![]() 卓上コンロの上に大きな鍋を乗せて、テーブルにはとりどりの具材がざらっと並ぶ。あとはコタツに入るだけで準備は万端。 つい先ほど仕事から帰ってきたばかりのブン太が、寒い寒いとコタツに身体をすっぽりと収めて、せかせかとコンロに火を付け始めた。私はそれを黙って見つめて、こんなはずじゃあなかったのになとこっそり苦笑を零す。私の仕事は今日から年末休みに入り、ブン太の休みは明日から。珍しく私が夕飯の用意をしなければならない形になったので、今日くらいはいつも彼に任せきりの家事をこなして、とびきり美味しい夕飯でも作って、女らしさというやつも一緒に見せつけてやろうと思っていたのだけれど、そんな私の目論見は、彼の帰宅によってあっさりと破られた。思いのほか早く帰宅した彼は、用意された夕飯の材料に、本日の晩御飯は先日やり損なった鍋であることを知って、すっかり張り切り出してしまったのである。もちろんそれは一向に構わないのだけれど、彼があまりに自然で無駄のない手つきで準備を進めて行くので、私の出番がちっともない。 今だってほら、ぐらぐらと沸騰を始めたらしい鍋を覗き込んで、さて頃合いかと、私が具材の皿を手に取ると、 「白滝は肉と離れた位置に置かなきゃだめだろい」 なんて注意されてしまった。どうやら鍋奉行が降臨したようだ。というか、食に関してはいつだって彼はお奉行様であるけれど。とにかく今は中途半端に手を出すのはタブーらしい。ブン太は帰宅したばかりだけれど、面倒というわけでないのなら、正直彼の方が料理は上手なので、任せるに越したことはない。私はそろっと手を引っ込めて、コタツの中で小さく正座をした。 そうしてすっかり手持ち無沙汰になった私は何かないだろうかと視線を彷徨わせていると、ふと、椅子に適当に引っ掛けられたブン太のスーツの上着を見つけて、私はそれを拾いにいく。こういう所は彼もきちんと男の人らしくズボラである。さっ、とハンガーにかけながら「まったく」と私が口を尖らせれば、鍋の中へ具材を並べていたブン太がちらりと振り返って、誤魔化すようにぎこちなく笑った。 「なーに笑ってんの。しわがついちゃうでしょ」 「へーい、ごめんなさーい」 「反省してないし」 クローゼットにハンガーをかけて、再びコタツに身体を滑り込ませると、彼が頬を膨らます私を一瞥して、今度はどこか嬉しそうに小さく笑ったのだった。その理由が分からずに、それを問うと、彼は「今の奥さんぽい」と言って、柔らかく笑うものだから私はちょっとだけどきりとした。だけどブン太はすぐに何事もなかったように振舞ったので、ああ、冗談みたいなものかと自分を落ち着ける。 それからしばらくすると、具材が良い頃合いに煮えて、ブン太がぱちんと手を合わせた。釣られて私も少し大袈裟なくらいにそうする。 「いただきまーす!」 「おう、召し上がれ」 あれ、なんかこれって逆じゃない?なんて思ったけれど、美味しそうな匂いが鼻腔をくすぐって、お腹もすっかりぺこぺこだったので、なんだかどうでも良くなって私は箸をのばした。舌がちょっと痺れるくらいの熱さだったけれど、気にせず頬張る。熱々が一番だ。じゅわりとお肉から味噌ベースの鍋出汁が染み出して、うん、美味しい。 「の特製鍋出汁ってとこか」 「準備でほとんどブン太君に良いところを持って行かれましたからね、これくらいは」 「おっと、それは失礼」 ブン太が戯けて笑って、じゃあ今度また作ってよ、と言う。きっとその時もまたこんな風に良いとこどりされてしまうような気がするけれど。 普段ブン太が鍋の出汁を作るときは、だいたい醤油ベースだったりするから、彼はこの味もなかなか気に入ったようだった。何を入れたのか、とか、隠し味は何かとか、しつこく聞いてくるので、これは次の機会でも本当に私の格好がつかなくなってしまう。