私は小さい頃から誰かの世話を焼くのが好きであったし、誰かに頼りにされるのも喜んで受け入れていた。だからこれまで学級委員だったり、何かのリーダーシップを取る役職に着くのは毎度のことで、きっと私は忙しさの中にある充実さを感じる事が幸せだったのかもしれないと思っていた。 しかし、三ヶ月前、そんな私の充実した日々を崩しにかかった男が現れたのである。 「あんにゃろう、まだ来とらんやないかい…!もうホームルーム始まるっちゅうに!」 私は今日も一組の放浪人と名高い千歳千里の下駄箱の蓋を開けて、そう苛立ちを吐き出した。 そう、平穏の侵略者千歳千里と同じクラスになってからようやく三ヶ月が経とうとしている。じっとりする夏の暑さの鬱陶しさが彼への怒りに上乗せされ、耐えきれなくなった私はついに彼の下駄箱に蹴りをかました。 こいつがフラフラと何処かに消える度、私が千歳探しに駆り出されるのだ。学級委員としてやらなければいけない仕事は他にも沢山あるわけで、決して千歳だけに構っていれば良いというわけではない。しかも、こいつは放浪癖に留まらず、はた迷惑な事に提出期限になってもアンケートやプリントを出さないというオプションまでついている。千歳千里の噂は前々から聞いていたものの、流石にここまでとは予想していなかった。 だから最近は私の仕事と言えばもっぱら千歳千里の監視、柔らかく言えばお世話一色になってしまったというわけである。 「許さへんでえ、千歳千里」 「朝から俺ん下駄箱へラブコールとは嬉しかねぇ」 「は?」 時計を確認すればホームルーム開始一分前。今日は彼にしては早く来たらしい。下駄箱に蹴りをぶつけたままの私はそれを下ろして、入口にいる彼の方へ向き直った。「笑えん冗談やめや」私はこいつが発する、ゆるゆるとした雰囲気も苦手だった。気を抜くとペースを持っていかれると思っていた。 「頼むから今日は大人しくしとってよ千歳」 「うーん、仕方なかね」 「仕方ないとかやなくてな…ああ、もうええわ」 千歳が逃げない様に、彼の腕を掴んで、教室へとずんずん歩みを進めて行く。すると、私の後ろを、引かれるままについて来る彼は私の頭に手を伸ばして、「反省はしとっと。すまんばい」と柔らかく頭を撫でた。千歳はいつもそうやって私のペースを崩そうとする。そうして私もいつもその手を払えずに、されるがままでいた。 それから教室に辿り着くと、ホームルーム中の担任がよく連れて来た、流石だと私に言葉をかけ、教室の中へ促した。私は自分席から斜め前に座る千歳の背中を眺めて、ホッと息をつく。 今日は教室で大人しくしてくれそうな気がする。奴がまた逃げ出す前に他の仕事をぱっぱと終わらせてしまおうと考えていた。しかし、そんな希望は二限目開始直前に打ち砕かれる事になる。クラスメイトから千歳千里の放浪情報が回ってきたのだ。 「私、校舎から出て行くん見たよ。止めたんやけど、すぐ戻るって…」 「あンの馬鹿、どんだけ忍耐力ないねん」 「ちゃん、」 「私ちょお探してくるわ、遅れたら先生に言うといて」 そうして私は相手の返事を聞く前に教室から飛び出して行った。本当の所を言うと、千歳など放っておいても良いのではと言う考えが少なからずある。そもそも、私の授業時間を削ってまで行く必要は皆無だ。それでもあいつの背中を追ってしまうのは、私が無類の世話焼きだからだろうか。 昇降口までやってきた私は今朝蹴飛ばしていた千歳の下駄箱を眺めてぼんやりと思考を巡らせた。しかしその時鳴り響いた二限目開始のチャイムにハッと我に返る。 「やっべ、急がんとまずいなあ」 千歳が居場所はある程度検討がついていた。これまでもそこへ探しに行って、見つからなかった事はほとんど無い。夏の迫りを知らせる蝉のじわじわという鳴き声に、一瞬外へ出るのが躊躇われたが、私は渋々外へ駆け出した。 千歳は案の定、学校の裏山にいたのですぐに見つかった。やはりいつもの様に森の主を探しているに違いない。体はでかくても、心は相当子供らしい。 彼はどこで拾ったのかこの季節には似合わないどんぐりを地面に撒きながら、あたりをきょろきょろと見回していた。 「ちょっと、良い加減にせえよ」 ワザと声のトーンを下げて、そう彼の背中へ投げかける。千歳は少しだけ困った様に笑って、こちらへ振り返った。「見つかってしまったばい」何言ってやがる。逃げないって言ったやんかこのどあほう。 「さんには申し訳ないっと思っとるたい。けど、ここで森の主の目撃情報があったと」 「また森の主かいな。それどこ情報や」 「財前」 「確実に騙されとるよ」 財前君にも千歳に余計な事を言って私の手を煩わせない様に言っておかねばと、地面のどんぐりをひとつ蹴飛ばした。「こんな所には森の主はおらへんよ。帰ろう」「いや、見つかるまで引き下がれんばい」「あのなあああ!」 私は千歳のワイシャツの裾を思い切り引っ張って連れて行こうとしたが、彼はびくともしなかった。それだけではなく、相変わらずほんわり笑って余裕の表情のままだったので、もうこれはいくらやっても仕方が無いと、私はシャツの手を離したのである。 「…あああ、ったく」 「さん?」 「私も探したる。