scene04_財前光

先輩は全体的にとてもルーズな人だった。今まで図書委員会の仕事の時間に間に合ったことはないし、その上仕事の内容もすぐに忘れてしまう。
もともと先輩は女テニの部長で、俺は白石部長繋がりというか、テニス部繋がりというか、とりあえず彼女が図書委員になる前から俺は先輩の存在は認識していた。部活動での彼女の姿を見る限りでは、先輩はこういう地味な作業に向いていない気はしていたけれど、しかしながら部活では白石部長に引けを取らぬくらいきっちりしていたものだから、委員会として会う彼女とのギャップに初めは割と驚いたものだ。
だから以前どうして図書委員になったのかを彼女に尋ねたら、寝ている間に決まっていたと先輩はケロリとした顔で言ってのけたので、ああ、この人は部活以外ではこういう人なのだなと俺はその時悟って、それ以上突っ込むことはなかった。



もう日も暮れかけていると言うのに、相変わらずやかましい蝉の鳴き声は止まない。俺はその声をぼんやり聞きながらふと携帯の時間を確認すると、もうすぐ最終下校の時刻だった。図書室を閉めねばならない時間はとうに過ぎていて、もちろん中に生徒はいない。先輩も、やはりいなかった。
明日から夏休みに入る。今日が一学期最後の図書当番だと言うのに、結局あの人は最後まで当番の時間に間に合うことはなかったなと、俺は小さく息を吐いて背もたれに身体を預けて天井を見つめた。
下校時刻に慌てて廊下を走る生徒の喧騒がやけに遠くに聞こえる。

「あれ、開いてる…!?」

その時、不意に、廊下からそんな声と一緒に、まさに恐る恐ると言った様子で図書室の扉の開く音。
声から先輩だと分かって、俺はおっそ、と小さく呟く。まったく、どうやったらこんなに大遅刻が出来るのか逆に知りたい。
からから、とやけにゆっくり開く扉の音をじれったく思って、スパンとこちらから開いてやった。「ひえ、っ」先輩は妙な声を上げて一歩後ろに飛び退く。それから目があって、しゅんと沈む先輩の顔。

「…えーと、その、遅れてごめんなさい」
「まったくですわ」

まあ、いつものことですけど。
俺は図書室のカウンターに戻ると先輩もひょこひょこ後に続いて、それから何時ものように何をすれば良いかと尋ねてくるわけでもなく、何かを言いたげに、落ち着きなく視線を宙に彷徨わせている。
彼女の言いたいことは分かっていた。

「…戸締りの、図書室の鍵、私財前に渡した、よね?」
「貰いましたよ、ほら」

ちゃりんと宙に放る鍵は、綺麗な弧を描いて先輩の手に収まる。
図書室の鍵は普段、先輩だからと言うことで当番の時は俺ではなく先輩が持っていた。だから俺は仕事が終わっても遅刻してくる彼女を待たねばならなくて、今でこそ気にしていないものの正直初めはとてもイラついた。元より待たされたりダラダラ行動されるのは嫌いだ。
先輩はそれを察して、ついにと言えば良いのか、今更と言えば良いのか、俺が待たないようにと鍵を託したのである。だから今日は俺が先輩を待つ必要なんて、なかったのに。

「今日で当番、最後なんで先輩の分も仕事残しておいたんですわ」
「あ、そうだね、最後だもんね」

最後最後、と繰り返す先輩は積んで置いた本に気づいて、これを戻せばいいんだよねとそれを抱えた。別に、本当に仕事をやって欲しかったから残しておいたわけでも、待っていたわけでもない。自分でも分からなけれど、ただ待っていたかっただけだ。 けれどそれを素直に言えぬ自分は、最後まで生意気な後輩だと思われただろうか。なんて、普段はそういう事を気にする性格ではないのに、柄にもなく感傷的になるとか。
そんな俺の目の前で、棚の上の段に手が届かないのだろう、先輩は仕切りに飛び跳ねていた。その姿に、感傷的になっただけ無駄だったような気がした。きっと彼女は何とも思っていないのだろう。探せば台くらいあるだろうに、跳ねる姿にガキかと苦笑して俺は彼女の手から本を取り上げると、それを元の位置にすとんと差し込む。おお、流石、と先輩が笑った。

「財前って本当は優しいよね、無愛想だけど」
「余計なお世話っすよ」
「はは」

先輩はそれから、俺が隣にいることを良いことに、棚の高いところに戻さなければならない本を自然な手つきで俺に回し始めて、何で俺が、とは思いながらも、文句を言う気は起きなかったので俺は黙ってそれに従った。
そうこうしているうちに、本はあらかた片付いて、先輩は最後の本を戻しながら改まった口調で俺を呼んだ。

「振り返ると私は財前を待たせてばかりだったね」
「何すか突然、つうか今更っすわ」
「いやあ、ごめんね。でも、いつもちゃんと財前が待っててくれてるから、財前は待たされるの嫌だったと思うけど、私はちょっと嬉しかったんだ」
「…別に、俺は先輩待つの慣れましたし、嫌やないですけど、」
「それ聞いて安心した、…お、自分で言って照れてる?」
「んなわけないやろ、アホちゃいます?」

ぷい、とそっぽを向くと、後ろでけらけら笑う声が聞こえた。最後の最後で変なところを見られてしまった。先輩はといえばひとしきり笑ってから、あーあ、と、図書室の鍵を手遊びに弄り出した。「にしても、結局一回もまともに仕事しないまま一学期おわっちゃったなあ」

「先輩、部活ん時とはそういうのえらいちゃいますよね」
「何だろうね、部活は、部活スイッチ入るから」
「はあ、」
「財前スイッチ作れば良かったね。図書委員頑張れるスイッチ」
「ツッコんだ方がええですか?」
「別にボケてないよ」

そのネーミングセンスは謙也さんと良い勝負である。
先輩は、まあ今更財前スイッチ作っても二学期はまた委員会変わっちゃうからね、と困ったように眉尻を下げて見せた。遅刻しかしなかったけれど、先輩も少しは寂しいとか思ってくれているのだろうか。

「あ、なんて言ってるうちにもう下校時刻だ、早くしないと」
「ああ、」
「さて、財前、一学期お疲れ様でした」

お疲れ様ですと、自分からはどうにも言葉が出てこなかった。さあもう行こうと鞄を背負い直す先輩の背中がやけに遠くに見える。このまま頷いて続こうにも自分の中に蟠りがあるような気がした。「あの」

「先輩、俺、二学期も図書室で待っててあげてもええですよ」
「え?」
「…どうせ俺はまた図書委員やるやろうし」
「財前、」
「だからその…変なスイッチ、出来るの待ってますわ」
「…えへへ、分かった」

早口に言ってしまえば、頷いた先輩は今までに見たことがないくらいへらりと締まりのない顔で笑って、見てるこちらが恥ずかしくなったのはきっと言うまでもないだろう。

「…ほんと、アホちゃいます」



内包した言葉
(まだこの気持ちの意味を知らない)
(たまには余裕のない財前君を//140808)


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