全国大会も幕を閉じ、私達の生活は再び落ち着きを取り戻し始めた八月の終わり。そうは言っても、その後青学がウチに練習試合をしにきたり、それがなくても常に笑いを求めるこのテニス部が大人しくしてるはずもなく、結局あまりゆっくりはできていなかったけれど。そんな中、夏休み最終日である今日、ばたばたしていて恒例の打ち上げができていなかったとオサムちゃんが全国大会お疲れ様パーティを開こうと言い出した。 優勝できたわけではないから焼肉はお預けで、やはりお決まりの焼肉屋の駐車場で流しそうめん大会が開かれた。焼肉屋を前にしてなんて生殺しやーと嘆きながらもしっかりそうめんを楽しんでいる謙也を一瞥してから私は一人、駐車場の隅でうずくまる。 白石はそれに気づいてこちらまでやってくると、は食わへんの?とお椀を私に差し出した。そういえば去年は謙也がこうしていじけていて、白石がそれを宥めていた気がする。白石はいつだって、そうやって一歩引いたところで私達全員をきちんと見ていた。 「…いらん」 「何でや、腹でも痛いん?」 「…ちゃうもん」 お椀を押しのけてほっといてなんて、せっかく声をかけてくれた白石を突き放す。彼は困ったようにその場に立ち尽くしていた。後ろからじゃり、と砂を踏む音が聞こえる。白石がオサムちゃん、とその人の名前を呼んだ。オサムちゃんは私の隣にしゃがんだかと思と、あの細くて骨ばった手で私の頭を乱暴に撫でる。どないした、そうめん食わへんのか。白石と同じ事を問うた。 「何や、もしかしてベスト4がお気に召さへんか」 「そ、そういうんやない!オサムちゃんのアホ!」 「ぐはっ、ちょぉ、い、今痛いとこに入ったで…」 「…アホ、アホ」 膝に顔を埋めて隣のオサムちゃんにパンチを繰り出し続ける。しかししばらくして白石がもうやめたれ、と言ったところで私の手は落ち着いた。きっとオサムちゃんは私が何でいじけているか知っているに違いない。何だ何だと仕切りに問い詰めてこないから、何と無くそうなのではないかと思った。 そんな中、白石が少しだけ悲しそうな声で再び食べへんの?と私に声をかける。皆を支えるはずのマネージャーの自分が、白石にこんな言葉を言わせている事が情けなく思えて、じわりと目が熱くなった。ツンとする鼻をすすれば、とうとう白石はお手上げ状態。彼が慌てていることなんて見なくてもわかる。そのまま私は伏せていると、頭に何かが載せられた。あのダサい、オサムちゃんの帽子である。 「あんな、」 「…でかいし、煙草くっさい」 「コラー」 しかし私はそれを手放す事はせず、深くかぶったまま、顔を上げた。ぶかぶかだから顔がうまく隠れるのでちょうど良かった。泣き顔をそれで隠しながら目の前の白石の腕をつかむ。 「白石、」 「何や?」 「結果とかで、いじけとるわけやないの、それはホントや。私、皆と頑張って来れて楽しかったんや。悔しかったけど、後悔はしてない。ホントなんや」 「そんなん、分かっとるわ」 誤解されていなくて良かった。白石が笑ったのを見てから、私はそうめんで騒ぐ皆の方へ目を移した。夕日に照らされて水がきらきらと光っている。「…寂しい」無意識の内に言葉が零れていた。 「嫌やねん。皆でテニスするんが、これで最後やなんて。…夏休み終わってほしない」 「…」 それならこんなにいじけてる時間が無駄だということなど分かっているのだ。惜しむならば、最後まで全力で皆と楽しんだ方が良いことくらい、分かっている。しかし悩んでしまうのだ。ただをこねても変わらないのに、こうやって皆を困らせてしまう。 私のいじけていた理由を聞くと、オサムちゃんは小さく息を吐いた。「しゃあないなぁ」 「…オサムちゃん、夏休み延ばしてくれるん?」 