学校一厳しいと有名な女教師に叱られた。その怒られた要因というのも、まあ私が廊下を走っていたことにあるので、多少厳しい事には目をつぶるとして、自業自得だとは理解している。しかし、私にはどうしても腑に落ちない事があった。それは一緒に走っていた白石が怒られなかったという事。奴の方が人徳はあって教師に信頼されている事は分かる。しかしきっと理由はそれだけではない。あの鬼と呼ばれた女教師も所詮はイケメンに目がないオバハンなのだ。私には罰としてプール掃除という、廊下を走っただけにしてはあまりに割に合わないペナルティを言い渡したくせに、白石には「あ、白石君はね、ええのよ。気にしないで。もう帰ってええで」である。あの時の彼女の媚びる顔ったらない。白石も白石で何やようわからんけどラッキーやわーみたいな様子で私を置いて行くし。いやまあもともと白石は彼の買い置きの包帯に落書きをして、それを怒る彼から逃げた事が始まりなんだが。いや、でも、


「それにしても腹立つやっちゃなあああ!」


ばしゃん、とプールに突っ込んだ足をばたつかせると、水しぶきがきらきらと太陽に反射する。プール掃除と言っても元々きちんと掃除はしてあって、既に中には綺麗な水が入れられているからプールサイドの掃き掃除だけなのだが、この灼熱の太陽の下に、真面目に掃除をやる方がおかしい。


「ちゅうか、自分だけ逃げるとか白石ってホンマ酷い奴やわ。見損なった。だいたいなんであんな奴がモテるのか分からん。そりゃあ顔はええけど、家ではアイツ絶対ナルシストやで。鏡の前でエクスタシーやで、ハッ気持ち悪、」
「せんせー、ここにサボってはる人が」
「ちょちょちょちょ!」


プールから足を引き抜いて、瞬時に振り返ると、そこにいたのは携帯を手にした財前だった。「え、いつからおった」「さあ?」にやりと含み笑いをした彼に、私はぞわりと背筋が凍る。彼が携帯を持っている意味など考えたくなかった。これは、完璧に、録音された、動画撮られた、写真撮られた。


「弱み握られた…!」
先輩にしては察しがええですね」
「ちょ、どこからどこまで撮ったん?!消さんかい!」
「多分先輩が見られたらマズイやろなっちゅうとこ全部」
「財前んんん!」


貸しなさいええ子やから、と駄目元で私は手を出すと、彼は案の定携帯をさっとポケットにしまい込み、それから何を思ったのか彼は私の手を弾く様に自らも手を差し出した。私はしばらく前に出されたそれを見つめてから財前へと目を戻す。「何やこの手」


「善哉奢るか、バラされるか好きな方選んだって下さい」
「私に善哉代出せと」
「バラしてもええんですよ」
「…くっ…こんな時さえ相も変わらず善哉とはとんだ愛好家やな」
「じゃあプラスハーゲンダッツで」
「死なすぞコラ」


弱みを握っているからとは言え、かなり大きく出られたものだ。ガキは白くまさんアイスで十分である。本当にハーゲンダッツを買わされるとただでさえ少ないお小遣いが持たない事を私は悟り、適当に善哉を褒めちぎって、財前を追い返そうとした。大体何故こいつがここにいるのだ。大方白石から話を聞いたのだろうが、冷やかしならいい迷惑だ。


「ほら、部活あるんやろ。帰りに善哉買うたるから、データ消して早よ戻り」
「いや、これはまだ次の時の揺する材料に」
「ちょぉ調子乗りすぎやで財前。あんまり舐めた真似すると私にも考えがあんねんけど」
「冗談っすわ」


彼はワザとらしく作り笑いを浮かべてから私の目の前で潔くデータを消した。彼の事だからもう一つくらいデータを残してそうだったが、消す時に惜しそうな顔をしていたから、多分本当に消したに違いない。私は一安心して、ちゃぽんと再びプールに足をつける。後ろで「学習しませんね」と財前のため息が零れた。


「どうせもう撮らへんやろ。どや、財前も。冷たくて気持ちええでー」
「…さっきは部活戻れ言うた癖に」
「ええからええから」


へらへらしながら手招きをすれば、彼はあっさりと隣に腰を下ろして、靴下を脱ぐと私と同じ様にプールの中で足をぶらつかせた。確かに涼しいっすね、財前は水面をぼんやりと眺めて呟く。元々彼は口数が多い人間ではないけれど、何だか妙に大人しくなってしまった様に思えた。それが気まずくて私は気を紛らわすように足をバタつかせる。飛び散る水飛沫が私と財前の顔に掛かり、財前は眉を顰めた。


「かかったんやけど」
「涼しなあ」
「聞いてます?」


私がスルーを決め込んでる事を悟り、彼は濡れた前髪をかきあげると二度目のため息を零した。そんな彼の横顔を盗み見ていた私は、彼の色気のある雰囲気に、思わずうへえ、と妙な声を出した。


