![]() 私達は中学からの付き合いで、付き合い出したのは大学に入ってから。自分で言うのもなんだが、まだまだ初々しいカップルと言うやつだった。そうだからか、はたまた友人歴が長かったためか、付き合い始めても普段の生活の中で私達の関わり方に訪れた変化というのはほとんどなかった。それに不満があるわけではないけれど、相変わらず色気の無い付き合い方につい苦笑がこぼれないわけではない。私達らしいといえば、らしいのだけれど。 喫茶店の、窓際の席で雲行きの怪しい空を伺いながら、私はコーヒーを口に運ぶ。予定通り夕飯の時間には少し早いから、店の中はがらんと空いていてやけに静かだ。店内に流れるクラシックがそんな空気に溶け込んで、少しだけ私を洒落た気持ちにさせていた。 灰色の雲はたっぷり雨を溜め込んで真上に待ち構えている。朝はあんなに晴れていたのに。 「映画、何時からだっけ」 「んんー、十九時」 「じゃあまだ行かなくて良いか」 時刻は十八時。大学が終わってからでは映画の始まる時間ギリギリになると思っていたのだけれど、存外お互い講義が早く終わったため、時間にゆとりができたようだ。ブン太は時計を確認して、それから近くのウエイターを呼び止めた。「カフェオレ下さい」そうしてオーダーを聞いてすぐに店員が引っ込んで行くのを見届けてから、彼は鞄から授業で配られたプリントを取り出した。明後日までに提出の課題だったが、随分前に課されていたものなのに、まだ終わっていないらしい。時間がかかりそうだから私に手伝って欲しいという。 「別に構わないけど、私今日誕生日なんだけどなあ」 「ハッピーバースデー」 「ありがとう、でもそう言うことじゃないんだけどね」 「だからこれから映画行くんだろい」 そう、今日は私の誕生日なのだった。だから映画のチケットはブン太が用意してくれたものだけれど、せっかくの誕生日なのに、雲行きは怪しいし、ブン太は課題を手伝わせようとするし。わざとらしく肩をすくめて見せると、彼が「映画に天気は関係ないって」と、けろりと言ってのける。まあ確かにそうなのだけれど、せっかくの誕生日だから憂鬱な雨よりもカラッと晴天が眩しいくらいが良かったと思うのは私だけ? それに問題は帰りにあった。 「学校に行く時はばっちり晴れてたからさ、私傘ないんだよね」 「あ、俺もだ」 「帰るまで降らないと良いんだけどね」 「ええー、これは無理くないか」 案の定ブン太も傘を持って来ていないと言うので、私の誕生日くらいもっとかっこよくキメてよねと冗談交じりに言って、ちょうどやって来たカフェオレをブン太が手を付ける前に、私はさらって行った。彼は、カフェオレが私の口に入るのを、珍しく黙って見ていた。それがようやく自分の元に返って来ると口を尖らせる。「かっこよく、ねえ」不服そうな言い方。 「かっこよくって例えば」 「ええ? ……ううんと、ほら、高級レストランで『誕生日は百万ドルの夜景を君にあげるよ』とか言ってみたら」 「お前それあれじゃん、昨日読んでた少女漫画」 「よくわかったね」 「お前が読んだ後俺も読んだから」 「ブン太少女漫画読むの」 「お前が読んでたから」 ブン太の視線が私から外へと移る。この時間は店の前を学校帰りの高校生や中学生が忙しなく往来し、皆、傘を携えてどこか急ぎ足だ。面白味に欠けるありふれた景色を、彼はジッと見つめたままこちらに向き直る気配がなかったので、冗談が彼の気に障ったのだろうかと、私は先程のやり取りを思い返す。ふと、そこでようやく彼の視線だけが私に向いた。「映画より夜景が良いの?」と大真面目に問うブン太。しばらく考えてから「いや、映画かな」私のあっけらかんとした回答にようやく彼が笑った。