夏、蒼天、入道雲、ストロークの音、彼らの声――

レトリック ブルー




「……ん…」


ジリジリとした暑さに、私はとうとう思い瞼を持ち上げる。どれくらい寝ていただろうか。朝来た時にはまだ日陰だったこの場所も、いつの間にかしっかりと日向に変わっている。この時期に屋上で寝るなんて無謀なことをしでかした私の制服は当然汗でぐっしょりとしていた。
「…今何時やろ…」まだあまり回らぬ思考の隅でぼんやりと蝉の声を聞きながら、ポケットの携帯を探る。しかし私のそれが開かれるより先に「1時やで」と突然声が降ってきた。それと同時に、視界が夏の青空ではなく、私を覗き込んだ白石の顔で埋まる。


「どわあっ!」
「おはようさん」


今度こそしっかりと覚醒した私は、弾かれたように上半身を起こす。声の主白石は、あの爽やかな笑みを浮かべてパックのお茶を飲んでいた。何でここに、という質問は愚問だろうか。お昼をここに食べに来ているだけだろうけど、日に焼けることを嫌う白石が何故わざわざここに。


「ていうか、は、え?1時やと?」
「自分、いつからおったん」
「…1限から」


汗で額にくっついた前髪を横に分けながら、私はしょぼしょぼと答えた。白石はそんな私に、困ったような、金太郎に向けるそれと似た表情をする。自分だってまさかこんなに長く寝ているつもりはなかったのだ。
喉がからからな私は少ししわがれた声で言い訳を始めようとしたのだが、その前に彼がまだ開けていない方のパックを私の額に押し当てた。きっとこうなることを見越して持って来たに違いない。私はたまに、この男の周到さに涙が出そうになる。
ちなみにストローを刺すとパックを掴んでいた指のせいで、ストローからお茶が吹き出したのだけれど、彼は何も言わずにハンカチを差し出した。自分が情けない。


「ほんで、よくこないな時間まで眠れたもんやな」
「いや、…た、楽しみで昨日寝付けなかったん」
「何が」
「夏休み」
「…」
「サマーバケーション」
「…」


白石が少し困惑してから、私と同じ言葉を繰り返した。「サマーバケーション…」少し笑えた。彼はしばらくしてから終業式まであと一週間ありますけど、とでも言いたげな目を私に向ける。いや、そうなんだけど、そうなんだけどさ!


「だって仕方ないやろ。サマーバケーション楽しみやんけ」
「一週間前からって、流石の金ちゃんでもやらんで多分」
「…ふん」
「なんや、楽しい予定でもあるん?」
「…いや、全然?」
「…」
「笑うな!」


私は夏休みというものが無条件で人の心を浮かれさせるものだと知っている。だからこれで良いのだ。寝不足になろうがそれはあと一週間の辛抱なのである。
未だにおかしそうに笑っている白石をひと睨みしてから、別に完全にない訳やないし、と私は付け加えた。


「白石達テニス部の全国大会あるやん。見に行くし、楽しみやし」


ふくれっ面で抱えた膝に顎を載せると、隣の白石は笑うのをやめて、妙に落ち着いた声で「…せやなあ」と呟いた。その言葉には、短さに見合わない程多くのものが含まれている気がして、私は彼を横目で盗み見た。眩しいくらいの真っ青な夏空を、彼は仰いでいた。正直、彼の端正な横顔と白い肌は、青空に映えて、とても絵になる。


「しー…らいしはさ、」
「ん?」
「夏休みに何するん、テニス部とかで」


白石の大人びた雰囲気を改めて感じてしまった私は、変に緊張し始めてしまう。適当な話題を見繕うと、彼は顎に手を当てて首を捻った。もしかしたら全国大会まで毎日練習漬けなのだろうか。暇人な私とは大違いだ。


「いや、まず金ちゃんがスイカ割りしたい騒いでたから、それやるやろ」
「おお、ええやん」
「あとは花火もやるし、オサムちゃんが部室にかき氷機隠してたん見つけたから、きっとそれもやる事になるんやろなあ」


あと素麺か、白石は手を叩いてそれを加えた。「出た素麺」テニス部が場所も弁えずにあらゆるところで本格的な流し素麺を繰り広げているのは学校内でもかなり有名だ。今年もやるのかと私は苦笑をこぼす。彼も「オサムちゃん懲りへんし」とは言うものの、しかし表情はとても楽しそうだった。そう言えば去年もちょっとした用事で夏休みに学校へ来た時、テニスコートの方がかなり騒がしかったが、多分、そこで色々とやっていたのだろう。仲良しで羨ましい。


