《テステス、マイクのテスト》
「…あ?」
《えー、ごほん。3年B組丸井ブン太さん。突然ですが、……結婚を前提にお付き合いしてくださあああい!》


三ヶ月ほど前、夏の全国大会を終え、惜しくも準優勝を手にした俺達は、ほんの少しの悔しさと寂しさを胸に二学期を向かえる事になった。
さて、夏休みが明けたと言っても、残暑も厳しく、まだまだ空は夏の色を残している。その時の俺は廊下の窓からそんな空を眺めながら、赤也や仁王と購買へ向かっていた。俺の頭は昼休みの空腹と少しだらけた空気に侵食され始めており、しかし突然、それを覚ますがごとく、放送用のスピーカーから、突然冒頭の台詞が発せられたのである。


「は、…はあああああ!?」


突然流れ出したその放送に、俺は白目をむきかけ、近くの壁に衝突する。当然、昼休みの廊下はより一層騒がしい場所となり、途端に男子の冷やかしの声や女子の悲鳴も飛び込んで来た。そして俺の横にいた仁王と赤也はというと、ぽかんと、ひたすらスピーカーを見つめていた。


「…仁王」
「…」
「…赤也」
「…」
「…頼む、何か言ってくれ」


いつもなら何かあれば速攻で馬鹿にしにかかるこの二人が、こんなに唖然としているという事は、それ程驚くべき事が起きている事と言うわけである。ちなみに、まるで俺の言い方は他人事のようであるが、決して動揺していないわけではない。むしろ動揺から来る現実逃避に近い。
俺をまじまじと見つめる赤也が、ようやく口を開いた。


「結婚おめでとうございます」


どうも俺よりも動揺している人間がいるらしい。


その出来事が、全ての始まりだった。




( ミラクルもフォーエバーもいらない )



「丸井先輩愛してますううう!どうか私と結婚してくださあああいっ」
「おおお前、良い加減にしろい!」
「あああ逃げないでくださいいい!ついでに相変わらずその口調素敵過ぎですううっFOOOO!



赤也曰く「プロポーズの彼女」は、放送事件の日以来、毎日、休み時間の度に俺の教室に現れるようになった。彼女は赤也と同じく二学年で、名前はと言うらしい。彼女のストーカー精神はとどまる事を知らず、俺は逃げ続けて、求愛を断り続けて早、三ヶ月が経ってしまっていた。


「またやっとんのか。懲りないのう」
「それは俺に言わずにに言ってくれ」


テニス部で鍛えた足の速さを生かしてなんとかを巻き、荒い呼吸を整えていると、後ろから仁王が欠伸をしながら現れた。あと数分でホームルームが始まると言うのに、奴はまだ来たばかりの様子を醸している。もう部活がないからと言って随分遅い登校だ。


「ブン太の好みの顔じゃろ。付き合ったらええのに」
「俺のストライクゾーンどんだけ広いと思われてんだよ!顔が良くてもあれは恐怖以外の何者でも無い」


大体、確かに女子にちやほやされるのは悪い気なんてしないけれど、そうやって近づいて来る奴はミーハーしかいないのだ。自分でこんな事を言うのもどうかと思うが、皆外見に釣られているだけなのである。そういう奴とは悪いが付き合えない。


「ほおー。俺にはお似合いにしか見えんがのう」
「どこがだよ。お前面白がってるだけだろい」
「ま、そうぜよ」
オイこの野郎


俺がそう言って握り拳を構えると、仁王が「じゃがなあ、」と間延びした言葉を付け加えた。


「ミーハーかどうかはまだ分からんじゃろ」
「いやあれはミーハーだ。付き合ったらどうせイメージと違うとかなんとか言い出したり、自分の要求押し付けて来るだけになるに決まってる」
「ほーお」


それにしても、どうしたら諦めてくれっかなあ。俺は乱暴に頭をかいて、小さくため息を零した。それから時間が時間だったので、仁王と教室に向かって歩き始める。のせいで無駄な体力を使ってしまった。最近は金欠で買い食いができないほど余裕がないのに。ちなみに隣にいる仁王は俺がこんなに悩んでいる横で、相変わらずどうでも良さげに、ぺたんこの鞄をぶらつかせていた。ちくしょうこいつ。


「おい仁王も考えろよ」
「何でじゃ。お前さんの問題じゃろうか」
「お前それでも友達かよ」
「ただの部活仲間ぜよ」
「うーわー見損なった。最低だお前。元々見損なえる程好感も持ってねえけど」
「どっちが最低」
「仁王」
「ふざけんな。に捕まれ」
「それこそふざけんな」


