支部は川か何かを調査する施設を買い取って作ったというだけあって、本部と違い相変わらず街に溶け込んでいる。基地にたどり着くなり玄関の扉を半ば蹴破る勢いで開けると、驚いたのか、陽太郎が雷神丸からころんと落ちたのが見えた。あ、ごめんね。 「やっほ、元気かい陽太郎」 「ではないか、久しぶりだな!」 「うむ、久方ぶりだな」 「あれ、先輩じゃないですか」 「お、烏丸もいたのか」 奥の扉から音につられて顔を出したのは烏丸だ。遠征から帰って来たんですね、と彼が言って、基地の奥へ通された。もはや元の施設の面影はないリビング(のような場所)へ通される。「レイジさんも小南先輩も、訓練室にいますよ」と言われて、どうやら玉狛メンバーはほぼ全員揃っているようだが、迅さんの姿だけはないようだった。呼び出した奴がいないとはどういうことだ。 「迅さんはここのところ見てないですね」 「えっ、そうなの」 「はい。でも代わりに、」 烏丸がそこまで言いかけたとき、奥のソファに座っていた誰かがこちらを向いた。眼鏡をかけた、見知らぬ少年だ。彼は私を見て、困惑の色を浮かべながらぎこちなく頭をさげる。私は烏丸に視線を戻すと、「あれはうちの新人、オサムだ!」と足元で陽太郎が言った。 「へえ、玉狛の新人……」 「先日玉狛支部に転属した三雲修と言います」 「どうも、本部所属のです」 迅さんが言っていた興味深いもの、というのは彼のことなのだろうか。しかし三雲と名乗る少年には大して興味も湧かなかったので、私は「親子丼ない?」とむりやり話題を切り替えた。 「親子丼? ……あ、そう言えば、さっき大量に出前で親子丼が届いたんですけど、先輩のだったんですか」 「ふふふ、私が迅さんに頼んだのだよ烏丸君」 「ひとつ食べましたけど結構美味かったですよ」 「オメー何勝手に食ってんだよ」 「嘘ですよ」 「息をするように嘘つくのやめろ」 烏丸が指す方を見ると、どんぶりがぎゅうぎゅうに詰まった出前のカゴが三段程積んであった。これは、…… 「いいとこの親子丼……」 「ひとつ千五百円はする有名なとこのやつですね」 「うおーやるなあ!」 「何ていうか……迅さん、お詫びする気持ち半端ねえっす……」 セクハラにどれだけ罪悪感を感じていたのだろう。いや、悪いと思ってくれていたのはいいのだけれど、そんなふうにはちっとも見えなかったのに。 流石に一人では食べきれないので、烏丸や陽太郎、それから三雲君にも手伝って貰おう。 「小南先輩達も、そろそろ一旦上がってくると思いますよ」と烏丸が言ったとき、丁度訓練室の方から小南とレイジさんの姿と、それと一緒に小さな白髪の少年と、つやつやした黒髪の少女が現れた。少年の方は、爆発でも食らったように、髪がちりちりになっている。「おや、知らない人が」とその子の視線が私を捉えた。 「あっ、じゃない。あんたいつ帰って来たのよ」 「久しぶりだね、小南。ついさっきだよ。ところでこの二人は三雲君と同じく玉狛の新人さん?」 「そ。そこの眼鏡と、この二人、最近入ったばっかの新人なのよ」 どうやら、小南と烏丸、レイジさんは、この新人三人の特訓に付き合っているようだ。 せっかくなので、私は迅さんに親子丼をもらうに至る所以を簡単に話しつつ親子丼を全員に勝手に配って、改めて簡単に名乗った。新人の三人が前に座る。 「どうも、空閑遊真です。遊真でいいよ」 「フレンドリーだな。私のことも好きに呼びたまえ。……それと、こちらは?」 「雨取千佳です」 「はい、よろしくですー」 三雲君はともかく、二人は小学生、だろうか。随分小さいし、頼りのなさそうなふわふわとした感じだ。特に千佳ちゃんの方が。しかし聞いてみると、三人とも中学生というのだから驚いた。空閑君は、出された親子丼を覗き込みながら「これはどういう食べ物だ?」なんてどんぶりの中を覗き込んだ。親子丼を食べたことがないのだろうか、珍しい。 「親子丼とは鶏肉をよく煮てふんわりと卵で挟み込み、それを御飯の上に乗せるという、一見単純な組み合わせに見えて、ふわじゅわとろっの三拍子が揃った奇跡の丼料理なのである!」 「なるほど、それは美味しそうだ。いただきます」 「たくさん食べて大きくなるんだぞ」 「うむ、……む、おお! 美味いぞ。親子丼、やるな」 「おっ、親子丼の良さが分かるなんて遊真は見込みあるなあ」 「って、ちょっと何和み始めてんのよ。あんたまさか親子丼食べに来たわけじゃないでしょ、遠征の方はどうだったの」 すぱん、と小南の手刀が伸びたので、すんでのところで私は首を傾けて、それをかわした。正直な話、親子丼を食べに来たのだが、と零しかける。しかし、まあ確かに数週間ぶりに三門市に戻り、真っ先に玉狛支部に顔を出したと言うのに、久しぶりに皆に会えたこととか、遠征についてはそっちのけで、親子丼を食べにきました、なんて今更流石にどうかと思ったので、そうだね、と私は苦笑いを零した。 