「トップシークレット」私は指を立てると、彼は肩を竦めた。 「んー、味噌、鰹だし、酒と、唐辛子と…、すりごま、砂糖とか入れた?どう?」 「えー言わないってば」 「けち」 ブン太が手早く新しい具材を鍋の中へと流し込む。そんな様子を見ながら、私は先程の彼の推理に結構当たってる、と心の中でつぶやいた。流石お料理上手だ。 鍋の中身が残り少なくなって、お腹も程よく満腹になった頃、今更になってブン太が思い出したようにお酒を取り出した。ついこの間、美味しそうだったものだから2人で勢いづいて買ってしまったちょっと高めの日本酒だった。それを小さなコップに二人してちょっとずつ注ぐ。 何とはなしにつけたテレビからは今年一年を振り返って、話題に上った芸能人の誰それが結婚したビックニュースについてとか、あとくだらないコントとか、笑い声とか、日常らしい音が流れ込む。お酒が喉をするすると落ちていくと、何だか一気に力が抜けたような気がして、私はそっと息を吐いた。もう年末か。 年賀状もまだまだ書き途中だし、お掃除もやりかけだ。私がこれからやることをあれこれ並べていると、ずっと黙っていたブン太が「そういえばさあ」と口を開いた。お酒が入ったからかやけにゆったりとした雰囲気だった。 「会社の先輩のとこ、子供生まれたんだって」 「へえ!男の子?女の子?」 「女の子。写真見たんだけど、なんつうか、すんごく可愛かった」 「そっかあ」 そういう時期、と言ったらおかしいのかもしれないけれど、丁度周りのそういうタイミングに当たる時期に、私は居合わせているのだと思った。最近自分の職場でも、先輩や、特に同期がそんな話をすることが多くなり、その度に何だか途端に他人事でなくなるような気がして、私はこっそりどきりとする。ブン太とは同棲までしているわけだし、今までまったくそういうことを考えなかったわけではないけれど、何だか自分にはまだそんな未来は遠い気がしていたのだ。だって、今がとてもありふれていて、穏やかで、これから劇的なことが起こるなんて、そんなことはしばらく想像がつかない。 そんな私の横でブン太がぐつぐつ煮える白菜を捕まえに箸をのばした。「なあ」彼の間延びした声。 「俺達もそろそろ結婚しようか」 ぽかん。音をつけるならそんな感じだった。まるで、明日どこかに出かけようか、とでも言い出す調子でブン太はそう言った。コップに伸びかけていた手がおかしな位置で止まって、私が何も言わないことを怪訝に思ったのか、ブン太がようやくこちらに向き直った。 「丸井。うん、俺は結構良いと思うけどな」 「…なんで」 「うん?」 「意味が分からない」 「えっ意味分からなかった?」 ブン太は私の言葉をそのままの意味で受け止めたらしい。コタツから出ると、彼は正座をしてしゃんと背筋を伸ばした。「俺のお嫁さんになってください」 言い方を変えればいいという問題ではない、というツッコミの前に、彼はその上、実は買ってありましたみたいなノリで目の前に指輪を差し出されて私は開いた口が塞がらない。 日常が流れていくのと同じスピードで、なごやかに、その劇的になるはずだったであろう変化が私の日常に溶かされた。目の前のこの男に、今ばかりは馬鹿野郎と怒鳴りつけてもきっと誰も怒らないはずだ。 「俺、結構貯金も溜まったし、同棲して、やっぱり俺の人生にお前が必要だなって、思ったから」 「だからって…」 「…おう」 「なんで鍋つつきながら言うの」 「こういうのはスマートに言った方が、こう、入り込みやすいかなみたいな」 「スマート?これがスマート?」 結婚の申し込みをされたはずが、しゃんとしていたブン太の背中は次第に丸まり始めて、正座をしているから余計にただ叱られている子供にしか見えない。 結婚の話を持ち出してくれたのは嬉しかった、嬉しかったけど、もっとムードとかが欲しかったのだ。ブン太はいつもそうだ。