放課後、突然降り出した雨に、外で部活をしていた生徒達は大騒ぎで撤退を始めている。この時期にはよくある、ゲリラ豪雨というやつだった。 慌てて解散しているのは、グラウンドの隅にあるテニスコートでも同じだ。ばたばたと片付けに走り回る人達の中で、一際高速で動いている金髪。それが隣の席の忍足謙也だと分かるのに時間はかからなかった。相変わらず気持ち悪いくらい素早い動きをする奴である。 私はしばらくそんな調子で外を眺めていたのだけれど、グラウンドに散る生徒の人数がまばらになってきたところで、曇天を見上げた。重たいグレーの雲が沈んでいる。放課後には部活をここから眺めるという私の日課を邪魔してくれたそれをひと睨みして、私は机にかけていた鞄をとった。 先程よりは幾分か雨脚は弱まっているから、今のうちに帰るのが良いのかもしれない。 下駄箱の横の傘立てから自分の置き傘を見つけてそれを振り回していると、私は昇降口の前で座り込む見慣れた後ろ姿を見つけた。 彼の髪や肩は少し濡れており、普段は見せぬ物憂げな表情が、どことなく彼の色気を引き立たせている。 「忍足やんか」 いつもと違う雰囲気になんとなく声をかけづらく思えたが、そんな自分の口から出たのは存外普通の言葉だった。私に気づいてこちらに振り返った彼は、「おお、」と困ったような笑顔をこちらに向けた。 「何で濡れとんの。白石達は?」 「あの薄情者達は帰りよった」 どうやら傘を忘れた忍足は持ち前の足を生かして走って帰ることを選んだらしいが、流石にこの雨には太刀打ちできないと気づいて途中で引き返してきたらしい。白石達もいれてあげれば良いのに。皆忍足のことをからかうのが楽しくて仕方がないのだろう。 「可哀想にな。まあ私は傘あるけど」 「…おん」 「この調子じゃ当分止みそうにないなあ、まあ私は傘あるけど」 「…」 「こない雨降っとると風邪引きそうやなあ、まあ私は傘あるけど」 「お前さっきからなんやねん!地味にメンタルくるわ!」 「やってわざとやもん」 忍足はついついからかいたくなる人間なのだ。 罪滅ぼしではないが、私は鞄からタオルを出して忍足の頭をわしゃわしゃと拭いてやることにした。本当にそのままだと風邪を引く。全国大会間近だというのに、それはマズイだろう。そのまま念入りに水分を拭き取っていると、彼は「じ、自分でできるわ」と私からタオルを引ったくろうとした。その時偶然触れた私の指に、忍足の手が素早く引っ込む。タオルの隙間から見える彼の耳は真っ赤だ。何故こんなに照れている。あまりにウブ過ぎやしないかと、正直私は笑ってしまった。 「な、何笑っとるんや」 「いやあ、忍足って可愛いなあ思って」 「だ、黙っとれ!嬉しない」 やっぱり顔が赤いままで怒っているから笑ってしまいそうになるのだけれど、これ以上拗ねられたら困ると適当に謝って、タオルを掴んでいた手も引っ込めた。変わりに傘をぽん、と開く。「入ってき」優しさで言ったつもりだったのだが、目の前の彼は余計に落ち着きをなくしているではないか。 「じょ、女子と傘に入るとか、…そういうのちょっと、あかんやろ」 彼の照れ方は見ている方にまで影響をきたす程だ。だいたい相合傘でそこまで恥ずかしがる程危ないイベントがあるわけでもなかろう。部屋に連れ込んだりするならまだしも。私は、平気やって、と無理やり彼を傘に招くと、彼はしばらく目を泳がせてから、「持ちます…」なんて何故か敬語になって傘の柄を掴んだ。まあ好意には甘えるとしよう。 「あ、えーと、」 「ん?」 「何でこんな時間まで学校におったん?」 無言の空間が耐えられなかったらしい彼が唐突にそんなことを訪ねてきた。私は部活を見るのが好きだということを話す。青春だもの。 「忍足も見えたわ。