「ああー!先輩!?」 後ろからそう叫ぶ声が聞こえて、私は作っていた砂のお城から手を離し振り向いた。 一緒に制作していた彼の弟くんは、その声を聞いて嬉しそうに立ち上がると一目散に走っていった。 「おかえりーおにいちゃーん!」 「おお、ただいま。っつかお前ここで何やってんの?」 「遊んでたのー」 「はあ?」 「おかえりさなさい丸井くん。部活いま終わったの?」 「あ、あぁ、はい」 「お疲れ様」 笑ってそう言うと、丸井くんは戸惑いの表情を浮かべながら弟くんと私を交互に見つめた。 「先輩、ここで何してるんすか」 「買い物してたら偶然丸井くんの弟くんに会ってね、それで一緒に遊んでたの」 「そうなんすか。なんか、すんません」 「ううん、いいのいいの。私も遊んでもらって楽しかったから」 丸井くんは、私の足元にある砂の城を見てなんとなく状況を察知したようだった。 土まみれの弟くんの両手を適当に払うと、事も無げによっと彼を抱き上げたので私はハンカチを出すと慌てて近寄った。 「あ、丸井くんこれ」 「大丈夫すよ、担いでいくんで」 「じゃあ荷物!私、持つよ」 「いやいや、いいっすよ。こんな重いモン持たせらんねーし」 「でも……」 「あ、じゃあ先輩。俺らと一緒に家まで、いいっすか?」 丸井くんはそう言ってニコリと人好きのする笑顔を浮かべた。私はドキリとして、込み上げてくる暖かな感情と共にしかと頷いた。 「サンキュっす!」 長い冬もようやく終わりの兆しが見えてきた。来週には春一番がやってくるらしい。 彼と一緒にいられる時間はもう多くはない。それが少しだけ切ない。 「先輩、受験は終わったんすか?」 「ああうん、終わったよ」 「その……どう、だった?」 気遣う彼の心配そうな顔が可笑しくてつい噴き出すと、彼はますますしかめっ面になった。 「どうだったんすか!」 「受かったよ」 「マジで!?」 「うん」 マジか〜良かった〜!と、自分のことのように喜ぶ丸井くんが、内心とてもこそばゆかったけれど素直に嬉しかった。 「おめでとうっす」 「ありがとうっす」 「はは、何で真似すんの」 「何となく」 「何となくかよ」 「何となくです」 「んじゃ、何かごほうび用意しねーとなぁ。何にすっかなァ」 「いいよごほうびなんて。大げさだなあ」 「大げさじゃねーでしょ。そうだなー、先輩何がいいっすか?あ、俺の愛とかどうっすか」 「うーん。そうだなあ、ぶっちゃけ現金が欲しいかなあ」 「俺の愛は無視かよ」 「あはは」 私が笑って誤魔化すと、ふふんと鼻で笑って丸井くんは正面を向いた。 夕陽が、路地の向こう側へと落ちてゆくのが見える。私達は並んで歩きながらしばらくそれを見つめた。 眩しいけれど、とても綺麗だ。 すると、弟くんが思い出したように「おねーちゃん、今日はたのしかった」と呟いたから、私は笑って「こちらこそ」と返した。 丸井くんは黙ってそれを聞き流して、それからぼそりと呟いた。 「もう、卒業しちまうんすね。先輩」 「……うん」 「あぁー寂しいーなああ〜」 「………」 「また、こいつと遊んでくれると助かります」 「うん」 「ついでに俺とも」 「うん」 「……。先輩」 「俺、すげー寂しいよ」。 真に迫ったその声音に私は思わず立ち止まった。心臓が五月蝿いくらい派手に唸って、体中がカッと熱を持つ。 同じように立ち止まった丸井くんはそろりとこちらを振り向いた。 「ね、どーにかして」 「どーにかしてって言われても……しょうがないよ、学年違うんだから」 早口でそう告げると、丸井くんは途端に真顔になった。 その顔にドキリとして頬が引き攣りそうになる。 「先輩のけち」 「けちって何よ。だめなものはだめよ」 明日は、卒業式だ。 後輩の丸井くんも当然式には出る。けれどおそらくこうして二人で並んで歩くことはないだろう。 丸井くんには当たり前のように部活があるし、私は私でクラスメイトとお別れ会がある。 言ってしまえば丸井くんと一緒に下校できるのは、事実上今日が最後になる。 丸井くんはそろりと弟くんを降ろした。 「先輩さ……前から聞きたかったんすけど」 「?」 「俺のこと、どう思ってるんすか」 丸井くんが真っ直ぐ私を見据えてそう告げた。びくりと体がしなって、泳ぐ私の瞳が弟くんを捉える。弟くんも真っ直ぐに私を見ていた。何の他意もない無邪気な瞳が胸に突き刺さる。逃げちゃだめだ。そう思って、私は勇気を出して顔をあげた。ばちり、と音が鳴って丸井くんと目が合った。 「先輩」 「………」 「先輩、答えて」 「っ」 囁くその声音に全身が震え上がった。反射的に丸井くんから離れようと腕を伸ばすと、性急な力で引き寄せられた。そしてそのままぽすりと丸井くんの胸に収まる。呼吸も思考も何もかも止まる中で、暖かさと彼の汗の匂いだけが私の脳内を支配した。 「ね、どうなんすか?」 「………」 「実は、好きだったり?」 ドン! 私は思い切り丸井くんを突き飛ばした。丸井くんは予想していたように余裕の表情で私を見つめている。 