「金ちゃんと会話禁止令」

そんなふざけた指令が白石蔵ノ介の口から言い渡されてから今日で三日が経とうとしているが、私のライフは既にゼロを振り切っていた。これでは到底一週間後に迫る定期テストに備える事などできない。しかし腐っても受験生。こうして最近は放課後、教室で勉強をしている私であるが、ふと窓へと外した視線が捉えた夕暮れ時の余情が今の心には妙に染みて涙が出そうだった。


「なんかもー、あー、ありえっへんわあ」


ガツン、向かい合わせにした前の机を私が蹴飛ばせば、前に座っていたクラスメイトの忍足謙也はかなり険しい表情で顔を上げた。ああ、揺らしたから文字おかしなった?ごっめーん、粗雑な謝罪を入れてから、先程ぽとりと彼の手から滑り落ちたシャーペンを拾って「ん、」と突き出す。


「ほら、謙也?」
「アホ、アホアホアホ!」
「何やねん。お前がアホなんは知っとる」
「ちゃうわ!もうすぐで百回連続ペン回しが成功するとこやったんやで!」
「あっほらし。そんなんやっとる暇あるんやったら、いかに白石の目を掻い潜って金ちゃんに会いに行くか考えた方が有意義やわ」
お前ら勉強せえよ


私達のいる席よりもはるか離れた場所に一人で座る白石が、ついに痺れを切らして声を上げた。ちなみに、こんな奴と仲良く勉強したない、なんて白石をそんな遠くに追いやったのはもちろん私である。
私は勉強に集中でけへんのはお前のせいじゃボケと心の中で悪態をつきながら金ちゃんの事を思い浮かべていた。そもそもこの地獄の始まりと言うのは私が金ちゃんを甘やかしているから、というかなりシンプルな理由から。金ちゃんも金ちゃんで私が「甘やかす」から、ものすごく懐いているのだ。私はそんなつもりは微塵もなくて、ただ可愛い彼を愛でているだけのつもりだったのだが、どうやら白石からすれば私の「甘やかし」行為は迷惑らしい。


「こんなん絶対おかしい。そう思うやろ謙也」
「…いやまあ、そないゆうてもの金ちゃんの可愛がり方は異常やし」
「どこがや!具体的に、述べよ!」
「うわ、あぶな!」


ペンを勢い良く彼に向けて睨むと、ギリギリでそれを避けた謙也は、困ったように白石の方を向いた。彼は涼しい顔をしながらテキストにペンを走らせている。「そんなん、全部や全部」二人で彼の答えを待っていると彼はそんな返事を寄越した。それは正直言って私やなくて金ちゃんの可愛さがいけないんとちゃう?髪の毛をクルクルと弄びながら謙也に同意を求める。彼からの返事は当然なかった。この野郎、私が目の前のまっきんきんをひと睨みした、そんな時だった。
ドアから不意にひょこりと現れたのはなんと金ちゃんで、彼は私の姿を捉えるなりバツの悪そうな顔をした。恐らく金ちゃんも私と会話禁止令が出されているからだろう。それにしても彼が部活がないのにこんな時間まで残っているとは珍しい。


「どないしたん、金ちゃん」
「あんな、オサムちゃんが白石にこれ渡して来いて」


そう言って金ちゃんは彼にプリントを渡す。どうやら部活の資料らしい。彼はそれに目を走らせてから額をおさえて「これ明日提出やんか」と言葉を漏らした。なるほど、金ちゃんに託すわけだ。自分で行ったら明らかに白石に説教食らうもんな。ザマア白石と私は鼻で笑っていると、その横で謙也が金ちゃんに問いかけた。「そんで、金ちゃんは何でこんな時間まで残っとるん」私も気になっていたのでそちらに目をやる。


「オサムちゃんのボケ講座見とってん」
あの人はテスト前に何しとんねん


またもや白石が頭を抱えた。いやもう仕方ないと思うあの人は。いやはや苦労するねえと曖昧に笑って私は手元のテキストに目を落とした。これ以上介入すると金ちゃんと話してしまいそうだ。そうなれば白石が色々とめんどくさい。早速分からない問題にぶち当たりながら、私は適当にペンをすべらせる。が、ばしばしと突き刺さる視線が私を勉強に集中させようとはしなかった。顔を上げれば金ちゃんが口をむんずと結んだまま、私を見ている。


「…え、と」


困ったな。白石と謙也へ目配せする私。金ちゃんに帰りなさいなんて冷たい言葉、私を含め誰も言えやしないのだ。言えばきっと罪悪感に駆られて生きていけなくなる。それ程金ちゃんはピュアな存在なのだ。そのまま数秒固まっていると、ついに白石がしゃあないと椅子を動かして金ちゃんに向き直る。


「金ちゃん、に伝言があるなら伝えといたるで?」


ついに白石が折れた。途端に金ちゃんは表情を明るくする。やだ何あれ可愛い。私はにやける口をすかさずおさえると、それを見ていた謙也が今までに見た事がない程の何とも言えない顔をしていた。そんな中、金ちゃんは白石に向かって伝言とやらを伝える。


「あんな、白石が許してくれるようになったらまたワイとたこ焼き食べに行こな。この間ごっつうまいとこ見つけてん。ワイが奢ったるから約束やでって伝えて欲しいんや」
「って言っとるで」
「エンジェル…!」


