○月△日

「ねえ、最近丸井くん、ずっとあんたのこと見てない?」きっかけはそんな友人の台詞だった。私は鈍感なつもりなど、なかったのだけれど、言われるまでそんなことにはまったく気づかなかった。言われた後、試しに丸井君へ視線を移してみる。彼はサッと前に向き直って何事もないように装っていたものの、こちらを見ていたことは確かに分かった。
丸井ブン太という男は、甘い物好きで、クラスの人気者、それからあの有名なテニス部のレギュラー、私が彼について知っていることと言えばそれくらいで、まあ、明るくて良い子だよなあ、とは思っているものの、それ以外の感情など抱いたことがなかった。
それからというもの、皆は丸井君から熱い視線を頂いている私を羨ましがり、告白されたら教えろよなんて身勝手な台詞を吐いては、はやしたてていた。しかし私からしたらまさか、という心境である。何故なら丸井君の視線は恋をする人間のものとは思えないほど、無機質だったのだから。言うなれば、そう、本当にただ観察しているだけ。テニス部に柳蓮二というデータを取るのが趣味の人がいるけれど、彼の目つきに限りなく近かった。

丸井君の視線に気づいてからというもの、あまり落ち着かない毎日が続いた。しかしそのうち観察も飽きるだろうと初めのうちは気にしないようにしていたのだった。





○月□日

丸井君の観察はどうにも終わりそうにない。毎日毎日、気がつけば観察をされている私はそろそろノイローゼにでもなりそうな気分だった。何故私は友人に言われるまで、この視線に気づかなかったのだろう。今では背中を向けていても鋭い視線がぶつけられているのが分かるというのに。少し考えすぎなのだろうか。試しに丸井君と仲がいい仁王君に、丸井君がいなくなった隙を狙って彼のことをそれとなく尋ねてみることにした。


「別に仲がいいわけじゃないぜよ」
「何でも良いよ。それより君に聞きたいことがあるんだけど」


彼は私の言葉に意味深な笑みを浮かべた。なんだか口を開いてしまえば後戻りができなる気がしたのであるが、思いきって「あのさあ」と声のトーンを落とす。丸井君って、誰かを観察する趣味があるわけ?


「ぶはっ」


仁王君にしては珍しく腹を抱えてけらけら笑った。どうやら違うらしい。なんだか罰が悪くなって、私は少しだけ眉をしかめると、彼は「いや仕方ない仕方ない」と言う。フォローしてくれているようだが、相変わらず顔がにやけているからあまり嬉しくはない。
そんな時、急に後ろから明るい声が飛んできた。仁王君は気だるげに「おかえりんさい」と手を上げる。丸井君だった。「え、何お前ら仲良かったの?」購買から帰って来たらしい彼はパンの袋を開けながら仁王君と私を見た。逃げ出したい気持ちに駆られながら、私は少しだけうつむいた。


「俺がなくしてたペン届けてくれたん。な」
「え、あ、ああ、うん。そうそう」
「へーやっさしー俺ならパクるけど」


仁王君は相当気が回せる人間のようだ。今の話は秘密にしてくれるらしい。余計なことを言われなかったことにホッとして、「それは駄目だよ丸井君」と取り繕うように笑った。丸井君は困ったように「お前のだったらきちんと届けるって」と私の頭を撫でたので少し照れてしまった。あの視線からは想像できないほど、優しい手つきだった。そうだ、元々はこういう温かい人だって私は知っていたじゃないか。視線のことはあまり気にしないほうがいいのかもしれない。もしかしたら、友人に言われたせいで私が過敏になっているのかも。もしくは、いつも私と一緒にいる子を見てる可能性だってある。
目の前のほわりと笑う丸井君を見ていたら、どうにもそんな気がしてきて、私は丸井君に対して嫌な気持ちを抱いていたことを心の中で小さく謝罪して、二人の席を離れた。




△月□日

あれから丸井君や仁王君との接触はプリントを渡すとか、そういう業務的な時以外はほぼ皆無だった。勿論、そんなことは彼の視線に気づく前からだって、そうだったけれど。
そして私が彼の視線を気にしなくなる日は、結局まだ来ていなかった。やっぱりあの鋭い視線が私の背中に突き刺さっているのだ。友人に相談しても恋をする熱い視線にしか見えないと言われ、気にしすぎなのかとため息しか零れない。私のことが好きならもうそれで良いから、きちんと言って欲しかった。しかし丸井君ならそういうのはためらわずに直球で来ると思っていたから、やっぱり私に好意を向けているという考えは自意識過剰なのだろうか。
そんなことをいつまでも悶々とし過ぎていたせいで、部活や勉強まで疎かになり始めた。これはいかん。もう彼にどう思われようと構わないから、私はついに本人にはっきりと聞きに行こうと決意した。ただ問題は、彼はいつも誰かと一緒にいるから、いつどうやって聞きに行くかということだった。手紙でも出した方が良いだろうか。

