「冬に怪我するとどうしていつもより痛く感じるんだろうね」 赤く滲んだ膝をぶらりと揺らす。消毒液のついたガーゼを構えていたブン太が、おい、と私を私を咎める声を上げて、足を抑えた。椅子に座る私に、その手当をするブン太。私の問いかけにもさっきから一つも答えてくれない彼は、どういうわけか不機嫌そうだ。私の手当に、と練習を中断させられたのが不満だったのかもしれない。確かに選手の手当ならまだしも、マネージャーの手当なんて、ちょっとおかしい。 私の視線の真下には彼の頭のてっぺんがあって、真っ赤な髪の生え際にはちょっとだけ地毛の黒い色が見える。生まれた時から赤じゃないんだなあと思う。「もう少し経ったらまた染めるの?」そんな質問もブン太は答えない。 私は手を伸ばして、何気なくさらさらと彼の髪を梳くと、彼が動きを止めてようやく私を見上げた。咎めるような視線に、何か言わなければ彼から小言をもらう気がして「ねえ、ブン太」と、別に何を話したいわけでもなかったけど、彼の名前を呼んだ。「……はいはい」気が抜けたのか力のない返事だ。 「怒ってるんすか」 「……何でだと思いますか」 「え、まじで怒っ、いだだだッブン太痛い!」 ぎゅ、と消毒液を押し当てられて、反射的にブン太の頭を叩こうと手が伸びる。それを容易く受け止めて彼が自業自得だろいとさっぱりした調子で答えるので、私は反論をしかけたけど、それでも彼が正論なので押し黙るしかなかった。うむ、その通りだ。部活中だと言うのに友達とフェンスを挟んでお喋りに花を咲かせてよそ見をしていた私がいけない。真田に怒られても話を切り上げなかった私が。だけど、この寒い時期にボールを踏んで見事に前に素っ転んだと言うのは涙が出る程痛かったのでせめて彼氏のブン太さんには優しくしてもらいたいっていうか。 「なに、優しくしてもらいてえの」 「してもらいてえです」 「ふーん」 はい終わり、ぺん、と幾分か乱暴に絆創膏が貼られた。いやでもそれにしては綺麗に手当してあるけど。優しくして欲しいなあという私の要望を聞いた割には彼は優しくない。あれか、話は聞いた、かっこ優しくするとは言ってない、ってやつか。私はどこでそんなに彼の機嫌を損ねてしまったのだろうと口を尖らせていると、床にぺたんと座り込んだ彼が、不意に小さく手招きをした。「ちょっと耳貸して」と言われたのだと思って、はい? と素直に彼の方へ顔を寄せると、彼は素早く私の襟を掴んで引き寄せると、ちゅ、と口を塞いだのである。 「んな、なに、んっ、」 ちゅ、ちゅ、とキスが止まない。なになにこれどういうこと。 まるで食べられてるみたいに、唇が柔らかく噛まれる。その度に痺れたみたいに、身体中がそわそわした。ブン太の甘い匂いがたちまち強くなる。ペースに飲まれて身体の力が抜けそうになったけれど、すんでのところで、私は彼の両頬を挟み込んで彼を引き剥がした。 「っうおいこら、なにを、!」 「何って、お前がキスして欲しそうな顔したから」 「んなわけあるかい。お盛んかよ」 「男は年中お盛んですよ」 「まじかよやべえな」 「やべえだろい」 何だこの会話。戦闘ポーズをとりながらブン太を鋭く睨む。ふざけているのかと思いきやどうやら彼は大真面目なようで、神妙な顔をして可笑しな話をするから、私はつい口を閉ざした。足を絡ませて、前のめりだった身体を少しだけ引く。すると彼が私の唇を人差し指で押さえて「ほら」と肩を竦めた。「また、ちゅー顔した」尖らせた私の口をぶいぶい押すブン太。ああ、これのことかい。 「ちゅー顔ではありません。これはアヒル口と言います」 「アヒル口とちゅー顔はイコールだろい」 「まじかよ」 「まじまじ、キスして欲しい?」 「今は良いかな」 「遠慮すんなよ」 「いや、今度にとっとくよ今度」 ウワータノシミダナー。取って付けたように私は笑顔を貼り付けた。ほんと何だこの会話めっちゃ恥ずかしい。ブン太は一体どこまで本気なんだろうと思っていたら、彼は私の返答に「そう」と素直に頷いて、それから「じゃあ今度すげえのしてやるよ」と唇を舐めた。ぺろり。突然顔を覗かせた色気に心臓が飛び跳ねて、私は彼から顔を遠ざけた。「ばばばか言ってんじゃねえよなオイ」私の唇を指でなぞる彼の手を掴んで放り出した。 