「おう、オサムちゃんに任せとけ…ってできるかいな」 「…やっぱり下っ端エロ教師やから信頼がないんやね」 「待て待て、誰が下っ端エロ教師やねん。本気で残念がるなや」 ちゃうて、と彼は私の目の前で例のコケシをチラつかせた。「一コケシや」「ガチでいらんわそれ」オサムちゃんはそれで元気を出させようとしたらしいが、ゴミになるだけだ。微塵もいらない。 「そないなもんいらん」 「金太郎やないんやから、わがまま言わんと」 「私はそんなもんより、『また来年』って言える明日が欲しい」 「…」 「離れたない。嫌や、皆と一緒にいたい」 「そんなん俺もや、アホ」 ぼろぼろと泣き出す私を見て、白石がまっすぐにそう言った。その言葉が余計に私を切なくさせる。これで終わりなんて、悲しい。 「若いなあ、青少年達よ」 私と白石はオサムちゃんの方を見上げる。彼は煙草をふかして、ニカリと笑っていた。 「明日っちゅうもんはなあ、貰うもんと違うやろ」 「オサム、ちゃん…」 「自分で作るもんや。明日会いたいなら約束すればええ」 夏休みは延ばせんでも、まだどうにでもなるやろ。 その言葉に…せやな、と白石が頷く。それから彼は私の頬の涙を手で拭って私を立ち上がらせた。 「オサムちゃん、」 「なんや?」 「やっぱり、コケシちょうだい」 「アカーン。いつまでも、あると思うな、一コケシ」 「けち」 「大人はケチなんや。それよりほれ、こんな事言ってる場合やないで。時間はたくさんあっても、今この瞬間は一度きりや」 「おん」 「…いつまでも、あると思うな、夏休み、やで」 「…おん」 オサムちゃん大好き!私はオサムちゃんにぎゅう、と抱きつくと、煙草と、それから優しいお父さんのような匂いがした。彼は笑ってあと十年後にまた来いやなんてセクハラ発言をしたけど、今は見逃してあげる事にする。こう言ったらちょっと酷いけど、三年間で初めて、良い先生だって思えた瞬間だった。 オサムちゃんは私から帽子を取って自分の頭にぽんと載せると、格好に似合わない恭しいお辞儀をして口を開く。 「ほな、お嬢さん、皆でやりたい事言うてみ」 顔を隠すものがなくなってしまったので、腕で顔を隠した。それから小さな声でポツリとテニス、と答える。 「皆とテニスしたい」 「よっしゃ。聞いたか青少年達ー!お嬢さんがお前らとテニスをご所望や」 すると、そうめんだなんだと騒いでいたハズの皆がやろうやろうとはしゃぎ出す。どうやら騒いでいてもしっかり聞き耳は立てていたらしい。ホンマ先輩ってしゃーない人っすわと頭をかく財前に私は苦笑した。良い後輩を持ったものだ。 「アタシが打ち方教えて、あ、げ、る」 「ワイ、一番にと勝負したいわ!」 「スピードスターの走りを間近で見せたるわ!」 「お、お手柔らかに」 テニスは失敗だったかな。肩を竦めて白石と顔を見合わせているとふと彼が夕日へと目を移す。目を細めて眩しなあ、と呟くと、金ちゃんが口を尖らせてしょぼくれた。「夏休みが終わってまう」 「私達の夏が終わったら、その夏は何処へ行くんやろな」 「何言うとんねん。どこにも行かへんわ」 「え?」 ずーっとここにあるで。 謙也はそう言って、ぽんと胸を叩いたので、私は同じように胸に手を当てた。「うーわー謙也さんらしくないっすわその台詞」「だ、黙っとれ!恥ずかしなってくるやろ!」謙也と彼を茶化す財前を皆と笑ってから、沈んで行く夏を背に、私はそっと目を閉じる。 ほんと謙也らしくない台詞。でも、 「…そやね」 私のまぶあの裏には今でも彼らとの思い出が、しっかりと残っていた。 さよなら私達の15歳の夏。 来年きっと、今より少しだけ成長した私達が迎えに行くよ。 沈んで行く夏と行方 (元気な四天宝寺が大好きです//130813) もどる |