ひんやりと冷たい風が頬を撫でて、あたしはマフラーに顔を埋めるように首をすぼめた。なんとなく部活に出る気が起きず、サボるためにこうして屋上にいるあたしは、ぱらぱらと校舎から出てくる生徒達を眺めてあくびをした。どこか秘めやかな思いを抱えてそわそわとしているように見える彼らの姿に毎年毎年飽きないものだとあたしは感心する。
この時期、チョコレート産業はバレンタインと銘打ってさぞぼろ儲けをなさるのだろう。そう思うと校内に漂う甘い匂いも、宙に浮いたようなふわふわした彼らの様子も、途端にシラけてしみえてくる。
そうしているうちに、あたしはどうせサボっているのだから、ここにいるよりも、もう家に帰ってしまおうかと思い始めて、鞄を肩に掛け直そうとした。しかし、それを遮るようにバァンと突然乱暴に開いた屋上の扉にあたしは肩を震わせた。何事かと思えば、飛び出して来たのは同じクラスの丸井ブン太その人で、彼の表情は今にも崩れてしまいそうな程に脆く見えて、彼はあたしとばっちり視線をかわすと、堰き止めていた何かが決壊するように、その場にわっとしゃがみこんでしまったのである。えええ…?


「え、なに、どうしたの」
「…見て分かりませんか」
「分かります」


さしずめこのバレンタインに乗っかってチョコレート産業に踊らされた哀れな少年の一人なのだろう。しかもなんたって彼はただの少年じゃない。お料理ができてしまう少年なのだから。彼が手に持つ袋も多分、女の子からのものではなく、彼が用意したらしいことが分かる。逆チョコだの友チョコだのが流行っていらっしゃるようですからね、わかるよ。


「無理して流行に乗ろうとするからこうなるのよお父さん」
「誰がお父さんだよ殴るぞお前」
「なに、フられたの?」
「…そんなところ」


彼は相変わらず顔を膝にうずめたまま、あたしに手招きをしたので、彼の隣にあたしもしゃがんだ。首に巻いたマフラーをグイグイと引かれる。こら、のびるでしょうが。
彼はあたしと違ってコートやマフラーといった防寒具をつけずに外に飛び出してきたものだから、今更寒さを感じてきたらしく、さむいさむいとマフラーの余った部分を自分の首に巻きつけようとする。ちょっと無理がある。


「マフラー貸せよ」
「嫌だよ」
「このどケチ女」
「あたし帰るね」
「待って嘘ごめんなさい俺をひとりにしないでください」
「女かよあんた…」


こんなに女々しい台詞を聞いてはなんだか同情を禁じ得ない。あたしは再び隣に座り込むと、彼は「あのさ」とくぐもった声で何かを語り出した。弱ったな、まさか失恋の話でも聞かされるのだろうかと身構えれば、まさにその通りである。絶対この場で言う必要はないだろう彼のフォンダンショコラの作り方までご丁寧に交えて、現在に至るまでのいきさつを彼が語るには簡単にはこうだ。


「ジャッカルに好きな奴を取られた」


人聞きが悪かった。彼はこう言っているが、決してジャッカルは悪くない。どうやら、彼が思いを寄せていた女の子というのが、なんとジャッカルのことが好きだということらしいのだ。それを知らずに告白した丸井はもちろんばらっばらに玉砕し、いつも優しいジャッカルが好きなのだとか、加えて丸井はいつも彼に酷すぎるといった説教まで食らったそうだ。正直爆笑ものだけれど、丸井に怒られそうなので、あたしは笑いを腹の中に抑え込む。ジャッカルは普段彼に散々パシらされたりしているのだから、いい気味くらいに思っておけば良いだろうに、きっと丸井のこの姿を見たら、罪悪感に駆られてしまうのだろうな。そう思うと、胸が痛い。「別に取ったわけじゃないでしょ、ジャッカルが可哀想だ」あたしはそう諭すように彼に言ってやった。


「…でも」
「僻むなよ。女の子は正しい選択をしただけ。彼にある人徳を選んだ。君にはなくて彼にはあった、それだけさ」
「なんかかっこ良く言ってるけど俺めちゃくちゃ可哀想」


彼はそう言うとようやく顔を上げてあたしを見た。「俺の方が絶対イケメンなのに」なんて、そりゃあ丸井、好みの問題とかあるじゃんかよ。試しにあたしはそう言ったが、彼が納得する様子はなく、むすりと頬を膨らますと、どすどすとあたしの腕を攻撃し始めた。痛っ、痛いってば、その幼児退行みたいな行動やめてくれないかな。


