夕闇が迫る駅のホームは、部活帰りの学生やサラリーマンの帰る時間帯であるにも関わらず、随分とがらんとしてる。この時期は寒さや景色の枯れた色が相まってそこは余計に寂しく見えた。 私はここから少し先の方にまばらに伺える、学校から出て来たらしい立海生を眺めながら、ホームに立っていた。本来ならば私も徒歩で学校に通えるほどの近さに自宅があるので、駅など使う必要はなく、向こうの彼らと同じ所にいるはずで、その帰路から外れたこの場所に立っている私の胸の奥には、奇妙さが居座っていた。世界から、ここだけ切り離されてしまったみたいに、他人事のように彼らを見つめる私は酷く孤独を覚える。 「なあ、どこ行くの」 不意に誰かが隣に並んで、私に問いかけた。まるで始めからそこにいたかのように、自然にその場の空気に溶け込んだ彼は丸井ブン太だった。恐らく駅に入って行った私を見かけてついてきたのだろう。まさか彼に見つかるとは思っていなかったのだけれど、驚いたわけでもなかったので、私は彼を一瞥してから再び線路の方へ視線を戻した。 「どこだろう」 どこか遠く、誰もいないところなら。ぽつりぽつりと言葉を探すように私が答えれば、彼はマフラーに口元を埋めてくぐもった声で「そっか」と、簡素な返事をよこした。彼のことだから理由だとか様子がおかしいこととか、そういう言葉を予想していたのに。まあ詮索されない分には構わないので、私はそのまま「消えてしまえるなら、私はそこで消えてしまいたいなあ」と続けて呟いた。 「それは無理だな」 「…どうして?」 「俺がついて行くから。だからお前は一人になれないし、消えさせてもやんない」 そう言って丸井がこちらを見たので、私も首だけ彼の方へ向いた。その言葉に別段思うところは何もなくて、そうか、こいつも着いてくるのかと嫌な気分もなく不思議なことに私は素直に納得したのだけれど、とりあえず「丸井って意地悪だね」と言うと、彼は「優しいの間違いだろい」と戯けて見せた。 「お前が寂しくない様にしてんだから。本当は嬉しい癖に」 「嬉しくないよ」 何をもってして丸井がそう思ったのかは知らないが、別に全然嬉しくない。そもそも消えてなくなりたいと言っている人間に寂しくないように、なんて気遣いが必要だろうか。そんな素っ気ない私の態度に気分を悪くしたのか、丸井はあからさまに不服そうな顔をした。どうでもいいけど。私は道を歩く学生へと視線を移す。 「ねえ、ああして人混みの中で生きていると、たまに自分が何なのか分からなくならない?」 「…俺、よくわかんね」 「ふとした時に、それが怖くなる。何かに流されたり、自分の意思を押し殺したりして、生きてると、ああ、自分はどれだろうって、自分って何だろうって」 そんな時、一人になりたくなる。一人になれば何が自分か、分かるような気がして、私は誰もいない、何処か遠くを求めていた。ただ、今までそんな所へ辿り着いたことなど一度だってないけれど。「そしたらそこで消えんのか」「やることないしね。消えちゃおうと思う」私の答えに間髪を入れずに「寂しいだけだぞ」と丸井が言った。 「分からないよ。寂しいかもしれないけど、そうでないかもしれない。けど、どちらにせよそれが自分なんだよ」 「寂しいに決まってるだろ。そこに俺がいないならな」 「彼氏みたいなこと言うね」 「だって俺お前の彼氏になりたい」 「やだよ」 「ケチ」 私達はそんな話をしながら何本も電車を見送って、結局その場から動こうとはしなかった。どうやら今日も私は一人きりにはなれないらしい。 相変わらず自分探しの旅は始まらない。足元の点字ブロックを蹴飛ばしながらすっかり冷え切った手をぶらつかせていると、丸井が沈黙を破った。 「俺さ」 「うん」 「お前見てると、ハラハラする」 彼の言うハラハラの意味が分からなかった。それは私が危なっかしいからということで良いのだろうか。