「な、何か今日のブン太ちょっと変だよ」 「ふうん」 「ふうんじゃなくてね、何か、うん……、何かありましたか」 「ありました」 「しようがない、カウンセラーやってます。へいらっしゃい。何があったか言ってごらん」 胸を軽く叩いてブン太を見遣ると、彼はしばらく視線を右へ左へと動かして口を閉ざしていた。何を言ってもブン太は一向に話出す気配がない。私は外から聞こえる皆の掛け声とか、ストロークの音を聞いていたけれど、手当をしに部室へ入ってから十分くらいは経とうとしている。いつまでもこうしているのもいつ真田に怒られるか分かったものではないので、今日のところは悩みを聞くのは諦めて、ちらりとブン太を一瞥してから、話したくないなら無理に聞かないけど……、とおもむろに腰を上げようとすると、彼が「実は」と口を開いた。浮きかけた腰を下す。 「……実は?」 「俺の彼女が、最近部活中にフェンス越しにどこぞの野郎とお喋りするのが大好きでさ」 「ふお」 「今日なんて話があまりに楽しかったのか足元にこんな目立つテニスボールがあるの気づかずにすっ転ぶし」 「わたしのはなし」 「正直自業自得だと思うんだけど彼女はここに来て俺に優しくしろだのわがまま言うしちゅー顔するし」 「うん、それはしてないけどな」 「それなのに今日のブン太はちょっと変だよだってさ。なあどう思う」 「……うんそれは彼女のデリカシーが、うん、あれだね、謝ってもらったら良いと思う。ごめんなさいでもちゅー顔はしてねえけどな」 「嘘つくし」 「だから嘘じゃねえわ!」 どうやら彼は私に怒っていたらしい。いやまあ自分でも部活中に、ぺらぺら喋るのはよくないなあと思っていましたけどね。分かった、今度は部活外にしますね、と指切りの小指を差し出すと、ブン太はそれを関節が曲がる方向とは逆に折ろうとしたので私は彼の頭をひっぱたいた。不満げな顔をされたけれど、私は指を折っていいよという意味で小指を差し出したわけじゃない。 「何が気にくわないのほんとブン太は難しい年頃だな」 「ただの嫉妬だから気にしなくて良いぜ。きっと折ったら気がすむはずだろうと思うきっと多分」 「めっちゃ曖昧だしつうか指折れるのは気にするよ!」 「じゃああのフェンスの野郎と喋べんの禁止」 「えー!」 「えー」 「それはこまったなあ」 「つうかあいつ誰。そんなに仲いいの」 「D組のひとだけど、仲いいって言うか、話しやすいって言うか」 「はあもう駄目お前妥協しろよ」 「指を折る方には妥協しないよ」 「なんで」 「理由が聞きたい?」 痛いからだよ。せめて爪を切るぐらいにして欲しいよ。いつ指を折られるか分かったものではないので、手を背中に回すと、彼は頬杖をついて「やけに仲が良いので俺は苛々します」と私を酷く不服そうな瞳で見た。そんなこと言われてもなあ。 「でも心配しなくてもあの人彼女いるよ」 確かもう二年近く付き合ってる可愛い彼女が。 くるん。髪を弄りながら私は何気なくそんな言葉を漏らすと、ブン太がぴたりと動きを止めた。視線を手元から持ち上げると、彼はぽかんと口を開けている。あ、なにこの反応。もっと早く言えよ的なそういう。 「えっ彼女いんの、そうなの」 「そうだよ」 「可愛い彼女が」 「そこに食いつくなよ」 「じゃあお前らいつも何話してんの」 「そりゃ……お互いのその、まあ君のこととかね、相談的なサムシングっすよ」 「相談とは」 「言わないよ」 「あ直接聞くからいいや」 「言わせねえよ」 憑き物が落ちたみたいに、なんだ、そっかーみたいな顔をするブン太。まあね、私ももう少しブン太の気持ちを考えるべきだったかなとは思いますけどね。 「うん、じゃあまああれだわ、仲良くすんなとは言わない」 「え、あ、はい」 「気持ち話す回数を少なめにしつつ俺を間に挟みながら話をすれば良いんじゃね」 「は」 「よしそれでいこう」 「ブン太挟まんの」 「挟まる」 だって彼女がいたって、野郎と喋るのはやっぱり気に食わないし、俺の話をしてるなら、俺が挟まった方がいいだろい。 お得意のガムを膨らましてブン太はさも当然のように言った。 「ほんとに挟まるの」 「挟まる」 「さいですか」 ( ただのリハビリだよ // 151026 ) 短編がものすごい勢いで書けなくなっているので、しばらく短編強化月間にしようかなと思ったり思わなかったり。 |