「俺がフォンダンショコラを作って来たっていうのに」
「うん、家庭的な男子が嫌いだったのかもしれないね」
「ジャッカルが好きとか」
「うん、ハゲが好きなのかもしれないね」
「あの女は男を見る目がない」
「…丸井はさあ、もっと謙虚になりなよ」
「謙虚?なにそれ、どこに行けば買えるわけ」
「謙虚な心は買うんじゃなくて、自分で作るんだよ。丸井手先器用でしょ、がんば」


そうすればもう少し希望通りの、可愛くてほんわりした女の子が寄ってくるんじゃないのかな。親切心からそんなアドバイスをしてあたしは屋上から去ろうとする。こんなところ、寒くていつまでもいられ、「このフォンダンショコラさ、」「何まだ帰してくれないの」「うん」どうやらまだ帰してくれないらしい。


「このフォンダンショコラ、天才的なアレンジを加えてだな、いかに美味しくなるか、」
「食べていい?」
「ダメに決まってんだろい」
「あたし帰りたいんだけど」
「俺も帰りてえわ」
「帰れよ」


そんであたしも帰してくれよ。
丸井はフォンダンショコラの入った袋をガサガサ手遊びにいじりながら、小さな声で「アンハッピーバレンタイーン」なんてリズムを刻むように言う。やめろ、あたしまで虚しくなる。


「あーまじもう最悪だよ、俺的予定なら今頃ラブラブカポォになってるはずなのに今俺の隣にいるのがとか」
「行っとくけど先にここにいたのあたしだからね」
「知ってるよ」
「邪魔なら帰るからていうか帰して」
「今日は帰さねえよ」
「馬鹿じゃないの」


あたしじゃなくてその女の子にでも言ってこいよとは、思ったけれどあえて口に出さずそれを飲み込んだ。きっと言いたくても言えなかったに違いないから。
いつまでもうじうじしている丸井は色んな意味で可哀想であったが、そうこうしているうちに、とうとうあたしは構うのが面倒になり始める。彼を横見で伺ってから、「あたしもさあ」と声をかけた。


「あたしも彼氏にするならジャッカルかなあ」
「どいつもこいつも」
「丸井はさ、ルックスはまあまあとして、だけど性格が基本的にジャッカルの足下にも及ばないっていうか」
「てめえムカつくな」


隣に座るあたしを転ばすように、強めに横へ押してきた丸井の表情からは、悲しさも通り越してもはや怒りに変わっているらしいことが分かる。これ以上キレられてもこまるので、「丸井の子供らしさを愛してくれるお母さん要素がある人に恋しなよ」と、そんなアドバイスをすると、彼はあたしの腕をがっちりと掴んで、こういった。「お前は?」え?「お前はお母さん要素ある?」


「いやあたしにはないよ、残念」
「…遠回しに嫌いって言われた」
「めんどくせえなお前」
「…まで俺のこと見捨てんなよ、もうお前でいいから俺をもらってくれよ」
「何で15才でそんな切迫詰まってんの」


この状態の丸井なら、えり好みしなければ、女の子など好きなだけ寄ってくるだろうに。先程まで攻撃してきた態度とは打って変わり、ぎゅううと抱きついてくる丸井がとってもとってもめんどくさい。あたしも苛立ちがそれなりに溜まってきていたので、彼を黙らせるつもりで、腕を掴むと、彼の方へとそのまま押し倒してやった。まさかそんなことをされるとは思っていなかっただろう丸井は、至近距離であたしと視線が交わり、丸い目が、いつもより大きく見開かれている。


「あんまり中途半端な態度取ってると、マジであたしが丸井の事食べちゃうよ」


相変わらずあたしを見上げて黙り込んだままの様子に、ホッと息をつく。丸井は固まっているからあたしは今のうちに逃げてしまおうと屋上の扉に手をかければ、それを引き止めるように丸井があたしを呼んだ。
なんだよまだ何か、そんな調子のあたしが振り返った先に見た丸井は、口元をおさえて顔を赤らめる丸井で。



「やべ、今俺ちょっとドキッてした」


もう黙ればいいのに。




( バレンタイン2014 // 140221 )
書いていてとってもよく分からなくなりました。丸井君の性格がなんかおかしいのですが、まあこういう丸井君もいていいよねくらいに生温く見てやってください。
これだけ書いてて何だこのグダグダ…情けないというか、すいません…。
とりあえず、バレンタイン投票頑張ったジャッカル君に下剋上してもらいたくてこんな話。ちなみにこのヒロインは丸井君のこと全然好きじゃありません。多分丸井君がアタックしても今後くつくこともありません。