私の問いに彼は曖昧に頷いた。どうやらドジを踏むからとか、そういう意味ではないようだ。 「さっき言ってたみたいに、お前は普段から突然どっかに行っちまったり、消えたりしそうなんだよ。俺はそれがすごく怖い」 「そう」 「だから消えたいとか言うなよ、もう」 「…」 「もし消えたくなったら俺に一言言って」 「これから消えるよって?」 「合図でも良いぞ」 馬鹿みたい。丸井が神妙な顔をして言ったので口にこそ出さなかったけれど、呆れて思わず私は肩をすくめた。言ったら消えさせてくれないのだろう、どうせ。 「そしたら俺もついてく。そんでお前がいなくならないように、こうやって捕まえとく」 彼はそう言って手持ち無沙汰だった私の右手を握った。少し骨張った指が絡まって、私は面映い思いがした。そちらから掴んできたというのに、隣では丸井は私の手が冷たいだ何だと口を尖らせた。なら離してよ。 「それは断る」 「これじゃあ自分探しできないよ」 「さっきから電車見送ってる奴がよく言うよな」 「…」 「つうかさお前が自分のことを分からなくたって、俺が分かってれば良いじゃん」 「…丸井、私のこと分かるの」 「分かるぜ。教えてやろうか」 丸井は途端に得意げになって、繋いでいる手をぶらぶら振りながら、空いている方の手で偉そうに指を立てた。 「お前は手が小さくて冷たくて、普段はこんな風につっけんどんだけど、実は寂しがり屋で、本当は俺のことが大好き」 「ぜんぜんちがうよ」 「自分の事分かんねえ奴は黙っとけ」 その人差し指で、額をつつかれて、思いのほか力が強かったので私は後ろにふらついた。上手いこと言いくるめられてしまったと言い淀み、言い返す言葉がない私は、取ってつけたように「それより手を離して」と掴まれた手を振り回す。しかし彼が離す様子は当然伺えない。 「皆に見られるよ」 「見せとけば良いじゃん」 「そういうのは彼氏になってから言って」 「じゃあ彼氏になる」 「…彼氏になるって、そんな簡単にさあ、」 駄目だよ。今度ははぐらかさずにきっぱりと首を振ると、彼は酷く傷ついた顔をした。視線を宙に彷徨わせている。彼を傷つけるつもりで言ったわけではないので私は彼に掴まれた手を引いて、もう片方の手もそこに重ねる。彼が私を見た。「ねえ、聞いて丸井」 「今丸井と話してて、一つだけ、自分の事でわかったことがあるんだけど」 「…何だよ」 「丸井には、彼氏とかそういう薄っぺらいものになって欲しくないの」 「彼氏じゃないなら、何になればいいんだよ」 されるとは思っていたが、その質問には困ってしまう。自分がわかったと言っても、それはすごく曖昧なものだった。ただ丸井にそばにいてもらいたいことは確かで。私がそのまま黙り込んでいると、彼は不意に「…旦那さん?」なんて言い出したので、私は一瞬唖然としまったのだが、丸井は至極真面目な顔だったので、思わず吹き出してしまった。 「え、違うの」 「違うって言うか、はは、どうなんだろうね」 「あー何だよそれー!」 そうして膨れ面になった丸井がおかしくて、私は彼をはぐらかしながら線路の向こうの人の流れへ目を戻した。切り離された世界が、ようやく繋がった気がして、自分の中の孤独が融解していく。丸井のお陰かなと、心の中でごちてから、相変わらず繋がれたままの手を強く握り返すと、文句を言っていた彼は急に黙り込んで「お前が嫌って言ってもそばに居続けてやる」とだけ言うと照れたようにそっぽを向いたのだった。 (答えはまだでないけれど、そうだね、いなくなってしまいたくなった時は、君に合図を送ることにするよ) ( 君となら寂しくないよ // 140302 ) 久しぶりに丸井君の短編を書かせていただきました。暗いテンションの勢いで書いたので、少々何が言いたいの感は否めませんが、雰囲気だけでも伝わればと思います。 thnks : mizutama |