そんな矢先、それは意外な形で実現した。放課後、たまたま教室に忘れ物を取りに行った時、扉を開けるとそこには机に伏せている丸井君がいたのである。どきりと、妙な緊張が体を支配した。扉の開いた音に、彼が顔を上げる。


「ああ、お前か、どした?」


丸井君はいつもの笑顔を私に向けた。少しだけ強張っていた体がほぐれて行くのが分かる。彼の手元にはプリントがいくつもあった。確か彼はこの間数学のテストでとんでもない点数を取ったと騒いでいたから、きっとその補習か何かに違いない。私は忘れ物だと、自分の机の中からノートを取り出すと、それを見せて笑った。


「丸井君は、補習?」
「んんー。もうわかんなくて不貞寝してたとこ」
「あはは」


彼の机の前に立って、まだ何も書き込まれていないプリントの問題を指でなぞる。ああ、私もこの系統の問題には悩まされた。転がっているシャーペンを拾い上げてお節介かなとは思いつつ、私は解き方を教えると、丸井君が「おお」と感嘆の息を漏らした。私は分かるところまで簡単にヒントを書き込んで行く。「これで多分解けるでしょ、丸井君、」最後まで到達してから、顔をプリントから上げた。そこで私は思わずハッと息をのんだ。私を見上げる丸井君の目が私を捉えていた。あの目だった。鋭い、私を観察する目。一瞬私はたじろいだが、聞くなら今しかないと思った。固く拳を握って、あのさ、と声を振り絞る。


「なに」
「あの、私の自意識過剰だったら、本当に申し訳ないんだけど、丸井君って、よく、私のこと、…見てない?」
「うん、見てる」


もしかしたら、ここで彼が照れてくれたり、閉口してくれたりした方がまだ気持ちが楽だったのではないかと、真顔で答える丸井君を見て、思った。少しだけ、彼が怖かった。「…どうして?」その声はもう絞り出すように弱々しく、情けない声だった。私は震えている。
すると彼はふっと微笑んだ。それはいつもの優しいそれではない。仁王君がするような、それだった。何を考えている方分からない、妖艶で、吸い込まれてしまいそうな、表情。


「お前は何でだと思う?」


ぐいっ、と後頭部に腕を回されて、私は彼の方へ引き寄せられる。至近距離で彼と目が合い、思わず呼吸が止まった。

私はその質問に答えることができなかった。だって、いつもとはかけ離れた丸井君の様子に、頭が全くついていかなかったから。




□月×日

丸井君とはあれ以来全くと言っていいほど話していない。前にも言ったが、そもそも話すほど仲がいいわけではないからだ。ちなみに、彼からの視線もなくなっていた。逆に言えば、彼に無視されているような気さえする。あんなに冷やかしていた友人も、丸井君のあからさまな態度に首を捻っている。「あんたまさか告白でも断ったの?」それこそ、そんなまさか、である。だって告白さえされていないのだから。
丸井君からの視線もあの日の彼も怖かったけれど、ここまでくるとなんだか拍子抜けしてしまう。それこそ、今までのことが夢だったのでは思うほどに。それから、なんだか避けられていることに少しショックを感じていた。誰だって無視をされていい気はしないだろう。
あんなに見てきたくせに、意味がわからない。
このままシカトを続けられても気分が良くないので、私は試しに数学のテストの再試はどうだったのかと自分から彼に接触をはかりに行った。隣にいた仁王君が私の登場に、「よくやるのー」とまた意味深に笑っていた。一体誰に向けた言葉なのだろう。丸井君は私の質問に、目も合わせずに「でき良かった、お前のおかげだわ、サンキュ」そう早口に言って席を離れてしまった。


「なんだあの態度」


彼に感じた怖さも忘れてなんだかムカついてきた。思わず彼の席を蹴飛ばすと、仁王が愉快そうに口元をゆがませていた。なんだかそれも腹立たしく思えたのでついでに仁王君の机も蹴飛ばして逃げた。