動きめっさキモかった」 「キモい言うな」 「やって、雨の中を光速で動いてるんやもん」 「ええん」 「おん、別にええよ。ただこれが晴れでテニスしてる時やったら、もっとカッコ良く見えたんやろなあ、思って」 「…あ、当たり前やろ」 「何でそんなすぐ照れんの」 こっちも恥ずかしくなってくるんですけど、という言葉は飲み込んで、そっぽを向いてしまった忍足が元に戻るのを待つ。ていうか、さっきからこの調子だけど、もしかしたら彼は恥ずかしがってるのではなく、嫌がってるのではないかと、私の中で一つの答えが出た。ああ、そうか。 「忍足は好きな子でもおるんか」 「な、なんやいきなり」 「おるんやね」 確信的に問うと、彼は今日一番の照れを見せた。何度もどもりながら、ようやく一言違うと言う。そんな姿は勿論言葉と裏腹に肯定ととる他ない。 「相合傘が困るんは、その子に見られたないからやな」 「え」 「気が遣えんで堪忍な」 まあ私の家はもうすぐだから、と続ける私の足は、彼に突然腕を掴まれたことで止まった。振り返ると彼はやっぱり少し恥ずかしそうに、しかし真剣な面持ちで私を見つめている。なんとなく、これから言われることを察してしまった。 「相合傘が困るとか、思てへん。むしろ、とできて、…ラッキーやったし」 「そ、そうかそうか」 彼の言葉が私の中の自惚れた考えを確信に変えた。途端に彼に掴まれていた腕が熱を帯び始める。そうか、だから彼はあんなに照れていたのか。私の鈍感め。下唇を噛み締めて熱くなった頬を空いている片手で冷やす。 忍足がすっと息を吸うのが分かった。「俺、多分また傘忘れると思うから」私はつられて顔を上げる。 「やから、もし良ければ、また傘に入れてもらえると、嬉しいねんけど…」 「…ええと」 「あああああすまん俺何言うてんやろあほかい!なしなし、なしや!」 そこまで言っておいてそれはないだろう。 つかつかと再び雨の中を彼は歩き出したため、傘の主導権をあちらに渡している私は、それに慌ててついていく。彼はあまりに戸惑っているのか、私が追いついていないのに気づいていない。何だこいつ、歩くのも早いなと息を切らしながら「ちょっと忍足!」と声を上げると、彼はようやくこちらの状態に気づいて、すまんを連呼。もう分かったから落ち着いてくれ。 どうどうと彼の肩をさすると、忍足はものすごく何か言いたげに私を見て、しかしそれが私の耳に届くことなく、その瞬間彼に力強く抱きすくめられていた。息が止まった気がした。堪忍な。彼の震える声が耳元で聞こえる。 「緊張してしもうて、もう俺も何が何だか分からん」 「…それは見てて良くわかる」 「…」 きっとこれで私を離したら、その後も顔を赤くしてしどろもどろになるのだろうなと思った。その前に私は退散した方が良いのだろうと、彼の腕の力が緩まると、彼からするりと抜けだして、目の前の自宅の玄関の前に立つ。「うち、ここなんよ」自分の手から逃げて行った私に若干放心状態の忍足はぽかんとした顔で、「ああ、そう、なんや」とやっとのことで頷く。それから彼はハッとしたように私に傘を返そうとしてきたので、首を振って一歩後ろに引いた。 「それ貸すから」 「…ええのか?」 「その代り、次の雨の日私は傘もって来おへんからね」 「…」 「…なんか言えよ」 「…そ、れは、つまり」 「その傘貸してっちゅうてるんよ」 それだけ言うと、私は彼の返事も待たずに玄関を開けて家の中へ飛び込んだ。何だコレは。心臓が痛い。こんな風になってしまうのなら、忍足があんなに顔を赤くしていたのも分かる。 背中を後ろにつけて、私はドア越しに聞こえる雨音に耳を澄ませながら震える息を吐き出した。 さて、私の言葉の意味を、照れ屋な彼は気づくだろうか。 理解者の雨 (へたれな謙也が好きです//130916) もどる |