この間のシチューの日だって。未だにぐつぐつ言っている鍋の火を止めて、私は改めてブン太の方へと視線を移した。彼はそれを見て説教が長くなると察したらしく、きゅっと肩をすぼめる。 「結婚しようかって、何で鍋見てなのよ。あんたは鍋と結婚すんですかっての」 「いや、一応さんに申し込んで」 「なら私の目を見て言うの、ふつーは!」 「あ、うん、そうそう、そうだよな普通。言います、やり直し」 「っだから、今じゃなくて、初め、いっちばん初めに!もう遅い!」 私の言っていることがちっとも理解のできていない彼をもどかしく思う。こういうのは初っ端が大事なのだ。一回こっきりに、全身全霊を捧げるもの。私は彼から指輪の箱を取り上げると言った。「見本を見せます」今度は彼がぽかんとする番だった。そんなことは御構い無しに、私はすっと背筋を伸ばす。賑やかなテレビも消して、しん、と静まり返る部屋の中、ゆっくり息を吸った。 「何があっても、私が一生をかけてブン太のことを幸せにします。私と、結婚して下さい」 指輪を差し出して、ブン太がそれと私を交互に見比べる。彼はしばらく何かを言い出そうとして、けれど言葉にできなくて、みたいなそんな風に口をぱくぱく動かしていたのだけれど、突然これだ、みたいな顔をすると、深々と頭を下げたのだった。「お願いします」それを見て、私はホッと胸をなでおろしてから、彼の肩を叩いて顔を上げさせる。 「はい、確かにお願いされました」 「…マジでが奥さん?丸井さん?」 「そうだねおめでとう」 「…嬉しくなさそうだな」 「プロポーズされたら泣く予定だったんだけどぐだぐだ過ぎて引っ込んじゃったよ」 結婚式にとっておくね、と私が大真面目に言ったら、ブン太は「結婚式…」と呟いたかと思うと、突然掴んでいた私の腕をグイグイと後ろに追いやり始めた。何が何だかと言った感じだったのでさほど抵抗もしないまま、私の背中がぺたんと床につけられる。今のでどうして押し倒されたんだろうと、真上のブン太を見上げると、彼の顔は思いのほか赤かった。あっさり結婚という言葉を言った割に、本当は彼もこの状況にとびきり緊張していたのだ。 「で、これはどういう意味かな」 「結婚式想像したらなんか感極まって」 「感極まって押し倒すんですか、さようですか」 「キスしたい」 「困ったね、どうしましょう」 首を傾げると、ブン太はすぐに私からのゴーサインが出ないことに初めはきょとんとしていたのだけれど、しかしすぐに口元に弧を描いてみせた。たまにしか見せない、私をどぎまぎさせるこの表情。私の髪をさらりと撫でて、その指が頬を伝い唇をそっとなぞる。「そうだな、どうしようか」心臓が大きく跳ねて、私はキュッと口を結んだ。ブン太はたまにこうして突然艶かしくなるから、怖いのだ。彼の囁きに足を取られて抜け出せなくなる。彼は自分ではそれに気づいていないかもしれない。私がどれだけ彼にどきどきさせられているのかも、きっと。 「じゃあお前のこと全部俺に頂戴」 ふわりと笑う彼は、食い意地が張っててもムードに掛けててもやっぱり私の大好きな彼で、今更かっこいい言葉を吐く彼に、私はなんだか悔しくなってしまう。だから緊張が悟られないように、私は彼の首に腕を回してこう言うのだ。 「…しょうがないな」 私の旦那さんにだったら、全部あげる。 ( ホームスイートホームの続き! // 141225 ) クリスマスに一つ更新できてよかった!ということで、普段あまり書かない大人の雰囲気でホームスイートホームの番外編、書かせていただきました! 本当はもうちょっとヒロインのターンが少ないはずだったのです、書いているうちにいつの間にやらこんな話に仕上がりました。詳しくはブログにでものせると思います多分。書いていてとっても楽しかったです。 リクエストありがとうございました! リクエスト : かなさん |