すると、向かいに座っていた三雲君がふと「遠征?」と箸を止めた。 「ああ、言ってなかったか。先輩は今季遠征部隊に参加した、A級3位のチームのアタッカーだ」 「ほう」 「A級、3位!?」 「おっ、いいねえ、その反応好きだよ。もっと持ち上げてくれたまえ三雲君」 「、この三人は、まだ駆け出しだが遠征部隊に入ることを目標にしているんだ。今後、何かと関わることもあるかもしれない。そのときはよろしく頼む」 「……へえ。私達が入るひと枠は譲らないけど、がんばってね」 小南は、レイジさんの台詞にすかさず遊真の頭を掴んで、「駆け出しって言っても遊真はそこそこ強いんだからね!」なんて口を尖らせた。彼女がわざわざ口を挟むくらいだから、本当に遊真はそこそこやるに違いない。 私は御飯をさらさらと喉に流し込むと、二杯目のどんぶりに手を伸ばした。頭の中で、一瞬、菊地原の顔が浮かんで、よく食べるね、と言った。気にしないことにした。 「それで? 肝心の遠征はどうだったのよ」 「っ僕も聞きたいです」 「お、食い気味だな、三雲君。成果はあったよ。一番大きいもので言うと、風間さんと衣食住共にできたことかな、大きな収穫だ」 私の台詞に、三雲君の肩が明らかに落ちたのが分かった。そんなあからさまにしなくても。 「……あんたいつもそればっか」 「あとは冬島さんに頼んで戦闘中の風間さんのムービーを撮ってもらいました」 ちなみにバレて、冬島さんもろともめちゃくちゃ怒られたけれど。遊びに来てるんじゃないぞって。もちろん、外に持ち出すつもりはなかったが、映像の中に近界に関する重要機密がある可能性があるので、映像は消されてしまった。残念ながら映像はもう私の手元にはない。 小南は別に見たくないわよ、とか言ってたけれど、三雲君は、やっぱり残念そうな顔をしていた。多分、近界について少しでも知りたかったに違いない。そこまで遠征に興味があるということは、何か特別な理由があるのだろう。 例えば、知り合いがさらわれた、とか。 「ごめんね、近界については極秘だから、話すことができないんだ。強くなって、自分の目で見ると良い」 「……はい」 ところで、迅さんは一体いつ姿を表すのだろうか。素直に頷いた三雲君にそっと微笑み返してから、私は一向に連絡の返らない携帯を見つめていると、充電のギリギリだった携帯の画面がついに落ちた。あ。 「携帯死んだ」 「なに? 電池? なら、充電してけば?」 「良いの? ありがたいー」 「……いや、待て」 「レイジさん、何?」 「今日は迅からコンセントは新たにさすなと言われている」 「え、何で」 「訳は知らないが、特に携帯は充電するなと言われた」 「何それ」 んな意味分かんないこと無視してさしちゃえば良いのよ。そう、小南が私の携帯とコードを掴み取ったとき、烏丸が「小南先輩知らないんですか」と口を開いた。 「今日は三門市全体で、節電キャンペーンをやっていて、一番節電できた施設には賞金百万円が贈られるそうです」 「なっ……そうだったの!? それじゃあ充電なんてしたら駄目じゃない! ていうか、電気もつけてる場合じゃないわよ! ほら、さっさと電気消しなさいよ!」 「まあ、嘘ですけど」 「……は」 このやり取りを見ると、玉狛支部に来たなあと、そう感じる。もはやテンプレのやり取りに、苦笑しながら、それにしても何故充電したらいけないんだろうと私は首を傾げた。まあ、今日は流石に任務は入ることがないだろうから、充電しなくても良いかとは思うけれど、遠征のことで招集なんかがかけられていたらちょっと不安だ。 「ちゃん、そんなに心配なら、コンセントに繋がない充電器、私持ってるけど」 「おお、流石栞ちゃん、お借りしても……?」 「どうぞー」 こんなとき、頼れるのはやはり栞ちゃんだなと思った。 その後、栞ちゃんに充電器を借りる間、私は遊真達の訓練を見て時間をつぶしていた。途中、遊真には一丁前に勝負しようなんて言われたりしたけれど、いくら強いからと言って申し訳ないがC級隊員と戦う気はしないし、そうでなくても今日は遠征帰還直後で疲れているので、今度ね、とやんわり断った。 そうして、私が風間さんや菊地原、歌川から携帯に何度も連絡が入っていることに気づいたのは、充電が切れてから、2時間程経ったときだ。 「携帯がぴかぴか光ってるぞ、」 遊真の言葉に、本部から至急戻るように連絡が入っていることに気づいたのだ。連絡が来たのは約1時間前。嫌な汗が背中を伝う。風間さん達から何度も連絡が入っているということは、それだけ重要な何かがあるのだろう。まさか遠征直後に本部に呼び出されるとは思わないので、すっかり気が緩んでいた。やっば、と思わず息を飲む。いや、固まってる場合じゃない。 渋い顔をした私は携帯を掴むと、遊真に充電器を栞ちゃんに返すように伝えて、慌てて玉狛支部を飛び出したのだった。 ( 160821 ) |