「うわっ」 間抜けな声が教室の隅に広がる。授業が始まってすぐ、私は手にしたそれを即効で机の中に押し戻した。な、ななな、なんだこれ…!?私の声を聞いた丸井が鷹揚に振り返る。 「あん、どうした?」 「い、いえ…」 どうしたもこうしたも…。背中をツーッと嫌な汗が伝う。必要もないのに敬語で返事をする私を訝しそうに見つめる丸井。くっそーすぐに確認したいのに…ちょっとこの男には知られたくない…。 私は何度も首を横に振った。あんた関係ないから。なんでもないし。いやいやもういいよ。は?いいから前向いて。向いてってば! 「あー?変な女」 丸井はそれだけ嫌そうにのたまって向き直った。いやお前に言われたくない。小さく息を吐いて、そろそろと握り締めたままの“それ”をもう一度引っ張り出す。「さんへ」と書かれた白い手紙、裏返すとぺたりと貼ってあるハートのシール。それはまさに、まさに…! (ぐわーやっぱりそうだぁあー!これ…っ本物っ、うわーラブレターとか初めてもらった…!これうわ…うわ、え、どうしようこれ…!) 顔にどんどん熱が広がってゆく。今日はテスト前の大事な授業だから真面目に聞かなくちゃいけないのにさっきから一文字も先生の言葉が耳に入ってこない。何せこの世に生まれた乙女なら誰でも一度は夢見る、男子からの愛の手紙、ラブ・レター!それが普通に自分の机の中に入ってたら動揺しないわけがないじゃないか…!!一大事だ。まじ本気で一大事だ。もう授業とか受けてる場合じゃないわ、むしろ授業とかどうでもいいわ!よし見よう今すぐ見よう…!私は喜び勇んでその手紙を開けた。 「あ、ー」 「だっ!?ちょっあ、」 …まーるーいー!おまっ…ちょ、空気読め!思わず手でラブレターを握り締め…ってうおー潰しちゃったじゃんちょっとぉ!?私への愛の手紙(たぶん)がぁぁ…!動揺する私を見透かすように目ざとい丸井が私の手元をじっと見つめる。 「………」 「あ、なに…?」 「なに今の。なんか隠さんかった?」 「いや、いや何も隠してないですよ」 「は?なんで敬語?」 「いや別に何も。それより何?何ですか」 誤魔化す。必死で誤魔化す。誤魔化されろ丸井…!っていうかそんな目で見ないでよ人のことじろじろと…。居た堪れなくて視線をキョロキョロ彷徨わせていると、丸井は憮然と手を差し出してきた。「赤ペン貸して」。どうやらインクが切れたらしい。慌てて買ったばかりの赤ペンを渡す。受け取った丸井はそのまま素直に前を向いた。ほ…良かった…。と思ったらちら、と振り返った。うおぉぉいやっべ油断した!すかさず愛想笑いを浮かべたら、侮蔑したような目で「きめーよ」と言われた。………こんにゃろ丸井あんた潰すよ。 「やっぱお前なんか隠してんだろぃ」 「隠してないよ別に」 「んじゃあその手に握ってるモン、後で見せろよ」 「………」 おおおばれてるしー!!ぽかーんと口が開いた。丸井はもう前を向いてしまっている。なんでばれた?なんでばれた?? 「いやいや。いや、普通に嫌だから」 唖然と丸井の背中に向けて呟く。丸井はこちらを向きもしない。 「なんでだよ」 「なんでもだよ」 「…ふーん。じゃあ授業中になんか見てたって俺、先生に言っていい?」 「駄目に決まってんでしょ」 「せんせー」 どぅわわわちょっちょっと!ちょっと!?奴が本気で手を挙げかけたので全力で丸井の腕を掴んだ。いやいやいや何してんのマジで何してんの?振り向いた丸井がニヤリと嫌らしい笑みを浮かべる。くっそお前…。よく見たら丸井は私の貸した赤ペンをくるくると軽快に回していた。…しまった、人質に取られた。貸すんじゃなかったー!後悔してももう遅い。こうなったら丸井はてこでも動かない。丸井は時々どうでもいい事に全力を傾けるのだ。はた迷惑な話だ。まだ友達にも話していないこの小さなラブロマンスをどうして放っておいてくれないのだろうか。まじ鬼畜だ。有り得ん。幸村並みに有り得ん。 「幸村くんよりかはマシだろぃ」 「いやもうそういう姑息なところとか言い草とか最近本気で似てきてるよ」 「やめろって。お前がそういう事言うから俺が幸村くんに怒られんだろうが」 「なんでよ。あんたが怒られんのとか知ったこっちゃないよね私」 「そういうお前も鬼畜じゃん…」 授業が終わって休憩時間。丸井は早速私の机の上に乗っかるなり、残念そうに吐き捨てた。おま…私を鬼畜とか、こんな善意溢れる天使つかまえて何言ってんの? 「はぁ…勝手に言ってろぃ」 「っていうかあんたさっき桑原くんのところ行くねんとか言ってなかった?」 「別に次の休み時間でもいいし。っつか何だよそのきめー関西弁」 「いやむしろ行っていいよ、行ってらっしゃ〜い」 「無理。ハイ出して。出せ」 ちっ。騙されてくれるかと思ったのに…。悪態を吐いたら、差し出した手で私の腕をせっせか小突いてきた。どんだけ見たいんだよお前…。本気でうざいんだけど。妙に丸井が急くから私はなんか落ち着いてきて、もう段々どうでも良くなってきてしまった。でもとりあえずもらった本人が中身を見てないのに他人に見せられる訳がないので、確認ぐらいさせてくれと頼んだ。「なに手紙とか?」と聞いてきたので、うんと答えたら、「じゃあ十秒だけな」とかまた鬼畜な事を言い出した。はえーよ! 「はいじゅー、きゅー、さーん」 「ちょっ…いやいや飛んでるとんでる!待って…っ」 すでにしわくちゃになった手紙を開けて慌てて中身を取り出す。薄っぺらい紙。ルーズリーフだった。開けると中央に青いペンで文字が書いてあった。妙にこぢんまりとした字で、
とだけ書かれてあった。差出人らしき名前はない。えぇぇ…いやいやなんかこれ…もうちょっとなんかこう、ないのかな…。いやいや、気持ちは嬉しいですよ。いやもうラブレター頂いただけで幸せ者だとは思うんですけども、こう…もう少し告白するに至った想いとかその過程を書いて欲しかったっていうか、せめてお名前だけでも書いて欲しかったなぁっていうか、ね、せめて。なんか期待しちゃった分なんていうか…。これだったらもう返事も何もないっていうかそもそも気持ち届いてないに等しいですよね〜みたいな… |