「だろい?」 高級レストランで百万ドルの夜景を眺める私達と、ブン太の手作りケーキを食べて千円で映画を見る私達。夜景は確かにロマンチックだけれど、簡単に想像ができて、どちらが私達らしいかといえば、もちろん後者だ。 しかもテーブルの上に並ぶチケットは、今流行りの恋愛映画とか、そういうのではなく、二人でハマったアクションRPGゲームがついに映画化されました、みたいな、ロマンチックとはちょっと離れたもので、それでも確かに私達らしい。 それからしばらくすると、喫茶店はぱらぱらと客足が増えるようになって、すっかり賑わいを見せるようになった。そんな頃合いで、ブン太が会計表を掴んで立ち上がった。 時刻は映画開始の三十分前。 「そろそろ行こうぜ」 会計を手早く済ませて空を伺いながら喫茶店を出た私達はひやりとした空気に思わず身体をすぼめた。そんな私の頬にぽたりと滴が落ちる。 どうやら雨が降り出したようだ。 映画が終わる頃には雨脚は激しく、すっかり本降りに変わっていた。ちなみに映画の内容は予想通り大当たりも大当たりで、ゲームをプレイ済みで展開を知りながらも私達は手に汗を握るくらい大興奮だった。主人公と悪ボスの銃撃戦が熱かったとか、主人公がヒロインを助けるシーンが良かったとか、映画が終わるなり感想のぶつけ合いが始まって、そんな私達には外の空気は少し涼しいくらいだ。 予定ではこの後ブン太の家でケーキを食べましょうってことになっていたけれど、その前にまず傘を買わないといけない。タクシーでも捕まえられたら良いのだが、どうにもそれは叶いそうではなかったので、私達は向かいのコンビニでビニール傘を二つ買うことにした。 「雨、いつ止むんだろう」 「流石にちょっと寒くなって来たな」 ブン太の家まではここから歩いて十五分くらいで、しばらく歩いていれば確かに映画で爆発した熱はすっかり冷めてしまい、家へ向かう足は自然と早くなる。ブン太がふと自分の上着を「寒いから着とけ」なんて私に押し付けた。彼も寒いだろうに、あと家まで十分もないのだからこれくらい私も我慢できるよ。 「ブン太が風邪引くよ」 「お前が風邪引くより、俺が引いた方が良い」 「おおう、かっこいいこと言うね」 「もっと褒めてくれ、これめっちゃ寒い」 「ばか」 ブン太は良いかっこしいだから、こんな風に寒いと言いながら、私から上着を返されることをきっと望んではいないのだろう。本当にブン太は大馬鹿野郎である。風邪を引いてしまったらどうするつもりだ。私はブン太が風邪を引く方が嫌なのだけれど、と思いながら本当に借りてしまうよと繰り返すけれど、彼の返事が変わることはなかった。 そのまま私達は車の多い通りを進む。雨だから余計に車が慌ただしく、びゅんびゅんと私達を追い抜かして行った。車道側はいつもブン太が陣取っていて、そういう所にこっそり胸が温かくなったりするのだけれど、これだけ車の勢いがあると少々不安にもなる。「車に気をつけてね」「ん」そんなやり取りの直後。後ろから来た青い車が大きな水たまりにお構いなくタイヤを転がして行き、ちょうど横にいた私達はばっちり泥水の餌食となってしまったのである。 「あんの車……」 「……災難だね」 一番の被害を受けたのは、車道側にいたブン太だったけれど、それでも私のスカートの裾には泥水が跳ねて茶色の斑点がたくさんできていた。買ったばかりのスカートなのに、これはひどい。周りの通行人も、立ち止まって、うわあ、と私達に憐れみの視線を向ける程で、注目を集めた私達は体裁が悪くなり、元より雨で濡れていたこともあって服の泥を拭うこともしないで、そそくさとブン太の家へと足を進めることにした。 