「何ですか」
「財前て綺麗な顔しとるねえ」
「…は?」
「モテるやろ?」
「…そんな事考えとったんですか」


間が空いたのは飽きれではなく照れたからだと、そっぽを向いた財前の反応で分かった。可愛い奴め。こうして生意気な口を利かなければ、普通の後輩なのに。彼の態度を微笑ましく思って私はそう口元を緩めていると、私にペースを崩された事を不服に思ったらしい。財前はムッとしてこちらに向き直り「まあ先輩よりはな」とやはり憎まれ口を叩いた。


「失礼やなー。でも女の子選り取り見取りやん。ウハウハですか」
「別に」
「ありゃ?」


変にしおらしくなったように見えた財前を私は不思議に思った。気分を悪くしただろうかと彼の顔色を伺うが、彼はただ空を見上げているだけで、表情は読み取れない。地雷は踏んでいなさそうだ。


「先輩はとことんモテなさそうですよね」
「あ、コラ貴様ァ!私やって告白された事くらいあるわい!」
「へえ、どこのゴリラですか」
「お前ホンマいつか覚えとれよ」


あまりに失礼な物言いに、私は膨れて見せたが、と言っても、私が告白されたのなんて小学生の時の話で、別段甘い話を期待できる内容のものでもない。財前に正直に語って見せると、彼にはハッと盛大に鼻で笑われた。腹立たしい。彼はさぞ少女漫画のような甘い告白を経験した事があるに違いない。それもそれで笑えるが。


「ちゅうか別に、私はモテんでもええし。負け惜しみとかちゃうで」
「なんやつまり負け惜しみですか」
「ちゃうて!好きな人がおるわけちゃうし、別にええんよ」
「先輩は理想が高いんやないですか」


財前は、ウチのクラスの女子は皆誰が好きだとかどうのとか、騒いどりますよと私に好きな人がいない事に少し驚いていたようだった。そこまで理想は高くないつもりなのに。というかこれと言って理想がないのが現場だ。


「ほな、ちょお適当にタイプ言うてみて下さいよ」
「えええ?そうやなあ、まあ、顔は白石みたいんが綺麗で好みやけど」
「部長のせいでプール掃除しとるのに良く言うわ。あんたまさかMか」
「お前が言えゆうたんやろ!ちゅうか顔だけや顔だけ!」


性格は金太郎みたいに元気なのがええし、小春ちゃんや一氏みたいにおもろいのも好きやで。思いつくそばから適当に挙げていくと、財前の顔は次第に険しくなっていき、私は慌てて財前みたいに可愛い後輩も好きやで!と付け加えた。しかしどうやらそれが地雷を踏んだらしい。


「先輩も甘ちゃんですわ」
「財前、」


彼の名前を呼ぶや否や、財前に横から押し倒されて私は熱くなったプールサイドに背を付けた。背中はジリジリと焼けそうだったが、それどころではない。視界には財前しか映らず、どきりと大きく打った心臓に、暑さからではない変な汗をかきはじめる。


「あの、財前?」
「俺がホンマに可愛い後輩やと思っとるんですか」
「…え、と、多少は生意気やとは思うとるよ、そりゃ、」
「そういう意味ちゃうわアホ」


ぽたぽたと先ほど私が飛ばした水が財前の髪や顎を伝い、私に降って来る。それが今になってより色気を漂わせていた。ここで自分の足を引っ張る事になろうとは。私は数分前の自分を恨む。


「残念やけど、猫がぶりですよ」
「…え、」
「先輩に好かれるにはどないすればええやろて、とりあえず可愛い後輩のフリしとりましたけど、無駄やったみたいですわ」
「ちょっと待って、意味わからん財前っ、」
「もう待てへん。ほな、直球勝負で行かせてもらいます」


私の言葉なんて、最早財前を止める力なんぞ持ち合わせていなくて、次の瞬間には視界が全て財前で埋められた。口を塞がれて私は硬直する。


「白石部長なんて健康オタクでキモいし、あの二人はホモップルやし、遠山は騒ぐと手がつけられん」


しばらくして、顔を離した財前は、ぺろりと自分の唇を舐めてから、そう毒舌を吐き出し始めた。しかし私はといえば、とにかくキスされた事に混乱していたため、彼の言葉なんて頭に入って来るわけがなくて、ただ目を泳がせていた。すると財前は焦ったそうに、私の耳元にそっと口を寄せる。それに私はハッと息を飲んで、もう逃げられない事を本能で悟った。
それから財前はこう囁いた。「目の前にこんな先輩思いの後輩がおるんやで、」


「やから…俺にしとき、先輩」




からりとした酸味の
(ギリギリな財前が好きです//130821)

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