ペラペラの鞄を奪い取って、それで仁王の背中を叩くと、彼は文句こそ言わなかったが、横目で俺を一瞥した。何だその目は。何か言いたそうだな。俺は威嚇ついでに鼻を鳴らした。「ほんとにそろそろ捕まってやったらええんじゃ」仁王が小さく息を漏らす。どういう事だよ。


「いつも逃げて、の話も聞かずに断っとるから、向こうも諦めがつかんのじゃないか?」
「俺のせいかよ!」
「まあ、半分くらい」
「ふっざけんな。俺は被害者だぜ?半分も悪くてたまるか」
「じゃあ三分の二」
「そういう問題じゃねえしって増えてんじゃねえか」


俺は被害者だぞ。勝手な事言いやがって!そうして憤りながら踏み出した俺の一歩は、すぐに引っ込められる事になる。噂をすれば影。俺の声を察知したらしいが猛スピードでこちらへかけてくるではないか。あんなに勢い良く走っているにも関わらず、笑顔が崩れていないのがまた怖い。「まっるいせんぱーい!」


「えええちょちょちょ」
「ま、話くらい聞いたったら?」
「そんな事言…ってお前逃げんなあああ全力じゃねえかああ」
「ぴよ」


あの不可解な口癖を残して仁王は全速力で去って行った。とりあえず、厄介な事には巻き込まれたくないという本音はよおく分かった。俺はこの時程あのペテン師に殺意が湧いた事はないだろう。裏切り者めが。
一方で、はまさか俺に突撃するつもりなのかと言う程の勢いで走りつづけていた。これ以上逃げ切る体力を備えていなかった俺は、手を前に突き出してストップストップ!と叫んだ。すると、意外にも彼女は俺と一メートル程明けてその場に急停止をした。


「どうしました丸井先輩。あ、もしかしてようやく私とハグする気に、いやん」
「殴るぞ」
「えー」
「えーじゃねえよ。…つうかさ、お前、なんでそんなに俺を追いかけ回すんだよ」
「好きだからです」
「いや普通ここまで拒否られたら諦めねえ?」
「諦めません」
そっすか
「だって、…丸井先輩みたいな一生懸命で素敵な人、他にはいませんから」


そう言ってふわりと微笑んだ目の前の彼女に、俺は不覚にもどきりとしてしまった。そしてその言葉は、今まで色んな人間にだらしのない奴だと思われてきた俺からすれば、あまりしっくりとこないものでもあった。なんだか、を怯える必要もなく思えてきたので、俺は警戒心を解いてそのまま怪訝そうに首をかしげる。
しばらくの沈黙の後、彼女はおもむろに口を開いた。


「挙げたらキリがないけど、…丸井先輩が楽しそうにテニスをしてる横顔が好きで、陰で誰よりも努力をしているところが好きで、誰かを思いやれるその優しさが、好きです」
「…いや、俺そんな大した人間じゃねえし…まあ、テニスは楽しいけど」
「いつもは自信家なのに、そうやって褒められると謙遜しちゃうところも好きです」
「おま、…恥ずかしい事言うな」


顔に熱が集まるのを感じて、ついそっぽを向く。はくすりと笑っただけだった。


「そんな温かい先輩だから、きっと貴方の周りには人がたくさんいて、その人達は皆笑顔なんでしょうね」
「…、」
「…ねえ先輩、私はそこらへんの女達とは違う」


は神妙な顔つきになり、俺を見据える。そこにいたは、いつのもふざけたゆるいオーラを纏う彼女とも、先ほどまでの優しげな彼女とも明らかに違っていた。きりりと顔を上げてまっすぐに俺を見つめ返している。まるで、獲物を狙う目である。女の癖に末恐ろしく感じるが、何故か逃げる気にもならなかった。「どういうことだよ」俺の声に遅れて、ホームルームの予鈴が俺たちを急かす。それでも俺は彼女の言葉を促した。


「わがままは言わないよって事ですよ」
「…」
「私は貴方に、あれを買えだの、毎日メールをしろだの、そんな事は求めません」
「…それなら、お前は」
「奇跡も永遠も、貴方がいるなら明日だって、いりません」


俺は多分、今までにこんな男前な女子は見たことがない。きっと女子が男のこういう台詞にグッとくるのだろうと、頭の片隅にそんな考えがちらついた。ちなみに、どうやらこの殺し文句は俺にも効果覿面らしい。


「だから――貴方の心を下さい、丸井先輩」


のその言葉に、今度は自分から彼女を知ってみようと思ったある日のこと。




( お疲れ様でした向日葵さん // 130420 )
大好きなブン太のお話を大好きな向日葵さんに捧げます。
押し付けるような形になってしまって申し訳ないのですが、ずっとここに置いておきますので、いつでも読みにいらして下さいね。
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