私はゴツ!と勢い良く机に頭を打ち付けてにへらと緩む頬をおさえる。その様子を見て「喜んで行くよ、やって」と白石が勝手に返事をした。間違ってないから良いけど。その言葉を聞くなり金ちゃんは嬉しそうに教室を出て行って、それを捕まえに行こうとした私は当然その場で取り押さえられた。腕をがっちり掴まれる。


「貴様鬼か」
「さっき目ぇつぶったったやろ。調子乗んなよ」
「お前なんぞ白石ちゃう。鬼石、黒石、ブラックストーン」
「コラ」


彼はそうして威嚇に毒手をチラつかせたが、私はもうそれが偽物だと知っている。以前は金ちゃんとしきりにビビっていたが、財前に聞いたら鼻で笑われてそれが金ちゃんを押さえつけるための虚勢だと知った。怖くあらへん!こちらも威嚇に歯をガチガチならしてやると何故か謙也が後ろで爆笑していて、白石はどん引いていた。嘘、そんなやばい顔だったか。


「と、とにかーく!もう我慢でけへん!金ちゃんとたこ焼き食べたいわ!」
「あんなあ、…金ちゃんを甘やかされると困るんや。ゴンタクレが直らんやろ。あと金ちゃん連れまわすんもええかげんにしい。せめて場所言うてけ」
「オカンかお前は」
「お母ちゃん心配しちゃうわよ」
「きっしょ!とんだ東京かぶれやな!白石のギャグつまらん、出直せ!」
「言うたな」


その後も白石との攻防は続き、しかしとうとう決着がつかないまま見回りにふらりと現れたオサムちゃんに追い返される形で私達の戦いは持ち越された。ちなみにオサムちゃんは白石の憂さ晴らしに先程のプリントの事をチクチク言われて泣きそうな顔をしていた。




それから何日が過ぎただろうか。もしかしたら実際は一日くらいしか過ぎてないのかもしれない。そんな事より、この地獄があと何日続くかという方が重要だった。
テスト前であるから部活でこっそり金ちゃんを見る事はできないし、学年が違うから廊下でバッタリ、なんてこともまずない。そもそも彼は一秒たりとも止まっていられぬ程落ち着きがない子だから居場所も特定できないのだ。


「死ぬ、死んだ」


合掌。
何故か門の前で坊さんの真似をしていた石田君にパンッと手を合わせてから私は無言で横を通過する。ツッコミ待ちだったのだろうか。残念だが私は四天宝寺のボケ殺しという異名を持っている。
そしてそのまま帰路についていると、ふと目に飛び込んできたのは公園のベンチで唸る赤い頭の子。ぴぴーん、とそれが金ちゃんと気づくのが早いか、彼も顔を上げて私を見つけた。やだ運命的。


や!」


彼は叫んでからハッと口をおさえて周囲を確認する。私は白石はいないよと苦笑して彼の元へ歩き出した。
金ちゃんはどうやら財布を覗き込んでいたらしい。彼のガマ口から覗く三枚の十円玉。目の前にたこ焼き屋が構えているところを見ると、恐らくたこ焼きを買おうとしたに違いない。しかし残念だがこれではただの一つも買えないだろう。彼はしょぼくれた顔で、私の制服をぎゅっと握りしめる。


「ワイ、待ちきれへんかったから、今日に奢ったろ思てんで!…でも、これじゃ買えへんわ」


口を尖らせてふて腐れる金ちゃんの何と可愛らしい事か。私は彼の頭を撫でるとちょっと待っとってと彼を再びベンチに座らせた。「おっちゃんたこ焼き二つね」屋台に顔を覗かせて、Vサインを作る。金ちゃんと話した上にたこ焼きを買ってあげるなんて、白石にバレたら今度こそタダでは済まなさそうだ。肩を竦めつつも受け取ったたこ焼きを金ちゃんの前に出すと、彼は頬を赤くして嬉しそうに笑った。


「ええの!?」
「ええよ」
「おおきに!」
「金ちゃん、白石には内緒やで?」
「おん!内緒や!」


たこ焼きを頬張る彼は人差し指を立てて、しーと声をひそめる。なんたる可愛さ。


「ワイ、と食べるたこ焼きがいっちゃんうまくて好きやねん」
「はは、私もや」
「なんでやろって、ずっと考えてたん。そしたら光がな、そら好きやからやろって」
「え、ええ?」


きっと金ちゃんの「好き」に他意はないのだろう。財前の言うそれには含まれていたとしても。妙に照れ臭くなった私はぱたぱたと熱くなった頬を扇ぐ。金ちゃんは足をバタつかせながら「また来ような!」なんてまるで禁止令がなくなったかのように言うもんだから私は嬉しい反面、なんとも言えぬ心境で頷いた。今日は運が良かったけれど白石の目を掻い潜るのは至難の技なのに。しかし金ちゃんはそんな私の心も梅雨知らず、小指を出してにかりと太陽みたいに笑ったのだ。


「ワイまたとたこ焼き食べたい。指切りしよ」
「あはは。…もー、仕方あらへんねえ金ちゃんは」


でもほら、その笑顔を見てしまえば、私はどんな事でも許せてしまうのだ。



手元の愛
(金ちゃんの笑顔は元気の源です//130813)

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