今日はいつもの倍、会社で上司にしごかれた。こんな事はよくある事だが、慣れたからと言って疲れないわけではない。凝りに凝った肩を叩きながら、さっさと家に帰って寝るに限ると仕事が片付くなり俺が仕事場を後にしたのが午後8時の事。幸い、自宅と職場は2駅挟むだけなので、8時半過ぎには家に着くだろうとホッと息をついていた俺が、自宅ではなく居酒屋に着いたのが8時20分頃。
俺の隣で既にベロベロに酔っている女こそが、例の俺の上司様である。


「あのー…俺帰りたいんすけどー…」
「ええ?枝豆たべたいって〜?良いよ。私がおごったげよう!うははは!」
あー超疲れる。果てしなく帰りたい


会話が成り立たない阿呆上司――をチラリと一瞥して 深くため息を零した。早く家に帰りたかったのに、まさか途中で彼女に出くわすとは。そんな俺の態度に不満を抱いたらしい彼女は、「なによう」と唇を尖らせながら、カウンターに突っ伏す。子供か。


「…あんたも私がガキっぽいって言うわけえ」
「いや、そういうワケじゃないっすよ」


実際はそういうワケなのだが、この様子は、どうも"また"彼氏に振られたらしい。たまたま目が合った居酒屋のオヤジが隣の彼女を見てから俺に哀れみを込めた笑みを向けた。「あんたも苦労するねえ」それに俺もぎこちなく笑い返した。
実を言うと彼女にこうして無理矢理居酒屋に連れていかれる事はこれが初めてではない。は彼氏に振られる度に、会社で俺に当たり、挙句ヘトヘトな俺を自棄酒に付き合わすのである。もう毎回の様子に、流石に店のオヤジも苦笑しか出ないらしい。
正直毎度毎度こんな事に付き合っている俺には残業代がついても良いのではないだろうか。そもそも、上司と言っても俺より先にそこにいたという意味での先輩なだけで、まあ確かに俺より仕事はできるけど、年齢自体は変わらないのである。


「それで?今回は前に言ってたエリートマンにでも振られたんですか」
「なんでわかったの。あんたえすぱー?」
サンが俺呼ぶ時いつも振られた話しかしねえじゃん」
「…それもそーかあ」


空になったビールジョッキをぼんやり見つめて彼女は一人でうんうんと納得していた。それから、既に頼んでいた唐揚げを口に放り込む。モゴモゴと口を動かしながらだし、呂律はあまり回ってなかったから聞きにくい事この上なかったが、彼女はようやく自棄酒の肴を話し出した。


「言われたの。僕には君みたいな子供っぽい人は釣り合わないなって」
「まあ、サン子供っぽいトコあるし」
「ねえよ。どこがだよ。あたしのスリーサイズ舐めんなよーコノヤロー」
「いや別にそういう話じゃ…え、いくつ?」
「ええっとだなあ〜上からぁ、…ってばかー」
「いてっ」


何故かノリノリでツッコんだ彼女のスリーサイズは結局聞けずじまいだったが、代わりにさっきの話の続きを始めた。どうやら彼氏は俺達とは比べものにならないくらいのエリートで、それだけに仕事も大忙し。まあ、そんな大物をどうやって捕まえたかは置いておくとして、そこでサンがその人に、もっと会いたいし、連絡も取りたいと駄々をこねたら先程の台詞でバッサリだそうだ。多分一度や二度の話ではなく、彼女は事あるごとにその人にわがままを言っていたに違いない。


「会いたいと思うのは普通だろうが。誰がガキっぽいじゃ。一人称僕の奴に言われたくねえわ、あんな奴どうせマザコンだよ。絶対家に帰ったらママだよママ。なんかイライラしてきた。くそう、あのハゲ!」
ガキっぽいって絶対あんたのそういうトコの話だろ


サンは小学生かと言う様な罵倒を繰り返す。よくもまあそこまで罵れるものだと、ビールをのどに流し込んだ。付き合いでビールを飲んではいるが、やはりいつまでたってもこの味は好きになれない。