私はドキドキと破裂しそうな心臓を押さえながら、負けないように丸井くんを睨みつけた。 「はは、図星だろい」 「……あのね丸井くん」 「ん?」 「私だって、寂しいよ」 告げると、丸井くんが息を呑んだのが分かった。 「でもね、私は明日で卒業するし、丸井くんも春合宿があるでしょ?お互いそんなに暇じゃないし、目の前の事に集中しなきゃだし、あんまり他の事で気を遣って支障があったらいけないでしょう。だから今はやめよう、そういう話」 丸井くんの顔は見れなかったけど、何だか空気が凍った気がした。びくびくしながら返事を待っていると、突然丸井くんがにやけたような声で言った。 「つまり恥ずかしくて今は無理ってことか」 「は、はあ?ちが……」 「ったく頑張っちゃって。かわいーなぁ」 頭をさらさらと撫でられて、私は全身が石になった。あうあうと口を開け閉めしながら呆然と見つめる私の顔はきっと真っ赤に染まっているだろう。一気に茹蛸状態になった私の頬をぷにと突いて、丸井くんは「っはは、すげー真っ赤」と言って笑った。 「や、な、なにを……!」 「もうかわいすぎて我慢できねぇ」 「………」 「なんすか口ぽかーんとあけて。え?キスもしろって?しょうがねぇなあ」 「ち、違う!!」 スパーン!! 小気味いい音が鳴り響いた。近づいてきた丸井くんの頬を思わず引っぱたいてしまった。 「てぇ」 「か、勝手に、やめてよ!」 「いいじゃないすか、キスくらい」 「よ、よくない!!ありえないから!」 「あはは。先輩が大声出すなんて珍しいっすね。そんな恥ずかしかった?」 「そ、それは、丸井くんがそういう失礼なことしようとするから……!」 「あーはいはい。先輩がツンデレなんはよーく分かりましたんで」 その言葉が終わるや否や、ぐいと腕を引っ張られて私は再び丸井くんに抱きしめられた。 「今日が最後なんすよ」 「………」 「もう、そろそろ進んでいいんじゃないすか、俺たち」 丸井くんが何を言いたいのかは分かる。 確かに私は丸井くんが好きだ。ついでに言うとその弟くんも好きだ。 そして丸井くんも私のことが好きだろう。一歩踏み出せば、二人の関係はめでたく進展する。この先に進むわけだ。 それは正直怖かった。この関係があまりにも心地よかったから。出来ればこの先には進まずに、今までのように過ごしたい。 でも丸井くんはきっとそれを許さないだろう。分かってる。だってそれを望んでいる私も心のどこかにいるのだから。 「先輩。あの、俺」 「だめ、言わないで」 「無理。俺、言いてぇから」 「それでもだめ。お願い言わないで」 「何でっすか。言わせてください」 「だめ」 「……怖いんすか」 「!違う」 「怖いんだろい。一歩踏み出すのが」 「やめて!」 終わる。終わってしまう。ここから一歩踏み出せば、終わってしまう。怖くて足が竦む。……だめだ。やっぱりまだ勇気が出ない。 必死に葛藤する私は、ただ顔を俯けて呻くしかなかった。 「丸井くんごめん」 「………」 「今は、まだ」 今はまだ。近すぎず遠すぎない距離にいたい。せめて明日、卒業するまでは。ただの“先輩”でいさせて欲しい。 私のわがままを丸井くんはちゃんと聞きとめてくれた。抱きしめている腕を名残惜しそうに離すと、ふうと息を吐いてカラリと笑った。 「ったく、しょうがねーなぁ」 その声には寂しさが見え隠れしていた。 丸井くんは再び弟くんを抱き上げるとゆっくりと歩き出した。 ハッとした私が慌てて隣に並ぶと、丸井くんは穏やかに微笑んだ。 「先輩。いっこお願いがあるんすけど」 「な、なに?」 「先輩のこと、名前で呼んでいい?卒業記念に」 「……だめ」 「えーなんで!」 「だめ。ぜったいだめ」 「……。先輩」 「!!だ、だからだめって言って」 「あ、先輩いらねぇか。が良い?。ー。うわやっべえこれ、すげー彼女っぽい、ハハ」 「〜〜〜〜!」 調子に乗る赤毛の後輩に二度目の平手打ちをお見舞いする。 ごめんね丸井くん。根性なしの臆病者で。でも許してくれるよね?どうか、許してね。 ぎこちない不器用な二人に挟まれた弟くんは、そんな私たちを見てふわりと微笑んでみせたのだった。 -------------------------------------------------------------------------------- 合格おめでとうございます! お礼にもなっていないささやかさではございますが、謹んでお祝い申し上げます。 案の定丸井くんが迷子になっておりますが…(笑)こんなのでよければもらってやって下さいませ。 かほちゃんが充実した学生生活を送ることの出来ますように^^ 2013.3.12 綾瀬はな ( 卒業式を思い出しました // 130325 ) とにかく敬語に萌えました!「あ、俺の愛とかどうっすか」あたりのやり取りと、「俺、すげー寂しいよ」と最後の「彼女っぽい」という会話がツボすぎて過呼吸になりました。 はなさんありがとうございます!大好きです^^ |