家に辿り着いたのはそれからすぐのこと。彼は大学に入ってからは一人暮らしで、大学のすぐ近くにあるアパートの一階に住んでいた。男の、しかもあのブン太が一人暮らしと聞いた時は不安ばかりだったのだけれど、彼は私の予想を遥かに超えてしっかり者で、初めてこのアパートに来た時、彼の部屋が小綺麗に整頓されていて驚いたものだ。 互いに冷えた体をさすりながらアパートの中に上がりこむと、ひとまず玄関で私はハンカチをだした。このまま上がると床が泥だらけになってしまう。一人暮らしには十分だけれど、この中で二人で並ぶにはちょっと小さめの玄関で、私は先にブン太の洋服に着いた泥を拭い始めた。彼は自分を先に拭けよと言うけれど、ブン太の方が泥だらけだからそうはいかない。 「……よし。まあ、泥はこれで大丈夫かな。でも斑点は残ってるからすぐに揉み洗いしないとね」 「うん」 「それは私がやってあげるから、ええと、あと靴下脱いでね、先に上がって」 家主でもないのに、ほいほいとブン太に指示を出して、彼はやけに大人しく、ただうんうんと頷いていた。私は、彼が玄関を上がったら今度は自分を拭く番だとハンカチをたたみ直していた。けれど、しかし、彼は部屋に向かおうとしない。どうしたの、と後ろのブン太に前を譲ろうとした。ぎゅ、と後ろから抱きしめられる。 「…ごめん」 突然ぼそりと耳元で呟かれた言葉は、拗ねたような声色である。謝られた理由が分からず、前に回された腕を優しく叩きながら「謝られるようなことされたかなあ」と首を傾げた。しばらく彼は無言だった。私が彼の名前を呼ぶと、ブン太はおずおずと口を開く。 「……だって雨だし、服も汚れるし」 「それは全部ブン太のせいではないよ」 「あと、なんか、大した事できなくて」 「えー? ハグまでしてもらって私からしたら盛りだくさんだよ。ケーキもあるんでしょう?」 「……あるけど」 「……。しょうがない、君の気が済むまで存分にハグするが良いよ」 改めてブン太の方へ向き直って、私は腕を広げる。けれど彼の手が私の背に回ることはなく、頬へと伸びるとちゅ、と私の口を塞いだのだった。予想外の展開に「ひょわっ」と奇妙な声を上げて彼を見上げた。ハグじゃないの。 「今のはサービス」 「サービスですか」 「……嘘。俺がしたかっただけ」 ブン太が視線を彷徨わせる。「欲張りだなあ」と私は笑った。 「お前程じゃない。俺は夜景とか、いらないから」 「あはは」 「……。俺の欲しいもんは、全部お前が持ってる」 どきんと心臓が高鳴って、今度は強く抱き寄せられた。ブン太はまるで自分の顔を見せまいとしているように、ぐいぐいと私の頭を自分へと押し付けている。鼻が痛いよブン太。私のくぐもったその声が、なんだかおかしく感じて、私はこっそり笑う。 「ねえブン太」 「なに」 「好き」 百万ドルの夜景なんかよりも私はブン太の隣が良くて、高級レストランのご飯なんかよりもブン太の手作りケーキが良くて、 例えば特別な事が何もなくても、ロマンチックでなくても、二人して、どろんこになって笑い合っている方が、私には何百倍も価値があるよ。 「……知ってるっつうの」 彼は相変わらず顔を見せてくれなくて、ぎゅうぎゅうと腕の力を強くする。それから彼はそっと耳に口を寄せて「でも、もう一度言って」と甘く囁くのだった。 ブン太はやっぱり欲張りだ。 ![]() 「 君がいれば、何もいらないよ 」 ( 大好きな秋野さんへ // 141107 ) いつもTwitterで仲良くしてくださる秋野さんへ、一日早いですが、お誕生日おめでとうございます^^ 勝手ながらこっそりお祝いさせていただきました。 title by 207β |