「つぎこそは、いいおとこ、みつける」
「それ聞き飽きた」
「うるっせ、黙れ。彼女いないくせに」
「俺は中高大でモテたんでー」
「もう女は良いってか」
「そうは言ってないっすけどね」



言ってしまうと、俺は今でもモテるけど、昔ほど、恋愛に興味を抱かなくなった。だからと言って彼女が欲しくないと言えば嘘になる。彼女を作らない理由はいくつかあるが、まあ結局はなるようになるだろうという。こんな言い方はあれかもしれないが、多分、学生の時に恋愛に関する一生分のやる気的なものを使い果たしたのかもしれない。とは言ってもたいしたことはしてこなかったが。
俺はいつだって周りからよく見られようとカッコつけてただけだ。


「けっ、これだからいけめんはぁ」
「否定はしないっすよ」
「むっか。絶対金持ちのいい男捕まえる」


ビールのおかわりを頼んだ彼女は、いかにも酔っ払いの顔で俺を睨んだ。
確かにサンは男運はないが、出会いは面白い程すぐ舞い込んでくるから、またすぐにどこぞのエリートなイケメンが釣れるに違いない。
しばらく互いに無言でビールをちびちび口に運んでいると、不意に隣の酔っ払いは先程までの喧しさからはかけ離れた、ショボショボとした声を発した。


「あのさあ、丸井くんよ」
「なんですか」
「幸せって何かね」
「自分が幸せって思えるもの」
「あっばうと。…あたしさあ、金持っててイケメンと結婚する事だと思ってたんだけど、」


違うのかなあ。
今にも泣きそうな声で、彼女は再びカウンターに顔を伏せた。
俺には他人の幸せなんてよく分からねえけど、多分、サンの幸せはそれで得られるものじゃねえ事は確かなんじゃないんですか。そんな事を言ってやると彼女は聞いているのかいないのか、言葉が返ってくる事はなかった。
すると俺達のやり取り、というより彼女の様子を見兼ねてか、オヤジがサービスだと言うように、俺達の間に枝豆の皿を置いた。あ、どうも。と頭を下げると、彼は笑っただけだった。


「なんか枝豆サービスだって、サン」
「…」
「…はあ、」


彼女は一向に顔をあげる気配がない。俺はようやく飲み干したビールジョッキを端に押しやった。


「あのー。これ提案なんだけど」
「…」
「もしあんたが良いって言うなら、俺はエリートでも金持ってるわけでもないけど、もらってあげても良いぜ」
「…」
「まあイケメンの条件は満たしてるし。サンの幸せは保証しねえけど」


だって俺はあんたが幸せに感じるかどうこうの前に、俺が幸せかどうかで動いてるんで。
チラリ、と突っ伏すサンを横目で伺うと彼女は微動だにしない。というより、規則正しい呼吸の音が聞こえる、ような。


「は、まさか寝てんのかよ」
「すーすー…」
「…うーわーあり得ねえだろい」


ガッと俺も強く額をカウンターに打ち付けて、黙りこくる。ビールのせいだか恥ずかしさからなのかよくわからない熱が、顔を一気に熱くする。
ちくしょーちくしょー。この女。

そのまましばらく伏せていると、 伏せた頭のすぐ横に何かを置く音が聞こえて、顔だけそちらに向けた。目の前にあったのは、2皿目の枝豆。


「兄ちゃんにもサービスな」


頭上から降ってくる本日何度目か分からない彼の苦笑いは、俺を余計虚しくさせた。
もう恥ずかしくてしばらくここには来れそうにない。


「兄ちゃんガンバんなよ。俺ぁ、あんた達お似合いだと思うよ」


でもまあ、そのエールを聞いて、ちょっとだけ頑張ろうと思えた俺は、まだ学生時代のやる気とやらを使いきってないのかもしれない。






( 面倒見がいいのは相変わらず // 130316 )
こういうの書きたかったんです。漫画では先輩な彼が、上司に振り回されている姿に萌えます。