「テニス部って、青春でええね」


私が思ったことを零せば、白石はきょとんと目を丸くした。存外自分ではそう思っていないのだろうか。
私は部活など入っていないから、彼らのように夏の大会に向けて特訓、なんてイベントは勿論ないし、部活仲間との交流などできるはずもない。そんな私だから、彼らが少し眩しくて、羨ましく思えた。


「テニス部が皆でわいわいやってるの見てると、なんやこっちまで楽しくなってくる。全国に向けて汗だくで練習してるの見ると、ああ、今年も夏来たなあて思うんよ」
「…そういうもんか」
「テニス部が、きっと私の夏なんやな」


私は笑った。ちょっと恥ずかしいことを言ってしまったかも、と恥ずかしさを誤魔化すためであった。しかし一番茶化して欲しかった白石本人は至極真面目な顔をしている。笑えよ白石、思わずツッコもうとした私の言葉は口から出ることなく、彼の言葉に遮られた。「なら一緒にスイカ割りも花火もやったらええん。ちゅうかやろう、決定や」いやいやいや、いきなり関係ない人間が乱入したら申し訳ない。何を言っているんだと私は首を振った。それに全国大会前にせっかく団結力を深めている間を白けさせる真似はできない。


「なんや、三年は皆知り合いやん」
「いや、そうやけど」
「…」
「なんか、な」
は思いのほか頑固さんやなあ」


白石はしばらく私をじっと見つめていたのだが、とうとう折れそうにない私に、小さくため息をついた。「しゃあないなあ」
それから彼はポケットから何かを取り出した。まるで最終手段とでも言いたげな口ぶりだった。そうして私の目の前にちらついたのは花火大会の二枚のチケットなわけで。


「もっと完璧なタイミングで出したかったんやけど」
「は、何これ」
のせいやで」


私は前に差し出された一枚を抜き取ると、しげしげとそれを眺める。そうしてすぐに彼の言わんとしていることが分かると、私の顔に熱がカッと集結した。沸騰したように熱くなる頬を両手で押さえる私を他所に、彼は本当はどう誘うつもりだったか、自分の完璧プランを私に語って聞かせてこようとしたので、私は慌てて彼の口を手で塞いだ。彼はたまに恥ずかしいことをする。


「こない一緒に夏過ごそうて誘うてるんに断られるんや。一日くらいを俺にレンタルしてくれてもええやろ」
「自分、何言っとるか分かってるん!?」
「当たり前やろ」


白石は私の手を剥がして、表情に少しだけ不機嫌そうな色を浮かべている。いつもの優しくて大人な白石はどこへ。
私はあの白石にデートへ誘われてしまった事実を受け止められないでいた。何故突然。しかも私。確かに仲はかなり良い。そうは思うけれど、ちょっと待って欲しい。頭がついていかない。私はずるずると後退すると、彼にその分追い詰められてしまう。


「俺、結構アタックしてたつもりなんやけど、はいつも気づかんし」
「…えええ知らんよ」
「ええ加減、俺かて良い顔ばっかしてられんわ」
「ちょ、ちょっと待て待て白石!君は優しくて完璧だと定評のある奴やろ!そんなむすっとしとったら、」
「俺も男や」


真剣な眼差しに私はそれ以上の言葉を紡ぐことができなくなった。そのまま肩を押されて、初めと同じ、私はジリジリのコンクリートに背中を預け、視界が白石で埋まる。


「やっと捕まえた」


ふ、と笑みを零した白石の表情は妖艶で、しかしどこか優しさも内包されている。私の心臓を鷲掴みして持って行ってしまいそうなほど、綺麗な笑顔だった。
私は逃げられないと、悟った。彼の表情は白石ならそれでもいいかと、私をそんな気にまでさせてしまう。


それから後ろの眩しい程の青に目を細めて、私は小さく笑った。
ほんと、白石は夏空がよく似合う。


「ほんま、敵わんわ…」


そうして私は瞼の裏に蒼天と白石を隠すように、ゆっくりと目を閉じた。




レトリックブルー
(たまに押せ押せな白石が好きです//130917)

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