いないって分かったらすぐ帰んで!」 だからどんぐりを寄越せと、彼の手から幾つかそれを奪うと、バラバラと撒きながら私は森へ進んで行った。これは道に迷わないために撒いているのかはたまた森の主の好物なのか、私には全く理解できなかったけれど、きっとその時の私はもうなる様になれとヤケになっていたに違いない。 森の中へ入ると、外よりも、蝉の鳴き声がより一層うるさく聞こえて、私は顔をしかめた。そんな私を後ろをついて来た千歳はふわりと笑って見つめていた。何と無く、居心地が悪かった。 「…何や」 「いやー手伝ってくれるとは思っとらんかったけん」 「好きでやっとるわけちゃう!」 「分かっとうよ」 そう言って彼はまた私の頭を撫でた。さらさらと優しく撫でられるその心地は悪くない。本当は千歳の事が嫌いなわけでは無いのだ。ただ、感情よりも性格の縛りが先行して千歳のゆるゆるした部分に突っかかってしまうだけで。 「顔が赤くなっとうよ、かわいかね」 「夏やからね!あーホンマ暑いわー!!」 あとそうやってからかうのもムカツクけど! 私はわたわたと手で顔を仰いで、それから千歳の手から逃れる様に大股で前に進み出た。彼を一瞥すると、彼は少しだけ残念そうに持て余した手をひらひらと振っていた。 「…ちゅうか、二人で同じとこ探しとったら効率悪いやん。私が手伝ってる意味ないやろ」 「まあ、そやねえ」 「私はこの木の上から探すから、千歳はあっち探しい」 「女の子が木の上に登るなんて危なか」 「ほっとけ」 これ以上千歳のそばに居たら何だか私が私でなくなってしまう気がした。だから、手頃な木を見つけて、私は枝に足をかけてずんずん登って行く。木登りは得意だ。ひょろひょろの千歳に心配されずとも落ちはしないさ。 ちらりと下を伺うと、彼は心配そうに私を見上げて居た。「だから平気だって、」「いや、パンツ見えとうよ」「死に晒すぞボケエ!スパッツじゃ散れ!」ばっとスカートを押さえると、千歳は楽しそうにへらへらと笑っていた。読めん奴。…そういや、関係ないけど、テニス部の元気な一年生が、千歳は予知能力があるとか騒いでいた気がする。それを信じるつもりはないが、何と無くあり得そうだ。まあいざという時は彼の予知で落ちそうな私を助けれもらおう。スパッツを見た対価だ。 私は木の上まで来ると、空を見上げた。木々で隠れて見えなかった青空と太陽が私を照らす。じんわりと浮かぶ汗を拭うと、さわさわと涼しい風が吹いて、私はゆっくりと目を閉じた。 「さん、何か見えるとー?」 「空が、」 「?」 「空が綺麗やなあ」 こんなにゆったりと空を眺めるなんて、今までそんなにしてこなかったのではないかと思う。空は広いなあ、当たり前の事を感慨深げに言う自分の声に、後から笑いがこみ上げて来た。 「千歳はなあ、雲やんなあ」 「突然どぎゃんしたね」 「いつものんびりふわふわ流されとるもん」 羨ましいわ。小さく続けたその言葉が彼に届いたかは知らないけれど、千歳の微かな笑い声が私には届いた。彼も確かにそうだと納得したのだろう。 ゆっくりと流れる雲を見つめていたら、今までせかせかと動いていた自分がバカらしく思えて来てしまった。たまにはこういうんもええかもなあ。いつも怒鳴ってしもて堪忍な、千歳。 「さん、丁度ええけん、俺も言いたいことがあるたい」 「…ん?」 するすると木の真ん中あたりまで降りて来た私は、下を覗き込んだ。彼は「俺がフラフラしちょるんは、さんのせいでもあるんね」などとわけのわからない事を続ける。一体なんだというのだろう。 「俺を追いかけとる時は、さんは俺の事だけを見てくれとるけん、嬉しくなるんは致し方ないばい」 「え、な、はああっ!?」 私は滑る様に木から降りて、突然何を言い出すのだと、この際再び熱くなった頬はもう放っておく事にして、私は奴の胸ぐらを掴んだ。ふざけとるんなら承知せえへんで!その威嚇はかなり弱々しいものであったから、脅しには全く効果がなかった様に思われる。ぎりぎりと彼を睨みつけていると、彼は私の頭をわしゃわしゃと撫でて、私の苦手な、あの優しい笑顔を向けた。 「あと、好きな子の困った顔を見たいと思うんも、仕方なか。これからも困らせるかもしれんけど、先に謝っとくばい」 「ちょ、おま、それ、意味分かっとんのか…!?」 かあああと頭が熱くなり、それが暑さのせいなのか照れから来ているのかわけがわからなくなった。展開に頭が追いつかない。どうしてこうなった。私はどうしてこんな奴に、こんなにテンパっているんだ。まるで、好きみたいじゃないか。…あれ? 頭の中で一つの結論に至りそうになった時、頭にのせられていた千歳の手は、私を自分の方へと引き寄せた。すぽりと彼の腕の中におさまった私は考える事を放棄する。彼の、千歳千里の次の言葉の想像がついた。そしてそれにらしくなくも胸を高鳴らせている自分がいたのだ。 「当たり前えばい。好いとうよ」 千歳の、その言葉が私の中に自然と染み込んでくる。 とんと頭を彼に押し付けて、私は小さく笑った。 ああ、なんや、私もこのアホが好きやったんか。 知らなかった頃 (あったかい千歳が大好きです//130706) もどる |