仁王君は怒っただろうか。




×月×日

丸井君の無視はまだ終わらない。今までずっと見てきたくせに、その変わり身はなんだろう。別の観察対象でもできたのだろうか。無視はエスカレートし、今では話しかけることすら困難になり始めている。私が話しかける前に席を離れてどこかへ行ってしまうのだ。たまたま目があっても、あからさまに逸らされるし、私は別の意味でノイローゼになりそうだった。せっかくノイローゼの原因の丸井君の視線から逃れたというのに、これはいじめだ。いじめに違いない。その考えが私の頭にふと浮かんだ。彼は私が傷ついているのを見て楽しんでいるのだ。

なんだか悔しくて、情けなくて、もう何をする気も起きなかった。不登校になる子の気持ちが、よく分かる気がした。

そうして今度放課後の教室で不貞寝するのは私の番だった。部活も体調が悪いと仮病を使ってしまった。今まで欠席なんてしたことなどなかったのに。自分の情けなさに思わずため息を零した時だった。教室の扉が開いた。
顔を上げるとそこにはジャージ姿の丸井君がいて、私はつい、あの日と同じように体を強張らせていた。


「ど、うしたの」
「忘れ物」


短く答えた彼の声は相変わらず冷たい。ずきりと胸が痛んだ。意味がわからない。なんで彼はそんなに急に私に冷たくするのだろう。気づけばがたりと席を立ち上がっていた私は、丸井のもとまで行くと、彼の名前を小さく呼んだ。苛立ちだか悲しみだか、よくわからないごちゃごちゃとした感情が、胸の辺りにもズンと引っかかっていた。


「私は丸井君が分からないよ」
「…」
「いい加減にして」
「…何のこと?」
「とぼけないでよ!」


私は彼の腕を強く握りしめてそう言った。私のことが嫌いならはっきりそう言えば良いのに。無視されて、避けられる方がよっぽど辛い。自分の何がいけないかも分からないし、私は一体どうしたら良いの?
思っていることを吐き出すと、丸井君は笑っていた。すごくおかしそうに。それを見て分かった。彼は冷たい人間なのだと。


「…やっぱり丸井が明るくて優しいなんて、私の思い違いだったみたい」
「は、何それ。明るくて優しい?違う違う」


彼はそう言うなり、私を壁に乱暴に押し付けた。丸井君はあの妖艶な笑みを浮かべて私を見つめていた。彼の瞳の中には、私がしっかりと写っている。観察するような、その無機質だと思われた視線は、本当は別のものを孕んでいたのだと、私はそこでようやく気付いた。


「俺の本性はこっち」
「ちょ、んん…っはぁ、」


顎を持ち上げられて、乱暴に唇を奪われた。息を吸うために微かに開けた隙間から舌が滑り込んでくる。苦しいと胸板を押しても解放されることはなく、私はついに足の力ががくりと抜けた。それを丸井君が腰に手を回して支える。耳元に彼が顔を寄せた。耳にかかる息にさえ、次第に力を奪われて行く始末だ。


「俺、狙った物は逃がさねえ主義なの」
「…は…っ」
「なあ、俺に無視されて寂しかった?」


ぼうっとする思考の中で、今までの意味不明な態度は、すべて私を捕まえるための作戦だったのだろうかと、私は考えた。仁王君の態度がおかしかったのも、全部知っていたからかもしれない。


「俺さ、お前が俺のこと全然見ねえからどうしたら良いかずっと考えてた」
「…」
「んで、気になるようにすればいいんだって、分かった」
「っだから、私が、丸井君を気にし始めた頃に、…無視して、…ひゃ、ぁ」
「ふうん、喋れる余裕とかあるわけ」


ざらりとした感触が耳を這った。びくりと体を震わせて丸井君の方へしがみつく。彼の手がそろりと足の方へ伸びた時、私はやめて、と首を振った。彼はその言葉を遮るように乱暴に口を塞ぐ。ひどいやり方だ。こうして彼は私の思考力を奪うのだ。荒い呼吸のまま恨めしげに丸井君を見上げると、彼はペロリと舌なめずりをしてこう言った。


「やっと捕まえたんだぜ?俺から逃げれると思うなよ」


ずっと私を見てきた彼ならわかっているくせに。私には抵抗する力など、既に残ってはいないこということを。






( 捕えらえられた心 // 131002 )
このブン太君はヤンデレでいいと思う。まあヤンデレあんまり好きじゃないんですけど。
普通に付き合う分にはきっと大事にしてくれるけど、一度嫉妬するともうヤンデレモード発動で無理やりいたしたり、やらかすブン太で良い。それから不健全シーン、私にしては頑張った方です。